「お母さん……ひとつきいていい? どうしてわたしのお通夜が終わったあと……、わたしの部屋のものを片づけたの?」
それがずっと心に引っかかっていたんだろう。
問われたお母さんは、いっそう悲愴な顔つきになった。
「ごめんなさい、千尋。あなたの部屋に入ったら……どうして千尋が命を落とす目にあわなくちゃならなかったのって悔しさがこみあげて……、つらくて、恨めしくて、たまらなくなったの。
それと同じくらい、じぶんがじぶんでいられなくなるのが許せなかったのよ。娘を失った……不幸な運命に翻弄されたくない。むごたらしい出来事に負けたくない。
まわりから『なんてお気の毒に』って哀れまれたくもない。わたしはそんな弱い人間じゃない。すぐに立ち直ってみせる。
……負けん気が高じて、ひとりよがりになっていたの。だから……目につかないように千尋の部屋のものを片づけてしまったのよ。
千尋がどう思うかより、じぶんを救う気持ちを優先させていたの。でもやっぱりそれは違うって気がついて……」
雨に打たれつづけながらうなだれるお母さんを、チヒロはいたわりのこもったまなざしで見つめている。
わだかまりが解かれたような微笑みをふわっと広げ、ぽつりとこぼした。
「お母さんの負けず嫌いは、筋金入りだから……」
空から降りしきる数多の白い筋が、無情な仕打ちでチヒロの姿をさらに淡くしていた。
洗い落されていくように、チヒロはところどころ気配をなくしていく。
その姿をこの目に焼きつけながら、奇跡を──どうか奇跡を──と、僕は祈らずにはいられなかった。
「千尋っ!」
お母さんが叫んだ。
喉が閉まって声が出ず、立ちつくすだけの僕のほうへチヒロはゆっくり顔を向けた。
しぜんで、素朴な、チヒロらしい笑みを深めていき、
「ヨシくん、あり……とう。……ありが……おかあ……ん」
澄んだ声の余韻を残し、チヒロは町筋の風景にすぅっ……と溶け入るように──────
いなくなった。
「千尋! 千尋!」
取り乱したお母さんの叫び声が、雨音をしのぐ大きさであたりに響きわたった。
「千尋!……千尋!」
降りつづく大雨で、遠くの家並みは霧がかかったみたいにおぼろに見える。
「千尋。……お願い。もう一度でてきて……お願い……」
お母さんは四方に視線をめぐらせながら通りのまんなかへ出て行き、右にふらふらと歩いては引き返し、左の道へふらふらと歩いてチヒロを捜した。
チヒロ──。
チヒロ──。
チヒロ──。
寒々とした虚無感が広がる心のなかで、僕もチヒロを呼んだ。
わかっている。
彼女はとうとう、はるかに遠いところへ行ってしまったのだ。
それが宇宙の果てなのか、別次元の空間なのか、無の世界なのか。
どこにあるのかもさっぱりわからない、存在するのかどうかさえあやしいところへ──。
とめどなくあふれる涙が、打ちつける雨に流されていく。
チヒロ──。
チヒロ──。
チヒロ──。
やっぱり受け入れられない。こんな現実は受け止められない。
こきざみに震える膝から、力が抜けそうになったとき──。
水飛沫が踊る路面に、チヒロのお母さんがぐったり座りこんだ。
僕は反射的に靴底で水たまりを蹴り、彼女を助け起こすために駆け寄った。
それがずっと心に引っかかっていたんだろう。
問われたお母さんは、いっそう悲愴な顔つきになった。
「ごめんなさい、千尋。あなたの部屋に入ったら……どうして千尋が命を落とす目にあわなくちゃならなかったのって悔しさがこみあげて……、つらくて、恨めしくて、たまらなくなったの。
それと同じくらい、じぶんがじぶんでいられなくなるのが許せなかったのよ。娘を失った……不幸な運命に翻弄されたくない。むごたらしい出来事に負けたくない。
まわりから『なんてお気の毒に』って哀れまれたくもない。わたしはそんな弱い人間じゃない。すぐに立ち直ってみせる。
……負けん気が高じて、ひとりよがりになっていたの。だから……目につかないように千尋の部屋のものを片づけてしまったのよ。
千尋がどう思うかより、じぶんを救う気持ちを優先させていたの。でもやっぱりそれは違うって気がついて……」
雨に打たれつづけながらうなだれるお母さんを、チヒロはいたわりのこもったまなざしで見つめている。
わだかまりが解かれたような微笑みをふわっと広げ、ぽつりとこぼした。
「お母さんの負けず嫌いは、筋金入りだから……」
空から降りしきる数多の白い筋が、無情な仕打ちでチヒロの姿をさらに淡くしていた。
洗い落されていくように、チヒロはところどころ気配をなくしていく。
その姿をこの目に焼きつけながら、奇跡を──どうか奇跡を──と、僕は祈らずにはいられなかった。
「千尋っ!」
お母さんが叫んだ。
喉が閉まって声が出ず、立ちつくすだけの僕のほうへチヒロはゆっくり顔を向けた。
しぜんで、素朴な、チヒロらしい笑みを深めていき、
「ヨシくん、あり……とう。……ありが……おかあ……ん」
澄んだ声の余韻を残し、チヒロは町筋の風景にすぅっ……と溶け入るように──────
いなくなった。
「千尋! 千尋!」
取り乱したお母さんの叫び声が、雨音をしのぐ大きさであたりに響きわたった。
「千尋!……千尋!」
降りつづく大雨で、遠くの家並みは霧がかかったみたいにおぼろに見える。
「千尋。……お願い。もう一度でてきて……お願い……」
お母さんは四方に視線をめぐらせながら通りのまんなかへ出て行き、右にふらふらと歩いては引き返し、左の道へふらふらと歩いてチヒロを捜した。
チヒロ──。
チヒロ──。
チヒロ──。
寒々とした虚無感が広がる心のなかで、僕もチヒロを呼んだ。
わかっている。
彼女はとうとう、はるかに遠いところへ行ってしまったのだ。
それが宇宙の果てなのか、別次元の空間なのか、無の世界なのか。
どこにあるのかもさっぱりわからない、存在するのかどうかさえあやしいところへ──。
とめどなくあふれる涙が、打ちつける雨に流されていく。
チヒロ──。
チヒロ──。
チヒロ──。
やっぱり受け入れられない。こんな現実は受け止められない。
こきざみに震える膝から、力が抜けそうになったとき──。
水飛沫が踊る路面に、チヒロのお母さんがぐったり座りこんだ。
僕は反射的に靴底で水たまりを蹴り、彼女を助け起こすために駆け寄った。