「両親とわたしは無宗派。でも田舎の祖父母は、あたりまえのように仏教を信仰してる。仏壇があって、そこにお位牌(いはい)が置かれてて……。
 仏教に関する絵ではね、仏さまがハスの花の上に座っていたり、仏像の下の台座がハスの花になっていることが多いの。
 小学生のころ、なんでだろうって思って、祖母に質問してみたのね。そうしたら、こう教えてくれたの。
 『お経のなかで“極楽(ごくらく)にはハスの花が咲いていて、生きているあいだに善い行いをたくさんした人は、死んだあと極楽のハスの花の上に生まれ変わる”そう説かれているんだよ』って」

「え、そうなの? 生まれ変われるの?」

 ぐっと話に引きこまれる僕に、チヒロは口をへの字にしながら、困ったような笑みを浮かべた。

「ヨシくん。鵜呑(うの)みしないでね。 それは迷信よ。生まれ変われるわけないわ。
 そもそも宗教って人間や自然の力を超越した神や仏の存在を信じることで、やすらぎを得たり、(さと)ったり、人の道にそむくことがないよう教えるものでしょ。
 それぞれの宗教をどう信じるか、それは憲法で保障されているとおり、ひとりひとりの自由よね。
 でもわたしは、宗教って人間による創作物だと考えているから、極楽とか地獄とか天国とか生まれ変わりっていう世界観は、壮大(そうだい)なファンタジーだってとらえてるの。
 たとえばギリシャ神話や日本神話のような、ね。古代の人たちってなんて創造力がゆたかだったのって、心の底から敬服するわ」

 よどみなく語るチヒロの話に引きつけられながらも、僕の心にはすっきりしないものが残った。

 チヒロが言ったとおり死後の世界はファンタジーなら、亡くなった人はどうなってしまうのだろう。

 無になってしまうと考えるのは、あまりにも悲し過ぎるから、「でもさ」と僕なりの考えを口にした。

「現にチヒロに、そのファンタジー的なできごとが起きてるじゃないか。
 それって人間がつくった宗教のなかの世界観じゃなくて、人間の力を超えたなにかがほんとうにあるって証明してるよね。
 亡くなった人のすべてがチヒロみたいにこの世にとどまっていられるかはわからないけど……。
 奇跡って言われるふしぎなことは現実に……まあ、めったにはないけど、それでも起こってるのはたしかなんだから。
 俺は、それを信じたいよ」

 そう。

 チヒロがこの世に“置いてきぼり”になっている事実が、奇跡を物語っている。

 ならば、それを超えるあらたな奇跡が、また起こるかもしれない。

 現実にはあり得ないとされていることが──。

 僕の胸に、力強い希望がぐんぐんわいてきた。

「俺はチヒロはぜったい生まれ変われると思うよ。いや、もしかしたら事故に遭う数分前に、とつぜん時間が巻きもどるかもしれない。
 ほら! タイムリープってやつだよ。そしたらチヒロは死なずにすむんだ。可能性はゼロじゃないって!」

 腹に力をこめて言う僕に、チヒロはますます困り顔で、

「ヨシくん。時間が巻きもどるなんてそんな……マンガやドラマみたいなことはぜったい起きるわけないから。
 あくまでもフィクションでしかないの」

 ちいさな子どもにやさしく言い含めるような物言いで、おもむろに首をふった。

 僕は眉間にシワを寄せ、ちょっとだけくちびるをとがらせてしまった。

 シュールな境遇に置かれているヒロインだという自覚が、チヒロにみじんもなかったから。

 そのことをチヒロにわかってもらいたかったけど、ここで押し問答になるのは嫌だった。

 譲歩(じょうほ)してその話は終わりにしたのだけど、僕のなかでは運命がひっくり返るような奇跡を信じる思いが、ますます大きくなっていた。

 だから、ひそかに念じることにしたのだ。

 僕が一番望んでいること。

 チヒロの死が“なかったことになる”ようにと、念じつづけようと。

 そして願いの効力をより高めるために、念願が叶うまでは大好物のハンバーグを食べないと決めた。

 以前、母さんがやっていたのだ。“物断(ものだ)ち”というものを。

 それは願いを叶えるためにある飲食物を取らないことで、母さんは大好きなチョコレートをまったく口にしなくなった。

 願掛けの目的は、人に話したら効果が得られないといわれている。

 迷信かもしれない。でもほんとうだと疑わずにいれば、かならず報われると信じていたい。

 一縷(いちる)の望みを持ちつづけたい。


 ────校内に鳴り響く予鈴チャイムの音が、回想にひたっていた僕を現実に呼びもどした。

 さりげなくあたりを見回して、教室にうしろにいるチヒロを見やった。

 目と目が合い、チヒロがにこっと笑ってくれた。
 それだけで僕の活力がチャージされていくのだから、チヒロの影響力はほんとうに絶大だ。

 チヒロと過ごす生活があたりまえになったいま、彼女を失う日が来るなんて、まったく考えられなかった。