大食堂に着くと、やっとアイビーは手を放してくれた。ああ、良かった。やっと着いた。早歩きで来たからお城の中を見る余裕なんて無かったし、ただひたすら辛かった。呼吸はすっかり病人並みにぜえはあ言ってるし、多分、顔色もそんなに良くない。悔しいけれど、アイビーの作戦は上手く行っているみたいで、私だけが納得できないでいた。
 大食堂に入る前にぜえはあ言いながらもう一度、アイビーとステラと一緒に打ち合わせをする。

「じゃあ、どうしても答えられない質問されたら、具合悪いフリ、ね」
「そうだ。下手にお前の下品な口調で話されたら、アストライア様の権威が失墜する。それだけは避けねばならない」
「……うるせぇ」
「何か言ったか?」
「何でも、ない、ですぅ」

 ぶにぃ、と頬を片手で掴まれ、強制的にブスにされたところで、ステラに笑われた。なんで、この人は微笑ましいものを見る目で私を見るの? 少しは助けて欲しい。そう目で訴えると、「では、アイビー様。後は私が」と言って、私の背中を押す。それにアイビーが「ああ」と短い返事をして私はステラと一緒に大食堂の中へ足を踏み入れた。
 王族のご飯なんて食べたこと無いし、作法とかも正直、よく分からない。でも、やるしかないと歩いているうちに覚悟というか、もう諦めて不満は無理矢理飲み込んだ。不安で泣きそうになっていると、それを見かねてか、ステラが小声で「大丈夫ですよ、アンナ。私もお手伝いしますからね」と言ってくれた。やっぱり、彼女は私の女神なのかもしれない。アイビーには「できるだけ賢そうな顔をしろ」と言われていたので、仕方なく私は姿勢に気を付け、自分で凜とした顔を心がける。慣れないながらにドレスの裾を摘まんで王様とお妃様の前に出た。と、思っていたんだけど――。

「おはようございます。国王陛下、王妃陛……か?」

 王様とお妃様と同席しているその子に私は釘付けになった。おそらく私の席であろう空席の隣に座っている、水色のドレスに身を包んだまだ幼い顔立ちの女の子。心配そうにこちらを見つめているけれど、私は初対面だ。アイビーとステラの話では、王様とお妃様だけだと聞いていたのに、と内心私は冷や汗を流した。名前が分からないその子の存在に動揺が顔に出そうになったところで、頭の中にアイビーの声が響いた。

「その御方はアストライア様の妹君である第四王女・ハルピナ様だ。昨日まで熱を出しておられたのだが、どうやらご快復されたようだ。姉らしく、王女らしく、心から心配してやれ」

 指示が雑ぅっ! 口に出してやりたかったが、そういう訳にもいかない。悩んでいる時間なんて無いのだ。でも、まずは一旦落ち着こうと、王様とお妃様の言葉を待つ。王様もお妃様も藍色のマントや薄紫色のドレスが似合う、優しそうな人達だ。

「おお、アストライア。体調の方は大事無いか?」
「え、ええ。まだ芳しくはありませんが、このように朝食を共にする程度には回復致しました」

 緊張しながらもそう言い切ると、王様は「おお、そうか。良いことだ」と少し安心したように零した。お妃様も心配そうに自分の頬に手をやりながら私を見る。

「ええ、本当に。あなたまでいなくなっては堪りませんからね。もう我が王家に残っているのはあなたとハルピナだけ。これ以上、王位継承者を失う訳には参りません」

 その言葉に私は違和感を覚えた。王子なのか王女なのかは分からないけれど、アストライアの上にも兄妹がいたのなら、普通、王位継承者をお嫁に行かせたりすることは『失う』とは言わないのではないか、と。それを見越してか、偶然か、また頭の中でアイビーの声がする。

「…………。アストライア様とハルピナ様には二人の姉君がおられたが、お二人共、何者かに暗殺されてしまったのだ」
「そんな……」

 あまりのことに思わず、小さく声に出てしまう。どうして、そんなにこの国を衰退させようとしているのか分からない。分からない……けれど、今は姉として、あの子を励ましてあげないとと思った。なるべく王女らしくと思いながら、私はハルピナちゃんの前まで歩く。ハルピナちゃんは少し緊張しているのか、俯きがちだったけど、私が前に立つと、ぱっと顔を上げた。大きな青い目に白に近いふわふわの金髪にぷるぷるお肌のハルピナちゃんの可愛さに心中、私は心臓を撃ち抜かれていた。可愛いなんてもんじゃない。今はまだ子供だけど、この子絶対将来美人になる。そう思うけど、今ここで気が緩みまくった顔をする訳にもいかず、私はふ、と優雅な微笑みを心掛けてゆったりと話し掛けた。

「ハルピナ、もう体調は宜しいのですか?」

 ハルピナちゃんはきらきらした目で真っ直ぐ私を見たと思ったら、すぐに俯いて「は、はい。アストライア姉様」と小さな声で返事をした。そのぷにぷにほっぺは微かに赤くなっていて、年相応の恥ずかしさを感じているのだと分かる。か゛わ゛い゛い゛っ!!!!
 可愛すぎて涙が出そうになったけど、そこはしっかり堪えて、再びにこりと微笑む。王女様っていつもニコニコしているイメージだけど、多分これで良い、と思う。

「それは良かった。これからも健やかでいるのですよ。私もあなたが倒れたと聞いた時は心配しました」
「は、はいっ。あの、アストライア姉様も……どうぞ、健やかに、う、美しく、あってくださいませ」

 恥ずかしそうだけど、勇気を振り絞ってそう言ってくれたハルピナちゃんはなんて優しい子なんだろう。私もこんな可愛いくて良い子な妹が欲しかったなと思いながら、「ええ、あなたも」と返す。
 そこで会話が切れたので、私は彼女の隣の空席に腰掛け、王様の言葉を待った。多分、お食事開始の挨拶的なものがあると思うからだった。フォマローがまず、王様、お妃様の順にそれぞれの杯に水のような飲み物を注いで回り、私とハルピナちゃんの杯にも同じ物を注ぐ。それが終わると予想通り、王様は自分の杯を持って立ち上がった。お妃様もそれに続き、また頭の中に響いてきたアイビーの言葉通りに私とハルピナちゃんも杯を持って同じように立ち上がる。

「願わくば、ヘリメルス神の名の下、変わらぬ日を請おう」

 厳かな声で王様の祈りが終わると、私達は「心より願います」と言ってから、杯に口を付ける。アイビーには一口で良いと言われたので、ごっくごっく飲むことは控えたけど、それよりも私を驚かせたのは、水の美味しさだった。

「ぷは……おい……っ!」

 危うく「美味しい!!」と叫びそうになり、慌てて口を塞ぐ。突然、ばしっと自分の口を思い切り塞いだ娘に気付いた王様が「どうしたのだ? アストライア」と訝しげな視線を向けてきた。それに誤魔化し笑いを浮かべつつ、「お、お水があまりにも美味しくて……」と誤魔化し切れたかどうか怪しい言い訳をすると、王様とお妃様はおかしそうに笑ってまだ快復した訳ではないから、そう感じるのだろうと勘違いしてくれた。良かった。騙してるみたいで嫌だけど、バレたら大変なことになることを考えると、仕方ないのかなと思い、私もつられて笑った。
 途中、何度か危ない場面はあったけれど、その度に何とか誤魔化したり、ステラが気を逸らしてくれたりしてくれたお陰で、アストライアはまだ体調が優れないから少し様子がおかしいのも仕方ないという空気に持って行けた。私が何かやらかす度に、頭の中でアイビーには怒られたけれど。この部屋出たら、私殺されるんじゃなかろうかと考えているうちに朝食が終わり、大食堂を出て行く両陛下を見送ってから、私達も部屋に戻ることになった。
 ステラの手を借りて大食堂を出る道すがら、ハルピナちゃんに挨拶すると、少し心配している様子でぺこりと礼をしてくれた。癒される。にやけそうになる顔に力を入れて今度こそ大食堂を出ると、そこには鬼の形相で仁王立ちをしているアイビーの姿があった。やっべぇ。