偵察魂 

 考子も頑張っていた。
「ハッハッハッ」
 助産師の声に合わせて、考子は短い呼吸に切り替えた。そして、「う~ん!」とひときわ大きな声を出すと、そのいきみで赤ちゃんの体がするりと出てきた。
 産まれた!
 考子の全身から力が抜けた。
 でも何も聞こえてこない。
 どうしたの? 赤ちゃんはなぜ泣かないの? 何があったの? 
 考子は急に不安になった。
 その時、分娩室は緊張に包まれていた。新の顔は真っ青になっていた。へその緒が首に巻き付いていたのだ。彼は経験上、臍帯巻絡(さいたいけんらく)が珍しいことではないことを知っていたが、我が子のこととなると冷静ではいられなかった。
 助産師さん早く処置して! 
 大声で叫んだつもりだったが、その叫びは声にならなかった。しかし、この緊急時においてもベテランの助産師は落ち着いていた。首に巻き付いたへその緒を素早く外して、手際よく母体から切り離したのだ。その瞬間、赤ちゃんの肺が動き出し、息が吸われ、息を吐き出した。
「おぎゃ~」
 産声(うぶごえ)が響き渡った。それは新たな命の存在を世に知らしめる轟のようであった。
「可愛い女の子ですよ」
 助産師から受け取った赤ちゃんは天使のような顔をしていた。
「天使より可愛いね?」
 新はもうデレデレだった。
「イナイイナイバ~」
 まだ目も見えないのに必死になってあやしていた。その姿は新米パパそのものだった。決して産婦人科医とは思えなかった。でも、考子はそれが嬉しかった。妊娠中は胎芽や胎児という専門用語しか使わなかったから少し心配だったが、彼の満面の笑みを見ると、その不安は吹き飛んだ。
「ありがとう」
 新は考子の耳元で囁いた。
「こんなに可愛い子供を産んでくれて本当にありがとう」
 さっきまで緩みっぱなしだった新の瞳が大きな泉の中で揺れていた。