「もしかして、葉月?」
記憶の中よりも大人びた、それでも見覚えのある懐かしい横顔に思わず声を掛ける。
人違いだったらどうしようなんてことはこれっぽっちも頭に無くて、心の中では間違いないと確信していた。まさか大学のキャンパス内で出会う日が来るなんて。
「……飛鳥?」
目を丸くした彼女が俺の名前を口にして、それに大きくうんうんと頷く。途端、花が咲く様に笑顔になった葉月は嬉々として俺の手を取った。
「飛鳥! え、すごい! 久しぶり! 会いたかった!」
「俺も」
「元気だった? え、え〜ちょっとゆっくり話したい! この後時間ある?」
「今日の分の講義は全部終わってるから暇だよ」
「本当? 私の方は今一コマ空いてるから、良かったらカフェでも行かない?」
「うん、ぜひ」
「やったー!」と、葉月は両手で掴んだ俺の手を無邪気にぶんぶん振ると、「あ、ごめんつい」と慌てて手を離す。その一連の流れは小学校時代の葉月の仕草そのものだった。
「変わんないな、葉月は」
「そうかな。飛鳥もその落ち着いた感じ、変わらない様に見えるけど」
「そうかな……まぁ、そうなのかも」
葉月と俺は同じ小学校に通っていた。その頃の俺達はすごく仲が良くて、どれくらい仲が良かったかというと、それは葉月の特別な秘密を二人で共有するくらい。それくらいにはお互い信頼していたし、心の距離が近かった様に思う。
「ところで葉月、今はどうなの?」
「うん?」
「未来の予言日記」
「わ、やっぱり覚えてたか!」
学内のカフェに入ると、二人で向きあう形で席に着く。カフェ内は冷房が効いているけれど、暑いこの季節、テーブルに運ばれてきた氷たっぷりのアイスコーヒーはびっしょりと汗をかいていた。「予言日記か〜」と懐かしむ葉月のアイスカフェラテも、一口飲む度に机にまあるい跡を残している。
「私のとっておきの秘密だったからね。いまだに飛鳥しか知らないよ」
「そうなの? 俺、予言日記好きだったよ。まだやってるの?」
「ううん、もうやってない。あの日でやめちゃったんだよね」
「そっか……なんかちょっと残念だな」
「あはは。私達と言ったら予言日記だったもんね」
『——これ、未来の予言書なんだ』
放課後、葉月の家に呼ばれた時のこと。鍵のついた机の引き出しから水色と黄緑の間の様な綺麗な色をした表紙のノートを取り出して、葉月はひっそりと俺に告げた。その仰々しい名前のついたノートを俺は緊張感を持って眺める。
『よ、予言書……?』
『そう。ここに書いてあることは必ず起こるんだよ。今日の分は、ほらこれ』
と、見せられたその一ページ。そこには、日付と一緒に葉月のまるっこい字で書かれた“飛鳥と一緒に帰ってうちで遊ぶ”という一文が。
『ね? 合ってるでしょ?』
『……え?』
『じゃあ今から明日の予言をします』
『えぇ? ちょ、ちょっと待って』
未来の予言というにはあまりにもラフなその一文に、『それって何か違くない?』と俺が突っ込むと、『何が?』と、葉月は首を傾げる。
『だって予言書っていうか、それじゃあただの日記の未来バージョン? 予言日記?みたいな。自分のやりたいこととか予定を書いてるだけじゃん』
『でもちゃんと起こってるよ。まだなのもあるけどそれはもっと未来の話だし』
『えー、なんか都合が良くない? それ……』
『…………』
納得がいかない俺に対して、葉月が頬を膨らませて不満を露わにする。すると、無言でじろりとこちらを見た葉月が『分かった』と一言呟くと、ノートを俺に差し出した。
『じゃあ明日の予言は飛鳥が決めていいよ。何にする?』
『…………』
『なんでもいいよ。本当になるんだから』
『……本当に?』
『本当』
『なんでも?』
『なんでも!』
『そっか……じゃあ』
さらさらっと、俺はそこに思いついた予言を書いて葉月に渡した。
『えっと、“失くしたシャーペンを見つける”? え、シャーペン失くしたの?』
『そう。気に入ってたのに全然見つからなくて落ち込んでる』
『どんなやつ?』
『ほら、前に葉月に見せたあの先が回ってとんがるやつ』
『大事にしてたやつじゃん!』
『それは大変!』、『絶対見つけようね!』と、やる気に満ち溢れる葉月の言葉にうんうんと頷いたけれど、絶対見つからないだろうなと心の中では冷めた目で見ていた。
だって散々自分で探して見つからなくて諦めたのが先週だ。今更見つかる訳がないことをわかっていて、意地悪心から書いたのだ。
なんとなく、なんでもその通りになるのだと、予言書だと言い張る葉月の真っ直ぐさが眩しくて否定したくなってしまったから。本当は、こんな意地悪なことをする必要なんてないはずなのに。
『明日、きっと絶対見つかるよ!』
真っ直ぐな瞳で俺を見つめる葉月が両手でぎゅっと俺の手を握る。その手は強く、とても熱かった。
「——あの時の飛鳥、意地悪したよね」
「え、気づいてたの?」
「そりゃあわかるよ、私だって馬鹿じゃないんだから」
あの時のことについて、罪悪感を抱きながらも一度も葉月に本当の気持ちをバラしたことも、謝ったこともなかった。
……葉月はあの時、わかってて頑張ってくれたんだ。
笑いながら話す葉月の顔があの日の葉月と重なって、心の奥がぐっと押し潰される様に切なくなる。
あの日の葉月は予言を現実にする為に、次の日の朝からずっと俺のシャーペンを探し回ってくれたのだ。全クラスの落とし物箱をまわり、職員室の前の学校全体の忘れ物置き場も見て、クラスメイトに聞き込みまでしてくれた。
『——もういいよ。名前書いて無かった俺も悪いし』
そこまでして、放課後になっても見つからなかったのだ。昨日までの意地悪な気持ちはすっかり消え去っていて、今ではこんなことを書いてしまった自分に対しての後悔しか無かった。
『現実にならなくてもいいよ。だってこの予言は俺のだから葉月の予言じゃないし』
『でも飛鳥の大事なシャーペンじゃん!』
まるで宝物でも探しているかの様に葉月は必死になっていた。家庭科室、理科室、音楽室……全部の可能性を潰していくつもりの葉月が次に図書室の棚を確認していた、その時だ。
『! あ、あった!』
本の棚の隅に置き去りにされたそれを葉月はついに見つけ出した。そういえば調べ物をする授業の時にシャーペンを持ち歩いてて、本を取る時に棚に置いた気がする。そのまま席に戻って本を読み始めて違うシャーペンを筆箱から無意識に取り出して……と、全部の記憶が繋がって、ここに置き去りにした事実を今、はっきりと思い出した。
『やった! これ飛鳥のシャーペンだよね!』
『……うん』
『良かった〜見つかって』
『はい、これ』と手渡されたそれを受け取ると、手の中にあるすっかり諦め切っていたはずのそれをじっと眺める。ここにあるのは正しく、あの予言書に書かなければ起こるはずのない未来の形だった。
『ね? 現実になったでしょ?』
呆然とする俺を見てにっこりと笑う葉月の笑顔はまるで太陽の様に眩しくて、明るくて、暖かい。
『うん……葉月、ありがとう』
書いたことが現実になる予言書。葉月の未来の予言日記。
『どういたしまして!』
この日からそれは、俺達二人で現実にしていく予言日記となったのだった。
記憶の中よりも大人びた、それでも見覚えのある懐かしい横顔に思わず声を掛ける。
人違いだったらどうしようなんてことはこれっぽっちも頭に無くて、心の中では間違いないと確信していた。まさか大学のキャンパス内で出会う日が来るなんて。
「……飛鳥?」
目を丸くした彼女が俺の名前を口にして、それに大きくうんうんと頷く。途端、花が咲く様に笑顔になった葉月は嬉々として俺の手を取った。
「飛鳥! え、すごい! 久しぶり! 会いたかった!」
「俺も」
「元気だった? え、え〜ちょっとゆっくり話したい! この後時間ある?」
「今日の分の講義は全部終わってるから暇だよ」
「本当? 私の方は今一コマ空いてるから、良かったらカフェでも行かない?」
「うん、ぜひ」
「やったー!」と、葉月は両手で掴んだ俺の手を無邪気にぶんぶん振ると、「あ、ごめんつい」と慌てて手を離す。その一連の流れは小学校時代の葉月の仕草そのものだった。
「変わんないな、葉月は」
「そうかな。飛鳥もその落ち着いた感じ、変わらない様に見えるけど」
「そうかな……まぁ、そうなのかも」
葉月と俺は同じ小学校に通っていた。その頃の俺達はすごく仲が良くて、どれくらい仲が良かったかというと、それは葉月の特別な秘密を二人で共有するくらい。それくらいにはお互い信頼していたし、心の距離が近かった様に思う。
「ところで葉月、今はどうなの?」
「うん?」
「未来の予言日記」
「わ、やっぱり覚えてたか!」
学内のカフェに入ると、二人で向きあう形で席に着く。カフェ内は冷房が効いているけれど、暑いこの季節、テーブルに運ばれてきた氷たっぷりのアイスコーヒーはびっしょりと汗をかいていた。「予言日記か〜」と懐かしむ葉月のアイスカフェラテも、一口飲む度に机にまあるい跡を残している。
「私のとっておきの秘密だったからね。いまだに飛鳥しか知らないよ」
「そうなの? 俺、予言日記好きだったよ。まだやってるの?」
「ううん、もうやってない。あの日でやめちゃったんだよね」
「そっか……なんかちょっと残念だな」
「あはは。私達と言ったら予言日記だったもんね」
『——これ、未来の予言書なんだ』
放課後、葉月の家に呼ばれた時のこと。鍵のついた机の引き出しから水色と黄緑の間の様な綺麗な色をした表紙のノートを取り出して、葉月はひっそりと俺に告げた。その仰々しい名前のついたノートを俺は緊張感を持って眺める。
『よ、予言書……?』
『そう。ここに書いてあることは必ず起こるんだよ。今日の分は、ほらこれ』
と、見せられたその一ページ。そこには、日付と一緒に葉月のまるっこい字で書かれた“飛鳥と一緒に帰ってうちで遊ぶ”という一文が。
『ね? 合ってるでしょ?』
『……え?』
『じゃあ今から明日の予言をします』
『えぇ? ちょ、ちょっと待って』
未来の予言というにはあまりにもラフなその一文に、『それって何か違くない?』と俺が突っ込むと、『何が?』と、葉月は首を傾げる。
『だって予言書っていうか、それじゃあただの日記の未来バージョン? 予言日記?みたいな。自分のやりたいこととか予定を書いてるだけじゃん』
『でもちゃんと起こってるよ。まだなのもあるけどそれはもっと未来の話だし』
『えー、なんか都合が良くない? それ……』
『…………』
納得がいかない俺に対して、葉月が頬を膨らませて不満を露わにする。すると、無言でじろりとこちらを見た葉月が『分かった』と一言呟くと、ノートを俺に差し出した。
『じゃあ明日の予言は飛鳥が決めていいよ。何にする?』
『…………』
『なんでもいいよ。本当になるんだから』
『……本当に?』
『本当』
『なんでも?』
『なんでも!』
『そっか……じゃあ』
さらさらっと、俺はそこに思いついた予言を書いて葉月に渡した。
『えっと、“失くしたシャーペンを見つける”? え、シャーペン失くしたの?』
『そう。気に入ってたのに全然見つからなくて落ち込んでる』
『どんなやつ?』
『ほら、前に葉月に見せたあの先が回ってとんがるやつ』
『大事にしてたやつじゃん!』
『それは大変!』、『絶対見つけようね!』と、やる気に満ち溢れる葉月の言葉にうんうんと頷いたけれど、絶対見つからないだろうなと心の中では冷めた目で見ていた。
だって散々自分で探して見つからなくて諦めたのが先週だ。今更見つかる訳がないことをわかっていて、意地悪心から書いたのだ。
なんとなく、なんでもその通りになるのだと、予言書だと言い張る葉月の真っ直ぐさが眩しくて否定したくなってしまったから。本当は、こんな意地悪なことをする必要なんてないはずなのに。
『明日、きっと絶対見つかるよ!』
真っ直ぐな瞳で俺を見つめる葉月が両手でぎゅっと俺の手を握る。その手は強く、とても熱かった。
「——あの時の飛鳥、意地悪したよね」
「え、気づいてたの?」
「そりゃあわかるよ、私だって馬鹿じゃないんだから」
あの時のことについて、罪悪感を抱きながらも一度も葉月に本当の気持ちをバラしたことも、謝ったこともなかった。
……葉月はあの時、わかってて頑張ってくれたんだ。
笑いながら話す葉月の顔があの日の葉月と重なって、心の奥がぐっと押し潰される様に切なくなる。
あの日の葉月は予言を現実にする為に、次の日の朝からずっと俺のシャーペンを探し回ってくれたのだ。全クラスの落とし物箱をまわり、職員室の前の学校全体の忘れ物置き場も見て、クラスメイトに聞き込みまでしてくれた。
『——もういいよ。名前書いて無かった俺も悪いし』
そこまでして、放課後になっても見つからなかったのだ。昨日までの意地悪な気持ちはすっかり消え去っていて、今ではこんなことを書いてしまった自分に対しての後悔しか無かった。
『現実にならなくてもいいよ。だってこの予言は俺のだから葉月の予言じゃないし』
『でも飛鳥の大事なシャーペンじゃん!』
まるで宝物でも探しているかの様に葉月は必死になっていた。家庭科室、理科室、音楽室……全部の可能性を潰していくつもりの葉月が次に図書室の棚を確認していた、その時だ。
『! あ、あった!』
本の棚の隅に置き去りにされたそれを葉月はついに見つけ出した。そういえば調べ物をする授業の時にシャーペンを持ち歩いてて、本を取る時に棚に置いた気がする。そのまま席に戻って本を読み始めて違うシャーペンを筆箱から無意識に取り出して……と、全部の記憶が繋がって、ここに置き去りにした事実を今、はっきりと思い出した。
『やった! これ飛鳥のシャーペンだよね!』
『……うん』
『良かった〜見つかって』
『はい、これ』と手渡されたそれを受け取ると、手の中にあるすっかり諦め切っていたはずのそれをじっと眺める。ここにあるのは正しく、あの予言書に書かなければ起こるはずのない未来の形だった。
『ね? 現実になったでしょ?』
呆然とする俺を見てにっこりと笑う葉月の笑顔はまるで太陽の様に眩しくて、明るくて、暖かい。
『うん……葉月、ありがとう』
書いたことが現実になる予言書。葉月の未来の予言日記。
『どういたしまして!』
この日からそれは、俺達二人で現実にしていく予言日記となったのだった。