あれから何度かやり取りをして、お互いの予定が合う来週末に出掛ける約束を取り付けることが出来た。行き先は水族館。暑い中ずっと外を歩かなくていいからちょうど良いよねとあっさり決まったけれど、完全にデートの行き先じゃないかと、内心どきどきしていた。
 いや、デートに誘うつもりだったんだからそれであってるんだけど、なんていうか、男女二人で行くとなると恋人同士で行く場所っぽいイメージがあるから……葉月があまりにもあっさり受け入れるから、余計にどきどきしてしまう。だって俺達はあの頃のような小学生の二人では無い。
 そう、あの頃の二人では……じゃあ今の俺は、葉月とどうなりたいんだろう。

 そんなことを考えながら当日までの数日間、予言日記を続けていた。“当日の予定を立てる”とか、“葉月をお昼ご飯に誘う”とか、成し遂げられそうな予言ばかりだったけど、それでも、現実に出来ると嬉しくていつの間にか毎日続いている。
 そろそろページが少なくなってきたな……と、明日の分を書きながら残りの枚数をめくっていくと、ぎざぎざと破り取った形跡のある最後のページが目に入った。
 それはもらった時からのもので、初めて気づいた時は間違えた分を破り取ったのか、メモにでも使ったのかと思い、特に気にしないままノートを閉じて今日まで何も思いもしなかった。
 けれど今になって考えると、何かおかしい気がする。
 だってあの葉月が鍵のついた引き出しに大事にしまっていたノートだ。そんなノートにメモなんてするだろうか。一枚どうしても切り取らなければならなかったとして、こんなびりびりと跡が残る様に破り取ったり——いや、なんでも丁寧に大切に扱う葉月だ、そんなことは絶対にしないと思う。
 もしかしたらこのノート……予言日記は、俺が思っている以上の大切な何かが隠れているのかもしれない。
 あの時さようならと涙を流しながら俺に手渡した葉月。一体、どんな気持ちでこれを俺に託したのだろう。あの日から予言日記をやっていない葉月は、やらないと決めた葉月は今、何を思うのだろう。この最後の一ページには一体、何が書かれていたのだろう。
 葉月のことをちゃんと知りたい。今も昔も、全部全部。

「……よし、書いた」

 “葉月ともっと近づく”

「……抽象的過ぎるか?」

 でも今の自分の願いを明日の予言にしようと思うとこんな言葉にしかならなかった。もっと葉月の心の側にいきたい。そんな思いをその一文に込めたのだ。


 そして、デート当日。夏の清々しさを感じる爽やかな晴天。

「飛鳥! おまたせー!」

「今日こそ私が先だと思ったのに〜」と肩を落とす葉月は集合時間の十分前にやって来て、「俺も今着いた所だよ」なんて答えたけれど、俺はというとその二十分前にはここに居た。つまり集合時間の三十分前である。
 なんかもうそわそわしてじっとしていられなかったのだ。毎回こんなに早く来ている訳では無いけれど、今日はたくさん葉月と話たいことがあると思うとつい……心の支えにと、予言日記まで持って来ている始末である。

「じゃあ行こっか!」

 そんな無闇に緊張している俺とは正反対に、葉月はいつもの明るさで俺の手を取り入り口へと導く。わ! 手を繋いでる!なんて思ってしまう俺はもう頭の中が葉月のことでいっぱいいっぱいだった。

「見て! ちっちゃい魚だらけ! 花びらとちょっと似てるよね」
「うん、綺麗だね」
「大きい蟹って水族館で見ると宇宙人感ない?」
「水槽内の照明落としてるしね。海で会ったらどうなんだろう」
「ペンギンだ! 陸でじっと動かない間に頭の中で独り言言ってそう」
「そうなの?」
「そうそう。飛鳥みたいに」
「俺みたいに……え、俺みたいに?」

 急に自分が会話の中に登場して驚きながら葉月の方を見ると、ふふっと笑いながら「でもそうでしょ?」と俺に訊ねるので、少し考えながら「そうかも」と答える。確かに俺は頭の中の独り言が多いタイプだ。

「飛鳥ってさー、ペンギンに似てるよね」
「どのペンギン? コウテイ? フンボルト?」
「あはは! 種類とかじゃなくて! じっと考え事してのんびりしてる人かと思ったら、実はすごいスピードで解決していくタイプだったりする所」
「……そうかなぁ」
「そうだよ。飛鳥はこうと決めるまでたくさん考えるから、その分決めた時に迷いなく真っ直ぐ突き進んでいける人だよ。水に入った途端すごい速さで泳いでいくペンギンみたいに」
「…………」
「あ、この先でイルカのショーあるよ。行こう!」

 葉月に手を引かれながらもう一度ペンギンに目をやると、ガラスの向こう側を横切る様にペンギンが泳いでいった。滑らかなのに鋭く自在に、目を引く気持ちの良い速さで。
 俺に……似てるかな。俺もあんな風にスマートに動き出せたらなとは思うけど。
 葉月の感覚はいつも新鮮で、その目から見た俺はいつも自分の思う自分とは違うものに見えた。たくさん考えて動けなくなってる自分は自覚がある。今もそうだ。特に葉月のこととなるといつも俺は格好悪い。



 イルカのショーを終えると、ちょうど昼食の時間だった。館内のレストランは混雑していた為、一度外に出て事前に調べておいたレストランへと向かうことにすると、葉月は「調べてくれてありがとう」と嬉しそうにお礼を言ってくれた。
 料理が届いてからもずっと葉月は楽しそうで、水族館の生き物の中で言ったら葉月はイルカに似てるなと思った。海の生き物の中で一番楽しそうに笑っているのがイルカだなと感じたから。元気で明るくて感情が表に出る葉月にそっくりだ。
 
「…………」
「……飛鳥?」
「……ん?」

 だから、最近の葉月の中には明るさ以外の感情があることも知っている。葉月の笑顔の種類が俺にはすぐにわかるのは、今も昔も変わらないみたいだ。
 葉月の中には俺に話していない何かが隠れている。それが知りたくて、聞きたくて、今がそのタイミングかなと思った。

「何か考えてる?」
「……聞きたいことがあって」
「何?」
「……無理なら良いんだけど、あのさ。この間俺、予言日記始めたって言ったでしょ?」
「……うん」

 予言日記。その単語を出した瞬間、葉月の纏う空気が変わった。しんと辺りに真剣な雰囲気が漂う。

「その予言日記の最後のページが破れてるのが気になって。それってもしかして、葉月がもう予言日記をやらないことと何か関係があるのかなって」
「…………」
「気になり出したらキリがなくて、ずっと葉月のことを考えてるんだ。だから今日、葉月に聞きたいと思ってたんだ」
「……そっか」

 はっと葉月の視線と俺の視線が絡まる。

「それが知りたかったんだ」
「うん」
「だから今日誘ってくれたんだ」
「うん……え? いや、違、」
「いいよ、教えてあげる。なんでやめちゃったかというと、それは現実にならないことがあったから。あれはね、もう予言書じゃないんだよ」
「……え?」

 あまりの衝撃に、葉月の言っていることへの理解が追いつかなかった。
 そんな俺を悲しそうな瞳で葉月は見つめながら、

「だからね、そこには思い出しか残ってないんだよ。予言日記じゃなくて、ただの日記。小学生の頃の私達しかそこには居ないの」
「…………」
「だから今の私にはそれは必要ないんだよ」
「……じゃあ、今の葉月は何を叶えたいの?」

 現実にならないことがあったからやめたと葉月は言った。予言日記は今の葉月にとってはもうただの日記だと——でも、俺にとっては違う。

「俺にとってはずっと大事な予言日記だ。これは葉月の思いが詰まった、俺と葉月の現実が、未来が、ここにある。俺は今もその時の思い出に力を貰ってるし、現実にするその思いを信じてる。だから叶わなかった願いがあるならまた俺が葉月の願いを叶えたい」
「…………」
「俺、葉月のこともっと教えて欲しいんだ。今の葉月のことも、昔の葉月のことも。葉月のことが全部知りたいからなんでも話して欲しいし、悲しい顔をさせたくない」
「……なんでそこまで思ってくれるの?」
「なんでって、だって俺は葉月のことが、」

 はっとして、その続きを慌てて飲み込んだ。それは今、この場で知った自分の思いだった。

 ……そっか、だから俺、もっと葉月に近づきたかったんだ。