呉宮探偵事務所の最寄駅――燈色町から、都会の方へと二駅ほど離れた繁華街に降り立った。
少々気まずさを残したまま、あの場を後にした。靄がかかったままの心を、本の中に創造された世界に飛び込むことで、なんとか紛らすことが出来た。
待ち合わせ場所に指定されていたのは、小洒落た居酒屋。普段行っているような、むさいおじさんたちがいる居酒屋とは違って、かなり落ち着いた雰囲気だ。
高校時代の文芸部の仲間たちとは、少なくとも年に一回は顔を合わせていた。運動部並みの結束力に、我ながら感心する。大学生になってからの最初の一年は、月一程度で会合していた。
大学二年生になってからは、それぞれが新たな場所で花を咲かせたのか、会う頻度は極端に減っていった。最後に会ったのは、大学三年生の春ごろ。文芸部の面々と顔を合わせるのは、じつに一年振りだった。
「いやぁ、久々にみんなに会えて嬉しいよ」
おしぼりで手を拭きながら、にこやかに言ったのは、本日の主役とも呼べる男――柳原だ。
彼と会うのは、大学二年生振りになる。僕だけでなく、他の文芸部の仲間たちも、ここ二年は彼と会っていなかった。
「俺たちも、ここ一年は会えてなかったからなぁ」
「今日集まれたのも、柳原のおかげだな」
「ありがとね、ヤナギー」
みんなが口々にそう言えば、柳原は照れ臭そうに笑った。
今日は、彼のお祝いだ。
高校の卒業文集で、小説家になる、と宣言した彼は、その三年後に夢を叶えた。有名な文学賞を受賞した彼は、数か月前はニュース番組で取り上げられ、文学界のホープと称されていた。
僕たちと会っていなかった間、柳原は夢を全力で追いかけていたのか。ずいぶん遠くまで行ってしまったなぁ。
そんなことをぼんやりと思いながら過ごしていく中で、その彼から文芸部のグループチャットにメッセージが送られてきた。もらった賞金で、飲みにでも行かないか、と。
もっと他に使い道はあったのではないかと思う。僕が柳原であったとしたら、その賞金は貯金に回すだろう。すぐに使うとしても、自分に投資する。が、彼らしいといえば彼らしい。高校のころから、情に厚い男だった。
乾杯をしてすぐは、柳原の話題で持ちきりだった。小説家ってどれくらいお金がもらえるんだ、とか、有名人には会えるのか、とか、次の作品は俺を題材にしてくれ、とか。
しかし、一杯、二杯――と、ジョッキが空いていくにつれ、話は大幅に脱線し、それぞれの近況報告になった。アルコールが入っているせいで、呂律が怪しい者が何人かいたが、皆一様に就職活動の苦労話を口にした。
面接でかなりの手応えを感じたのに不採用だった。内々定を取り消された。そもそもエントリーシートすら通らない。
不平不満の理由はそれぞれだったが、最終的には内定先が決まっており、みんな残りの学生生活を謳歌している最中だという。
「咲間は?」
回ってくるだろうと思ってはいた。しかし、みんなのような苦労話は持っていない。エントリーシートすら書いていないのだから。
逡巡するも、僕は本当のことを話した。
就職活動にいっさい手を付けていないこと、卒業後は大学の先輩が経営している探偵事務所で働こうと思っていること。みんな複雑そうな顔を見せながらも、いいじゃん、と肯定一択だった。
ほっと胸を撫でおろす。みんなの反応に安心したせいか、はたまたアルコールのせいか、僕は今日起きた出来事も口走っていた。
「じつは、今日初めて調査依頼されたんだ。同じ大学の後輩だったんだけど」
興味を持ったのか、みんなの体が少々前のめりになる。
「へぇ。依頼が来るなんてすごいじゃん」
「咲間、昔からミステリーばっか読んでたからなぁ。俺が勧めた時代小説だって、結局読んでくれなかったし」
どっと笑いが起こる。
自分の話で場が盛り上がったことに、快感を覚えた。
「で、どんな依頼だったの?」
柳原の問いに、僕は何の躊躇いもなく、彼女の名前を出してしまった。
「――西園いろはって、覚えてる?」
言ってから、後悔をした。
みんなの上がっていた口角が、ゆっくりと下がってゆく。盛り上がりを見せていたはずの場が、いっきに白けた。
しまった――。
みんなが顔を見合わせ、この状況をどう打開すべきかを模索している。僕は罪悪感を背負いながらも、同時に、なぜこんなにも興ざめしてしまうのか、みんなに対して少々苛立ちのようなものも感じていた。
乾いた笑いで沈黙を破ったのは、文芸部の中でも切り込み隊長を買って出ていた男だった。
「はははっ……おいおい、それは禁句だろ?」
禁句、か。
その言葉選びに、嫌悪感を抱く。
僕に彼女の名前を出すきっかけを与えてしまった柳原は、ばつが悪そうに肩を窄めながらも、なんとか取り繕った笑顔をみんなに向ける。
「ごめんごめんっ。僕が訊いちゃったからいけないんだ。咲間、ごめんね」
「あ、いやっ――」
「みんなもごめん。さぁ、今日は僕の奢りなんだから、もっと食べて飲んでっ」
そう言ってぱちんと手を叩くと、先ほどまで白けていた空気が一転、みんなはメニュー表に飛びついていた。