「──20円のお釣りと、こちら割引券となっております」
「ありがとうございます」
小銭と割引券をお財布にしまい、店員さんから番号札をもらって待機カウンターに移動した。注文したオレンジフラッペを受け取り、窓際の席でスマホを凝視する友人の元へ向かう。
「険しい顔してますね〜。どうしたの。迷惑メールでも来た?」
「あぁ、いや。こないだの合コンで知り合った人が、他の女の子とデートしてたっぽくて」
着席するやいなや、「ほら見てよ」とスマホ画面を見せてきた。手元や後ろ姿など、お互い顔は隠されているが、羅列されたハッシュタグから親密な関係だということがうかがえる。
「別にね、出かけるのはいいのよ? ちょっといいなとは思ってたけど、付き合ってないし。私も連絡先交換した人達とは2人で遊びに行ったからさ。けどさ、せめて店は変えろよ。なにが『気に入ってもらえて良かった』だ。さも自分がオススメしたみたいな書き方して。この店私が教えたんですけど……⁉」
鬼の形相で写真の中の彼をタップする明桜。キープされていたことよりも、踏み台にされたことに怒り心頭の様子。
バイト先に来た時は柔和で礼儀正しい紳士な印象だったのに。でも、本当の紳士なら、加工されたキメキメの自撮りをアイコンに設定しないか。
「こいつとのやり取りを全部スクショして知り合い全員に送りつけて本性を暴露してやりたい」
「わー、炎上しそう」
「……でもそんなことしたら逆に私が悪者になるからできない」
「くそがぁぁ」と小声で暴言を吐きながら再びタップし始めた。画面が割れる勢いで何度も攻撃している。
どうやら他の人には誠実な好青年で通っているらしく、明かしたところで誰も信じてくれないだろうと。
未来の被害者を減らしたいのにできないのは悔しいな。これは口が悪くなるのも仕方ない。
後頭部にとどめを刺した彼女の口から、はぁ……と悲しみの溜め息が漏れる。
「また振り出しか……」
「え、前回の人はダメだったの? 筋トレ好きのお兄さんといい感じだったって言ってなかった?」
オレンジフラッペを一口味わったのち、進展を尋ねてみた。すると、「あー……ムキムキくんね」と苦笑いで返された。
「逃げられちゃった」
「えええ⁉ 逃げられるって、何したの。ホテルにでも連れ込んだ?」
「してないよ! 家に遊びに行きたいなぁって言っただけ! 笑って受け流してくれたんだけど……その日以降、連絡が途絶えちゃったのよ」
初めての夜デートでやや緊張した空気が流れていたため、場を和ませるつもりで口にした、と。
先ほどの偽紳士くんとは違い、純粋な恋愛初心者だったとは。ヤンチャそうな雰囲気だったから、てっきり女性慣れしてると思ってた。
「そっかぁ。残念だったね」
「うん。ちょっと攻めすぎたなって反省して……あ、待って、今先輩から他校のサークルとの交流会に誘われた」
フラッペを吸い込もうとしたら、ボコボコボコッとカップの中で気泡が生まれた。切り替えが早いのはいいけれど、反省してるならそこは最後まで言い切ろうよ。
「真夏も来る?」
「いいの? 私サークル違うよ?」
「大丈夫。同じ学校の人なら参加オッケーだって」
再びスマホ画面を見せてきた。ストローに口をつけたまま詳細を確認する。
日付はちょうど3週間後の金曜日。場所はバイキング形式のレストラン。サークル全体ではなくグループ別で行うらしい。
「遠慮しとく。ゲーム詳しくないし、その日先約あるから」
「了解。彼氏とデート?」
「ううん。光広くんと会うの」
高校卒業以来、数ヶ月ぶりに再会した私達。お互いの予定を照らし合わせた結果、一緒にお昼ご飯を食べに行くことになった。
最初は明桜も誘おうかと考えていたのだが、彼を荷物持ちにする光景が真っ先に浮かんだので、若干後ろめたさを感じつつも2人で会うことにした。
「ほーお、彼氏に内緒で密会とは。お主も悪よのぉ」
「違うって! 一緒にご飯食べに行くだけで、浮気じゃ……」
「ごめんごめん、冗談だよ」
謝罪されたものの、悪びれた様子はなく、ニマニマと愉しそうに笑っている。
違う。去年自分も勉強漬けの夏休みを過ごしていたから、息抜きとして誘っただけ。
確かに彼氏には内緒だけど……行くのはレストランと近場のお店だけで、別に夜景を観るとか観覧車に乗るとか、デートスポットを巡るつもりはこれっぽっちもない。
すると、後ろに置いたバッグからブーッブーッと振動音が聞こえてきた。背中に手を回して外ポケットからスマホを取り出す。
「出ないの?」
「うーん……」
「うーんって。知らない番号なの?」
「いや……彼氏」
噂をしたから影がさしたのか、はたまた勘が働いたのか。どちらにも当てはまらない遠距離恋愛中の彼から電話がかかってきた。
基本昼間は出られないと伝えているのに。かといって拒否するとさらに悪化を招いてしまう。
先に切れるのを待とうにも……彼の性格上、意地でも出るまで粘るだろう。
「ごめん、ちょっと出てくる」
「おー、いってらー」
諦めが悪い彼に小さく溜め息をつき、席を立って応答ボタンを押した。
「もしもし」
【もしもし、今どこ? 何してる?】
「カフェ。友達とお茶してる」
【本当? そのわりには随分静かだけど】
「本当だって。その場で電話したら周りの迷惑になるから待合スペースに移動したんだよ」
来店するお客さんの邪魔にならないよう、長椅子の端に腰を下ろす。
【ふーん。で、どこのカフェ?】
「駅の近くの」
【どこの駅?】
「学校の最寄り駅。木製のドアに黒い屋根のとこ」
引きつった笑顔で返答し、心の中で数十回目の溜め息をつく。
『今大丈夫?』から『今どこ?』に変わったのはいつだっただろうか。入学したては寂しさが先行して時折口走ってはいたけれど、まだ口調に柔らかさはあった気がする。
「ガラス張りの外観で、低木が並んでて」
【低木? そんな店あったか?】
「あるんだよ。最近改装したからわかりづらいけど、去年デートした時そこの前通ってるから。一緒に店員さんからチラシもらったでしょ?」
苛立ちが募り、語尾が強くなる。
ときめきやドキドキも、交際当初と比べてがくんと減ったな。今では相手をするのも億劫で、先月のデートも正直早く帰りたくて半分上の空だった。『今夜電話してもいい?』と毎回許可を取り合っていた高校時代が遠い過去のように思えてくる。
【チラシ? どんな】
「クーポンがついたやつ。料理出来たみたいだからもう切るね」
ふと顔を上げると、キッチンから出てきた店員さんの持つおぼんに注文したパンケーキが乗っていた。返事を待たず電話を切り、急いで戻る。
「ただいま〜」
「おかえりー。彼氏とはラブラブできた?」
「あはは……まぁ。写真撮ってるの?」
「うん! 色合いが可愛いからSNSに載せようと思って」
1回撮るごとに背景と角度を変えて、いちごフラッペとベリーパンケーキを撮っている。
SNS、か。みんなやってるからという理由で高校に入るタイミングで始めたものの、塾と部活で忙しかったので、投稿数はワンシーズンに1回と片手で数えるほど。大学生になってからもサークルとバイトで予定がパンパンなため、入学式の日以降1度も投稿していない。
けれど──。
「……私も、撮ろうかな」
「おっ、投稿再開ですか?」
「うん。夏休みだし、生存報告しておこうと思って。撮り方のコツある?」
「そうだね、なるべく明るいところで撮るようにしてるよ。あとはフィルター使ったりコントラスト調整したり。特に食べ物はいかに美味しそうに見えるかがポイントだからね!」
熱弁する明桜。さすが毎週投稿しているだけあって編集機能に詳しい。久々にいい写真が撮れそうだ。
アドバイスをもとにひとしきり撮影した後、パンケーキを三分の一ずつ交換し合って味わった。
✵
「日向ちゃん、お疲れさま」
お盆前の休日。遅番勤務を終えてバックヤードに戻ると、額に汗を垂らした店長が声をかけてきた。
「お疲れさまです。すごい汗ですね」
「ははは。休憩以外ずっと動き回ってたからね」
「腰がバキバキだよ〜」と苦笑いを浮かべて汗を拭う姿に、彼が中年だったことを思い出す。
出会った頃から爽やかでオシャレなお兄さんの印象だったけど、もう40代半ばになるんだっけ。見た目は若々しくても、身体は年相応みたいだ。
年齢差を改めて実感しつつ退勤準備を進めていると、「あ、そうそう」と思い出したように店長が口を開いた。
「最近不審者がうろついてるみたいだから気をつけてね」
「ええっ⁉ この近くでですか?」
「うん。ここ1週間、お店の周りで怪しげな格好の人を見かけるって、相談が相次いでるんだ」
早番勤務の人、遅番勤務の人、それぞれの情報によると、黒い帽子に黒いマスクを付けた男の人が、夕方から夜にかけて度々現れるという。
「年はいくつくらいなんですか?」
「20代くらいかなぁ。髪の毛が明るい色だったって聞いたから、多分若い人だと思う」
ゾクッと全身が粟立つ。
早番遅番、どちらも退勤時間とかぶっている。
だとすると、仕事が終わるところを待ち伏せしていた……?
「日向ちゃん、バス通勤だったよね? バス停まで送ろうか?」
「大丈夫です。すぐそこですし、近くに交番もありますから」
心配する店長に引きつった笑顔を貼りつけ、「お気遣いありがとうございます。お疲れさまでした」と言い残して退勤した。
心臓が暴れまくっててうるさいけれど、腰が悲鳴を上げている中、仕事を増やすのは申し訳ないから。
右折して公園に入り、近道する。
バス停まではおよそ3分。このまま速歩きで向かえば1本早い便に乗れる。
「真夏っ!」
すると突然、園内に自分の名前が響いた。肩をすくませたのと同時に足を止め、恐る恐る振り向く。
「良かったぁ〜。間に合った」
見知った顔なのに、動悸が収まらない。
熱帯夜なのに、悪寒がする。
手には黒いマスク、頭には黒い帽子。その下には──ブリーチを重ねて少し傷んだ、ミルクティーベージュの髪。
「『バイト終わりに会える?』って連絡したのに、なんで返事寄こさないんだよ。何かあったんじゃないかって心配してたんだぞ」
「あぁ……。ごめん、マナーモードにしたまんまだった」
嘘であってほしい。そんな願いはあっけなく散った。途端に恐怖が襲うも、正体が判明したという安堵感もあって、非常に心地が悪い。
「じゃあ、ね。気をつけて」
「おいちょっと、なんでそんなつれねーんだよ。せっかく会えたんだからもう少し付き合ってくれてもいいじゃん」
去ろうとしたら腕を掴んで引き止められた。
やめて、やっと治ったのに。痛いよ、離して。
怒鳴って喚いて叫びたい。けど、彼を振り切ってももうバスには間に合わないだろう。
「わかったよ」と観念すると、ようやく解放された。シャツの上から掴まれた箇所を擦りながらベンチに腰かける。
「SNS見たぞ。寺元と一緒だったんだな」
「えっ、なんでわかったの」
「あいつのと背景が同じだったから。ったく、紛らわしいことしやがって」
着席早々、文句が飛んできた。
「何か疚しいことでもあんの?」
「なんでそうなるのよ。あるわけないじゃん」
「だったら普通友達じゃなくて寺元って言わね? 同級生なら濁す必要性ないだろ」
「……」
「図星か。やっぱ隠し事してたんだな」
「……前にも同級生と遊んでた時にそう答えたら、『誰そいつ』って問い詰められたからだよ。私が面倒くさがり屋なの知ってるでしょう?」
ほんの数秒黙っただけなのに、勝ち誇った顔を浮かべた彼。
みんなは知らないだろうな。彼が横暴で束縛が激しい人だということを。それもそのはず、あの偽紳士の彼と同類なんだもの。
助けを求めたところで誰も力を貸してはくれない。本性を明かしても信じてもらえない。嘘つき呼ばわりされてこっちが不利になってしまう。怒り心頭に発していた明桜の気持ちが身にしみるくらいわかる。
「説明不足だったのは謝る。ごめん。でもそこまで責めなくてもよくない? 紛らわしいって言ってたけど、外観の写真も載せ……」
「俺が怪しいと思ったら怪しいんだよ」
こんなふうに言い返しても毎回遮られて、マイルールで一蹴されてしまう。
「さっきから被害者ぶってるけど、誤解されるようなことするお前が悪いんだからな」
「……」
擦る手を止めてシャツをギュッと握りしめる。
自分に非があっても、絶対に頭を下げない。
だからいつも、『そうだね、ごめんね』と折れてあげていた。
──先月までの、私なら。
「……そういう望くんは?」
「は?」
「…………浮気、してるでしょ」
真っ直ぐ見据えると、黒い瞳が一瞬揺らいだ。
「……証拠は?」
「SNSに載ってたよ。……合コン行ってたんだってね」
発覚したのは、生存報告兼証拠のつもりで投稿した翌日。夏休みというのもあってか、大学の友人の他、高校時代の友人からも反応が来て、コメント欄は大いに盛り上がった。
そんな中──とある人物からDMが届いた。
『望とは別れたの?』
挨拶もなければ配慮もない、礼儀に欠けた直球すぎる質問。最初は、誰かと間違えたのか? と思ったのだが、送信主は高校3年間同じクラスだった男子。詳しく聞くと、『SNSに他の女の子とデートしている写真を見つけた』のだと。
まさか。あの望くんに限ってそんなはずない。他人の空似なのでは。
受け入れがたかったが、彼は元クラス委員で情に厚い兄貴肌。派手な見た目ではあったものの、信頼度が高い人物として一目置いていた。
半信半疑になりながらもリンク先を教えてもらってアクセスすると、知らない女の子とうつった写真が大量に見つかった。
サークルで仲良くなった先輩、バイト先で知り合った年下の子、合コンで出会った同い年の子。全て彼女側のアカウントで日付も近かったことから、同時進行で複数の女性をたぶらかしていたらしい。
「どうして……?」
さらに証拠を集めるため、本当はもうしばらく泳がせるつもりだった。だが、これ以上の様子見は仕事仲間の不安を煽ることになる。
口を割るまで帰さないと言わんばかりに強く睨みつけると、観念したのか、はぁー……と溜め息をついた。
「……お前のせいだよ」
「え?」
「元はと言えば、お前が俺のことを放置するからだろうが‼」
耳をつんざく声に身を震わせる。
「電話してもすぐ切り上げようとするし、メッセージもやっと返ってきたと思ったら一言だけ。SNSも入学ん時のままで全然更新ねーし、こないだのデートだって……」
「それ、寂しくなったから、ってこと……?」
「それ以外に何があんだよ! 毎週連絡し合おうって約束したのに……っ」
充血した彼の目から一筋の涙が伝い落ちた。
「忘れたのかよ……っ」
「……忘れてないよ。私だって寂しかったよっっ!」
うなだれた彼に負けじと声を張り上げた。
忘れてなんかない。
『どんなに忙しくても週に1回は連絡しよう』
『毎月会うのは難しいだろうから、30分でも時間が取れたら会おう』
卒業式の日の放課後、指切りげんまんし合ったから。
「約束したけど、本当は一目でもいいから会いたかった。一言でもいいから毎日声が聞きたかった。でも、今は踏ん張る時期、お互い成長するための大事な時期なんだって言い聞かせて乗り切ってた。寂しかったのは望くんだけじゃないんだよ?」
高ぶる感情を抑えつつ諭す。
望くんは覚えてるかな。明桜とクラスが離れて心細い思いをしていた私に、優しく声をかけてくれたこと。大げさだなぁって笑ってたけど、本当に救われたんだよ。
毎日笑顔で挨拶する姿に、次第に憧れを抱くようになった。
分け隔てなく接する姿に、自然と尊敬の念を抱くようになった。
教室の真ん中で輝きながらも優しく周りを照らす君に、気づけば恋心が芽生えていた。だから告白された時は夢かと思ったくらい嬉しかった。
「遠距離恋愛が決まった時、正直複雑だった。疎遠になって自然消滅したらどうしよう、不安になるくらいなら友達関係に戻るほうが健全なのかなって。お別れする選択肢もよぎったよ。でもやっぱり、これから先も一緒にいたかったから」
勉強を頑張って、色んな人と交流して人間性を磨いて。
SNSをサボっていたのは面倒だったからというのもあるけれど、1番は経験値を積みたかったから。
一人前の大人になって、堂々と君の隣に立つために。
「じゃあ、なんで……」
「……私のことを、縛りつけたからだよ」
そう答えると、彼の眉間にシワが寄った。
「望くん、毎回電話するたびに、『本当に?』って聞いてくるよね? 気づいてるのかはわからないけど……私、すっごく嫌だった」
ある程度は目を瞑っていた。不安だったのかな、時間の都合が合わなかったんだなって。
だけど、その一言だけは見過ごせなかった。
追及されるたびに、積み上げた信頼がどんどん削られていくのを感じて。──疑われるたびに、育んできた愛がどんどん冷めていったんだ。
「倦怠期だったならまだやり直せたかもだけど……浮気してるなら、もう無理だよ」
「は、無理って」
「──別れよう」
別れを切り出した瞬間、ポタッと涙が手の甲に落ちた。
気づいた時点で話し合うべきだった。面倒だからと逃げずに向き合うべきだった。たとえ破局する形に終わっても、友達関係に戻れる可能性だってあったかもしれない。
けど、気持ちが冷え切った今はもう──。
「……んだよ、最後まで被害者ぶりやがって!」
私の胸ぐらを掴み、手を振りかざしてきた彼。再び来る衝撃に目をつぶって身構える。だが、耳に届いたのは頬を叩く音ではなく、「うがぁっ」と呻く声だった。
「被害者ぶってんのはどっちだよ、逆ギレ男が」
恐る恐る目を開けてみたら、光広くんが彼の腕を掴んで阻止していた。そのまま絞め上げて戦意を奪うと、私から引き剥がすように地面に投げ飛ばした。
「先輩、大丈夫ですか?」
「う、うん……。あり、がとう」
急展開に戸惑いながらも彼の手を借りてゆっくり立ち上がる。すると今度は、「うがあぁぁ」と断末魔の叫びのような悲鳴が聞こえてきた。
「この逆ギレ浮気男が!! よくも親友に手出しやがって!!」
「っ……は、なせっ」
「なんであんたみたいなやつが恋愛できんのよーー!!」
ジタバタと暴れる彼を羽交い締めで拘束する明桜。相変わらず裏切り者には容赦がないな……。
それからほどなくして駆けつけたお巡りさんに連れられ、私達は近くの交番へと向かった。
✵
「──えっ、店長が?」
「はい。バス停に行っても姿が見当たらなかったので連絡が来たんです。それで捜してたら、公園から怒鳴り声が聞こえてきて……」
交番内の長椅子に座り、光広くんから経緯を教えてもらった。
どうやら単独行動の私を心配した店長──叔父の差し金だったらしい。バイトを終えた明桜と帰宅中に電話がかかってきて、血眼になって捜し回っていたという。
「虫の知らせって本当にあるんですね。息が止まるかと思いましたよ」
「……ごめんね、迷惑かけて」
「なんで先輩が謝るんですか。別に迷惑だなんて思ってませんよ。それより、もう他に怪我はありませんか?」
「うん。……ん? 怪我?」
一体何のことかわからず首を傾げていると、氷嚢を持った警官の人がやってきた。
もしかして助けた時にどこか痛めたのだろうかと不安がよぎったが、光広くんはにこやかに氷嚢を受け取り……。
「すみません、ちょっと袖捲りますね」
「えっ」
私の許可を待たず、いきなりシャツの袖を捲り、赤くなった部分に氷嚢を当ててきた。突然走った冷たい感触に思わず肩がビクッと跳ね上がる。
「なんで……いつ気づいて……」
「少しシワになってたので。ここに来る時もずっと押さえてましたし」
そうだった、彼は観察眼が優れていたんだった。
「日頃からあんな感じなんですか?」
「……昔は、優しかったんだよ」
「じゃあ、ここ最近? もしかして先月会った時もこんなふうに……」
「こらっ、そんな問い詰めない」
勢いに気圧されていると、事情聴取を終えた明桜が光広くんの頭にげんこつを落とした。
「ごめんね。こいつ真夏ラブでさ。真夏のことになるといっつもこんな感じなのよ。SNSに写真載っけた時も……」
「わああぁぁバカっ! なに勝手に話してんだよ!」
明桜の声にかぶせるように叫んだ光広くん。
「SNS……?」
「……姉ちゃんに、カフェの割引券もらって。調べてたら、姉ちゃんと先輩の投稿が出てきて……」
ボソボソと不服そうな顔で説明し始めた。彼が言うには、ハッシュタグから私達の投稿を見つけたのだと。
「いつもは1枚なのに珍しくコラージュまでしてるし、ダイエット中なのに生クリームたっぷりのパンケーキ食べてるし」
「ううっ、それは……」
「最初はチートデイなのかなと思ってスルーしてたら、半袖着てたって。スプレー式の日焼け止めでも買ったんですか?」
「……買ってません」
徐々に彼の表情が険しくなっていく。
受験生だからSNSはさほど見ないだろうと思い込んで油断していた。恥ずかしい、これじゃあ四股の元彼とほぼ同じ思考回路じゃないか。
落ち込む私に、光広くんが「真夏先輩」と優しく語りかける。
「僕、もう高3です」
「……うん」
「昔は腕相撲で毎回瞬殺されてたけど、この5年間で背も伸びて体重も増えて、力も強くなりました」
やや骨張った大きな手が私の甲をそっと包み込んだ。顔を上げると、熱を含んだ黒い瞳が私を真っ直ぐ見据えていて。
「もうあの頃のヤワな僕じゃありません。辛い時は遠慮なく頼ってください」
「そうだよ! うちらはいつだって真夏の味方だから!」
私の目の前にしゃがみ込んだ明桜が、もう片方の手をギュッと握りしめた。
「なんでも相談乗るよ! バイトの先輩うぜぇーとか、時給上げろよーとか」
「言葉がきたねぇな。それは叔父さんに言ったほうがはえーだろ」
「あんたね……真夏にとっては店長よ? ってかそっちも人のこと言えないからね?」
「……ありがとう」
息ピッタリな微笑ましいやり取りにふふっと笑みがこぼれる。
1人で抱え込まなくていいんだよ。あなたは1人じゃないよ。両手に広がる温もりにそんなメッセージが含まれているように感じて、目頭が熱くなった。
友の優しさに助けられたところで、店長が到着したと連絡が入った。手早く荷物をまとめ、交番を後にする。
「あの、さっき姉ちゃんが言ってたことは、気にしないでください」
「え……? 何か言ってたっけ?」
自転車を押し歩く光広くんに尋ね返した。が、なぜかガックリと肩を落として溜め息をつかれてしまった。
「……覚えてないならいいです」
「えええ、気になるよぉ。給料の話? SNSの話?」
愉しそうに口角を上げる明桜をよそにグイグイ迫るも、頑なに口を割らない。痺れを切らした私は思い切って彼の腕を掴んだ。
「……本当、先輩って思わせぶりですよね」
「へ?」
「その上鈍感でスキンシップも激しくて。あと面倒くさがり屋ですよね」
やっと目を合わせてくれたと思いきや、悪態をつかれた。触れられたのがそんなに嫌だったのかと判断し、腕から手を放したら……。
「ま、そんなところも好きなんですけど」
サラリと言い残して店長の元に向かい、自転車を車に詰め込み始めた。
「5年前からずっと好きなんだってさ」
「ええっ! そんな前から!?」
「一途よね〜。対象外かもしんないけど、嫌じゃないなら視野に入れてやって」
ポンポンと肩を叩かれ、明桜と一緒に後部座席に乗り込んだ。2度耳に届いた『好き』の2文字が脳内を駆け巡り、頬が熱を帯びていく。
帰路に就くまでの間、心臓ではときめきの音が何度もこだましていた。
END
「ありがとうございます」
小銭と割引券をお財布にしまい、店員さんから番号札をもらって待機カウンターに移動した。注文したオレンジフラッペを受け取り、窓際の席でスマホを凝視する友人の元へ向かう。
「険しい顔してますね〜。どうしたの。迷惑メールでも来た?」
「あぁ、いや。こないだの合コンで知り合った人が、他の女の子とデートしてたっぽくて」
着席するやいなや、「ほら見てよ」とスマホ画面を見せてきた。手元や後ろ姿など、お互い顔は隠されているが、羅列されたハッシュタグから親密な関係だということがうかがえる。
「別にね、出かけるのはいいのよ? ちょっといいなとは思ってたけど、付き合ってないし。私も連絡先交換した人達とは2人で遊びに行ったからさ。けどさ、せめて店は変えろよ。なにが『気に入ってもらえて良かった』だ。さも自分がオススメしたみたいな書き方して。この店私が教えたんですけど……⁉」
鬼の形相で写真の中の彼をタップする明桜。キープされていたことよりも、踏み台にされたことに怒り心頭の様子。
バイト先に来た時は柔和で礼儀正しい紳士な印象だったのに。でも、本当の紳士なら、加工されたキメキメの自撮りをアイコンに設定しないか。
「こいつとのやり取りを全部スクショして知り合い全員に送りつけて本性を暴露してやりたい」
「わー、炎上しそう」
「……でもそんなことしたら逆に私が悪者になるからできない」
「くそがぁぁ」と小声で暴言を吐きながら再びタップし始めた。画面が割れる勢いで何度も攻撃している。
どうやら他の人には誠実な好青年で通っているらしく、明かしたところで誰も信じてくれないだろうと。
未来の被害者を減らしたいのにできないのは悔しいな。これは口が悪くなるのも仕方ない。
後頭部にとどめを刺した彼女の口から、はぁ……と悲しみの溜め息が漏れる。
「また振り出しか……」
「え、前回の人はダメだったの? 筋トレ好きのお兄さんといい感じだったって言ってなかった?」
オレンジフラッペを一口味わったのち、進展を尋ねてみた。すると、「あー……ムキムキくんね」と苦笑いで返された。
「逃げられちゃった」
「えええ⁉ 逃げられるって、何したの。ホテルにでも連れ込んだ?」
「してないよ! 家に遊びに行きたいなぁって言っただけ! 笑って受け流してくれたんだけど……その日以降、連絡が途絶えちゃったのよ」
初めての夜デートでやや緊張した空気が流れていたため、場を和ませるつもりで口にした、と。
先ほどの偽紳士くんとは違い、純粋な恋愛初心者だったとは。ヤンチャそうな雰囲気だったから、てっきり女性慣れしてると思ってた。
「そっかぁ。残念だったね」
「うん。ちょっと攻めすぎたなって反省して……あ、待って、今先輩から他校のサークルとの交流会に誘われた」
フラッペを吸い込もうとしたら、ボコボコボコッとカップの中で気泡が生まれた。切り替えが早いのはいいけれど、反省してるならそこは最後まで言い切ろうよ。
「真夏も来る?」
「いいの? 私サークル違うよ?」
「大丈夫。同じ学校の人なら参加オッケーだって」
再びスマホ画面を見せてきた。ストローに口をつけたまま詳細を確認する。
日付はちょうど3週間後の金曜日。場所はバイキング形式のレストラン。サークル全体ではなくグループ別で行うらしい。
「遠慮しとく。ゲーム詳しくないし、その日先約あるから」
「了解。彼氏とデート?」
「ううん。光広くんと会うの」
高校卒業以来、数ヶ月ぶりに再会した私達。お互いの予定を照らし合わせた結果、一緒にお昼ご飯を食べに行くことになった。
最初は明桜も誘おうかと考えていたのだが、彼を荷物持ちにする光景が真っ先に浮かんだので、若干後ろめたさを感じつつも2人で会うことにした。
「ほーお、彼氏に内緒で密会とは。お主も悪よのぉ」
「違うって! 一緒にご飯食べに行くだけで、浮気じゃ……」
「ごめんごめん、冗談だよ」
謝罪されたものの、悪びれた様子はなく、ニマニマと愉しそうに笑っている。
違う。去年自分も勉強漬けの夏休みを過ごしていたから、息抜きとして誘っただけ。
確かに彼氏には内緒だけど……行くのはレストランと近場のお店だけで、別に夜景を観るとか観覧車に乗るとか、デートスポットを巡るつもりはこれっぽっちもない。
すると、後ろに置いたバッグからブーッブーッと振動音が聞こえてきた。背中に手を回して外ポケットからスマホを取り出す。
「出ないの?」
「うーん……」
「うーんって。知らない番号なの?」
「いや……彼氏」
噂をしたから影がさしたのか、はたまた勘が働いたのか。どちらにも当てはまらない遠距離恋愛中の彼から電話がかかってきた。
基本昼間は出られないと伝えているのに。かといって拒否するとさらに悪化を招いてしまう。
先に切れるのを待とうにも……彼の性格上、意地でも出るまで粘るだろう。
「ごめん、ちょっと出てくる」
「おー、いってらー」
諦めが悪い彼に小さく溜め息をつき、席を立って応答ボタンを押した。
「もしもし」
【もしもし、今どこ? 何してる?】
「カフェ。友達とお茶してる」
【本当? そのわりには随分静かだけど】
「本当だって。その場で電話したら周りの迷惑になるから待合スペースに移動したんだよ」
来店するお客さんの邪魔にならないよう、長椅子の端に腰を下ろす。
【ふーん。で、どこのカフェ?】
「駅の近くの」
【どこの駅?】
「学校の最寄り駅。木製のドアに黒い屋根のとこ」
引きつった笑顔で返答し、心の中で数十回目の溜め息をつく。
『今大丈夫?』から『今どこ?』に変わったのはいつだっただろうか。入学したては寂しさが先行して時折口走ってはいたけれど、まだ口調に柔らかさはあった気がする。
「ガラス張りの外観で、低木が並んでて」
【低木? そんな店あったか?】
「あるんだよ。最近改装したからわかりづらいけど、去年デートした時そこの前通ってるから。一緒に店員さんからチラシもらったでしょ?」
苛立ちが募り、語尾が強くなる。
ときめきやドキドキも、交際当初と比べてがくんと減ったな。今では相手をするのも億劫で、先月のデートも正直早く帰りたくて半分上の空だった。『今夜電話してもいい?』と毎回許可を取り合っていた高校時代が遠い過去のように思えてくる。
【チラシ? どんな】
「クーポンがついたやつ。料理出来たみたいだからもう切るね」
ふと顔を上げると、キッチンから出てきた店員さんの持つおぼんに注文したパンケーキが乗っていた。返事を待たず電話を切り、急いで戻る。
「ただいま〜」
「おかえりー。彼氏とはラブラブできた?」
「あはは……まぁ。写真撮ってるの?」
「うん! 色合いが可愛いからSNSに載せようと思って」
1回撮るごとに背景と角度を変えて、いちごフラッペとベリーパンケーキを撮っている。
SNS、か。みんなやってるからという理由で高校に入るタイミングで始めたものの、塾と部活で忙しかったので、投稿数はワンシーズンに1回と片手で数えるほど。大学生になってからもサークルとバイトで予定がパンパンなため、入学式の日以降1度も投稿していない。
けれど──。
「……私も、撮ろうかな」
「おっ、投稿再開ですか?」
「うん。夏休みだし、生存報告しておこうと思って。撮り方のコツある?」
「そうだね、なるべく明るいところで撮るようにしてるよ。あとはフィルター使ったりコントラスト調整したり。特に食べ物はいかに美味しそうに見えるかがポイントだからね!」
熱弁する明桜。さすが毎週投稿しているだけあって編集機能に詳しい。久々にいい写真が撮れそうだ。
アドバイスをもとにひとしきり撮影した後、パンケーキを三分の一ずつ交換し合って味わった。
✵
「日向ちゃん、お疲れさま」
お盆前の休日。遅番勤務を終えてバックヤードに戻ると、額に汗を垂らした店長が声をかけてきた。
「お疲れさまです。すごい汗ですね」
「ははは。休憩以外ずっと動き回ってたからね」
「腰がバキバキだよ〜」と苦笑いを浮かべて汗を拭う姿に、彼が中年だったことを思い出す。
出会った頃から爽やかでオシャレなお兄さんの印象だったけど、もう40代半ばになるんだっけ。見た目は若々しくても、身体は年相応みたいだ。
年齢差を改めて実感しつつ退勤準備を進めていると、「あ、そうそう」と思い出したように店長が口を開いた。
「最近不審者がうろついてるみたいだから気をつけてね」
「ええっ⁉ この近くでですか?」
「うん。ここ1週間、お店の周りで怪しげな格好の人を見かけるって、相談が相次いでるんだ」
早番勤務の人、遅番勤務の人、それぞれの情報によると、黒い帽子に黒いマスクを付けた男の人が、夕方から夜にかけて度々現れるという。
「年はいくつくらいなんですか?」
「20代くらいかなぁ。髪の毛が明るい色だったって聞いたから、多分若い人だと思う」
ゾクッと全身が粟立つ。
早番遅番、どちらも退勤時間とかぶっている。
だとすると、仕事が終わるところを待ち伏せしていた……?
「日向ちゃん、バス通勤だったよね? バス停まで送ろうか?」
「大丈夫です。すぐそこですし、近くに交番もありますから」
心配する店長に引きつった笑顔を貼りつけ、「お気遣いありがとうございます。お疲れさまでした」と言い残して退勤した。
心臓が暴れまくっててうるさいけれど、腰が悲鳴を上げている中、仕事を増やすのは申し訳ないから。
右折して公園に入り、近道する。
バス停まではおよそ3分。このまま速歩きで向かえば1本早い便に乗れる。
「真夏っ!」
すると突然、園内に自分の名前が響いた。肩をすくませたのと同時に足を止め、恐る恐る振り向く。
「良かったぁ〜。間に合った」
見知った顔なのに、動悸が収まらない。
熱帯夜なのに、悪寒がする。
手には黒いマスク、頭には黒い帽子。その下には──ブリーチを重ねて少し傷んだ、ミルクティーベージュの髪。
「『バイト終わりに会える?』って連絡したのに、なんで返事寄こさないんだよ。何かあったんじゃないかって心配してたんだぞ」
「あぁ……。ごめん、マナーモードにしたまんまだった」
嘘であってほしい。そんな願いはあっけなく散った。途端に恐怖が襲うも、正体が判明したという安堵感もあって、非常に心地が悪い。
「じゃあ、ね。気をつけて」
「おいちょっと、なんでそんなつれねーんだよ。せっかく会えたんだからもう少し付き合ってくれてもいいじゃん」
去ろうとしたら腕を掴んで引き止められた。
やめて、やっと治ったのに。痛いよ、離して。
怒鳴って喚いて叫びたい。けど、彼を振り切ってももうバスには間に合わないだろう。
「わかったよ」と観念すると、ようやく解放された。シャツの上から掴まれた箇所を擦りながらベンチに腰かける。
「SNS見たぞ。寺元と一緒だったんだな」
「えっ、なんでわかったの」
「あいつのと背景が同じだったから。ったく、紛らわしいことしやがって」
着席早々、文句が飛んできた。
「何か疚しいことでもあんの?」
「なんでそうなるのよ。あるわけないじゃん」
「だったら普通友達じゃなくて寺元って言わね? 同級生なら濁す必要性ないだろ」
「……」
「図星か。やっぱ隠し事してたんだな」
「……前にも同級生と遊んでた時にそう答えたら、『誰そいつ』って問い詰められたからだよ。私が面倒くさがり屋なの知ってるでしょう?」
ほんの数秒黙っただけなのに、勝ち誇った顔を浮かべた彼。
みんなは知らないだろうな。彼が横暴で束縛が激しい人だということを。それもそのはず、あの偽紳士の彼と同類なんだもの。
助けを求めたところで誰も力を貸してはくれない。本性を明かしても信じてもらえない。嘘つき呼ばわりされてこっちが不利になってしまう。怒り心頭に発していた明桜の気持ちが身にしみるくらいわかる。
「説明不足だったのは謝る。ごめん。でもそこまで責めなくてもよくない? 紛らわしいって言ってたけど、外観の写真も載せ……」
「俺が怪しいと思ったら怪しいんだよ」
こんなふうに言い返しても毎回遮られて、マイルールで一蹴されてしまう。
「さっきから被害者ぶってるけど、誤解されるようなことするお前が悪いんだからな」
「……」
擦る手を止めてシャツをギュッと握りしめる。
自分に非があっても、絶対に頭を下げない。
だからいつも、『そうだね、ごめんね』と折れてあげていた。
──先月までの、私なら。
「……そういう望くんは?」
「は?」
「…………浮気、してるでしょ」
真っ直ぐ見据えると、黒い瞳が一瞬揺らいだ。
「……証拠は?」
「SNSに載ってたよ。……合コン行ってたんだってね」
発覚したのは、生存報告兼証拠のつもりで投稿した翌日。夏休みというのもあってか、大学の友人の他、高校時代の友人からも反応が来て、コメント欄は大いに盛り上がった。
そんな中──とある人物からDMが届いた。
『望とは別れたの?』
挨拶もなければ配慮もない、礼儀に欠けた直球すぎる質問。最初は、誰かと間違えたのか? と思ったのだが、送信主は高校3年間同じクラスだった男子。詳しく聞くと、『SNSに他の女の子とデートしている写真を見つけた』のだと。
まさか。あの望くんに限ってそんなはずない。他人の空似なのでは。
受け入れがたかったが、彼は元クラス委員で情に厚い兄貴肌。派手な見た目ではあったものの、信頼度が高い人物として一目置いていた。
半信半疑になりながらもリンク先を教えてもらってアクセスすると、知らない女の子とうつった写真が大量に見つかった。
サークルで仲良くなった先輩、バイト先で知り合った年下の子、合コンで出会った同い年の子。全て彼女側のアカウントで日付も近かったことから、同時進行で複数の女性をたぶらかしていたらしい。
「どうして……?」
さらに証拠を集めるため、本当はもうしばらく泳がせるつもりだった。だが、これ以上の様子見は仕事仲間の不安を煽ることになる。
口を割るまで帰さないと言わんばかりに強く睨みつけると、観念したのか、はぁー……と溜め息をついた。
「……お前のせいだよ」
「え?」
「元はと言えば、お前が俺のことを放置するからだろうが‼」
耳をつんざく声に身を震わせる。
「電話してもすぐ切り上げようとするし、メッセージもやっと返ってきたと思ったら一言だけ。SNSも入学ん時のままで全然更新ねーし、こないだのデートだって……」
「それ、寂しくなったから、ってこと……?」
「それ以外に何があんだよ! 毎週連絡し合おうって約束したのに……っ」
充血した彼の目から一筋の涙が伝い落ちた。
「忘れたのかよ……っ」
「……忘れてないよ。私だって寂しかったよっっ!」
うなだれた彼に負けじと声を張り上げた。
忘れてなんかない。
『どんなに忙しくても週に1回は連絡しよう』
『毎月会うのは難しいだろうから、30分でも時間が取れたら会おう』
卒業式の日の放課後、指切りげんまんし合ったから。
「約束したけど、本当は一目でもいいから会いたかった。一言でもいいから毎日声が聞きたかった。でも、今は踏ん張る時期、お互い成長するための大事な時期なんだって言い聞かせて乗り切ってた。寂しかったのは望くんだけじゃないんだよ?」
高ぶる感情を抑えつつ諭す。
望くんは覚えてるかな。明桜とクラスが離れて心細い思いをしていた私に、優しく声をかけてくれたこと。大げさだなぁって笑ってたけど、本当に救われたんだよ。
毎日笑顔で挨拶する姿に、次第に憧れを抱くようになった。
分け隔てなく接する姿に、自然と尊敬の念を抱くようになった。
教室の真ん中で輝きながらも優しく周りを照らす君に、気づけば恋心が芽生えていた。だから告白された時は夢かと思ったくらい嬉しかった。
「遠距離恋愛が決まった時、正直複雑だった。疎遠になって自然消滅したらどうしよう、不安になるくらいなら友達関係に戻るほうが健全なのかなって。お別れする選択肢もよぎったよ。でもやっぱり、これから先も一緒にいたかったから」
勉強を頑張って、色んな人と交流して人間性を磨いて。
SNSをサボっていたのは面倒だったからというのもあるけれど、1番は経験値を積みたかったから。
一人前の大人になって、堂々と君の隣に立つために。
「じゃあ、なんで……」
「……私のことを、縛りつけたからだよ」
そう答えると、彼の眉間にシワが寄った。
「望くん、毎回電話するたびに、『本当に?』って聞いてくるよね? 気づいてるのかはわからないけど……私、すっごく嫌だった」
ある程度は目を瞑っていた。不安だったのかな、時間の都合が合わなかったんだなって。
だけど、その一言だけは見過ごせなかった。
追及されるたびに、積み上げた信頼がどんどん削られていくのを感じて。──疑われるたびに、育んできた愛がどんどん冷めていったんだ。
「倦怠期だったならまだやり直せたかもだけど……浮気してるなら、もう無理だよ」
「は、無理って」
「──別れよう」
別れを切り出した瞬間、ポタッと涙が手の甲に落ちた。
気づいた時点で話し合うべきだった。面倒だからと逃げずに向き合うべきだった。たとえ破局する形に終わっても、友達関係に戻れる可能性だってあったかもしれない。
けど、気持ちが冷え切った今はもう──。
「……んだよ、最後まで被害者ぶりやがって!」
私の胸ぐらを掴み、手を振りかざしてきた彼。再び来る衝撃に目をつぶって身構える。だが、耳に届いたのは頬を叩く音ではなく、「うがぁっ」と呻く声だった。
「被害者ぶってんのはどっちだよ、逆ギレ男が」
恐る恐る目を開けてみたら、光広くんが彼の腕を掴んで阻止していた。そのまま絞め上げて戦意を奪うと、私から引き剥がすように地面に投げ飛ばした。
「先輩、大丈夫ですか?」
「う、うん……。あり、がとう」
急展開に戸惑いながらも彼の手を借りてゆっくり立ち上がる。すると今度は、「うがあぁぁ」と断末魔の叫びのような悲鳴が聞こえてきた。
「この逆ギレ浮気男が!! よくも親友に手出しやがって!!」
「っ……は、なせっ」
「なんであんたみたいなやつが恋愛できんのよーー!!」
ジタバタと暴れる彼を羽交い締めで拘束する明桜。相変わらず裏切り者には容赦がないな……。
それからほどなくして駆けつけたお巡りさんに連れられ、私達は近くの交番へと向かった。
✵
「──えっ、店長が?」
「はい。バス停に行っても姿が見当たらなかったので連絡が来たんです。それで捜してたら、公園から怒鳴り声が聞こえてきて……」
交番内の長椅子に座り、光広くんから経緯を教えてもらった。
どうやら単独行動の私を心配した店長──叔父の差し金だったらしい。バイトを終えた明桜と帰宅中に電話がかかってきて、血眼になって捜し回っていたという。
「虫の知らせって本当にあるんですね。息が止まるかと思いましたよ」
「……ごめんね、迷惑かけて」
「なんで先輩が謝るんですか。別に迷惑だなんて思ってませんよ。それより、もう他に怪我はありませんか?」
「うん。……ん? 怪我?」
一体何のことかわからず首を傾げていると、氷嚢を持った警官の人がやってきた。
もしかして助けた時にどこか痛めたのだろうかと不安がよぎったが、光広くんはにこやかに氷嚢を受け取り……。
「すみません、ちょっと袖捲りますね」
「えっ」
私の許可を待たず、いきなりシャツの袖を捲り、赤くなった部分に氷嚢を当ててきた。突然走った冷たい感触に思わず肩がビクッと跳ね上がる。
「なんで……いつ気づいて……」
「少しシワになってたので。ここに来る時もずっと押さえてましたし」
そうだった、彼は観察眼が優れていたんだった。
「日頃からあんな感じなんですか?」
「……昔は、優しかったんだよ」
「じゃあ、ここ最近? もしかして先月会った時もこんなふうに……」
「こらっ、そんな問い詰めない」
勢いに気圧されていると、事情聴取を終えた明桜が光広くんの頭にげんこつを落とした。
「ごめんね。こいつ真夏ラブでさ。真夏のことになるといっつもこんな感じなのよ。SNSに写真載っけた時も……」
「わああぁぁバカっ! なに勝手に話してんだよ!」
明桜の声にかぶせるように叫んだ光広くん。
「SNS……?」
「……姉ちゃんに、カフェの割引券もらって。調べてたら、姉ちゃんと先輩の投稿が出てきて……」
ボソボソと不服そうな顔で説明し始めた。彼が言うには、ハッシュタグから私達の投稿を見つけたのだと。
「いつもは1枚なのに珍しくコラージュまでしてるし、ダイエット中なのに生クリームたっぷりのパンケーキ食べてるし」
「ううっ、それは……」
「最初はチートデイなのかなと思ってスルーしてたら、半袖着てたって。スプレー式の日焼け止めでも買ったんですか?」
「……買ってません」
徐々に彼の表情が険しくなっていく。
受験生だからSNSはさほど見ないだろうと思い込んで油断していた。恥ずかしい、これじゃあ四股の元彼とほぼ同じ思考回路じゃないか。
落ち込む私に、光広くんが「真夏先輩」と優しく語りかける。
「僕、もう高3です」
「……うん」
「昔は腕相撲で毎回瞬殺されてたけど、この5年間で背も伸びて体重も増えて、力も強くなりました」
やや骨張った大きな手が私の甲をそっと包み込んだ。顔を上げると、熱を含んだ黒い瞳が私を真っ直ぐ見据えていて。
「もうあの頃のヤワな僕じゃありません。辛い時は遠慮なく頼ってください」
「そうだよ! うちらはいつだって真夏の味方だから!」
私の目の前にしゃがみ込んだ明桜が、もう片方の手をギュッと握りしめた。
「なんでも相談乗るよ! バイトの先輩うぜぇーとか、時給上げろよーとか」
「言葉がきたねぇな。それは叔父さんに言ったほうがはえーだろ」
「あんたね……真夏にとっては店長よ? ってかそっちも人のこと言えないからね?」
「……ありがとう」
息ピッタリな微笑ましいやり取りにふふっと笑みがこぼれる。
1人で抱え込まなくていいんだよ。あなたは1人じゃないよ。両手に広がる温もりにそんなメッセージが含まれているように感じて、目頭が熱くなった。
友の優しさに助けられたところで、店長が到着したと連絡が入った。手早く荷物をまとめ、交番を後にする。
「あの、さっき姉ちゃんが言ってたことは、気にしないでください」
「え……? 何か言ってたっけ?」
自転車を押し歩く光広くんに尋ね返した。が、なぜかガックリと肩を落として溜め息をつかれてしまった。
「……覚えてないならいいです」
「えええ、気になるよぉ。給料の話? SNSの話?」
愉しそうに口角を上げる明桜をよそにグイグイ迫るも、頑なに口を割らない。痺れを切らした私は思い切って彼の腕を掴んだ。
「……本当、先輩って思わせぶりですよね」
「へ?」
「その上鈍感でスキンシップも激しくて。あと面倒くさがり屋ですよね」
やっと目を合わせてくれたと思いきや、悪態をつかれた。触れられたのがそんなに嫌だったのかと判断し、腕から手を放したら……。
「ま、そんなところも好きなんですけど」
サラリと言い残して店長の元に向かい、自転車を車に詰め込み始めた。
「5年前からずっと好きなんだってさ」
「ええっ! そんな前から!?」
「一途よね〜。対象外かもしんないけど、嫌じゃないなら視野に入れてやって」
ポンポンと肩を叩かれ、明桜と一緒に後部座席に乗り込んだ。2度耳に届いた『好き』の2文字が脳内を駆け巡り、頬が熱を帯びていく。
帰路に就くまでの間、心臓ではときめきの音が何度もこだましていた。
END