…は?
どうしてか、店員さんは、俺の名前を知っていた。
「え、いや、覚えてないです」
全く覚えていない、と思い、できる限り記憶を巡らせる。
「きこだよ!!きこ!!」
「あ、きこって…」
まさか。
「小さいころに、公園で遊んでくれた人?」
きこさんの瞳がうるうると輝いている。
「そうだよ~そうまくん!!思い出してくれてよかったー!なんか似てるなって思って話しかけちゃったよ、成長したなぁ!」
まるで親戚のように言われ、思わず少し笑ってしまった。
「蒼真ですよ。いやぁ、まだ記憶が曖昧だわ、久しぶりすぎて」
「私もだよ。なんだぁ、ここの本屋来てたのか。結構前からバイトしてたんだけど、夏休みになって、夜のシフトから昼間に切り替えたんだ。水曜日と金曜日と土曜日、私居るから」
少し話をして、そういえばと、きこさんが訊ねてきた。
「そうまくん、今何歳?」
「十六歳、高一です」
「わー、早いね!私は十九歳、大学一年生になりました。ちょうど私たちって、学校入れ替わりだったんだね」
確かに、会うのは小学校以来かもしれない。
「きこさんが小学校卒業してから、全く話してなかったですもんね」
「そうかも!そうまくん、前はきこちゃんって呼んでたけど、懐かしいね。タメ口でいいし、きこでいいよ」
「え!?あんま慣れてないんで、しばらく敬語かも」
小学生の時は、髪の毛結んでたよな。なんか大人っぽくなったな。あっという間だな、時間が過ぎるのって。
「そうまくん、もう少しで夏休みでしょ」
「うん」
「じゃあ、ちょっと待ってて」
きこさんは、走ってどこかへ行ってしまった。俺は疑問に思いながらも、手に持っている藤月の新刊をじっくり見てみる。
「チョコレートが溶ける前に」と、独特なフォントで堂々と題名が書かれている。
しばらく見ていると、きこさんが戻ってきた。
「はい、これ!」
渡されたのは、一冊の本だった。
「そうまくんに宿題!これ、次の水曜日までに読んできて。単行本とか、買うと高いじゃん。だから、一週間でしっかり読んできてくれたら、私オススメの本貸してあげるよ」
単行本は高いし、毎月二冊くらいのスパンで買ってしまったら、確かに金欠になる。現時点でそうなってるし。
でも、きこさんが貸してくれた本を読めば、一週間という限られた時間で、その本にどっぷり浸かっていられる。しかもお金は無くならない。
「…いいんですか?」
「いいよ。本はたくさん読んだ方がいいから!」
「…ありがとうございます!借ります!」
こうして俺は、きこさんとの本の貸し借りが始まったのだ。
今週読む本は、藤月の「()すより()めば」という、ザ・ミステリー小説だった。
もらった本には、たくさん読んだ跡があって。
本が読める嬉しさと共に、まだはっきり思い出せていないきこさんのことが喉につかえていた。
空は、群青だった。