偵察魂 

「ねえ、あなたって育休とか取れるの?」
 突然の考子の問いかけに新は口ごもった。
「ん~、どうかな……」
 困った顔でうつむいた。
「政治家だって取る時代なんだから、医師だって取れるんじゃないの」
 考子の視線の先には、首相経験者を父親に持つ大臣がインタビューを受ける姿が映し出されていた。彼は現役閣僚として初めて育休を取得したことで注目を浴びていた。
「ん~、そうなんだけど……」
「それに、あなたは産婦人科医なんだから、というよりも産婦人科医だからこそ、自分の妻の出産に際して率先して取る必要があるんじゃないの」
「ん~」
 新は唸ったまま固まってしまった。実は彼の勤務する病院では育休取得した男性医師は皆無に等しかったのだ。医局でそんな話題が出ることもなかった。育休という言葉は自分たちの世界には存在しないという雰囲気があった。それは産婦人科医だけでなくすべての診療科に共通する傾向だった。そのことは日本医師会の調査『日本共同参画についての男性医師の意識調査』でも明らかになっていた。男性医師の育休取得率は僅か2.6パーセントしかなかったのだ。しかも8割以上の男性医師は「考えたこともなかった」と答えている。それは忙しすぎる医療現場の中で自分だけ休むなんてとんでもないというニュアンスが感じられる結果だった。ただでさえ医師が足りない厳しい状況なのに一人抜けたらどうなるのか、それは残された医師に外来診察や手術だけでなく、深夜勤務や当直の負担までもがのしかかることを意味する。だから育休取得意思があったとしても言えないというのが現状なのだ。「考えたこともなかった」と言うのは「考えないようにしていた」というのと同義語である可能性が高かった。
「でも、産婦人科医って妊婦さんに直に接する仕事なんだから、赤ちゃんの接し方を知らないでは済まないんじゃないの。教科書に書いてあることと実際は違うんだから、身をもって体験することは医師として貴重な経験になるはずよ。違う?」
 新はグーの音も出なかった。最近は国家公務員でも12パーセント以上の男性が育休を取得している。それは4年前の4倍にも達していた。育休は世の流れと言っても過言ではないのだ。しかし病院という世界は別物だった。世の流れとはまったく違うところに存在しているのだ。
 考子に目を合わせられない新の脳裏には色々な言い訳が浮かんだが、何一つ意味のあるものは存在しなかった。
「そうなんだけど……」
 それ以上何も言えなくなった新は、インタビューを受ける大臣の顔を羨ましそうに見ることしかできなかった。