墓参りの日から数週間が経ち、僕は元の日常に戻っていた。しかし、少しばかり――いや、僕の日常はまちがいなく変革を迎えていた。
変わったことは、大きく分けて三つある。
一つ目。高校時代の友人との距離が、ぐっと縮まった。それも文芸部のメンバーではなく、あの日墓参りに行ったときと同じ顔ぶれだ。さすがに毎日飲み歩くほどの財力も体力もないので、頻繁に会うわけではないが、あれから連絡は取り続けている。夏休み中に、一度飲み会が開催されることも決定している。彼らとの再会は、彼女と過ごした青春の日々を振り返る機会にもなり、また新たなつながりを作るきっかけにもなった。五年間、一人で背負ってきた苦しみを、彼らが少しずつ軽くしてくれているのを実感している。
そして、二つ目――。
「おはようございまーす」
「いらっしゃいませ……って、なーんだ、春彦くんか」
古谷夫妻が経営する喫茶店『ココ』で、杏子が働き始めたのだ。おかげで、依頼だけで繋がれていたはずの僕たちは、毎日のように顔を合わせる関係性になった。
「それ。その顔、お客さんに見せてないだろうな」
「見せてないですー」
杏子はお盆を抱えるように持つと、ぷくっと頬を膨らませた。低い位置で結ばれたポニーテールと、赤いエプロン。看板娘という肩書きが、よく似合う。実際に、ここ数週間でお店の売り上げは右肩上がりのようだ。ポーカーフェイスの哲さんでさえ、笑みが溢れるほどに。
もともと、アルバイトのスカウトはされてはいたものの、杏子はそれを断り続けていた。それが、急に気が変わったようで、気づいたときには『ココ』で働き始めていた。それとなく理由を聞いたときには、こんなことを言っていた。
「少しでも大人になるために、誰かの役に立てることをやろうと思ったの」
まだまだ、子どもっぽいところはあるが、彼女なりに前に進もうとしているのだろう。そんな彼女を応援するために、僕は毎日、可能な限り『ココ』に顔を出すようにしているのだ。
「今日もラテ飲んでから行く?」
「あぁ、今日はいいや。もう、呉宮さん来てるみたいだから」
「そっ」と小さく返事をすると「あとで顔出すね」と微笑んだ。
僕は、頑張ってね、と言い残すと『ココ』の入り口横に設置してあるエレベーターのボタンを押し、五階にある呉宮探偵事務所へと向かった。
最後、三つ目の変化。
それは、呉宮探偵事務所で、正式に助手として働き始めたことだ。もちろん、まだ学生なのでバイト扱いだが、もう事務所のソファで寝転がることはしなくなった。
事務所につくと、すでに呉宮さんは到着しており、扉を開けた先で、パソコンと向き合っていた。僕が声をかける前に、呉宮さんはパソコンから顔を上げた。
「おはようございます」
「咲間くん、おはよう。今日もよろしく頼むよ」
僕の主な仕事は、クライアント用の報告書の作成などの、事務仕事だ。ゆくゆくは、呉宮さんと共に実際に調査をしていくことになる。
今日は特に依頼もなく、比較的のんびりとした一日が送れそうだった。
ふと、テーブルの上に古めかしいラジオが置かれているのに気づく。木製のボディにくすんだ金属のつまみがついており、年季の入った外観からはノスタルジックな雰囲気が漂っている。不思議そうにそのラジオを見つめる僕に、呉宮さんは困ったように微笑んだ。
「あぁ――それは、以前依頼を受けた爺さんから、調査料と成功報酬とは別に受け取ったものだよ。ありがた迷惑ってやつさ。本当に困ったものさ」
僕は、苦笑するしかなかった。
「なるほど……でもこれ、実際に使えるんですかね?」
適当につまみを回してみると、ノイズに混ざりかすかに声が流れ始めた。しばらくすると、音声が徐々にクリアになっていき、ラジオからは男性の低めで落ち着いた声が流れてきた。
「……この声って、」
まちがいない――久光樂だ。
熱狂的なファンではないが、この特徴的な声と、西の訛りは、ドラマや映画をよく見る人であれば、彼のものだということはすぐにわかる。
『おはようございます。本日もお便りのほうを読ませていただきます』
そう前置きして、久光樂が紹介したのは「心が疲れてどうしようもない」という、リスナーからの悩みだった。思わず、僕は彼のラジオに聞き入ってしまった。
『僕もね、ありますよ、こーゆーこと。見えないでしょ? 芸能人ってキラキラしてて、チヤホヤされて、悩みなさそうやなって思うでしょ? そんなことないんですよ。僕たち芸能人も、皆さんと同じように、山あり谷あり、壁あり坂あり……いろいろあります』
久光樂の声が続く。彼の語り口には、近所のお兄さんのような親しみやすさが感じられた。