「どうしてって……吉川さんを好きになったから。吉川さんの手帳を拾って、つい読んじゃって、僕のことが書いてあるのがわかって……。
 そしたら吉川さんのことがもう頭から離れなくて、ずっと吉川さんのことばっかり考えてた。気がついたら、いつのまにか好きになってたんだ」

 好き──。

 そのたった二文字を声にだすのって、こんなにも恥ずかしくて、怖くて、鼓動は異常なほど速まるし、息も苦しくなるものなのか。

 一瞬で思い知った僕の指先は、ちょっと震えていた。

「……え……」

 吉川さんの顔がみるみる赤く染まっていく。僕から視線をずらし、つやめく薄茶色の瞳を揺らした。

「うそぉ」

「うそじゃないって」

「だって……そんなの信じられない」

 吉川さんは真っ赤になった頬を両手ではさみ、浅くせわしい呼吸をくり返している。

「死んじゃって(あわ)れだと思うから、同情してくれてるんじゃないんですか」

「同情じゃないって」

「うそ。ぜったい信じられない」

「なんで? 信じてよ。こんなこと自慢にならないけど、好きだって告白したの、俺、人生で(はつ)だから。
 吉川さんが5組にいるってやっと突き止めて、それで俺からちゃんと気持ちを伝えようって決めてたんだ。ほんとに。
 それを……大まじめでした告白をうそだって言われて、俺、いますっごいショックなんだけど」

 力抜けして消沈(しょうちん)しつつも、無理に笑みを浮かべる僕に、

「ごめんなさい……」

 吉川さんはおなかの前で両手をかさね、神妙(しんみょう)面持(おもも)ちで頭を下げた。
 視線を落としたまま、ぼそぼそと言う。

「わたし、自信がないから……。だってまさか、鴨生田くんもわたしのことを好きになってくれるなんて……。
 そんな夢みたいな話。そうなったらいいなって思ったことは何百回もあったけど、ぜったいにムリだってあきらめてたし……」

 かすかな笑みをこぼしてはいるけど、願いが叶ってうれしいというより、戸惑いを拭えないような目をしている。

 僕はやや強引に、

「いっしょにいてくれるよね。うちに来てくれるよね」

 と確認を取った。

「でも、やっぱり迷惑なんじゃ……」

「迷惑じゃないって。あのさ、そんな遠慮(えんりょ)しないで欲しい。っていうか、もっと頼って欲しい。俺のこと。
 まー、頼りがいがないって思ってるのかもしれないけど」

「そうじゃないです。そんなふうにはまったく思ってないけど、ほんとにいいのかなって……」

 吉川さんは煮えきらなくて、なかなか「うん」と言ってくれない。

 ずうずうしいよりひかえめな女子のほうが好みだけど、こうも遠慮されると話がいっこうに進まなくて弱ってしまう。

 勉強以外のことでは、こっちがグイグイ引っ張っていかなきゃだめなんだ。
 そうわかったから、

「いいからっ。授業が終わったらいっしょに帰ろう。約束だよ!」

 僕は()めた口調で言い、小指を立てた左手のこぶしを吉川さんの前へ突きだした。

 彼女の気持ちがぶれないよう、とっさの思いつきで求めた“指きり”。

 指きりした約束を吉川さんは破るような人じゃない。僕の思いこみかもしれないけど、なぜかそう信じられた。

「……あ、はいっ……」

 僕の勢いに飲まれたのか、吉川さんは重大な決断を下すような顔をして、あわてて右手をあげた。

 一本だけ突き立てた細く白い小指を、僕の指にそろそろと近づける。

 僕の小指と、吉川さんの小指が、からみ合った。

 なんの感触(かんしょく)も、冷気も、そこになにかがあるという気配さえ、僕の小指は感じていない。

 それでも僕の目には、吉川さんと僕の小指がからみ合っている場景が、はっきり見えていた。

 ()()といえる実体がなくったって、彼女の姿がみんなの目に映らなくたって、吉川さんはいまここにいる。

 たしかにいる。

 だから見えるものを、そのまま信じればいいんだ。

「はい、指切った」

 大満足のにっこり顔で、僕はそっと手を下ろした。

「針千本、とか……いいんですか」

 頭をちょこんとかたむけて、吉川さんがきいた。

「いいよ。そんな(ばつ)をくださなくったって、吉川さんは約束を破る人じゃないって信じてるから」

「やぁだ。そんなこと言われたら、ぜったい破れないじゃないですか。もう。損な性格してるから、わたし」

 吉川さんはしかたなさそうに笑って、ふっと息をついた。

「じゃあ、教室もどろっか」

 一件落着した思いでうながしたのだけど、

「ごめんなさい。わたしちょっと、ほんとうに行きたいところがあるので、出かけてきます。
 6時限目が終わるころ正門のところで待ってようと思うんですけど。……それでもいいですか」

 と丁寧に断られてしまった。