偵察魂 

 ウエストがきつくなってきたな~、
 独り言ちた考子は膨らみ始めたお腹に手を当てた。
 そろそろかな~、
 また独り言ちて、マタニティ用の服への切り替えを考え始めた。しかし、いかにも妊婦さんという服は着たくなかった。どうせならお洒落なものにしたかった。だからセンスの良い妊婦服を探すために町に出かけた。本当は2人で行きたかったのだが、新は当直で病院に出勤していた。
 週末の繁華街は家族連れやカップルで賑わっていて、一人で歩いていることが場違いのように思えた。彼が普通のサラリーマンだったら土日は一緒に居られるのに、と自分勝手な考えが一瞬過ったが、そんなこと思っちゃダメと頬を抓って戒めた。彼は遊んでいるわけではない、仕事をしているのだ。それも自分のような妊婦のために働いているのだ。だから彼を誇りに思うべきなのだ。考子はもう一度頬を抓るようにして心の中で謝った。
 しばらく歩くと妊娠出産関係の多様な製品を扱っている専門店の看板が目に入ったので、迷わず中に入って店員を探した。同年代か少し年上で出産経験者なら尚いいんだけどな、と思っていたら若い店員が近寄ってきた。ちょっと若すぎる。それにマスクから鼻が出ていた。とっさにその店員をやり過ごして、店の中をぐるぐる回りながら目当ての人を探した。するとベビーコーナーで可愛い服を畳んでいるマスク姿の女性を見つけた。30代半ばくらいだろうか、この人なら的確なアドバイスを貰えそうだ。近づいて声をかけた。
「あの~、すみません。ちょっといいですか。お洒落なマタニティウェアを探しているんですけど」
 店員は手を止めて考子に笑いかけた。そして、「こちらへどうぞ」と売り場へ誘導してくれた。そこには色とりどりのマタニティウェアが並んでいた。ワンピースタイプ、パンツタイプ、そして、レギンスなど。
「お勧めのものってありますか?」
 店員は考子の服装をチェックするように見たあと、どう対応すべきか思案を巡らせるような表情をした。そして徐に口を開いた。
「私の経験をお話させていただいてもよろしいですか」
 考子は待ってましたとばかりに顔を輝かせた。その話を聞きたかったのだ。
「私は3年前に出産したのですが、マタニティウェア選びで失敗したのです。デザイン重視で選んだことが失敗の原因でした。動きやすさとか心地やすさとかよりもカッコ良さにばかり目がいっていたのです。だから、通気性や肌触りといった妊婦服に必要な機能のことはまったく頭にありませんでした」
 そして、今言ったことが目の前の客の心にすとんと落ちるのを待つかのように時間を置いた。
「いかにも妊婦服というデザインを避けたい気持ちはわかりますが、そんな見た目のことよりも、これから出産までをいかに快適に過ごすかという観点から選んだ方が失敗が少ないと思います」
 そう思いませんか、というふうにニッコリ笑った。
「お腹や胸がどんどん大きくなっていくわけですから、伸縮性のあるものや締め付けないものを選んだ方が絶対楽なんです。それを踏まえた上で、デザインだとか色だとかを決めていったらいいと思います」
 出産を経験している上に多くの妊婦客と接している店員の言葉には説得力があった。だから一も二もなくその意見を受け入れた。そしてデザインと色の好みを伝え、機能性重視でワンピースとパンツとレギンスを2着ずつ買った。
「下着はよろしいですか?」
 店員は後方にある下着コーナーに視線を向けた。
「伸縮性や通気性に優れた下着、肌触りの良い下着を揃えているんですよ」
 振り向いた店員に促されるように考子も従うと、下着コーナーにはゆったりとしたサイズのブラジャーやショーツやガードルなどが並んでいた。どれも胸やお腹をすっぽり包み込むデザインだった。
「最初はこのデザインや着心地に違和感があると思いますが、これから大きくなっていく体をゆったりと包んでくれるものがいいと思いますよ」
 近くにあったショーツを広げてみた。股上が長くてお腹やお尻がすっぽり入るくらい大きかった。いま自分が身に着けているものよりかなり大きかった。これを身に着けた自分を想像しようとして止めた。デザイン性を頭から追い出さなければならないと思ったからだ。なによりもお腹の赤ちゃん優先で決めなければならない。窮屈な思いをさせたり、負担をかけてはいけないのだ。ここでも店員の勧めに従って、機能性重視でそれぞれを買った。しかし、色だけは楽しみたいので、ピンクを中心にパステルカラーでまとめた。
「ありがとうございました。とてもいい買い物ができました」
 すると彼女はまたニッコリと笑って「お役に立ててなによりです。何かありましたらいつでもお声かけ下さいね。私の妊娠経験や接客経験がお役に立つのならこれ以上嬉しいことはありませんから」と今までで最高の笑顔を見せたあと、穏やかな顔に戻ってもう一つアドバイスをしてくれた。
「ところで、これから体がどんどん変化していきますから、それに伴って色々なことが気になってきます。私の場合は妊娠線が一番気になりました。お腹が大きくなるにつれて皮膚が引き延ばされるので、赤みのある細かな線ができてしまうのです。これは仕方のないことですし、出産して半年後には元の状態に戻ることも多いので心配し過ぎることはないのですが、私は妊娠線ができたところに保湿クリームを毎日塗っていました。そして、妊娠線予防マッサージを欠かさずしていました。人によりますのでお客様の場合はわかりませんが、もし妊娠線が気になったら今申し上げたことを思い出してください」
 そして、『妊娠線を予防しましょう』というタイトルのパンフレットを渡してくれた。しかし、棚に置いている高価な妊娠線予防クリームの購入を勧めることはなかった。妊婦客の財布にも気を配ってくれる彼女の態度に改めて好感を抱いた。だから、妊婦関連グッズはこの店員さんから買おうと心に決めた。