「明日のバイト、いっしょに来てもらってもいい? とくに意味はないんだけど……なんかさ、そばにいて欲しいんだよね」

 僕がかかえている不安は隠して、チヒロにお願いした。

「はい、いいですよ」

 “お盆”をまったく意識していないようすのチヒロは、こころよくオーケーしてくれた。

 この日の依頼主はお盆休みの期間を利用して引っ越しを完了させたいと考えている、30代の独身男性だった。

 昔はお盆の期間の引っ越しはタブーとされていたようだけど、いまはそういった風習を気にしない人もいる。

 チヒロは依頼主のマンションの入口わきに立って、僕が何往復も荷物を運ぶようすを飽きもせず眺めていた。
 ときどき手をふってきたので、スマイルで(こた)えた。

 転居先へ向かうときは、チヒロに2トントラックの荷台に入ってもらった。

 30分ほどで目的地に到着し、トラックのリヤドアを開けてみると、奥に積んだ段ボールをベッドにして、チヒロは眠りこんでいた。

 僕はひやっとして、

「チヒロ。チヒロ、起きて!」

 先輩の目を盗み、どきどきしながら呼びかけた。

 すると僕の声に気づいて、チヒロは飛び起きた。

「ごめんなさいっ! また眠っちゃった。もう、やだぁ。じぶんが……」

 しょげこむチヒロに、僕は大きく頭をふった。

 眠りこけるのはまったくかまわない。目覚めてくれれば、それでいいんだ。

 あと12時間。早く時間が過ぎてくれ。今日が終われば、ひと安心できる。

 そして……。

 僕を(おびや)かしていた不吉な予感は的中をまぬがれ、17日の00時00分01秒を迎えた。

 よかった。チヒロはあの世へ連れて行かれなかった。

 もう大丈夫だ……。

 ファンタジーの世界観を信じて、僕はすっかり油断していた。


 * * *


 羽田空港を出発して3時間。

 上空からエメラルドグリーンに輝く海が見えた瞬間、ボルテージが爆上がりした。

 僕の席は機内後方の右通路側だったけど、前のめりに首を伸ばせば、どうにか外の景色を眺めることができた。

 ジェット機内を探検していたチヒロももどってきて、

「わあっ。すっごくきれい! ヨシくん、見える? すごいよ。ほら、島のまわりのサンゴ(しょう)があんなにくっきり」

 瞳をきらきらさせて、声をはずませた。

 目指す島は、直角三角形のようなかたちをしている。

 空港は島のやや西側にあり、上から眺めると鳥が羽を広げているようなデザインに見える。屋根は沖縄伝統の赤い瓦ぶきだ。

 降り立った3階建の空港内も南国ムードたっぷりで、あちこちにハイビスカスの花やヤシの木、熱帯植物が飾られている。

 建物の中央が吹き抜けのロビーには、貝がらや赤瓦でつくられた2メートルはありそうなシーサーがでんと鎮座(ちんざ)している。

 はじめての場所。それもチヒロとの旅行だ。

 なにを見ても新鮮で、わくわくが止まらない。

 予約したホテルのチェックインは14時なので、まだ2時間半もあった。ちゃちゃっと昼食を取ることにして、空港内のレストランに入った。

 ひろびろした店内のテーブル席は、半分くらいがお客さんで埋まっている。

 隣席に人がいないテーブルを選んで、着席した。

 沖縄といったらやっぱりソーキそばだろう。迷わずそれを注文し、出来あがりを待つあいだ、隣に座るチヒロにひそひそと話しかけた。

「機内のどこを探検してたの」

「貨物室。ケージに入った、ワンちゃんがいたの。明かりのない、暗い場所だったわ。
 ワンちゃん……何犬かわからないけど、ずっとクーンクーンって鳴いてたの。
 大丈夫だよ。怖くないよーって声をかけたけど、やっぱりぜんぜん聞こえてないみたいで。
 気になってそばから離れられなくなってたの」

 チヒロのやさしさが溢れているエピソードに、僕の心はまたもやつかまれた。

操縦(そうじゅう)室には行かなかったの?」

「興味はあったけど、やめておいたの」

「え、なんで」

「だって……もしも……もしもよ。機長さんたちにわたしが見えたり、妙な気配を感じたりしたら……。
 そう考えると変な動揺をあたえちゃいけないと思って。パニックになって操縦できなくなったら困るでしょ」

 チヒロが大まじめに話すのがおかしくて、僕は「ぷっ」と噴きだしてしまった。
 笑われた意味がわからないチヒロは、きょとんと僕を見ている。

 考えてみれば僕が宮古島までチヒロを連れてこなくても、彼女はどこへでも行ける身だ。
 宇宙船に乗りこめば、宇宙ステーションだって行けてしまうだろう。