腹を決めて、全開しているうしろの戸口から5組の教室をのぞいた。

 知っているやつを探したが、1年のとき同じクラスだった女子はいても男子は見当たらなかった。

 女子にきくのはハードルが高過ぎる。何の用だと怪しまれるし、僕とヨシカワさんの仲を勘ぐられそうだ。

 ヨシカワさんらしき人はいるかな。
 
 こちこちになりながら見渡してみたが、それらしい反応を示す女子はいなかった。

 そのかわり変なやつがいた。

 窓ぎわの前列に座るひとりの男子が机に片肘(かたひじ)をつき、肩越しにじっとこっちを凝視(ぎょうし)しているのだ。
 
 ノンフレームの眼鏡をかけて、レンズの奥の目つきがとげとげしい。研究職が似合いそうな、クールで(かしこ)そうな顔だ。いかにも理系って感じの雰囲気。

 どう見ても知っているやつじゃなかった。それなのに敵意のこもった視線で僕をにらんでいる。

 なんなんだ、あいつ。

 身に覚えがないのに(がん)をつけられて頭にきたが、相手にするのもどうかと思い、ぷいっとそっぽを向いた。

 ここは保留にして6組へ行ってみるか。

 気持ちを切り替えて身体をくるっと反転させた拍子(ひょうし)に、僕の左肘が着ぐるみみたいに弾力あるボディーに当たった。

「あっ、ごめん」

 謝ってぶつかってしまった人物を見ると、1年のときのクラスメートのコブだった。

「いや、へいき」

 髪をきっちり7・3に()でつけたコブは表情のない顔で言い、脂肪(しぼう)の乗ったむっくりボディーを5組の教室へ入れかけた。

「ちょっと待った!」

 千載一遇(せんざいいちぐう)のチャンスを逃すまいと、()きこんで呼び止めた。コブはくりっとした目をうろんげに細めて、ふり返った。

「えっと……5組?」

 コブを指差してきいた。みんなと陰で呼んでいたニックネームは覚えていても、名字はド忘れして思い出せない。

「そうだけど?」

 無表情にもどったコブが答えた。

 まるい目にまるい鼻、ちいさいおちょぼ口。
 愛嬌(あいきょう)のある顔立(かおだ)ちをしているのに、愛想(あいそ)のかけらもない態度は1年のときからまったく変わっていないようだ。

 〈コブ〉の由来は小太りのコブでもあるし、ふっくらした頬が昔話に登場する〈コブとり(じい)さん〉みたいなコブでもある。

 1年のときはこの人づきの悪さから、みんなから敬遠されていた。
 当のコブもひとりでいるほうが気楽そうだったから、僕たちとは違う価値観で生きているんだろう。

「ちょっとちょっと」

 コブの夏シャツの(そで)をつまみ、廊下に引っぱった。

「なに? 時間がかかることなら困るよ。休み時間が減っちゃうじゃないか」

 コブはいかにも迷惑そうに顔をしかめた。

「すぐ済むから。あのさ、この組にヨシカワっていう女子いる?」

 声をひそめてきいた。

 コブは不審者(ふしんしゃ)を見とがめるような目つきで、じいっと僕を直視している。
 そうやって()()めに()めてから、

「いるよ」と言った。

 マジか! はっと、目を見張(みは)った。

「ちょっとさ、どの子かこっそり教えてくんない? まわりに気づかれないように。頼むっ」

 コブに向かって手を合わせた。

 するとコブは僕を見すえ、わざと焦らすような間をたっぷり取り、まるっこい鼻からフッと息を飛ばした。

 優位に立っている目つきをしている。

 おいおい……。

 コブはもったいをつけた動きで戸口へ進んだ。ぱっと教室を一瞥(いちべつ)したかと思うと、すぐ(きびす)を返し、

「いないよ」と言った。

「えっ、うそ。ちゃんと見た? すんげぇ早かったけど」

 僕の疑いの声を、コブはむっとした顔ではねのけた。

「見たよ。いつもの仲間のなかにいないから、休みなんじゃない」

「いつもの仲間って?」

 コブはうんざりした表情で、

「窓側のところにいる髪をふたつに分けてるのと、短い髪の女子。いつも3人でくっついてるんだよ。ねえ、もういい?」

 露骨(ろこつ)にげんなりして解放を求めた。

 休みってほんとうなのか。トイレに行ってるとか、用事でちょっと教室を離れているとか、そういうのじゃないのか。

 (ねば)って聞きたかったけど、コブの限界を感じてあきらめた。

「あ、うん。サンキュー。ありがとうな……」

 コブはそうとう腹が減っていたようだ。
 競歩のごときスピードで教卓のまんまえの席につくと、カバンから弁当箱の包みを出し、もどかしげにナフキンの結び目を解きはじめた。