一週間後、僕と呉宮さんは、空港にいた。
 アトリウムに設置されたベンチソファに並んで腰を掛け、バス乗降場から歩いてくる人々に視線を向けながら、時折スマートフォンの時間を確認する。そんなことを繰り返し、すでに三十分が経過していた。
 隣の呉宮さんは、お世辞にも長いとは言えない足を組み、サングラス越しにロレックスの腕時計に視線を落としている。
 僕たちが乗る予定の飛行機の出発時刻まで、あと一時間。遅くても、四十分後には保安検査を通過しなければならない。

「……そろそろ、行きますか」

 僕から、見切りをつけなければいけない。そう思い、立ち上がった。
 しかし、呉宮さんは「まだだ」と言って、動こうとしない。

「彼女は絶対に来るさ」

 何を根拠に、そんなことを――。
 一週間前、あまり気が進まない中で、僕は杏子にメッセージを送った。
 呉宮さんが、西園いろはの両親と話す機会を与えてくれた。一週間後に、東京を発ち、京都へ向かう。君も一緒に行かないか。
 そんな文面を、打ったり消したりしながら、ようやく送信した。既読はすぐついたものの、とうとう返信はなかった。少しの望みを掛けて、集合場所と時間を記載したメッセージにも、既読だけがつけられた。

「来ませんよ。返信の一つもなかったんですから」

「それでも、既読はついたんだろう?」

 じゃあ、まだわからないじゃないか――白い歯をちらりと見せながら、呉宮さんは笑った。
 僕は、ベンチソファにふたたび腰を掛けた。
 五分、十分、十五分。時間の流れが、いつもより早く感じる。
 三十分が経ったころには、さすがの呉宮さんも焦りを感じたようで、腕時計を見る回数が増えていた。
 タイムリミットだ。
 キャリーバックに手を掛け、立ち上がったその瞬間――バス乗降場から一際目立つ少女が、キャリーケースを引きながらこちらへと歩いてきた。真っ白なノースリーブワンピースに身を纏い、いまにも透けてしまいそうな肌を露出している杏子を、すれ違う人々が目で追ってゆく。僕も、その姿に釘付けになった。

「お待たせして、申し訳ありません」

 杏子は僕に少しだけ視線を向けたあと、呉宮さんに会釈をした。
 呉宮さんは嬉しそうに立ち上がると、来ると思っていたよ、と声を掛け、固い握手を交わした。杏子は、それに戸惑いながらも応じた。
 それから、早歩きで保安検査を通過し、搭乗ゲートから搭乗口までのボーディングブリッジで、呉宮さんから衝撃の事実を告げられた。

「わたしはファーストクラスだから、伊丹に着いたら連絡を――」

「えっ、僕たちは?」

「残念ながら、チケットを取るころには席がほとんど埋まってしまっていてね……ファーストクラスは一席しか空いていなかったんだ。でも、安心したまえ。君たちの席は、窓側二席、並んで確保することが出来たよ」

 いまの僕と杏子の状況で、不必要な計らいだった。

「それじゃあ、真ん中の三人席を取ればよかったのに……」

 杏子も、僕と同じように気まずさを感じていたらしく、呟くようにそう言った。

「それは出来ないね。わたしは、狭い席は好まないのさ。人との距離感を、大事にしているんでね」

「は、はぁ……」

 得意げに、悪びれた様子もなくそう言った呉宮さんに、杏子はため息のような曖昧な相槌を打った。
 搭乗口から飛行機に乗り、ファーストクラスの呉宮さんは、すぐに座席に着席し、エコノミークラスに向かう僕たちに軽く手を振った。
 杏子とは相変わらず会話がないまま、チケットを確認しながら自分たちの座席を見つけた。頭上の荷物棚に自分のキャリーケースを入れる。ふと、後ろを振り向くと、困ったような表情で、荷物棚を見上げていた杏子と目が合った。

「貸して」

 少々意地を張りたかったのか、杏子は躊躇いを見せた。しかし、後ろで人が詰まっているのに気づくと、渋々といった様子で僕にキャリーケースを預けた。
「どっちがいい?」と、荷物棚にキャリーケースを入れながら、杏子に問い掛ける。

「……窓側がいい」

 不貞腐れながらもそう言った杏子を、席に座るように促したあと、自分も通路側の席に腰を掛けた。
 ――気まずい。非常に、気まずい。
 客室乗務員たちの忙しない動きに目をやる。周囲の席から聞こえてくる楽しそうな会話と、飛行機のエンジン音だけが、僕らの空間に流れていた。
 何か、話さなければいけない。少なくとも、伊丹に着くまでに、僕らの間に入ったヒビを、少しでも修復しなければ。
 頭の中で言葉を選出し、文にしてゆく。しかし、うまく纏まらない。
 焦る僕を急かすように、機内アナウンスが流れた。出発の準備が整ったことが、客室乗務員から告げられたようだ。

「ごめん」

 不意に、杏子がそう言った。思わず振り返ると、杏子は窓の外を眺めていた。

「えっ?」

 聞き間違いかと思い、そう聞き返すと、杏子がこちらに振り向いた。
 そして、決まりが悪そうに視線を泳がすと、もう一度「ごめんなさい」と、謝った。

「さすがに、言い過ぎたし、やり過ぎたと思って……ものすごく、反省してる」

 素直に謝意を示した杏子に驚きながらも、僕の頬は緩んでいた。

「僕のほうこそ、ごめん。大事なこと、隠してて」

「……うん」

 仲直りしたあとの、ちょっぴり気まずい空気が流れた。そんな空気がなんだかおかしくて、僕らは少しだけ笑った。

「はぁ、良かった。すっきりしたぁ」

 安堵の声が漏れる。
 そんな僕に、杏子は呆れたような笑みを向けた。