「……ごめんなさい……」
吉川さんが、うつむいたままボソボソと言った。
「変に突っかかって、ごめんなさい。疑りぶかいのも……」
吉川さんの横顔は、泣きだしてしまうのではないかとはらはらするほどゆがんでいる。
僕の胸を、鉄球のような重さの罪悪感がズンとひと打ちした。
「いやっ、僕のほうこそ疑われるような態度を取ったし。良くなかったなって、反省してる。吉川さんが謝ることじゃないよ。なにか思うことがあったら、これからもドシドシ言って欲しい」
「……はい……」
重い空気はどうにか薄まった……感じがした。でもまだ、しっくりしない。
「僕んち、歩きだと1時間くらいかかっちゃうけど」
「……はい」
「平気? 疲れない?」
「……はい」
「吉川さんの家って、中野のほうなんだよね」
「……はい」
「電車通学?」
「……はい」
「あー、そうだ。さっきの神部。1年のとき同じクラスだったんでしょ。どんな感じだった?」
僕は会話をつなげようと必死だった。
「……ほとんど、話したことなかったから」
「あー、そっか。えっと、……平井って吉川さんのクラスにいるでしょ。ずんぐりした体型の。僕とは1年のときに同じクラスだったんだ。ちょっと変わったやつじゃない?」
「……そう……ですか……?」
「そうだよ。表情がほとんど変わらなくて、人を寄せつけない雰囲気で。コブって呼ばれてたんだ。ほっぺたがほら、『コブとり爺さん』ぽくない?」
「……え…、ん……」
一生懸命話しかけたけど、いいリアクションは返ってこない。
僕の気持ちも沈みかけ、なんだかなぁ、とまたもや漏れ出そうなため息をこらえていると、
「……うしろ……乗ってみても、いいですか」
吉川さんがリアキャリアを指差してきいた。
「え、いいけど。乗れる……の?」
「わからないけど、乗れるような気がします。電車とバスに乗れたから、たぶん大丈夫だと……」
「ほんと? いいよ。試してみようよ」
大乗り気で僕が言うと、吉川さんはマジックで空中浮遊する人のように、ふわりとリアキャリアに横座りした。
そしておずおずと、僕の腰に手をまわしてきた。
はっと一瞬、息が止まる。
吉川さんのぬくもりや感触が感じられたわけじゃない。
それでも吉川さんの腕が僕の身体にかさなっているという視覚効果に、心臓がどうしようもなくどきどきした。
上擦りそうな声を必死に修正し、
「大丈夫? 沈んでいかない?」
荷台をすり抜けてしまわないか心配したけど、
「大丈夫です。ちょっとコツが……筋力や集中力が必要なんですけど、どうにか座れてます」
うしろで吉川さんが言った。
「じゃあ、行くよ」
ゆっくりペダルを漕いでみた。
吉川さんの白い腕は僕の身体から離れることもなく、ズボンのベルトにそってちゃんと抱きついている。
物を擦り抜けてしまう特性はあるけど、吉川さんは地面や床の上ではちゃんと立っていられる。
歩いたり階段を上り下りしているときには、すべっているような、軽く浮遊しているような感じに見えなくもないが、床からストンと抜け落ちることはない。
そういうのって宇宙みたいに重力がない感じなんだろうか。擦り抜けてしまうものと、擦り抜けずにいられるものって、なにが違うんだろう。
煙や光のような吉川さんの身体のことをぼんやり考えていたら、
「風が、気持ちいいように……る……」
うしろから、吉川さんのうれしそうな声が聞こえた。
語尾が聞き取れなかったし、彼女の表情も見えないけど、吉川さんが微笑んでいるような気がして、僕もうれしくなった。
いつもはもっとスピードをあげて走る道だ。
でも吉川さんが風に流されてしまわないか心配で、心もちゆっくりペダルを漕いだ。
なぜだろう。
飽き飽きするほど見慣れた通学路の風景が、新しい季節を迎えたように新鮮に映っているのは。
黒灰色の車道。通り沿いのどれも似たような家。スーパーやファミレス──。
先週となにも変わらない街なかを、上昇気流に乗って大空を翔けていく気分で、走り抜けていく。
空はあいにくのうす曇りだ。でも、顔や身体を撫でる風はすっきりとさわやかで、最高に心地いい。
ちらっと目を下に向けて、吉川さんの組んだ手が、僕の腹の前にあるのをたしかめた。
こんなふうに、自転車のうしろに彼女を乗せて走るのが夢だった。
甘美な風となんとも言えない幸福感にくすぐられて、僕はペダルをぐんと踏みこんだ。
吉川さんが、うつむいたままボソボソと言った。
「変に突っかかって、ごめんなさい。疑りぶかいのも……」
吉川さんの横顔は、泣きだしてしまうのではないかとはらはらするほどゆがんでいる。
僕の胸を、鉄球のような重さの罪悪感がズンとひと打ちした。
「いやっ、僕のほうこそ疑われるような態度を取ったし。良くなかったなって、反省してる。吉川さんが謝ることじゃないよ。なにか思うことがあったら、これからもドシドシ言って欲しい」
「……はい……」
重い空気はどうにか薄まった……感じがした。でもまだ、しっくりしない。
「僕んち、歩きだと1時間くらいかかっちゃうけど」
「……はい」
「平気? 疲れない?」
「……はい」
「吉川さんの家って、中野のほうなんだよね」
「……はい」
「電車通学?」
「……はい」
「あー、そうだ。さっきの神部。1年のとき同じクラスだったんでしょ。どんな感じだった?」
僕は会話をつなげようと必死だった。
「……ほとんど、話したことなかったから」
「あー、そっか。えっと、……平井って吉川さんのクラスにいるでしょ。ずんぐりした体型の。僕とは1年のときに同じクラスだったんだ。ちょっと変わったやつじゃない?」
「……そう……ですか……?」
「そうだよ。表情がほとんど変わらなくて、人を寄せつけない雰囲気で。コブって呼ばれてたんだ。ほっぺたがほら、『コブとり爺さん』ぽくない?」
「……え…、ん……」
一生懸命話しかけたけど、いいリアクションは返ってこない。
僕の気持ちも沈みかけ、なんだかなぁ、とまたもや漏れ出そうなため息をこらえていると、
「……うしろ……乗ってみても、いいですか」
吉川さんがリアキャリアを指差してきいた。
「え、いいけど。乗れる……の?」
「わからないけど、乗れるような気がします。電車とバスに乗れたから、たぶん大丈夫だと……」
「ほんと? いいよ。試してみようよ」
大乗り気で僕が言うと、吉川さんはマジックで空中浮遊する人のように、ふわりとリアキャリアに横座りした。
そしておずおずと、僕の腰に手をまわしてきた。
はっと一瞬、息が止まる。
吉川さんのぬくもりや感触が感じられたわけじゃない。
それでも吉川さんの腕が僕の身体にかさなっているという視覚効果に、心臓がどうしようもなくどきどきした。
上擦りそうな声を必死に修正し、
「大丈夫? 沈んでいかない?」
荷台をすり抜けてしまわないか心配したけど、
「大丈夫です。ちょっとコツが……筋力や集中力が必要なんですけど、どうにか座れてます」
うしろで吉川さんが言った。
「じゃあ、行くよ」
ゆっくりペダルを漕いでみた。
吉川さんの白い腕は僕の身体から離れることもなく、ズボンのベルトにそってちゃんと抱きついている。
物を擦り抜けてしまう特性はあるけど、吉川さんは地面や床の上ではちゃんと立っていられる。
歩いたり階段を上り下りしているときには、すべっているような、軽く浮遊しているような感じに見えなくもないが、床からストンと抜け落ちることはない。
そういうのって宇宙みたいに重力がない感じなんだろうか。擦り抜けてしまうものと、擦り抜けずにいられるものって、なにが違うんだろう。
煙や光のような吉川さんの身体のことをぼんやり考えていたら、
「風が、気持ちいいように……る……」
うしろから、吉川さんのうれしそうな声が聞こえた。
語尾が聞き取れなかったし、彼女の表情も見えないけど、吉川さんが微笑んでいるような気がして、僕もうれしくなった。
いつもはもっとスピードをあげて走る道だ。
でも吉川さんが風に流されてしまわないか心配で、心もちゆっくりペダルを漕いだ。
なぜだろう。
飽き飽きするほど見慣れた通学路の風景が、新しい季節を迎えたように新鮮に映っているのは。
黒灰色の車道。通り沿いのどれも似たような家。スーパーやファミレス──。
先週となにも変わらない街なかを、上昇気流に乗って大空を翔けていく気分で、走り抜けていく。
空はあいにくのうす曇りだ。でも、顔や身体を撫でる風はすっきりとさわやかで、最高に心地いい。
ちらっと目を下に向けて、吉川さんの組んだ手が、僕の腹の前にあるのをたしかめた。
こんなふうに、自転車のうしろに彼女を乗せて走るのが夢だった。
甘美な風となんとも言えない幸福感にくすぐられて、僕はペダルをぐんと踏みこんだ。