偵察魂 

 考子がスーパーマーケットからの帰りに行きとは違う道を通っていると、解体中の現場が見えてきた。かなり古い家のようだ。
 マズイ! 
 思わずマスクに手をやって顔との間にできている僅かな隙間を埋めた。
 昨日のテレビでアスベストの飛散防止についてのニュースを見たばかりだった。解説者が、建物を解体する時に飛び散るアスベストに気をつけなさいと言っていた。吸い込むと肺線維症(はいせんいしょう)悪性中皮腫(あくせいちゅうひしゅ)の原因になり、肺がんを発症する危険性があるらしい。一緒にそのニュースを見ていた新が「古い建物の解体現場には近づかないように。もし知らずに通りかかったら必ずマスクと顔の間に隙間ができていないか確認してしっかり埋めること」と真剣な表情で言っていたのを思い出したのだ。アスベストを吸い込んだ場合、その一部は異物として痰に混じって排出されるが、大量に吸い込んだ場合や大きなものを吸い込んだ時は除去されずに肺の中に蓄積されてしまうらしく、それが長期の潜伏期間を経て発症するという怖さがあると彼は説明してくれた。今のところ胎児への影響は報告されていないらしいが、出産後母親になる自分の健康のためにも注意しなければならない。
 帰宅した新に近所に解体工事をしている古い家があることを伝えると、彼は早速ネット検索を始めてタブレット端末を食い入るように見ていたが、突然「嘘だろ!」と大きな声を出した。びっくりした考子が画面を覗き込むと、厚生労働省のホームページが映し出されていた。中央環境審議会大気・騒音振動部会の石綿飛散防止小委員会第1回の議事録だった。『今後の解体等工事件数の増加について』と題されていた。
「事前調査の対象となる解体などの工事件数は年間73万件から188万件と推定されていて、その工事件数のピークは2028年になるんだって。これから10年近くも古い建物の解体工事が増え続けることになるらしい。ん? その下に小さな字で但し書きが書いてあるぞ。なになに? この予測を大きく上回る可能性がある? なんだそれ」
 2人は目を合わせて、大変だ、というふうに首を振った。
「知らなかったわ、こんなことになっているなんて。解体工事の近くに住んでいる人はわかっているのかしら。工事業者はきちんと飛散防止対策をやっていると思うけど、もし飛散していたらどうなるのかしら。学校帰りの小学生が何人も解体工事現場近くをマスクもしないで歩いていたけど、あの子たちが吸い込んでいたら大変なことになるわ」
 考子は言葉を失った。新もただ首を振るばかりだった。