「——あれってさ、所謂やりたいことリストに近いよね。やりたいことや目標などを目に見える形で書き出しておくと良い、みたいなやつ」
「そうかも。予言日記にはこうだったらいいな、これやりたいな、みたいな自分の未来の予定を書いてたよね」

 大学生になってタスク管理をする為にスケジュールを整理する様になり、ついでに自分のやりたいことを書き出し始めてからふと思ったのだ。これってあの時の予言日記に似てないか?と。
 やりたいことリストとは、やりたいことを書き出すことで実現しやすくなり、新しい自分の側面にも気付けるという、自分の生き方と向き合う為の素晴らしい方法の一つだ。

「それを葉月は小学生の内から意識しないでやってたんだからすごいよ」
「いやいや! そんなすごい意思を持ってやってた訳じゃないからね。飛鳥もたくさん協力してくれたから、そのおかげで達成してきたんだし」
「……まぁ、デイリーミッションをクリアしていくみたいで楽しかったから」

 たくさん協力してくれた、という言葉に当時の自分を思い出して少し照れ臭さを感じる。
 俺は例のシャーペンの一件から予言日記への意識を改め、葉月の書いた内容を現実にする為に積極的に参加する様になったのだ。
 何故なら葉月の予言日記に書かれたものは、葉月の努力によって現実になっていくことを目の前で知ったから。それは新しく知った自分の力で明日を迎える方法で、それを実践する葉月の眩しさに子供ながらに感動したのを覚えてる。
 毎日更新される明日の予言。それを今日この時に葉月と共に現実に出来ることが、俺の予言を現実にしてくれた葉月の予言を叶えられることが、俺にとってとても誇らしく思えることだった。

「あ、そろそろ次の講義始まるから行かないと。飛鳥は帰るんだよね?」
「うん」
「あのさ、連絡先交換しない?」
「もちろん」
「やった! ありがとう」

「じゃあまたね!」と、明るい笑顔で手を振り次の講義へ向かう葉月を見送る。

 そっか、また会えるんだ……あの頃と違って。

 友達欄に増えた葉月のアイコンを見てじんわりと心が温まるのを感じた。あの時の別れの先にこんな未来が待っているなんて、今の今まで想像もしなかったから。

 そうだ、予言日記。

 急いで家に帰ると、引越しの際にも忘れずに持ち出した葉月の予言日記を引き出しから取り出した。これは別れの挨拶に来た葉月から受け取ったもので、その日から俺はこのノートを何より大事に保管してきた。

「懐かしいな……もう六年前になるのか」

 俺は小学校を卒業すると同時に、父親の転勤の関係で他の地方へ引っ越すことが決まっていた。事前に知らされてはいたものの、特に一緒に居ることの長かった葉月にはどう言い出したらと悩んでしまってなかなか言い出すことが出来ず、結局俺の口から言い出せたのは卒業式を翌日に控えた放課後のことだった。 


『——え……? 今なんて?』
『だから、明日卒業したら引っ越すから、もう葉月とこうやって会えるのは今日が最後なんだ』
『…………』

 葉月はその大きな目をこれでもかと見開いて、言葉を失った様に固まってる。その様子に驚いているのか、怒ってるのか、悲しんでいるのか、俺にはわからなかった。

『……葉月?』
『…………』
『えっと、ごめんね』
『……なにが?』
『え?っと……』
『…………』

 沈黙が続く中、『ごめん、先帰る』という言葉と共に走り出した葉月を俺はただ何も出来ずに見送る事しか出来なかった。こんな葉月を見たのは初めてだったから、動揺して身体が動かなかったのだ。
 葉月は、いつも前向きで笑顔が絶えない女の子だ。明るくて無邪気で、感情を表に出すのが得意なタイプ。そんな彼女がここまで嫌な気持ちを露わにする瞬間に今、初めて立ち会った。

『…………』

 もしかしたら引き止めるべきだったのかもしれない。でも自分の中に生まれた感情に飲み込まれて、俺はこの場を動けなかった。
 怖かった。明日で最後なのになんでこんなことになってしまったのだろう。俺は葉月に嫌われてしまったのかもしれない、そう思うと足元から真っ暗な底なし沼に飲み込まれていく様だった。
 もっと早く伝えていれば良かったのかな。でも早く伝えた所で悲しませてしまうことには変わりないし、寂しく思う時間が長引くだけかもと思うとどうしても言葉に出来なかったのだ。
 葉月を、悲しませたくなかった。

 ——明日が来るのが怖い。

 そんなことを思っても、変わらずに明日はやって来るもので。

『今までありがとう! 向こうでも頑張ってね!』
『応援してるからな! 頑張れよ!』

 卒業おめでとうの他に、俺にだけ渡される言葉の数々に返事をして、最後の別れの挨拶をする。
 結局、朝から一度も葉月と言葉を交わせなかった。冷たい態度を取られるのが怖くて、そっと視線を送っては、目が合う前に逸らしてしまう意気地無しの自分が居た。

 ……今日が、最後なのに。

 なんとか最後に話さないとと、重い頭をぶら下げる様に、とぼとぼと一人になった廊下を今更葉月を探して歩いている時だった。

『飛鳥!』

 飛び込んできたその声に、勢いよく俯いていた顔を上げる。

『葉月……!』
『あ、飛鳥! 待って!』 

 俺の所まで走って来てくれた葉月は肩を大きく上下させて息を整えてる。その両手には予言日記が抱えられていた。

『葉月、これ……持ち出して大丈夫なの?』

 なんで?とか、どうして?よりも先にそれを思った。だって予言日記は葉月の秘密だったはずだ。予言日記を読む時も書く時もいつも学校外で二人きりの時だけだったのは、葉月にとって他の人には絶対にバレたくないものだったからだ。
 卒業で明日からはここに居ないとしても、今はまだみんなが居る変わらない学校の廊下だ。誰かに見られるんじゃないかと息を整える葉月の代わりに辺りを確認しようとすると、『これ!』という言葉と共に俺の手にノートが触れた。

『これ! 飛鳥にあげる!』
『え……でも、大切なものなんじゃ、』
『大切だよ! 大切な私達の思い出だから飛鳥にあげる! 私達、たくさん現実にして来たよね』

 目の前の、ぱっちりと大きな葉月の二つの瞳がゆらゆらと揺れる。

『飛鳥は私の予言を現実にしてくれた。飛鳥は現実にする力がある人だから、きっと引越しても大丈夫。私も、飛鳥みたいにこれからも頑張る』

 押し付けるように俺に手渡すノートの上に、葉月の瞳からぽたぽたと涙が落ちた。俺がノートを受け取ると、葉月は自分の涙をぐっと拭う。

『飛鳥、今までありがとう』
『葉月、』
『さようなら』
『……あの、』
『さようならっ!』

 その力強い瞳に、言葉に、俺は自分の言葉を飲み込んだ。葉月は別れの挨拶をしに来たのだとわかったから。もう心を決めて、ここでその言葉を口にしているのだ。

『……ありがとう、さようなら』

 俺のその言葉を聞き遂げると、葉月は俺に背を向け去っていく。覚悟が決められたその背中に、俺は別れとは終わりのことで、これ以上出来ることはないのだと知った。その場に残されたのは、一冊のノートとそれを受け取ることしか出来なかった俺のただ一人。
 手元に残ったノートをそっと開いてみると、そこにはもちろん見覚えのある葉月の過去の予言が書かれていた。

 “新しい帰り道で帰る”

 通学路じゃない所を通ったら怒られるから、誰にも見つからない様にこっそり二人で探したっけ。結局めちゃくちゃ遠回りだったんだよな。

 “先生に感謝される”

 これは良いことしよう週間の時の一つだ。想像以上に簡単に先生が感謝してくれるものだから、もう良いよと言われるまでしつこく手伝ったんだっけ。

 “一番星を見つける”

 六時間目が終わってからずっと二人で空を眺めてたんだよなぁ。帰りが遅くなって怒られたけど、冬の澄んだ空気の中にきらりと現れた一番星はすごく綺麗だった。

 ……全部、全部覚えてる。あの日からずっと俺達は二人で現実にして来たのだから。

 懐かしさと切なさにぺらぺらと捲る手が止まらない。捲る度に日付はどんどん近付いてきて、ついに今日である最後の予言に辿り着いた。

 “飛鳥にさようならと言う”

『……っ、』

 それはたった一言。されどその一言の重さを、今この瞬間に改めて感じた。
 葉月は、さようならと伝える勇気を、覚悟を、予言日記に書くことでもらっていたのだ。だって予言日記に書いたことは現実になるのだから。
 さよならなんて本当はしたくない。でも、しなければならない。だってそれが現実だから。明日の自分がやるべきことだから。出来ないまま終わりにはしたくない。
 そんな葉月の心が今この予言から伝わってきて、俺の目からついに涙がこぼれ落ちた。
 俺も、葉月とのお別れは嫌だった。でもそれで悲しむ姿なんて見せたくないし、葉月の前では格好良い男で居たかったから。だから、ずっと自分から言えないでいた。

『……さようなら』

 呟きは、誰にも聞かれることなく涙と共にノートに染み込んでいった——。