うっすら微笑んでいるように見えるのは、なにか楽しい夢でも見ているからだろうか。

 あどけない寝顔をこうやって眺めているだけで、ふしぎと心が(いや)されていく。

 ああ、幸せだ、って感じる。

 これが恋の醍醐味(だいごみ)ってものなんだろうか。

 大好きって言葉じゃ、もう足りない。

 愛ってどういうことなのか。なにをもって愛と呼ぶのか。

 いままでの僕はてんで理解できていなかったけど、チヒロに抱いているいまの気持ちがそうなんじゃないか、と思う。

 つまり“チヒロのためなら、いくらでも身をけずれる”ってことだ。

 あい……してる。

 ど恥ずかしくて本人にはまだ伝えられない言葉を、声を消して言ってみた。

 とたんにぼっと燃えあがるように胸が熱くなり、炎がまわる勢いで顔や頭にのぼっていく。

 あっちぃ。

 オーバーヒートに耐えられなくなり、ノートにはさんでいた下敷きを抜いて顔をパタパタあおいだ。

 と、チヒロの肩がみじろいだ。
 壁のほうへ、ゆっくり寝返りを打とうとしている。

 その動きでスカートがゆっくりたくしあげられ──。

 あろうことか。

 上側の太ももがあらわになってしまった。

 腰をおおうスカートのかかり具合は、下着が見えそうで見えない、じつにきわどいラインをキープしている。

 チヒロの白い太もも。なまめかしい姿……。

 悩殺されて息をするのも忘れ、僕の視線は完全ロックオン状態になった。

 おい、なに見てんだよ! このドスケベが! チヒロを冒涜(ぼうとく)していることになるんだぞ!

 正義を守りたい僕が、どやしつける。

 うん、わかってる。
 わかってるけど、視線がはずれない。

 それどころか、なんとかもうちょっとだけスカートがめくれてくれたら……なんて下劣(げれつ)な願望が、むくりと起きあがっている。

 僕のなかで清らな良心と(けが)れた邪念(じゃねん)が、激しいつばぜり合いを繰り広げた。

 そこへ。

 コン、コン──とひかえめにドアをノックする音が、止まっていた時間をわっと押し動かした。

「なな、なに!?」

 動揺して()きこむ声が飛びでた

 しずかにドアが開き、パジャマの上に薄手のガウンを羽織(はお)った母さんが、そろっと顔をのぞかせた。

「まーだ勉強してるの? ずいぶんがんばるわねぇ。なにかお夜食持ってこようか?」

 気づかうような笑みできいてきた。

「いいよ。食べたら眠くなっちゃうから」

「そう? じゃあコーヒーは? ココアとかホットミルクとかレモネードとか……」

 ここはカフェか! 胸のなかで突っこみつつ苦笑し、

「いいって。なにもいらないよ。もうちょっとで寝るから」

 ぶっきらぼうに、ことわった。
 心づかいはありがたいけど、ちょっとうっとうしくもある。

 べつに僕が格別冷たいわけじゃなく、思春期の息子ならたいがいこんな感じだと、じぶんでじぶんを弁護する。

 チヒロがもぞりと頭を起こした。僕たちの声で眠りを破られたのだ。母さんめ、と恨めしくなり、

「もうっ。じゃましないでくれよ。ドア閉めて、早く寝ちゃって」

 しっしっ、と追い払うように言った。

「はいはい。ごめんね。おじゃましましたぁ」

 僕のつれない態度を母さんはおどけた調子でいなし、しずかにドアを閉めた。

 じゃま扱いしながらも、母さんにはある意味“感謝”だった。
 母さんが来なかったら、邪念に負けていたかもしれない。

 いや、かもじゃないな。

 確実に負けていた。

 反省をこめ、おのれの(こぶし)で額をごつんとぶった。

 チヒロがベッドから下り、とろんとした目つきで僕のほうへやって来た。

「ヨシくん、1時過ぎてるのにまだ起きてたんですか。テスト前はいつもこんな時間まで勉強してるの?」

 眠たげな舌たるい口調だった。丁寧語が抜けずに、まだちょいちょい出てくるのがチヒロらしい。

「え。うん、まあ……ね」

 うそをついてしまった胸が、ずんと重くなった。ほんとはテスト前でも、勉強なんてほとんどしていなかった。

「そういえばヨシくんは、志望校をどこにしてるの」

「あー。まだぜんぜん考えてないんだよね」

 いまの学力で受かるところならどこでもいい、なんて低レベルの志を話せるわけがなかった。

「塾や予備校にも行ってないですよね。推薦(すいせん)入試を考えてるとか?」

「いやー。まあそれも、視野には入れてる……かなぁ」

 この手の話はほんとうに苦手だ。
 いろいろきかれる前に、話題を彼女に向けた。

「チヒロはどこの大学を志望してたの」

「わたしは……K大かT大の薬学部」