「……信じたくなかったんです」

 ただ、好きという単純な気持ちだけじゃなかった。彼女の振る舞いが、言葉が、僕にとっての模範解答のようなものだった。まさに、理想の人だったのだ。
 そんな彼女が、自己顕示欲と承認欲求を抑えることが出来ず、暴走を起こした。挙句の果てには、自ら命を絶った。その死が学年集会で告げられたあの日、きっとみんなは彼女のことで頭がいっぱいになっただろう。彼女のことで泣き、悲しみ、怒った。西園いろはの自死は、多くの人の心に傷を負わせ、瘡蓋となった。
 ――そして、忘れられた。
 君の望みは、叶ったと言えるのだろか。君が言っていたみんな(・・・)は、誰から誰のことだったのだろうか。君の死を背負いながら生きてゆく人たちは、君が大事にしてきた人たちであり、君を大事にしてきた人たちだ。一瞬の感情の起伏で、君にゴミを投げ捨て、けろりと生きてゆくような人間は、君のことを禁句呼ばわりし、自分の記憶の中から西園いろはという存在を抹消している。
 もし君が言っていたみんな(・・・)に、そういった(せん)(ぱく)な人間が含まれているのだとしたら、君の望みは叶っていない。これじゃあ、犬死にじゃないか。名誉も何もあったものじゃない。

「僕が知る限りの彼女は、あまりにも不憫だった。そんな不憫な最後を、彼女の人生の終幕にしたくなかったんです。だから、もしかしたら、僕の知らない一幕があったのかもしれないと、調査に出ることを決意したんです」

 呉宮さんの視線は、僕からいっこうに逸れない。強い視線には、いつの間にか冷たさが伴っていた。そんな視線に心が折れそうになりながらも、言葉を続ける。

「でも、調査を進めていっても、僕の知らない一幕を知る人間には出会えませんでした。それで、いま呉宮さんに話したことを、そのまま杏子に伝えたんです」

「杏子?」呉宮さんが、首を捻った。

「あぁ……日南さんです。依頼人の日南杏子」

 そう言えば、呉宮さんは納得したのか、何度か小さく頷いた。そして、話の続きを求めるように、目で合図を出した。

「そしたら、かなり怒らせてしまって……まあ、当たり前なんですけど。それに、去り際、杏子は僕にこう言ったんです」

 人殺し――って。

「西園さんの死はとても辛かったし、悲しかったし、少なからず僕にも責任があるとは思っていました。でも、さすがに人殺しは言い過ぎじゃないかって……思ってたんですけど、」

 人殺し。
 そのワードが、腑に落ちてしまった自分がいた。
 いままで、西園いろはの死の真相を突き止めるため、奔走してきた。しかし、心のどこかで、怯えている自分がいたのだ。彼女との秘密の関係を、誰かに知られているのではないか、と。
 それはまるで、殺人事件の犯人のような心境だったと思う。

「西園いろはは、僕が殺したんです。きっとそうです。そうであったほうが、この物語は綺麗に終わるんです。だから、もう調査はしません。真相は、掴めたので」

 そう言い終え、僕は俯いた。
 さあ、名探偵――僕に、不合格を突き付けてくれ。
 すべてを覚悟し、ぎゅっと目を瞑ったその瞬間、静まり返っていた空間に乾いた笑い声が響いた。あまりにも場違いな音に、僕は思わず顔を上げた。
 呉宮さんは、笑っていた。

「何が、おかしいんです?」

 さすがに腹が立ち、強気に出てみるも、なお呉宮さんは笑っていた。

「何が、って。最初から最後まで、ぜーんぶさ」

 手を大きく広げそう言うと、呉宮さんは先ほどよりも大きな声で笑った。その笑い方にはどこか上品さがあり、さらに僕の虫に障った。怒りと同時に、呉宮さんに対し不気味さを覚えた。人が一人亡くなっている。それに、自死だ。何がそんなにおかしかったのか、さっぱりわからなかった。
 何も言い返すことも出来ず、呉宮さんの笑いが収まるのを、ただじっと堪えた。
 しばらくして、呉宮さんは目尻から垂れた涙を指で掬いながら「すまないすまない」と、まったく反省の色が見られない謝罪を述べた。
 そして、ふたたび僕に視線を向ける。

「わたしもね、昔から小説やドラマや映画は大好きなのさ」

 突然、お門違いなことを言い始めた呉宮さんを、僕は訝しげな表情で見つめた。

「何の話です?」

「君の話さ」

 おふざけは感じられない。いたって真剣な話だと、その瞳が訴えていた。

「創作の世界に没入していくと、現実との境界線が曖昧になってしまうんだ。わたしにも、そんな時代があった」

 何か懐かしむように、呉宮さんは虚空を見上げた。そして、すぐに僕に視線を戻す。

「咲間くん、よく聞きたまえ――西園いろはは、五年前、自らの手でその命を絶った。その理由は、誰にもわからない。よって、最初から調査する必要はなかったんだよ。だからわたしは、君を止めた」

 呉宮さんの言わんとしていることが理解できず、その瞳を見つめ返した。

「調べたところで、何も変わらないのさ。誰に話を聞いても、最後に行きつくのは、西園いろはが自殺した(・・・・・・・・・・)という、変えられない過去の事実。なぜ命を手放さなくちゃいけなかったのか、そんなのは今は亡き西園いろはにしかわからない――いや、彼女自身も、よくわかっていなかったのかもしれない。とにもかくにも、死人に口なし」

 呉宮さんが、前のめりになる。

「彼女の死を、物語にしてはいけないよ」