わたし 

 政治家……、
 ママの心の声を知ったわたしの遺伝子が敏感に反応したわ。遺伝子に刻まれている記憶の回路にスイッチが入ったの。一気に1921年(大正10年)に飛んでいったのよ。すると、立派な髭を蓄えたダルマさんのような顔の男性が現れたわ。第20代の日本国首相という偉い人よ。名前はね、高橋是清(これきよ)さん。首相を退いたあとも引退しないで蔵相を7回も務めるという離れ業のようなことをした人なの。そして、日本を近代国家に導くために大きな貢献をしたのよ。例えば、昭和恐慌を乗り切るための積極財政で景気回復を果たしたのも一つだし、逆に、インフレ抑制のための緊縮財政を訴えるということもやってのけたの。正に攻守両面を併せ持つ稀有(けう)な政治家だったのよ。でもね、国防費を削減しようとしたことから軍部に睨まれて暗殺されてしまったの。その日が1936年2月26日だったから、のちに2・26事件と呼ばれることになったのよ。非業(ひごう)な最期だったけど、81年間の人生は他人を大事にする人生でもあったの。頼まれたことにはNOと言わず喜んで引き受けたの。そして「一生懸命に事に当たれば必ず道は開ける」と言って懸命に努力したから、更に信頼を生んで益々多くの人を引きつけていったのよ。素晴らしいわよね。で、ね、是清に心酔してお国のために懸命に働いた政治家の中にママのご先祖様がいたの。その時の国の状態を見ながら積極財政と緊縮財政を使い分けて正しい方向に導いたのよ。凄いわよね。尊敬しちゃう。そのご先祖様の血がママに流れているから、政治家という心の声にわたしの遺伝子が反応したのは当然と言えば当然よね。
 あらっ、是清翁が葉山の別邸でお孫さんと寛いでいる姿が見えたわ。優しそうに笑っている。意外と子煩悩だったのかもしれないわね。わたしのご先祖様もそれを見習ってくれたかしら? 仕事と子育てを両立してくれたかしら? もしそうならイクメン政治家を先取りしていたかもしれないわね。