翌朝、僕はハルモニア中央広場に来ていた。

そこには多くの兵士たちとキュクノスの群れが集まっている。

クリュティエはキュクノスの群れのリーダーでもある。

一人の女性兵士に呼び出され僕は変装させられた。

目の周りと口元を黒く染め、真っ黒なローブを身に纏った。

悪魔の子というよりゾンビのコスプレをした高校生に見えるかもしれないが、遅れてやってきたハロウィンなんていう呑気(のんき)な状況ではなく、生死を彷徨(さまよ)う大イベント。

クリュティエの背中に乗って目的地に向かう。

スティネイザー王国、首都トロープンベラハ。

多くの鉱石が取れる鉱山地帯で、昼は暑く夜は寒い。

シェラプトの隣国でありながら空で二時間近くかかる。

空を飛べない僕にはよくわからないが、空を飛び続けるのもなかなかの体力を消費するらしい。

半日も飛び続けていると全身バキバキになるそうだ。

休憩せずにずっと歩いている感覚に近いのかもしれない。

山脈を越えた先にあるトロープンベラハの中心地上空に着くと、フィルマン兄弟率いる多くのソルニア兵が街を荒らしている。

「グリューンはどこじゃんね」

スティネイザー王国第一王女グリューン・ヒルデブラント。

国王の父に代わり、この国を指揮している彼女の首を獲ること=この国を獲ることになる。

至る所にスティネイザー兵や市民が血を流して倒れ込んでいる。

なかなか現れない彼女に苛立ったアクセルが高台に建てられていた国王の銅像の頭を斧で破壊する。

「おいアクセル。あまり派手に暴れるな」

兄の注意を聞き入れずに暴れ回る弟のアクセル。

「これでさすがに出てくるでな」

一方的に破壊されていく街。

しかし、予想も虚しく待てども待てどもグリューンは現れない。

彼女は本当にここにいるのだろうか。

見ているこちらもだんだん不安になってきた。

すると、どこからか一本の槍がアクセルの頭上に向かって降ってくる。

光のような速さで降ってくるその槍に気づいたアクセルがぎりぎりで防ぐも右の肩を(かす)った。

アクセルが一瞬よろけた隙に一人の女性が地上に降り立ったと同時に持っていた小剣を振るう。

短い金髪のキツネのようにキリッとした目は海外モデルのように美しく、踊るように小剣を振るうその姿はとても可憐(かれん)だった。

「あれがグリューン・ヒルデブラント様だ。相変わらずお美しい」

上空から様子を見ていたレネが呟く。

「ようやく現れたな、グリューン。その首()っ切ってやんよ」

斧で彼女の小剣を受け止めながら反撃のタイミングを狙っている。

「強く美しい女は好物でな。俺の女になった方がいいじゃんね」

合流した兄のエデンも背後から斬りかかるが、グリューンは回し蹴りでその動きを止めた。

「ナルシストの兄に脳筋の男、相変わらず気持ちの悪い兄弟だ」

小剣と盾を器用に扱い、舞を踊るように二人で対峙する。

グリューンを挟むようにしてエデンとアクセルが向かい合う。

「脳筋って言うやつ嫌いじゃんね」

「事実だろ」

「おまえのような美しい女は俺のような良い男といるべきだと思うがな」

「リリィに斬られたその傷がすごく似合ってるよ」

フィルマン兄弟を挑発するグリューンは余裕の表情だ。

「レネ、助けなくていいのか?」

役割があるとはいえ、上空から見ていないで助けに行った方が良いのでは?

「グリューン様はリリィ様と同じくらい強いお方だ。たった二人にやられたりはしない」

とはいっても相手はソルニアの団長と副団長だぞ?

そんなうまくいくか?

「この女は俺たちの魅力がわかってないみたいじゃんね」

「まぁこの国ももうすぐ俺たちソルニアのものになる。ここでおまえを始末してその偉そうな口を(ふさ)いでやるでな」

「あんたらのようなセンスのないやつらにこの国は墜とせないよ」

「頭上に向かって槍を落としてくるような姑息な攻撃をする女に負けるわけないじゃんね」

しばらく沈黙が続いた。

睨み合いが続くなか、エデンとアクセルが同時にグリューンに斬りかかる。

「カナタ、いまだ」

レネが合図する。

えっ?いま?

絶対このタイミングじゃなくね?

「地上人、十分(じっぷん)だけ待ってやる。終わったらすぐに安全な場所に避難しろよ」

あの、安全な場所ってどこですか?

「早く行け」

偉そうなレネに苛立ちを覚えつつ、半ば強引にクリュティエに振り落とされた。

よろけながらなんとか着地し、頭の取れた銅像の前に立つと、突如現れた『悪魔の子』に周囲の注目を浴びた。

フードを目深に被り深呼吸する。

「ソルニアの兵たちに()ぐ。我が名は冥界の化身カラスを仕えしディアボロスの子。いますぐこの戦をやめよ。さもなくばこの世界もろとも破壊する」

徹夜でずっと練習していた台詞を噛まないよう、棒読みにならないようディアボロスの子になりきった。

「この十字架で貴様らの羽を捥ぎ取り、天変地異を起こすことは容易である。(ただ)ちに身を引け」

本当に天変地異を起こすような勢いで天に向かって叫ぶ。

僕の演技に戦慄した数人の兵士たちが戦場から去っていく。

調子に乗って同じ台詞をもう一度叫んだ後、

(じき)に空は黒く燃え、大量のカラスたちによって滅ぼされる」

天に掲げていた漆黒の十字架が一瞬だけ光を反射したのを見たソルニア兵たちが次々と去っていった。

ディアボロスすげー‼︎

心の声が漏れないよう、表情が(ゆる)まないよう唇を強く噛む。

武力という力ではなく、恐怖という力で敵を屈してみせた。

まるで本当の悪魔になった気分。

しかし、これは何度も通用する戦法ではない。

なぜなら何も起きないただのブラフだから。

「お前たち、全然(した)われてないな」

洟で笑いながらそう言うグリューンの言葉に納得がいく。

周囲を見渡すと、フィルマン兄弟以外のソルニア兵は一人もいなくなっていて、合流したスティネイザー兵たちに囲まれていた。

二対数百の圧倒的な数。

明らかに形勢逆転していた。

「早く撤退した方が良いんじゃないか?」

さすがのフィルマン兄弟も阿呆(あほう)ではない。

ここでまともにやり合ったら勝算がないことくらい一目瞭然(りょうぜん)だ。

チッと舌打ちをした後、羽を広げ逃げるように去っていった。

緊張感と恐怖心から解放され、一気に疲れが出てきてその場に座り込む。
足の震えが止まらない。

「きみが例の地上人だね?」

グリューンには今回の作戦の大まかな内容は伝わっていたが、実際に見た羽無しに興味津々の様子だ。

「助かった。おかげで被害は最小限で済んだ。礼を言う」

軽く(こうべ)を垂れると、手を差し伸べ身体を起こしてくれた。

強さに比例しない小さく柔らかな手にドキッとした。

登場のタイミングが合っていたのかはわからないが、結果的に役に立って良かった。

「グリューン様、ご無事で」

レネが合流する。

「レネか、久しぶりだな。ずいぶんと男らしくなったじゃないか」

レネの頭をくしゃくしゃにしながら再会を喜ぶグリューンの姿に頬を赤らめているレネは、まるで親戚のお姉さんに恋をしている少年のようだった。

リリィほどの威圧感はないものの、先の強さを加味してもその存在感に魅了される。

「地上人、名は何と言う?」

「清阪 奏達です」

「カナタか、良い名だ。私はグリューン・ヒルデブラント。父上に代わって一時的にこの国の統治を任されている」

「ど、ども」

やっぱり目を見てする挨拶は恥ずかしい。

でも、少しだけ慣れてきたような気もしなくもない。

「レネ、リリィは元気か?」

「はい。相変わらずお綺麗で凛々しいお方です。グリューン様との再会を望まれております」

「次会うときはまた剣を交わそうと伝えておいてくれ」

どこか楽しげにそう言う彼女とリリィの仲の良さが伺えた。

「で、今回の作戦はリリィによるものか?」

「いえ、イーリス様によるものです」

「イーリス様直々の命だと?それは必ず恩返しをせねばならんな。父上に報告しておく」

「イーリス様は国王様の病気を憂いておられました」

「いまのところ落ち着いているので安心してほしいお伝えておいてくれ」

「薬はまだ見つかってないのですか?」

「詳しいものたちに探させているが、見当もついていない。父上の病はその辺の薬では治らない重い病気だから、治るまでは私がこの国を守らねばな」

キュクノスの群れに合流した僕はクリュティエの背中に乗ってレネたちとシェラプトに戻った。

ソルニアによるスティネイザー略奪作戦は失敗に終わったが、近いうちにまた襲ってくるだろう。

街はだいぶ破壊されてしまったものの、領地を守り抜いたことになる。

しかし、スティネイザーの人たちは黙っていない。

ただでさえ気性の荒い人が多い。

ソルニアに対しての復讐をするべきだと国民が騒ぎ立てたのだ。

それはグリューンにも止められなかった。

後日、僕たちは再びトロープンベラハに出向き、有志たちとともに作戦会議が行われた。

今回の作戦でシェラプト王国が公に(くみ)することはできない。

あくまで第三者として動かないと戦火が広がってしまうから。

有志で集まった一人の男が口火を切る。

「俺の妻と娘は先の襲撃で瓦礫(がれき)の下敷きになって亡くなった。一刻も早く恨みを晴らしたい」

寒冷地であり無数の島々からなるソルニア帝国にはあまり資源が豊富ではないため、軍事力で領土を拡大してきた。

ハロルドが国王になってからはそれが激化している。

石と鉄を豊富に持つスティネイザー王国を植民地化し、さらに中継地点としてシェラプトの西側の領土まで狙っているとの噂。

ハロルド王は国益と国民の幸せを(うた)いながら自身の権力誇示のために軍事力を用いてヘメリアの西側を奪うのが狙い。

もう一人の恰幅(かっぷく)の良い男が、

「気持ちはわかるが落ち着け。ハロルドはこのヘメリアでも三本の指に入る力を持つ。冷静かつ慎重にいかねば返り討ちにあう」

そう、ヘメリアの中で最も力を持つソルニア帝国。

そこと対峙するには入念な作戦が必要となる。

「ならどうするのだ?」

僕と一緒に後ろで訊いていたロベールがある提案をした。

「ーそんなことができるのですか?」

その提案を訊いた多くの有志が驚くのも無理はない。

ソルニア領フルンリヒト。

音楽が盛んで多くの音楽関係者が訪れる緑豊かな国だったが、数十年前、突如ソルニアによって占領され、同時にソルニアの民謡音楽以外禁じられてしまった。

国中に広がっていた鬱蒼(うっそう)とした木々は次々に伐採(ばっさい)され、ソルニアの国営施設が建てられていった。

この数十年間でかつての姿はなくなっていた。

それもあってフルンリヒトの国民の不満は溜まっていた。

シェラプトのすぐ東側にあるフルンリヒトの多くの国民はソルニアの植民地であることに納得していないものが多く、再び独立できることを願っている。

その中心にいるのが反乱軍ドレッドノートの若きリーダーであるジョシュアと副リーダーのノーラン。

二人は昔、ロベールの弟子だった時期があり、話を通してソルニアの植民地から解放させようというのだ。

クールなジョシュアと気象の荒いノーランは幼馴染で昔から仲が良い。

歳の近いレネとも交友があるので、あっさり協力してくれることになった。

まだフルンリヒトが植民地化される前の話。

幼いノーランとジョシュアには親友がいた。

その日は三人で街の上空を飛びながら風を感じていた。

しかし、突如ソルニアによって街は襲われ、羽を斬られた親友はそのまま地上に落ちていった。

彼女の羽を斬ったのが当時ソルニア兵の隊長だったハロルド王子。

二人はその親友に恋心を抱いていたが、想いを告げることのないままハロルドに復讐する日を狙っている。

今回が絶好のチャンスというわけだ。

しかし、フルンリヒトは現在ソルニア領。

特別な理由がない限り他国の軍人が入ることはできない。

もちろんウィグロ人に対する迫害はシェラプトだけではない。

ソルニア人も同じように黒いものを嫌っていて、領地であるフルンリヒトにもそれが適応されている。

羽のない僕、黒い片翼のシルフィ、軍に所属するレネとロベールは入れない。

だからここに二人を呼んだ。

「ジョシュア、ノーラン久しぶりですね」

「ロベールさんお久しぶりです。お元気そうで」

大きな弓を持っているのがジョシュア。

物腰の柔らかさに反して鎧の上からでもわかる引き締まった身体で放たれる弓矢は脅威だろう。

その横にいる少し吊り目で血の気の多そうな男がノーラン。

ジョシュアほど身体は大きくないにしろ、背中から顔を出す大剣は見ているだけで萎縮してしまう。

「ご足労感謝いたします」

有志の一人がドレッドノートの二人に礼を言う。

フルンリヒトが植民地化されていることを良く思っていないという内部事情はこちらにも届いていたから、みんな二人のことを素直に受け入れた。

「今回の機を逃すわけにはいかないので」

「さっさとやっちゃいましょうよ」

ノーランの高ぶる気持ちをジョシュアが抑えながらレネが今回の作戦を簡単に説明する。

「明日の朝、首都セレディナにあるローリア城に向かう。ソルニアも先の戦闘で消耗しているはずだから早めに攻めに行く。正面突破はリスキーだから裏口から侵入する。場所は僕が把握してるからついてきてくれ。僕とノーランが先陣を切る。ジョシュアは後ろから援護を頼む。ロベールさんは近距離も遠距離もいけるよう状況に応じて動いてください」

登場人物が一人足りない。

置いてけぼりをくらいそうになったので、人差し指で自分を差すと、

「おまえはロベールさんの代わりにシルフィの守り役をしろ。絶対にソルニアに連れてくるなよ」

相変わらず偉そうな態度にイラついた。

「副団長自ら前線に出るとは頼もしい。全力で援護させてもらうよ」

「一国の王を狙うんだ。戦力は多い方がいい」

「でも大丈夫?シェラプト兵団が参加したことがわかれば後々面倒なことに……」

心配するジョシュアをよそに、

「今回はレネ・レンストラ個人として参加するから大丈夫。ですよね?ロベールさん」

こくりと(うなず)くロベール。

「ハロルドの首は俺が獲るからな」

ノーランが指をポキポキと鳴らしながら早くも柔軟を始めていた。

ー翌日、レネたちはソルニアの首都セレディナに向かって飛び立っていった。

ワンチャンを期待して広場に行ったが本当に置いてけぼりをくらった。

「カナタくん」

後ろから柔らかい声が聴こえる。

振り向くとそこにシルフィがいた。

どうして何も言ってくれなかったの?という顔をしている。

いや、そんな綺麗な瞳で見つめてもダメだ。

戦場に連れて行くなんてできない。

それに空を飛べない僕とシルフィがどうやって行けばいい?

きまぐれでキュクノスたちがいるわけない。

年中満席の店に予約なしでふらっと入れるなんて奇跡が起きるわけないのだ。

治療する人が必要でしょ?と言うが危険すぎる。

僕が彼女を守りきれる保証なんてないし、王国の姫を勝手に連れて行ったら後でどんな罰を受けるか。

首を何度も横に振って断るが、はじめから決めていたかのようにシルフィはこっちと言って湖畔に行くと、そこにキュクノスたちが待っていた。

嘘だろ?

背中に乗ってローリア城に向かう。

セレディナの話は訊いていたが、想像以上に大きかった。

シェラプトの街とは比べ物にならないほど豪華で巨大な街。

パリやドバイのような美しい街並みが広がっている。

みんなに合流したらレネに睨まれた。

当たり前か。

(みぞれ)降る広大な街の中心地に巨大な城が立っている。

そう、このローリア城にハロルドがいる。

作戦通り裏口から侵入する。

レネは昔、この城内に一度だけ招待されたことがあるらしく、それを覚えていた。

こいつばかりポイントが上がることは少し(しゃく)だったが、いまはレネを頼る以外に選択肢はない。

裏の通りから城内に侵入すると、円形に広がる広場の中に数人の兵士たちがいた。

ここで戦力を消耗するのは得策ではないので違う道を選ぼうとしたが、すでに熱を帯びている有志たちが飛びかかっていった。

早く復讐したかったのだろう。

気持ちはわかるが相手が違う。

作戦を変えて一気に王の間まで向かう。

気づけば僕、シルフィ、レネ、ロベール、ジョシュア、ノーランだけだった。

王の間の前には二人の男が待ち構えていた。

「来ると思っていたでな」

肩に乗せていた斧を腰元におろし、槍を構えるレネと対峙する。

一方の兄は誰かを待っている様子だ。

「そいつは私がやる」

ここで決着をつけることが決まっていたかのように両手に剣を持っていたリリィが後ろからやってきた。

「お姉様⁉︎」

「リリィ様、どうしてここに?」

驚くシルフィの言葉に軽く一瞥した後、レネの問いに答える。

「エデンの首は私が獲ってやらんとちゃんと地獄に堕ちれんだろう」

「貴様は俺のことが本当に好きじゃんね」

「その独特な話し方、いい加減やめたらどうだ?」

「悪いが生まれつきなもんでね」

エデンも剣を構え、リリィと対峙する。

当時の作戦とは少し違うが、残りのメンツで王室の門を開く。

豪華な玉座には金髪の髭を生やした恰幅の良い人が足を組みながら座っていた。

風貌(ふうぼう)、雰囲気すべてにおいて存在感がある。

間違いなくこの男がハロルド・ソルニア・ドゥ・ローリアだ。

「ハロルドー‼︎」

姿を見た途端、ノーランが大剣で斬りかかろうとする。

「待て、冷静になれ。感情で勝てる相手じゃない」

ジョシュアが腕で静止する。

チッと舌打ちしながらぐっと堪えたノーランを見て、

「国王に向かって挨拶もなしに飛びかかろうとするとは無粋な奴よ」

ハロルドはゆっくりと腰を上げ、背中に仕舞っていた大剣を左手に持ち宙に浮いた。

「お前たち、ソルニア兵か?」

シェラプトの鎧には左胸に白い翼を広げた白鳥(正確にはキュクノス)の紋章が刻まれているのに対し、ソルニア兵の胸元には黄色い太陽が燦々(さんさん)と輝く紋章が刻まれている。

ドレッドノートは普段決して着ないソルニア兵の鎧を今日はあえて鎧を着てくることで敵意と決意を示している。

「裏切り者を始末できんとは、エデンもアクセルと役に立たん」

腰を落としたジョシュアが弓を構えながら射撃の体制に入ると、ハロルドが空中から大剣で風を斬る。

直後、ハリケーンの如く猛烈な風が吹き荒れる。

立て続けに大剣を振って何度も風を起こし、その勢いで部屋中の壁が破壊され近づくことすらできない。

片手一本でこれだけの力なのだから、本気を出したらとんでもないことにらなるだろう。

必死に耐えていると、ノーランの後ろからジョシュアがハロルド目掛けて矢を射抜く。

するりと躱すも、さらに後ろからロベールが放った矢がハロルドの右の羽を(かす)った。

「この距離で私の羽を掠めるとは、老人、良い腕をしている」

そう言った直後、魚を捉える鳥のように勢いよく突進してきた。

一瞬にして間を詰めてきたその瞬間、鎌鼬(かまいたち)のように素早く動かして左手で前衛にいたノーランの鎧を斬り刻み、同時に僕らも壁に打ちつけられた。

アクセルのときよりもはるかに強い風に激痛が走った。

それでも上気しているノーランはすぐさま起き上がり、宙に浮いた後、ハロルドの腕を狙って斬りつけるが、まるで歯が立たない。

「お前、本当に大剣使いか?素人だな」と言いながら斬りつけるハロルド。

一度は防ぐノーランだったが、柄の部分で腹を打って怯ませた後、斬り払う。
あまりに素早く重い攻撃にノーランの身体は吹き飛び、地面に打ちつけられ、腹から真っ赤な血が滴り落ちた。

「ノーラン‼︎」

シルフィが治療にあたり、それを守るように僕たちが壁となる。

「その女、天魔の子か?それに地上人がいるとは、全く穢らわしい」

僕とシルフィを見つけたハロルドは顔を(しか)めながら汚ないものを見る目をしている。

僕らに気を取られている間にジョシュアが至近距離から矢を放とうとするが、すぐさま右手で首を掴んで動きを止める。

簡単にやられまいとなんとか矢を放とうとするが、みるみるうちにジョシュアの首は色を失っていく。

しかし、その隙に背後に回っていたロベールがハロルドを後ろから斬りつけようとするも、掴んでいたジョシュアを放って二人がバッティングする。

吹き飛ばされ、そのまま意識を失ったジョシュアはその場に倒れ込んだ。

僕とシルフィの目の前にやってきたハロルドに対し盾を構えるが、

「地上人、手が震えているぞ」

図星。誤魔化しきれなかった。

相手はソルニアの国王。

鍛錬を積んできたこの人たちが簡単にやられてしまったのに、戦闘力ゼロの不登校高校生が敵うわけがない。

ハロルドは僕など眼中にないように踵を返し、起き上がろうとするロベールにゆっくり歩いて向かっていく。

ここを離れれば丸腰のシルフィが危ない。

治療にはまだまだ時間がかかりそうだ。

ロベールを助けたいが、恐怖で身体が動かない。

ハロルドがロベールに剣先を喉に突きつけ、いまにも斬り刻もうとしている。

僕は声を出すこともできないくらい恐怖で恐れ慄いている。

喉を突き刺そうとしたそのとき、窓が割れる音がした。

金髪の短い髪とキツネのようなキリッとした目は間違いない。

グリューンだ。

宙に浮きながら舞うように小剣を振るうグリューンにハロルドも対峙するが、勢いの増す攻撃に後退(あとずさ)りしている。

どうして飛ばないのか疑問に思っていると、ハロルドの右の羽はジョシュアとの連携でロベールが矢を放ったときに傷ついていた。

左の羽もノーランが闇雲に斬りつけていたのではなく、その大きな羽の可動域部分を重点的に狙っていたのだ。

羽の感覚が鈍いのかはわからないが、さすがの王も羽を鍛えることはできないようだ。

グリューンによる空中の舞は可憐で正確だった。

斬りと突きを織り交ぜ、反撃の隙を与えない。

それでもハロルドは強かった。

後退りしながらも足の裏で彼女を蹴り飛ばす。

そのまま壁に打ちつけられたグリューンの首を掴み、一瞬ニヤリと笑った後、胸を斬った。

鎧はボロボロになりその場に倒れ込むグリューン。

しかし、さすがのハロルドも数人からの連続攻撃に肩で呼吸をしている。

再びロベールのもとへと向かい、喉元を掻っ切ろうとしている。

このチャンスを逃すわけにはいかない。

日本人を、羽無しを甘くみるなよ。そう心で叫んだ後、深呼吸をしてハロルドの首元に向かってあるものを放った。

しばらくすると、ハロルドがゆっくりと倒れ込んだ。

おそるおそる近づくと、痙攣(けいれん)を起こし意識を失っている。

後ろからシルフィが、

「カナタくん、いま何を?」

「これさ」

見せたのは筒状の竹。

「秘技、吹き矢」

渾身のドヤ顔を決めるが、シルフィはポカーンとしている。

「昔、忍者に憧れていたことがあってね」

おもちゃの吹き矢で一人ひたすら遊んでいた時期がある。

まさかこんなところで活きるとは。

「ニンジャ?」

「僕の国に昔いた人たちが使っていた武器だよ」

作戦会議のときに気づいていた。

戦場で僕が役に立つ機会はきっとない。

怯えて逃げ出したくなるほどに緊張していたし、先の戦でアクセルに吹き飛ばされたとき、何もできない自分が悔しかった。

近接攻撃がダメでもこれから少しは太刀打ちできるかもしれないと(ひそ)かに用意していた。

他の人には悪いけれど、ハロルドを殺すことはしなかった。

というより、人を(あや)めるなんてそんな猟奇的なことはできない。

だから麻痺入りの吹き矢で一時的に動けなくして、あとはこの世界の人たちに(ゆだ)ねようと思った。

ファルマン兄弟との決闘を終えたリリィとレネが血のついた剣と槍を振り払って入ってきた。

扉の向こうにはエデンとアクセルが血まみれで倒れているのが見える。

どうやらもう息絶えている。

右手を負傷している様子のレネをよそにリリィは傷ひとつない。

「リリィ様、先程はありがとうございました。助けていただかなければ危ないところでした」

「一振り一振りを大事にしないからそうなる。いつも言っているだろう。『熱は冷静さの中で燃やせ』と」

レベルの高い会話に全くついていけなかったが、二人がめちゃくちゃ強いことだけはわかった。

「これはお前がやったのか?」

中の様子を見たリリィが驚きながらそう言うと、

「色々な人たちのおかげですけどね」

倒れているハロルド、傷だらけのノーランと意識不明のジョシュア、それにロベールとグリューン。

シルフィが咄嗟(とっさ)に治療をしてくれたとはいえ、全員意識はなく軽傷という言葉では済まされない状態。

リリィはグリューンを抱き抱え、

「らしくない」

その声は少しだけ震えているように思えた。

その後、シルフィの力で縛られたハロルドを抱え、シェラプトに戻った。

ー数日後、ハロルドの身柄は中立国であるアンピエルス共和国に預けられることになり、ソルニアの暴挙は鳴りを潜めた。

フルンリヒトはソルニア領から独立することとなり、フルンリヒト共和国として生まれ変わった。

グリューンは胸に斬り傷が残るもののすぐに動けるようになり、スティネイザーで指揮を執っている。

後日、ソルニア帝国は世界協定により、今後領地を拡大しないことで落ち着き、暴挙を働いたハロルド・ソルニア・ドゥ・ローリアは、アンピエルスにある世界協定委員会で処刑の判断が下された。

永きに渡るソルニア帝国とスティネイザー王国の争いに終止符が打たれ世界は平和になった。

しかし、それは刹那(せつな)たるものだった。