高く澄んだきれいな声質だけど、冷淡で警戒したようすが感じ取れる。

 僕は大一番の勝負にのぞむ気持ちで一歩進み、ちょっと腰をかがめてインターフォンに顔を近づけた。

「とつぜんすみません。……僕、吉川千尋さんと同じ高校に通う、鴨生田善巳と言います。
 千尋さんのことで、どうしても聞いて欲しい大事な話があるんです。出てきてもらえないでしょうか」

 気配を消した、シンとした静寂が流れた。

 十数秒の間があき、ようやく声が返ってきた。

「なんですか? 生徒さんの個別の弔問(ちょうもん)はご遠慮願いますと、学校に伝えてありますよ。聞いてないですか。
 ……とつぜん訪問されても、困りますから」

 心づもりはできていたが、思っていた以上の塩対応だ。

「弔問ではないです。千尋さんのことで、ほんとうに大事な話があるんです。直接会って、どうしても聞いてもらいたい話なんです。
 だから、ドアを開けてもらえるまで帰りません。ずっとここで待ってます」

 “ブツッ”と回線の切れる音がした。

 怒らせてしまったのかもしれない。

 途方に暮れてうしろをふり返ると、チヒロは絶望的な顔をして、ゆっくり首を左右にふった。

 だけど、ふいに玄関のドアがカチャンと音を立てた。

 用心深く、ゆっくりドアが開いていく。

 痩せぎすのおばさんがそろりと顔を出し、あやしげに僕を確認した。

 髪をバレリーナのようにうしろにひっつめ、そのせいか細い目が吊りあがり、きつい顔に見える。
 化粧っけはまるでなく顔色も悪そうだけど、品のある面立(おもだ)ちをしていた。

 この人が、チヒロのお母さん……。

 おばさんはさらにドアを開けて、ポーチまで出て来た。
 グレーのサマーニットに紺色のスカートという、地味ながらちゃんとした身なりをしている。

「なんですか、話って」

 チヒロのお母さんは、うとましげに目を細めた。

 腰が引けそうになったけど、大きく息を吸いこみ、答えた。

「僕のうしろには、チヒロさんがいます。見えますか」

 チヒロのお母さんのまぶたがぐっと(くぼ)み、いっそうきつい目つきになった。

「信じてもらえないでしょうけど、ほんとうなんです。誰にも見えないけど、僕には見えてるんです。
 チヒロさんが亡くなって4日後の朝、学校の門のところに立ってました。
 チヒロさんは生前の姿のままで、学校の夏服を着ていて、僕とふつうに会話ができて……2カ月ちょっとのあいだ、僕の家でいっしょに暮らしてました」

「帰ってください」

 迷惑千万(めいわくせんばん)の意思をむきだしにして、チヒロのお母さんは背を向けた。
 うしろ手でドアを閉めようとする。

「待ってください! なんでお通夜が終わった夜、チヒロさんの部屋のものを片づけたんですか! どうして納戸にしまったりしたんですかっ!
 チヒロさんはそのことで深く傷ついてます! そしていまは……どうしてって知りたがってます。どうして片づけられたものが、またチヒロの部屋にもどっているのか」

 閉まりかけていたドアが、ピタッと止まった。

 沈黙が数秒流れ、そしてドアがゆっくり開かれた。
 チヒロのお母さんは、おもむろにふり返り、

「あなた……なんなの? うちの千尋につきまとってたの? 家のなかに隠しカメラでも仕掛けた? 警察に通報するわよ」

 薄気味悪さと、露骨に敵意のこもった視線を突き刺された。

 それでも僕は門扉をつかみ、必死に訴えた。

「違う! チヒロが見てて、それを僕に話してくれたんです! もう時間がないから。チヒロがこんどこそほんとうに逝ってしまいそうだから。だから、ここに連れてきたんですっ」

「あなた、どうかしてるわ。いますぐ帰らないと、ほんとうに警察を呼ぶわよ。いいのね」

 絶体絶命の最後通牒(つうちょう)を突きつけられたとき、

「お母さんの好きなものは、水密桃(すいみつとう)とあまおう……それに小川屋のわらび餅……」

 背後からチヒロが助け船をだしてくれた。

「いま、僕のうしろでチヒロさんが教えてくれました。お母さんの好きなものは水密桃とあまおう、それに小川屋のわらび餅だって」

 チヒロのお母さんのほっそりした顔に、ぞっとしたような衝撃が走るのがわかった。
 眉根を寄せ、奇怪なものがそこにあるかのように僕を見ている。

 そのとき、いっそう暗さを増した空が一瞬だけ鋭く光った。

 そして雷鳴(らいめい)とはっきりわかる物怖ろしい音が、街を押しつぶさんとする迫力でとどろいた。

 ポツリ、と頬に重たい水滴が落ちてきたと思ったら、頭上から機関銃で連射してくるような大粒の雨が、ようしゃなく攻撃してきた。