次の日、考子はミーティングルームで緊張していた。手に持ったメモに何回も目を落としてブツブツ言ってはため息をついた。
 少ししてマスク姿の上司がドアを開けて入ってきた。研究部長だ。〈用件は何かな?〉というような表情で、机を挟んだ対面の椅子に座った。
「本日はお時間を頂戴して、ありがとうございます」
 そこまでは順調に言葉が出た。しかし、そこから先をうまく言えなかった。
「実は、あの~、え~っと、その~」
 いつもと違う考子の緊張具合に上司は首を傾げた。
「まさか、退職の申し出ではないだろうね」
「そんな」
 予想外の質問に飛び上がらんばかりに驚いた。しかし、そのお陰で緊張が解けた。
「実は、妊娠のご報告を」
 考子が最後まで言う前に上司が口を挟んだ。
「赤ちゃんができたの。そう。良かったね。おめでとう。初めてだったよね。いや~、本当におめでとう」
 考子がびっくりするくらい喜んでくれた。まるで我がことのように。
「それで出産予定日はいつ頃?」
「9月10日って言われました」
「ということは、産休に入るのが……」
「出産の6週間前になりますので、7月末には休ませていただくことになります」
「7月末ね。了解です。担当してもらっている研究を誰に引き継がせるか考えておくね。それと、出産後は育休を取るよね。そうなると、職場復帰はいつ頃になるかな?」
「それについては、また改めてご相談させて下さい。保育園の空きの問題もありますし、それに自宅勤務での復帰も選択肢として考えさせていただきたいので」
「了解。無理のない職場復帰を一緒に考えて行きましょう。とにかく、今は体のことを最優先にして、元気な赤ちゃんを産むことを第一に考えてください。なんといっても子供は日本の宝だからね。少子化が進む中で子供を産んでくれる妊婦さんは女神と言っても言い過ぎではないと思うよ」
 上司の温かい言葉に考子は涙が出そうになった。世の中ではマタハラが横行し、妊婦への冷たい仕打ちが数多く報道される中、自分はなんて恵まれているのだろうと、我が身の幸運に心から感謝した。