彼女に合わせてせかせかと昇降口へ向かい、シューズボックスの前で靴を履きかえた。ヨシカワさんはホールの壁時計を確認して、

「あー。30分も遅刻してます。鴨生田くん、早く行かないと!」

 とさらに僕を()きたてた。

「は、はいっ」

 彼女のペースに飲まれ、階段を一段抜かしであがっていく。

 ヨシカワさんも駆けあがるように足を動かしているけれど、その身体は微妙な加減で浮いている。

 子どものころ景品でもらった、犬や恐竜のバルーンをふっと思いだした。
 風船のボディーに紙の足がくっついてて、地面をゆらゆら歩いているように見える、あれだ。

 これはやっぱり、夢を見ているわけではなさそうだ。

 可能性のひとつが頭から消えていった。

 それなら(まぼろし)なのか。

 ヨシカワさんの死があまりにもとつぜんで、ショックが大き過ぎて、頭がおかしくなってしまったのか。

 生きていて欲しいという僕の願望が、脳のどこかで幽霊のヨシカワさんをつくりだしてしまったのか。

 それならヨシカワさんは死んだのだとじぶんに認めさせ、彼女が話しかけてきても黙殺(もくさつ)していたら、そのうち見えなくなるかもしれない。

 でも──。でも、だ。

 ほんとうにヨシカワさんが成仏(じょうぶつ)できずに、この世をさまよっているなら……。

 その答えがわかるまでは、見えないふり、聞こえないふりは、ぜったいしちゃいけないんじゃないか。

「1時限目は、なんの授業なんですか」

 三階に向かう階段の(おど)り場に差しかかったところで、ヨシカワさんがすこし息を切らしながらきいてきた。

「たしか日本史」と僕は小声で答える。

久我(くが)先生?」

 そう問われてうなずいた。僕らの父親よりだいぶ年のいった、ぱっとしないおじさん教師だ。

「いいなぁ」

 ヨシカワさんは肩で息をしながら、うらやましそうに言った。幻だか幽霊だかのヨシカワさんは、あまり体力がないようだ。

「わたし、1年のとき習ってました。おもしろいですよね、久我先生の授業。歴史のこぼれ話なんか、してくれて。すごくためになると思うんです。
 わたし……久我先生のおかげで、歴史が好きになれたから。なんか、うれしいなぁ。もう一度、久我先生の授業が、きけるなんて……」

 軽い息切れを起こしているヨシカワさんの顔に、しんからうれしそうな笑みが広がった。

 いやいやいや。いまは、そんな喜んでる場合じゃないのでは。

 つい突っこみを入れそうになったけど、ヨシカワさんのむじゃきな笑顔に水を差したくなくて、愛想笑いでごまかした。

 ヨシカワさんが口にする話は僕の想像の範疇(はんちゅう)を超えていて、思ってもみなかった面をつぎつぎ見せてくる。

 だったらこれって僕の妄想(もうそう)や幻なんかじゃなく、ほんもののヨシカワチヒロさんって確定づけられるんじゃないだろうか。

 世でいうところの、怪奇(かいき)現象。それを僕はまのあたりにしている。

 ものすごい速さでこのアンビリーバボーな事態を、僕は受け入れはじめているようだ。

 それなのにもうぞっとしないのは、ヨシカワさんの姿はたしかにすこし薄いけれど、存在感がリアルで、不気味さがまったく感じられないからだ。

 ヨシカワさんの死を知ったときは、絶望の谷に突き落とされて、心が死にかけていた。
 なにもする気になれかった。

 でもどういうわけかミラクルが起き、こうして悲願のめぐり合いが叶っている。

 それならたとえ幽霊でも、ヨシカワさんであることに変わりがないならいいんじゃないか?

 戸惑いが消えたわけじゃないけど、僕はそんな心境になっているようだ。

「鴨生田くん、早く早く」

 手招いて急かすヨシカワさんに、僕は苦笑(にがわら)いを浮かべてうなずいた。