「ごめん」

 店を出て解散したあと、家の方向がおなじ柳原と帰路についたところで、僕は先ほどの謝罪をした。

「いいんだよ、謝んなくて」

 柳原の顔には、微笑みが浮かんでいる。本当に気にしなくていいから、と付け加えられ、それ以上は何も言えなかった。
 繁華街を抜け、大通りに出る。等間隔に置かれた街灯に照らされながら、すでにシャッターが降りている店を何軒か通り過ぎたところで、柳原が「タクシー通らないねぇ」と、呟いた。
 駅前に、タクシー乗り場はある。しかし、終電後ということもあり、そこには長蛇の列が出来ていた。
 少しでも家に近づくために、とりあえず歩かないか――そう提案したのは、僕だった。
 いつもであれば、迷いなくタクシー乗り場に残り、自分に順番が回ってくるのをおとなしく待っていただろう。
 ただし、今日はちがう。寝静まった街を歩きながら、夜空に浮かぶ月や星にたまに視線を送ったりして、あのころは、なんて思い出話に花を咲かせたかった。そしてあわよくば、西園いろはの話もしたかった。
 僕にとって、柳原は、それが出来る唯一の友人だと思った。柳原は、高校二年生のとき、彼女と同じ教室で過ごしたクラスメイトでもあった。

「さっきの話、続き聞かせてよ」

 どのタイミングで話を切り出そうか――悩んでいると、柳原の方から話題を振ってきた。それが僕に対しての計らいだと気づきながらも、とりあえずとぼけたふりをしてみる。
 柳原の真剣な視線が、こちらに向いた。すべてを見透かされている気がして、僕はおもむろに口を開いた。

「五年前のクリスマスに起きたこと、いっしょに調べてほしいって」
「調べるって、何を?」

 訝しげな表情で、柳原が聞き返してくる。

「なぜあんなことが起きてしまったのか、その理由が知りたいんだろう」
「その依頼してきたって子は、西園さんとはどんな関係なんだろうね」
「さあ? とにかく、いっしょに調べてくれ、の一点張りでさ。身分すら明かさずに帰ろうとしたもんだから、さすがに引き止めた。そしたら同じ大学の一年生で、加えて僕が所属するミス研にも今日付で入ってた」
「おぉ。なんか、すごいな」

 柳原から、思わず、というような感嘆の声が上がった。

「それで、咲間はその依頼、受けるの?」

 柳原からの問いに、肯定も否定も出来ない。
 信号機が赤になった。自然と歩みが止まる。

「僕は――」

 知りたい。なぜ、あんな悲劇が起こってしまったのかを。
 しかし、僕が調べることによって、彼女の名誉を傷つけてしまわないか。心の中で葛藤が生まれ、次の言葉が出てこない。

「僕だったら、本当のこと、知りたいよ」

 信号が青になったところで、柳原が痺れを切らしたように口を開いた。

「西園さんのことで学年集会が行われたときのこと、覚えてる?」

 覚えている。忘れるはずがない。

「あぁ。たしか、冬休み明けてすぐだった。一月八日の二時間目の休み時間」
「急遽、体育館に呼び出されて、何事だって騒ぎ立ててたよな。あのころ、学校全体が問題だらけだったから、また誰かやらかしたのかって、みんながそう思ってた」

 でも、彼女のことが校長の口から語られたとき、体育館は動揺に包まれた。ある者は固まり、ある者は涙を流し、ある者は倒れた。
 あのときの光景が、忘れられない。

「憶測だけで語らないように、って言われたけど、そんなの無理だった。なんでそんなことが起こったのか、みんな知りたいに決まってる。でも、大人たちは言った。話すな。そのことについては、絶対に話しちゃいけない」

 柳原の言葉で、五年前のことがより鮮明に蘇った。
 教師から放たれた「憶測では語ってはいけない」という言葉。何を言いたいのか、なんとなく理解は出来た。普段、教師の言うことに聞く耳を持たない生徒であっても、そのときだけは律儀だった。
 しかし、それはいつしか「西園いろはのことについて語ってはいけない」という風潮に変わっていった。今日のみんなの反応も、その名残なのだろう。

「でも、みんなの記憶から消し去られるのなんて、西園さんは望んでないと思う。そう思いたい」

 柳原の視線が、上に向く――今日は綺麗な満月だ。

「僕たちだけでも、彼女のことは覚えていようよ」
「うん」

 その言葉に、僕は強く頷く。それと同時に、ある決意を固めた。
 僕は、彼女のことを忘れられない。忘れたくない。そして、彼女の身に何が起こってあんなことになってしまったのか、やはり僕は知りたい。 
 永い眠りから覚め、もう一度眠らせるはずだったはずの探求心には、完全に火がついていた。