しぜんと語尾がなさけなく伸びていった。

 こうなったらカバン持ちでも裸踊(はだかおど)りでも、はたまた鼻から牛乳を飲むのだって、神部が望むならなんだってやってやる。

 僕はそれくらい必死だった。

 息を詰めて返答を待った。

 5秒後、スマホの受話口からふっと息をつく気配が伝わってきた。

「わかった。すぐ調べてラインする。待っとけ!」

 ほれぼれするほど勇ましい声だった。

「ははーっ」

 僕はひれふすように深く一礼し、うやうやしく電話を切った。

 大あわてで部屋着を脱ぎ捨て、コットンシャツとデニムパンツに着替える。

 家の鍵と財布をポケットに入れ、なま乾きの髪はどうしようと考えているとき、「ティン!」とラインの通知音が鳴った。

「うそ、はやっ」

 ベッドの上のスマホに飛びついた。

 神部からだ。おまえ、ほんとスゲーな。

 一生頭があがらないと負けを認めつつ、トーク画面を開いた。

 アコースティックギターのアイコン画像の横で、白い吹きだしのなかの文字が、僕が求めていた情報を教えていた。

『ありがとう。一生恩にきる』

 手早く返事を打ちこんで、ラインを閉じた。

 シャツの胸ポケットにスマホを入れ、部屋を出る。

 階段を駆け下りている最中、胸もとで「ティン!」とまた通知音が鳴ったけど、確認している余裕なんてなかった。

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 地図アプリによると、チヒロの家は私鉄の鷺ノ寺(さぎのでら)駅から南西に向かい約500メートルの位置にあるとわかった。

 僕の家の最寄り駅からは、上り線で4駅目になる。

 目的の駅に着いたとき、時刻は22時近くになっていた。下車した乗客はまばらで、前を歩く人を早足で追い越し、こじんまりした改札口を出た。

 駅の階段を下りると、一方通行の標識がかかげられた狭い道が左右に延びていた。

 通り沿いのフェンス下には、麦茶みたいな色の水がわびしく流れる川があった。チヒロが話していた、『まったくきれいじゃない川』はこれのようだ。

 この川沿いの道をたどって行けば、チヒロの家に着くはず。

 よし、と心のなかでうなずき、地図アプリに視線を落としながらまっすぐ進んだ。

 5分ほど歩くと川沿いの通りに建ち並ぶ店舗(てんぽ)は途切れ、一軒家やアパートばかりが目につくようになった。

 外灯やそれぞれの家から漏れてくる明かりはあるけれど、通りが一段と暗く感じられる。

 ふっと南の上空に目を向けてみると、ねずみ色がかった群青(ぐんじょう)の夜空に、まるっとした羊雲がいくつも浮かんでいた。

 雲と雲のあいまにはガラスのちいさなかけらのような星がひとつ、ひかえめに(またた)いている。

 その星にはきちんと名前があるのだろうけど、僕には見当もつかない。

 小学生のころ、天文好きの父さんから天体望遠鏡をあてがわれ、星座や惑星(わくせい)、宇宙のことなんかを教わっていた時期があった。

 父さんは僕の興味を引きつけようと熱心に説明してくれたのだけど、その情報量があまりにも多過ぎたものだから、幼かった僕の頭は早々にパンクしてしまい、すっかり嫌気(いやけ)が差してしまった。

 ゆえに親子で趣味(しゅみ)を共有するという父さんの願いは、残念ながら(あわ)と消えたのだ。

 暑さを感じているわけでもないのに身体が汗ばみ、ぬるい(しずく)がこめかみから耳のほうへ流れていった。

 右腕をあげてシャツの肩のところで汗を拭い、電車に乗っているあいだじゅう考えていたことに、また思いをもどした。

 チヒロのようすがおかしくなったのは、神部からラインが送られてきたあたりなのだ。

 神部が僕に紹介する予定だった女の子のことを、チヒロは妙に意識していた。

 たしかに、写真の彼女はかわいかった。

 チヒロが評した通り“とってももてそう”だった。

 清蘭(せいらん)女子学院は頭が良く、裕福な家庭の女子ばかりが通っているという評判も耳にしている。

 チヒロは、じぶんに自信がない、と僕に言っていた。もし僕がチヒロの立場だったら、どういう思考をたどるだろう。

 たがいの境遇(きょうぐう)を入れ替えて、想像してみた。

 僕は事故死し、荼毘(だび)に付されてしまった。でも消滅せずに、この世をさまよっている。

 チヒロにだけ僕が見えて、家に来て欲しいと誘ってくれる。

 陰でずっと思いを寄せていた人だ。チヒロも僕のことを、いつのまにか好きになっていたと言う。

 うれしい。ありがたい。でもやっぱり遠慮がある。

 そこへ彼女の友人から、チヒロに紹介したい男子がいる、という話が持ちこまれる。