前夜祭が無事終わり、イーリス女王の生誕祭当日。
普段顔を見せない女王の姿を一目見ようと広場には多くの人だかりができている。
王宮の入り口には剣や槍を持った兵士たちが暴動を阻止するために警戒している。
他国同士の紛争化の中での生誕祭は異様な緊張感があった。
スパイや暗殺を企てるものも少ないからだ。
しばらくすると、王宮の最上階にあるテラスからイーリスが現れた。
ミントグリーンの髪の上には白いティアラが飾られ、ハイエンドなドレスを身に纏った女王はリリィにもシルフィにもよく似ている。
指には美しいグリーンジルコンの石が光を反射し存在感を現す。
集まった国民たちに向かって優しく微笑み手を振るイーリス。
それに応えるように王宮に近い列から城下町に向かって歓声が木霊する。
彼女を護るようにリリィやレネ、周囲には弓矢を構えた兵士も数人いる。
この生誕祭にウィグロ人はいない。
ウィブラン人のみの異質なイベントだ。
僕とシルフィは見つからないようにフードを被り、ロベールの背後に隠れながら眺める。
実の娘であるシルフィがここに参加できないことに怒りを覚えたが、当の本人はこれで良いのと言って聞かない。
ただでさえ目立つ存在であることだけでなく、これ以上傷つきたくないのだと思う。
イーリスが王宮内に戻ると、国民たちは満足そうに帰っていった。
ー翌朝、僕はロベールと街を見に行くことにした。
ここに来てから城下町には一度も行っていない。
生誕祭の翌日は店を閉める人も少なくないので、人はまばらだった。
黒いものを極力隠すため帽子を借りていった。
僕の瞳は生まれつき茶色を帯びていたからそのままで良かったが、借りた服が違和感でしかなかった。
中世ヨーロッパ風のチュニックやジャケット、ブーツなど慣れているはずもなく、ヒールを履き慣れていない女性のように歩き方がぎこちない。
背中には羽を折り畳んだように見せるため、あえて膨らませて誤魔化す。
靴擦れを起こしそうになりながら必死にロベールの後ろを歩く。
王宮を背中にハルモニア中央広場から真っ直ぐ歩いた先に商店街がある。
そこを抜けた先には広大な雲海。
後ろを振り向くと、街の景色は想像している以上に美しかった。
ギリシャのサントリーニ島やチュニジアのシディ・ブ・サイドのような白と青のコントラストは自分がこの世界の住人のような感覚に陥る。
街と街をつなぐようにして各方面から水路が引かれ、水の国と呼ばれている理由も納得だ。
もしカメラがあったらSNSに投稿したくなるくらい美しい。
酒屋さんの近くにある椅子に腰掛けると、素朴な疑問をロベールに投げかけた。
「そういえば、この国の国王や王子はいないんですか?」
「残念ながらこの国に王子は生まれませんでしたが、国王はいました」
過去形ということは、
「病気で亡くなったとか?」
「いえ、暗殺です」
暗殺というワードをリアルに耳にして少し怖くなった。
「フランツ・フォン・レーゲンス様は元国王にしてシルフィお嬢様のお父上です」
そういえばあの家に家族写真は一枚もなかった。
やはり複雑な事情があるのだろうか。
「この国は代々レーゲンス家によって統治されてきました。二十七年前にリリィ様がお生まれになり、その十年後、シルフィ様がお生まれになったときフランツ様はその黒い片翼を見てひどくショックを受けたのです。王族から齋悪を齎した天魔の子が生まれてしまったと。それを隠すようにお嬢様は生後間も無くウィグロ人の住む西側へと追い出されたのです」
父親のフランツはシルフィの存在自体を否定したということか。
実の娘なのに羽の色が違うという理由だけで城から追いやる心理がわからない。なぜそこまでして毛嫌いする必要があるのだろうか?
「シルフィお嬢様がお生まれになる何年か前から、突如フランツ様は極度のレイシストになりました。城内に一つでも真っ黒いものを見つけたら白く塗るように命じていました」
「どうしてそんな極端に?」
母親がお腹を痛めて産んだ実の娘。
その娘の羽が黒いというだけで父親はレイシストになったのか?
絵本による影響だけとは思えない。
「ウィグロ人との不倫です」
国王が不倫?
「当時、城の近習として仕えてきたウィグロ人の娘は王宮でも特段美しく、紅く長い髪は薔薇のようで、深緑の瞳は宝石のように美しかったそうです」
「その不倫を隠すためにすべて白く染めたと?」
「真相は不明ですが、そう噂されています」
「その近習はどうなったのですか?」
「追放されました」
自己防衛のために不倫相手だけでなく実の娘まで追放したってことかよ。
好きな人の父親をディスりたくはないけれど、この男はとんでもないエゴイストだ。
「イーリス様の逆鱗に触れたフランツ様ですが、公にはされず、代わりにその不倫相手が呼ばれ、後日ハルモニア中央広場で公開処刑されました」
「そんな……」
「おそらく自分の身を守るためにその不倫相手にすべての罪を着せて逃れたのでしょう」
責任を取る気がないくせに一人の人生を壊す。
やっていることは犯罪者と同じじゃないか。
「しかしある日、何者かによってフランツ様は暗殺されました」
「それは一体?」
「どこの誰かはいまだにわかりませんが、その事件を起こしたのはウィグロ人によるものだという噂が広がり、それを信じた多くのウィブラン人がレイシストになっていったのです」
シルフィは望まぬかたちで家族の愛情を受けずに育ってきたんだ。
だから人一倍優しく強くなったんだと思う。
ウィブラン人の多くはシルフィのことを『片翼の魔女』や『天魔の子』と呼ぶ。
天空人の世界では、稀にウィブラン人同士の子でも黒い羽を持つものが生まれてくるらしい。
王族の娘が『齋悪』を齎した子として邪念にされているのは何かと都合が悪い。
しかし、イーリスも一人の親。
シルフィが七歳のとき、牢屋の清掃員という名目でいまの家に住むことを許可したが、まだ王宮内での生活までは至っていない。
女王の権力を持ってしても羽の色による根強い差別は消せない。
「ロベールさんはどうしてシルフィの守り役を?」
少しの間があった。
いまから数年前。
ガニエ家はウィブラン人の中でも恵まれない家庭、所謂スラム街で育った。
両親は早くに離婚し、母親が一人でロベールと病気がちの弟を育てながらだったので、長い間糊口を凌ぐ生活をしていたそうだ。
その街では強盗や犯罪が蔓延るような危険な区域で、まともに働くことが馬鹿馬鹿しく感じるようなひどい場所。
そこだけは観光客も避けるようなエリアらしい。
ロベールが十五歳のとき、病気が悪化した弟が亡くなり、翌年後を追うように母も亡くなった。
仕事を求めて街に出たロベールは王宮近くの武具屋で働かせてもらうようになり、隣の薬屋で働いていたのが奥さんのエリーゼ。
同い年の二人は意気投合してすぐに付き合った。
エリーゼは身体が弱く病気がちだった。
当時、その病気を治すには他国の医療でないと治らないらしく、ロベールはその治療費を稼ぐために年に一度行われる剣技大会に参加していた。
そこでトータル三回優勝すれば治療費が貯まる。
もともと護身のために剣術や弓矢を学んでいたこともあり、初挑戦からわずか三年で優勝した。
若干十八歳だった。
ロベール・ガニエの名は一部の間で有名となる。
五年後、二十三歳の若さで二度目の優勝をし、これを契機に二人は結婚する。
その後三人の子供たちに恵まれた。
しかし、エリーゼの体調は年々悪化していく。
まだ治療費が足りない。
生活費や養育費を除いてもあと一回優勝する必要がある。
だが、挑めど挑めどなかなか勝てなかった。
三度目の優勝には十二年かかった。
これでようやく治療を受けさせてあげることができる。
賞金を握りしめ彼女のもとに向かったが、エリーゼは亡くなっていた。
愛する人の治療費を稼ぐために戦った二十年。
ロベールは生きる意味をなくし自暴自棄になっていたとき、イーリスにお願いされ、シルフィに仕えることになった。
「お子さんたちはいまどこに?」
「親から逃げるようにみな他国に行きました」
「ここには誰も残らなかったのですか?」
「抜け殻のようなわたくしの姿を見たくなかったのでしょう。妻が亡くなってからというもの、まともに子供たちの面倒も見ず、毎晩酒に溺れていましたから」
いつも凛々しくて余裕のある印象だったロベールにもそんな過去があったなんて意外だった。
「お子さんたちには会ってないんですか?」
「もう十七年になります。いまごろどこで何をしているのかもわかりません」
ロベールにもそんな辛い過去が。
愛する人のために頑張ってきたのに報われなかった。
愛情の与え方を忘れたロベールと家族からの愛情を受けずに与える前に離れていった子供たちと愛情を受けずに育ったシルフィの姿が自分の子供たちと投影したのかもしれない。
幼いころのシルフィはロベールを本当の父親のように思って接してくれた。
ロベールにとってもシルフィとの時間は家族との時間を思い出させてくれるほどに嬉しかった。
それを知っているシルフィだからこそ、『使用人』という言い方を嫌うのだろう。
ー家に戻ろうと城下町を歩いていると、民家の前で子供たちが戯れている。
平和な光景だと思っていたが、よく見るとそれは戯れというよりもいじめに近かった。
一人の男の子を囲むように、数人の子たちがその羽を強引に折り曲げたり羽を剥いでケタケタと笑っているが、やられている本人の目は涙ぐんでいる。
天空人にとって美しさの象徴でもある羽。
男の子の羽は少しだけ灰色を帯びていた。
きっとそのわずかな色の差がいじめが起きているいじめの一つの原因だろう。
僕は無意識のうちに踏み出していた。
「君たち、何してんの」
ゆっくりと近づき注意すると、子供たちは慌てて逃げていった。
その子の肩は震えていた。
強引に引っ張られていたため白い羽根は少し赤くなっていた。
人が生きている限りどこにもいじめや差別はある。
でも、決して納得できるものではない。
日本でもジェンダーレスが浸透しつつあり、小学生のときには各々が好きな色のランドセルを背負い、中学時代にはスカートではなく男子と同じスラックスの子も何人かいた。
この世界のことはよくわからないけれど、少なくとも羽の色だけで分けるのは良くないことだけはハッキリと言い切れる。
「どうして差別やいじめをするんですかね」
理性を貫いて心の声が出た。
「差別は固定概念から生まれます。所謂ステレオタイプというものですね。そのステレオタイプに軽蔑や嫌悪を伴った感情が『偏見』です」
集団に属するが故に生まれる感情。一匹狼タイプには差別の感情が生まれることはそうない。
ロベールも合流しその子を宥めると、「もう大丈夫だから」と言って去っていってしまった。
いじめというものはとても嫌な気分になる。
茅葺き屋根の家に帰ると、おかえりと言いながらキッチンに立つシルフィがいた。
ポニーテール姿で振り向く可愛さよりも一抹の不安の方が勝っていた。
「もう。カナタくんもロベールも抜け駆けして街に出るなんてずるいよ。退屈だったから夜ご飯でも作ろうと思って」
「イーリス様の許可なく外へお連れするのは禁じられておりますので」
口を膨らませて拗ねるシルフィはちょっぴり子供っぽくて愛らしかった。
本音を言うとシルフィと一緒に街を歩きたかった。
この辺のデートスポットとかよくわからないけれど、きっとカフェとかテーマパークのようなものがあるはず。
いつかそこに二人で行きたいと妄想を膨らませるがシルフィは一国の姫。
良くも悪くも目立つし、ソルニアによる襲撃があったばかりで下手なことはできない。
「お嬢様、何をお作りに?」
「今日はね、秋茄子とチーズのホットサンドと、ベーコンとミニビーンズのガーリック炒め」
めちゃくちゃ美味しそうな名前にテンションが上がる。
前回はたまたま失敗しただけの可能性があり、今回はすごく期待値が高い。
何より朝からまともに食事をしていない分、ものすごくお腹が空いている。
ロベールもハイセンスなレシピに驚いている。
鼻歌を唄いながら楽しげに料理をしている彼女の後ろ姿は新妻のように見えた。
しばらくすると、できたよと自信満々にテーブルに料理を並べた。
湯気が立ち込み、チーズとガーリックの香りが部屋中に広がる。
「どう?美味しい?」
美味しいと言いたい気持ちはあるが、シルフィの求めていた答えを返すことを憚った。
絶対美味しいだろうという組み合わせなのに、どうしてこんなにしょっぱいのだ。
ほぼ塩の味しかしない。
口を紡ぐ僕とロベールの空気を察したシルフィが、
「私、料理のセンスないのかな……」と不安な表情を浮かべた。
こういうときはどういった言葉をかけるべきかわからなかった。
ロベールをチラ見すると、
「見た目も香りもとても美味しそうです。今回はほんの少しだけ塩の分量が多かった気がしますので、次回は半分に減らしてみてはいかがでしょうか?必要であればお手伝いいたします」
シルフィの気持ちを傷つけないように柔らかくアドバイスするロベールはさすがだなと感じる一方、
「そ、そうだよ。そしたら何杯でも食べられる」
全然フォローになっていない気がしたが、それでも彼女はどこか嬉しそうに見えた。
ここに来てからずっとバタバタしていた。
あの大きな鳥居をくぐったと思ったら天空の世界の牢屋にいて、脱走したと思ったらデモが起きて戦うことになって。
こういうのを光陰流水って言うんだっけ?
昔やっていたゲームで覚えた言葉だった気がするけれど、意味があっているかは自信がない。
ベッドに倒れるように横たわると、蓄積されていた睡眠欲が暴発するように眠りについた。
どのくらい寝ていたのだろう。
窓から差し込む光はオレンジになっていた。
家の扉を開けると、そこには食事と手紙が置いてあった。
宛名はシルフィからだった。
『カナタくん、おはよ。気持ちよさそうにすやすや眠ってたからご飯と一緒にメモ残しておくね。ご飯はロベールが作ったから安心してね笑 ひとつカナタくんにお願いがあるの。今日の夕方一緒に出かけない?連れて行きたいところがあるの。ここから真っ直ぐ行った離宮で待ってるね。あっ、これ、ロベールには内緒だよ』
何度も読み返しながら確かめる。
これはデートのお誘いというものでは?
いや、確実にデートだよな。それ以外あり得ないよな。
心を躍らせながら食事を済ませ家を出る。
離宮に向かう途中の道で身体を揺らしながらペタペタと歩き、こちらに向かってくる一羽の鳥。
こんなところになぜペンギンが?
動物園から抜け出してきたとか?
そもそもこの世界に動物園など存在するのだろうか?
僕と目が合ったペンギンはその場に立ち止まり、真っ直ぐこちらをじーっと見つめている。
「こんなところで何してるの?」とペンギンに訊くと、そのペンギンは身体を左右に揺らしながら僕のもとにゆっくりと歩み寄った後、飛びつくように抱きついてきた。
人生ではじめてペンギンを抱いた嬉しさと驚きの両方の感情に戸惑いながらもあまりに可愛いそのつぶらな瞳に心を奪われた。
ペンギンを抱き抱えたまますっくと起き上がったとき、
「おい、貴様!」
少し離れたところにいた一人の兵士に見つかりすぐに物陰に隠れた。
ずっと学蘭でいるわけにもいかず、ロベールのお子さんたちが当時着ていた服を家に届けてもらっていたので、それを着てきていた。
帽子も被っていたから黒髪も目立たないはずなのに呆気なく見つかった。
そうだ。僕は地上から来た冤罪の脱獄犯。
当たり前だが兵士たちが探していないわけがない。
せっかくのデートなのにまた牢屋にぶち込まれて処刑されるなんて勘弁してほしい。
徐々に足音が近づいてくる。
きっとさっきの兵士が捕まえにやってきたのだろう。
ペンギンだけでも逃がそうと両手を離そうとするも、なぜか石化したかのように微動だにしない。
足音がすぐそこまで聴こえる。
終わった。
さようなら、清阪 奏達。
最期に甘いものだけでも食べさせてくれと決まっていない対象者に向けて叶わない願いごとをする。
目を閉じて短い人生に別れを告げようとしたとき、もう一つの足音が聴こえた。
「レネ様」
さきほどの兵士が敬礼しながらレネの名を呼ぶと、
「ここにカラドリウスがいたな?」
カラドリウス。
化学物質のような名前にぽかんとなった。
でも、いたってことは生き物。
となると、
「はい。ですが、どこかに隠れてしまいまして」
「イーリス様には僕から報告しておく。お前は各自に持ち場につくように伝えておけ」
兵士が散って行くと、
「おい、カナタ。出てこい」
声の向かう先は明らかにこちらの方だった。
「バレてた?」
「当たり前だ」
顔を出して様子を伺うと、
「カラドリウスが懐くなんて珍しいな」
このペンギンの名前だろう。
懐くも懐かないもこの子がずっと石化している状態なんだが。
「カラドリウスは警戒心が強くてな。現に、レーゲンス家以外に懐いてる姿を見たことがない。カナタ、一体何をした?」
何もしていない。
なぜ懐いているのかこっちが訊きたいくらいだ。
昔から動物にはあまり懐かれない方だが、なぜこのペンギンが懐いてきたのかはいまだにわからない。
「イーリス様のもとに帰るぞ」とレネが言って両手を広げるも、カラドリウスはレネを睨んだまま。
これはただ単にレネが嫌われているだけじゃないのだろうかと言いかけたが、喧嘩になりそうだったのでやめておいた。
「フン、相変わらず愛想のないやつだ」
誰が言っているんだと心の中でツッコミを入れながら、
「そいつはイーリス様のペットだ。朝になったらいなくなっていて心配しておられる。王宮に行くぞ」
カラドリウスを下ろそうとするが、どこか哀しそうな目で何かを訴えている。
行くぞと言われて半強制的に王座に連れていかれた。
いや、これから大事なデートなんですが。
ーレーゲンス城玉座にハイエンドな純白ドレスを着た美しい人が座っていた。
その横にはリリィもレネもいて妙な緊張感があった。
「あなたが清阪 奏達くんですね?」
間近で見ると本当にシルフィそっくりだ。
いままで見てきたウィブラン人の中でも一際美しさと凛々しさを感じる。
イーリスを見たカラドリウスが足をパタパタさせながら彼女のもとに戻ると、イーリスは嬉しそうに抱き抱える。
「まずはあなたを牢屋に入れてしまったことをお詫び申し上げます。突然王宮の入り口に現れたと訊いてあなたの姿を見たとき、あまりにディアボロスにそっくりだったので」
僕はどんだけ悪魔顔なんだ。
イーリスは軽く立ち上がり、首をこちらに曲げた。
イメージしていた女王の姿を良い意味で覆され、僕は「あ、あぁ」と失礼な返事をしてしまった。
「あなたのような地上人もいたのですね」
「と、いいますと?」
絵本の中の話とはいえ、黒い片翼の天魔リリスとディアボロスが起こした齋悪の影響は大きい。
その悪魔にそっくりという理由で牢屋にぶち込まれたことに対して納得いっていないが、理解はできた。
「ご自身と関係ない国にも関わらず、先のソルニアからの襲撃に参戦し、ここを守ってくれました。それにカラドリウスが懐くなんてあなたは不思議な力を持っているかもしれません」
不思議な力?
ない頭を振り絞って考えた結果、
出た答えは、
「もし不思議な力があるとすれば、世界中の人を平等に愛せる。ということでしょう」
恐ろしいほど静まり返った空気に穴があったら入りたい気分だった。
もう少しくすくすと笑い声が聞こえてくる予定だったが、日頃からコミュ力を磨いていない弊害だ。
少しの間があった後、イーリスがアハハと高笑いする。
その姿に周囲の兵士たちも驚いている。
「失礼。やはり、あなたは面白いですね」
「気に入ってもらえて光栄です」
こんなことを言ったらどんなことになるかわからないが、この人は不思議と気が合う。というより緊張しない。
カラドリウスは幼いころ、群れと逸れ、孤独になってしまったところをイーリスが見つけて母親代わりになった。
「この子は私の息子のような存在です。今朝急にいなくなったので大変焦りましたが、見つけていただき感謝いたします」
この人は羽の色とか関係なく人を人として見ている。
日本の政治家よりも国民と真摯に向き合っている気がする。
それなのに、なぜシルフィのことを無碍に扱うのだろう。
実の子なら王宮に住まわせて王族の人間らしく育てても良いのに。
「ひとつお願いがあるのですが、私たちに協力してほしいのです」
協力って言ったってただの不登校高校生ですよ?
武器も使えないし、空も飛べない。
「自慢できることは一人遊びの天才ということくらいですよ?」
またも変な空気になった。
唯一の頼みだったイーリスも笑う素振りを見せない。
こういうときにコミュ力のなさが露呈されてしまう。
「これは、あなたにしかできません」
羽を持たない地上人にしかできないこと?
そんなものがこの世界であるのだろうか?
「ソルニアによるスティネイザーの襲撃を止めてほしいのです」
この人はクレイジーなのか?
戦闘力ゼロの人見知り高校生に何ができるというのだ?
「我が国とスティネイザーはもともと友好関係にあり、それはいまでも変わりません。しかし、戦力差は歴然ですし、スティネイザーがソルニアの手に堕ちれば一瞬にしてこの世界はソルニアによって占領されてしまいます」
言いたいことはわかったけれど、どうして僕がそれをしなければならないのだろうか?
「ソルニアのハロルドという男は危険です。このまま彼を放置しておけばいずれこの土地も攻められてしまいます。羽のないあなたに協力していただければ戦況は一気に逆転します」
訊けば訊くほど理解ができなかった。
点と点が線にならない。
双方の戦に他国が介入すれば角が立つ。
仮にスティネイザーと協力してソルニアに挑んだとしても、ボスを倒さなければ意味がない。
敵はあの大国ソルニアだ。
ここは冷静かつ狡猾的に挑むのがベストだろう。
「爽籟の寧日は近いうちに終わりを迎えます。明日になれば多くのものが駆り出され、ここも戦火となる可能性があるでしょう。少しでも死傷者を減らすためにはあなたの力が必要なのです」
しかしながら素朴な疑問。
「あの、僕一般人ですが」
「あなたは素質があります」
素質?
命を賭けた戦いに素質もクソもないと思うが。
「あなたにディアボロスの子になっていただきたいのです」
女王様、いくら見た目が似ているからって冗談がすぎますよ。
それに悪魔に似ているって言われて嬉しいわけがない。
もしかして、素人を主役にした新しい映画でも作ろうって魂胆か?
シェラプト映画最新作
『悪魔高校生、戦争を止める』
こんな映画があったら面白いとでも思っているのだろうか。
「冗談はよしてください」
「いえ、あなたならできます」
これは新手の詐欺?
異国の人間だからって雑に扱われているのでは?
「これを使ってください」
渡されたのは漆黒の十字架のネックレスだった。
「母上、そんなものをどうして?」
リリィだけでなくそこにいた兵士たちもみな喫驚している。
「安心なさい。これはそっくりに作らせた偽物です」
なんとも不気味な色をしている。
光沢のない黒はブラックホールのように世界中を黒く染めるほどに禍々しかった。
「羽を持つ生き物の中で最も恐れられているのがカラスです。頭の良い彼らでさえもディアボロスはこの漆黒の十字架を使って牛耳っていました。そのため、カラスと目が合うと不幸が訪れると信じ込んでいるものさえいます」
それだけこの十字架の効果は絶大ということ。
しかしそんな簡単に行くのか?
「当日はレネを同行させます。タイミングはレネが指示しますのでこの台詞を叫んでください」
そういってメモを渡された。
それは映画のワンシーンを撮るようなスタンスではなく、これをちゃんと言えないと多くの人が死んでしまうくらいの重圧感があった。
しかし、僕もタダでやるわけにはいかなかった。
見知らぬ地で戦闘力ゼロの男が戦場に立つなんて自殺行為に等しい。
「いいっすけど、条件があります」
「おい貴様、誰にものを言っている?」
「リリィ、良いのです。カラドリウスを見つけていただいたお礼です」
条件は思っていたよりあっさり通った。
冤罪だった僕はこの国を自由に行き来できるようになった。
とはいえ、世界中で恐れられている存在に瓜二つという悲しいルックスは何かと不備があるので、特別に王族風の衣類を与えてもらった。
これで遠慮なくこの国を行き来できる。
また、シルフィも同様の条件で許可を得た。
さすがに空を飛ぶことはできないけれど。
少しだけ調子に乗ってみた。
「それと、もう一つ条件が……」
ー王宮を出ると、そこにシルフィがいた。
玉座に招かれた噂を訊いて駆けつけてきたようだ。
「手紙、読んだよ」
シルフィにそう告げると、こっちと言って僕の手を握りしめながら離宮の方へと向かった。
「明日、トロープンベラハに行くんでしょ?」
途中の道で唐突に訊いてくる。
「訊いてたの?」
「兵士たちが噂してて」
「って言っても戦うわけじゃないけど」
「お母様の命令?」
「交換条件つきでね」
「交換条件」
僕と彼女がこの国を自由に動き回れるようにしてもらったことを話した。
「そんなことのために危険な場所に行くの?」
「大切なことだよ。僕にとっても。君にとっても」
「でも、死んじゃうかもしれないんだよ?」
そうかもしれない。でも、なんだかイーリスの言う通り動けば大丈夫だと直感で思った。
何より本人と話していて人を欺いたりするような人ではないと思った。
「大丈夫。いざってときは秘技、身隠の術を使うから」
「身隠の術」
そんな忍者のような術は持っていないが、本当にやばいときはシルフィを連れて真っ先に逃げる。
逃げることは恥ではない。意固地になって死ぬより生きながらえる方が大切だ。
離宮のさらに奥へ進むと、見るからにボロボロの橋があった。
アクセルのような大男が歩いていたら一瞬にして崩れ落ちそうなくらいかなり劣化している。
こんなところに橋があったなんて。
反対側から人が来たら半身にならないと通れないくらに狭いその橋をゆっくりと渡る。
重心を真ん中にしていないとグラグラと揺れるほど脆いその橋は、『吊り橋効果』などという悠長なことを言っている余裕のないくらい軋んでいた。
慣れている様子のシルフィは少し楽しんでいる様子だったが、僕はビビりすぎて足が震えていた。
踏み外さないように慎重に歩いていく。
なんとか橋を渡りきるとそこには美しい景色が広がっていた。
深緑の木々に囲まれた透き通る湖畔。
ここが街ならオーストリアのハルシュタット湖畔にも引けを取らないだろう。
「ここはシェラプト湖畔って言うんだけど、この景色がすごく好きでね。一度カナタくんに見せたかったんだ」
その湖畔には蓮の上を軽やかに歩く親鳥のそばを慎重に歩く雛鳥たちがいた。
生まれたばかりの雛鳥が湖に落ちないよう心配そうに見守る父親のレンカク。
「かわいい〜」
目を細めながらとろけるような笑顔を見せるシルフィはレンカクの親子と同じくらいに可愛く癒された。
しばらくレンカクの親子を見つめていると、
「ずっと気になっていたことがあるんだけど訊いてもいい?」
まさか、これは?
過去の恋愛話?
いま好きな人いる?とかそういった恋バナを期待していたが全く違った。
「地上の世界のこと教えてほしいな」
ベンチに腰掛けると、両手を顎に乗せながら上目遣いでそういった。
透き通るようなミントグリーンの瞳でまっすぐ見つめられ心臓が飛び出そうになる。
彼女の横に座り、地上の世界のことを話すことにした。
夜に絵本の読み聞かせを期待する子供のように。
三十七万八千平方キロメートルの小さな島国で、アジアと呼ばれるエリアにあること。
アニメやエンタメが豊富にあって、野球、サッカー、バスケなどの球技が盛ん。
こっちにはテレビがないからアニメの説明をしても理解されないだろうな。
空を飛べる天空人が球技をやったらルールとか関係なくなりそうだけれど。
電車や飛行機の話をしたときはひどく驚いていた。
とくに飛行機に乗ったら空を飛んでいる気分になれるから、僕たち同様自力で空を飛べない彼女にとっては夢のような話。
ただ、少し低いトーンで「空、飛んでみたいな」と呟いた。
その儚く切ない表情を見たとき、少しデリカシーがなかったかもと後悔した。
もちろんこの世界には公共交通機関なんて言葉すら存在しない。
食の話もした。
日本には和食がある。
寿司、うどん、焼肉。
語彙力が欠如していることもあるが、説明するのはすごく難しかった。
いまのところこっちで食べているものはほとんど芋料理。
こっちの人たちは鶏肉を絶対に食べない。
焼き鳥の話をしたら鳥さんを食べるなんて野蛮と怒られそうな気がしたのでそれには触れないでおいた。
春夏秋冬の四季があること。
春、桜が咲くころには花を見て季節を感じる。
家族以外花見をしたことがない僕にとってカップルがイチャついている姿は拷問でしかない。
どうしてお花を見ながらお酒を飲むの?と真剣な顔で訊いてきた彼女の問いに高校生の僕には正しい答えが出せなかった。
ってかこっちの世界にもお酒が存在するということに驚いた。
夏には浴衣を着て花火をする。
浴衣を説明するのは思っていたより難しかった。
着物とごっちゃんになり、説明の途中で自分でもわけがわからなくなり、結局有耶無耶になった。
本当はスマホで画像を見せるのが手っ取り早かったが、残念ながらこの世界に来たときにはすでに手元にはなかった。
話しながら彼女の浴衣姿を想像してしまった。
きっとミントグリーンの髪には白ベースの浴衣が似合うのだろう。
こっちに花火があったら横並びになって河川敷で線香花火をしたらきっと楽しいだろうななどと妄想を膨らませる。
秋にはハロウィンがあって紅葉が咲く。
ハロウィンの説明は途中で諦めた。
コスプレの説明からしなくちゃいけないし、天空人自体がコスプレしていると言ったら怒られてそうな気がしたから。
家族で過ごすわけでもないし、近所付き合いもないからただの十月末でしかない。
そもそも毎年秋が短くなっていく感じがしてあっという間に過ぎていくから秋の説明は簡潔にした。
そして冬には雪が降る。
街はライトアップされ色々なお店が赤と緑に彩られる。
恋人のいたことがない僕にとって、友達のいない僕にとってクリスマスとイブはとんでもない地獄であり、一年間でもっとも長く感じる二日間でもある。
シルフィは双眸を見開きながらキラキラさせて訊いている。
イルミネーションを一度見せたらきっと大喜びするだろうな。
年末年始にはそばを食べて初詣をして御神籤を引く。
最近は減ってきているけれど、餅つきや豆まきのことも話した。
義理チョコすらもらったことがないからバレンタインデーの話はしなかった。
僕は雪が好きだ。
寒さや寂しさをかき消してくれるくらいの白い結晶は全身を温めてくれる。
雪解けの水で何度か足を滑らせて転んだこともあったけれど、それでも街を包み込む真っ白な雪はシルフィのように白く美しい。
残念ながらこの国に雪が降ることは滅多にない。
だから彼女は地上の冬というものをすごく楽しみにしているように感じた。
はじめてこの島からの景色を見たとき、実に風光明媚で思わず声が出た。
きっとまだまだ見ていない景色が待っているのだと思うとワクワクする。
「同じ星にいるのに、全然違う世界だね」
シェラプトと日本はたとえるなら空と海中。
決して届かないそんな場所。
そう考えると僕はすごい世界にいるのだと感じる。
上空から大きな白鳥のような群れがやってきた。
彼らはキュクノスというらしい。白鳥の一族で、日本でよく見る白鳥に比べて肉食で獰猛。
大きなものだと全長四メートルほどあり、長く大きな嘴は人一人を丸呑みするほどの力を持つ。
この湖畔と陸地をつなぐ道はなく、空からしか行くことはできなかった。
空を飛べないシルフィはロベールにお願いしてあの簡易的な橋を作らせた。
昔は観光地として訪れる人が多く、とくに夏の暖かい時期は湖畔に差し込む光と雲のコントラストが美しく多くの人を魅力したが、その反面、ゴミの放置などで湖を汚す人が多くいたことに怒ったキュクノスたちが人々を襲った。
以降、双方を守るためにこの地は特別保護区域となり、王族の許可がない限り立ち入ることはできなくなった。
「綺麗でしょ。ここに来ると落ち着くんだ」
そう言ってシルフィは遠くを見つめている。
たしかに綺麗だが、それよりも目の前にいる群れが気になった。
水面の上も泳ぐ数羽のキュクノスたち。
そこに一際大きな個体がいた。
「クリュティエ」
シルフィが手を振りながらそう呼ぶキュクノスはオレンジ色の嘴と真っ赤な瞳が特徴的。
「姫、その穢らわしい生きものは誰だ?まさか地上人じゃないだろうな?」
白鳥がしゃべった⁉︎
「ちょっとクリュティエ。そんな言い方しないで。この人はカナタくん。優しい地上人よ」
「地上人はみな鳥を食べる野蛮な生き物だ」
そうなの⁉︎という驚いた彼女にレスポンスするよりも前に僕を睥睨する彼の鋭い眼光に足が竦んで何も答えられなかった。
「おい、地上人。姫を誑かしているのなら容赦なく喰らってやるからな」
大きな嘴を僕の方に近づけながらそう言った。
その目つきと声のトーンからして冗談は微塵も感じず、本気で喰われるような威圧感を感じた。
噂というのは恐ろしいもので、人だけでなく鳥たちにも伝わっていた。
「カナタくんはそんなことするような人じゃないよ」
少し膨れる彼女は少し上気しているように見えて嬉しかった。
「姫がロベール以外に誰かを連れてくるなんて珍しいな」
「ちょっと力を貸してほしいの」
「姫の頼みなら聞かなくはないが、その地上人に協力する気はないぞ」
「そんないじわるしないで。カナタくんは私の大切なお友達なの」
嬉しいはずの『友達』という言葉がこんなにも切なく胸に突き刺さるなんて。
少しの間の後、
「トロープンベラハに連れて行くだけなら協力してやる」
「どうして知ってるの?」
「イーリスからの頼みなら断れんだろう。明日の朝、こいつをトロープンベラハまで乗せてやってほしいと言われたよ」
「お母様から直々に?」
さっき言われたばかりなのにもう連携されているなんて。
さすがすぎて脱帽する。
「しかし、送るだけだ。あそこは暑くて長居できんからな」
キュクノスたちは暑いのが苦手なため、この湖畔に姿を表すのは春、秋、冬だけで、夏になると北に移動して過ごす。
もともと数多く生息していたキュクノスだったが、数年前に天敵である飛竜に襲われたことで多くの仲間を失い、この湖畔に逃げ込んだ。
クリュティエも大きな怪我を負ったが、そのときに治療してくれたのがイーリスだった。
「お願い、カナタくんを守って。武器も持ったことないのにお母様に頼まれて仕方なくなの」
懇願するように両手を合わせる彼女の姿を見て、
「地上人。今回だけだぞ。姫に感謝するんだな」
「ありがとう」
「あの辺は山岳地帯で飛びづらい。役目を果たしたらすぐに背中に乗れ」
彼女のおかげで最悪の事態だけは免れそうだ。
ツンツンしているけれど、クリュティエはきっといいやつなのだと思う。
帰り道、ぐらぐらの橋を渡りながら考える。
これは本当にデートだったのだろうか。
ただのネゴシエートに思えてならなかったけれど。
少しの疑問を抱きつつも、はじめて彼女と過ごすデート?は嬉しかった。
今度は城下町を二人で歩きたいと願い、決戦の日に備えることにした。
普段顔を見せない女王の姿を一目見ようと広場には多くの人だかりができている。
王宮の入り口には剣や槍を持った兵士たちが暴動を阻止するために警戒している。
他国同士の紛争化の中での生誕祭は異様な緊張感があった。
スパイや暗殺を企てるものも少ないからだ。
しばらくすると、王宮の最上階にあるテラスからイーリスが現れた。
ミントグリーンの髪の上には白いティアラが飾られ、ハイエンドなドレスを身に纏った女王はリリィにもシルフィにもよく似ている。
指には美しいグリーンジルコンの石が光を反射し存在感を現す。
集まった国民たちに向かって優しく微笑み手を振るイーリス。
それに応えるように王宮に近い列から城下町に向かって歓声が木霊する。
彼女を護るようにリリィやレネ、周囲には弓矢を構えた兵士も数人いる。
この生誕祭にウィグロ人はいない。
ウィブラン人のみの異質なイベントだ。
僕とシルフィは見つからないようにフードを被り、ロベールの背後に隠れながら眺める。
実の娘であるシルフィがここに参加できないことに怒りを覚えたが、当の本人はこれで良いのと言って聞かない。
ただでさえ目立つ存在であることだけでなく、これ以上傷つきたくないのだと思う。
イーリスが王宮内に戻ると、国民たちは満足そうに帰っていった。
ー翌朝、僕はロベールと街を見に行くことにした。
ここに来てから城下町には一度も行っていない。
生誕祭の翌日は店を閉める人も少なくないので、人はまばらだった。
黒いものを極力隠すため帽子を借りていった。
僕の瞳は生まれつき茶色を帯びていたからそのままで良かったが、借りた服が違和感でしかなかった。
中世ヨーロッパ風のチュニックやジャケット、ブーツなど慣れているはずもなく、ヒールを履き慣れていない女性のように歩き方がぎこちない。
背中には羽を折り畳んだように見せるため、あえて膨らませて誤魔化す。
靴擦れを起こしそうになりながら必死にロベールの後ろを歩く。
王宮を背中にハルモニア中央広場から真っ直ぐ歩いた先に商店街がある。
そこを抜けた先には広大な雲海。
後ろを振り向くと、街の景色は想像している以上に美しかった。
ギリシャのサントリーニ島やチュニジアのシディ・ブ・サイドのような白と青のコントラストは自分がこの世界の住人のような感覚に陥る。
街と街をつなぐようにして各方面から水路が引かれ、水の国と呼ばれている理由も納得だ。
もしカメラがあったらSNSに投稿したくなるくらい美しい。
酒屋さんの近くにある椅子に腰掛けると、素朴な疑問をロベールに投げかけた。
「そういえば、この国の国王や王子はいないんですか?」
「残念ながらこの国に王子は生まれませんでしたが、国王はいました」
過去形ということは、
「病気で亡くなったとか?」
「いえ、暗殺です」
暗殺というワードをリアルに耳にして少し怖くなった。
「フランツ・フォン・レーゲンス様は元国王にしてシルフィお嬢様のお父上です」
そういえばあの家に家族写真は一枚もなかった。
やはり複雑な事情があるのだろうか。
「この国は代々レーゲンス家によって統治されてきました。二十七年前にリリィ様がお生まれになり、その十年後、シルフィ様がお生まれになったときフランツ様はその黒い片翼を見てひどくショックを受けたのです。王族から齋悪を齎した天魔の子が生まれてしまったと。それを隠すようにお嬢様は生後間も無くウィグロ人の住む西側へと追い出されたのです」
父親のフランツはシルフィの存在自体を否定したということか。
実の娘なのに羽の色が違うという理由だけで城から追いやる心理がわからない。なぜそこまでして毛嫌いする必要があるのだろうか?
「シルフィお嬢様がお生まれになる何年か前から、突如フランツ様は極度のレイシストになりました。城内に一つでも真っ黒いものを見つけたら白く塗るように命じていました」
「どうしてそんな極端に?」
母親がお腹を痛めて産んだ実の娘。
その娘の羽が黒いというだけで父親はレイシストになったのか?
絵本による影響だけとは思えない。
「ウィグロ人との不倫です」
国王が不倫?
「当時、城の近習として仕えてきたウィグロ人の娘は王宮でも特段美しく、紅く長い髪は薔薇のようで、深緑の瞳は宝石のように美しかったそうです」
「その不倫を隠すためにすべて白く染めたと?」
「真相は不明ですが、そう噂されています」
「その近習はどうなったのですか?」
「追放されました」
自己防衛のために不倫相手だけでなく実の娘まで追放したってことかよ。
好きな人の父親をディスりたくはないけれど、この男はとんでもないエゴイストだ。
「イーリス様の逆鱗に触れたフランツ様ですが、公にはされず、代わりにその不倫相手が呼ばれ、後日ハルモニア中央広場で公開処刑されました」
「そんな……」
「おそらく自分の身を守るためにその不倫相手にすべての罪を着せて逃れたのでしょう」
責任を取る気がないくせに一人の人生を壊す。
やっていることは犯罪者と同じじゃないか。
「しかしある日、何者かによってフランツ様は暗殺されました」
「それは一体?」
「どこの誰かはいまだにわかりませんが、その事件を起こしたのはウィグロ人によるものだという噂が広がり、それを信じた多くのウィブラン人がレイシストになっていったのです」
シルフィは望まぬかたちで家族の愛情を受けずに育ってきたんだ。
だから人一倍優しく強くなったんだと思う。
ウィブラン人の多くはシルフィのことを『片翼の魔女』や『天魔の子』と呼ぶ。
天空人の世界では、稀にウィブラン人同士の子でも黒い羽を持つものが生まれてくるらしい。
王族の娘が『齋悪』を齎した子として邪念にされているのは何かと都合が悪い。
しかし、イーリスも一人の親。
シルフィが七歳のとき、牢屋の清掃員という名目でいまの家に住むことを許可したが、まだ王宮内での生活までは至っていない。
女王の権力を持ってしても羽の色による根強い差別は消せない。
「ロベールさんはどうしてシルフィの守り役を?」
少しの間があった。
いまから数年前。
ガニエ家はウィブラン人の中でも恵まれない家庭、所謂スラム街で育った。
両親は早くに離婚し、母親が一人でロベールと病気がちの弟を育てながらだったので、長い間糊口を凌ぐ生活をしていたそうだ。
その街では強盗や犯罪が蔓延るような危険な区域で、まともに働くことが馬鹿馬鹿しく感じるようなひどい場所。
そこだけは観光客も避けるようなエリアらしい。
ロベールが十五歳のとき、病気が悪化した弟が亡くなり、翌年後を追うように母も亡くなった。
仕事を求めて街に出たロベールは王宮近くの武具屋で働かせてもらうようになり、隣の薬屋で働いていたのが奥さんのエリーゼ。
同い年の二人は意気投合してすぐに付き合った。
エリーゼは身体が弱く病気がちだった。
当時、その病気を治すには他国の医療でないと治らないらしく、ロベールはその治療費を稼ぐために年に一度行われる剣技大会に参加していた。
そこでトータル三回優勝すれば治療費が貯まる。
もともと護身のために剣術や弓矢を学んでいたこともあり、初挑戦からわずか三年で優勝した。
若干十八歳だった。
ロベール・ガニエの名は一部の間で有名となる。
五年後、二十三歳の若さで二度目の優勝をし、これを契機に二人は結婚する。
その後三人の子供たちに恵まれた。
しかし、エリーゼの体調は年々悪化していく。
まだ治療費が足りない。
生活費や養育費を除いてもあと一回優勝する必要がある。
だが、挑めど挑めどなかなか勝てなかった。
三度目の優勝には十二年かかった。
これでようやく治療を受けさせてあげることができる。
賞金を握りしめ彼女のもとに向かったが、エリーゼは亡くなっていた。
愛する人の治療費を稼ぐために戦った二十年。
ロベールは生きる意味をなくし自暴自棄になっていたとき、イーリスにお願いされ、シルフィに仕えることになった。
「お子さんたちはいまどこに?」
「親から逃げるようにみな他国に行きました」
「ここには誰も残らなかったのですか?」
「抜け殻のようなわたくしの姿を見たくなかったのでしょう。妻が亡くなってからというもの、まともに子供たちの面倒も見ず、毎晩酒に溺れていましたから」
いつも凛々しくて余裕のある印象だったロベールにもそんな過去があったなんて意外だった。
「お子さんたちには会ってないんですか?」
「もう十七年になります。いまごろどこで何をしているのかもわかりません」
ロベールにもそんな辛い過去が。
愛する人のために頑張ってきたのに報われなかった。
愛情の与え方を忘れたロベールと家族からの愛情を受けずに与える前に離れていった子供たちと愛情を受けずに育ったシルフィの姿が自分の子供たちと投影したのかもしれない。
幼いころのシルフィはロベールを本当の父親のように思って接してくれた。
ロベールにとってもシルフィとの時間は家族との時間を思い出させてくれるほどに嬉しかった。
それを知っているシルフィだからこそ、『使用人』という言い方を嫌うのだろう。
ー家に戻ろうと城下町を歩いていると、民家の前で子供たちが戯れている。
平和な光景だと思っていたが、よく見るとそれは戯れというよりもいじめに近かった。
一人の男の子を囲むように、数人の子たちがその羽を強引に折り曲げたり羽を剥いでケタケタと笑っているが、やられている本人の目は涙ぐんでいる。
天空人にとって美しさの象徴でもある羽。
男の子の羽は少しだけ灰色を帯びていた。
きっとそのわずかな色の差がいじめが起きているいじめの一つの原因だろう。
僕は無意識のうちに踏み出していた。
「君たち、何してんの」
ゆっくりと近づき注意すると、子供たちは慌てて逃げていった。
その子の肩は震えていた。
強引に引っ張られていたため白い羽根は少し赤くなっていた。
人が生きている限りどこにもいじめや差別はある。
でも、決して納得できるものではない。
日本でもジェンダーレスが浸透しつつあり、小学生のときには各々が好きな色のランドセルを背負い、中学時代にはスカートではなく男子と同じスラックスの子も何人かいた。
この世界のことはよくわからないけれど、少なくとも羽の色だけで分けるのは良くないことだけはハッキリと言い切れる。
「どうして差別やいじめをするんですかね」
理性を貫いて心の声が出た。
「差別は固定概念から生まれます。所謂ステレオタイプというものですね。そのステレオタイプに軽蔑や嫌悪を伴った感情が『偏見』です」
集団に属するが故に生まれる感情。一匹狼タイプには差別の感情が生まれることはそうない。
ロベールも合流しその子を宥めると、「もう大丈夫だから」と言って去っていってしまった。
いじめというものはとても嫌な気分になる。
茅葺き屋根の家に帰ると、おかえりと言いながらキッチンに立つシルフィがいた。
ポニーテール姿で振り向く可愛さよりも一抹の不安の方が勝っていた。
「もう。カナタくんもロベールも抜け駆けして街に出るなんてずるいよ。退屈だったから夜ご飯でも作ろうと思って」
「イーリス様の許可なく外へお連れするのは禁じられておりますので」
口を膨らませて拗ねるシルフィはちょっぴり子供っぽくて愛らしかった。
本音を言うとシルフィと一緒に街を歩きたかった。
この辺のデートスポットとかよくわからないけれど、きっとカフェとかテーマパークのようなものがあるはず。
いつかそこに二人で行きたいと妄想を膨らませるがシルフィは一国の姫。
良くも悪くも目立つし、ソルニアによる襲撃があったばかりで下手なことはできない。
「お嬢様、何をお作りに?」
「今日はね、秋茄子とチーズのホットサンドと、ベーコンとミニビーンズのガーリック炒め」
めちゃくちゃ美味しそうな名前にテンションが上がる。
前回はたまたま失敗しただけの可能性があり、今回はすごく期待値が高い。
何より朝からまともに食事をしていない分、ものすごくお腹が空いている。
ロベールもハイセンスなレシピに驚いている。
鼻歌を唄いながら楽しげに料理をしている彼女の後ろ姿は新妻のように見えた。
しばらくすると、できたよと自信満々にテーブルに料理を並べた。
湯気が立ち込み、チーズとガーリックの香りが部屋中に広がる。
「どう?美味しい?」
美味しいと言いたい気持ちはあるが、シルフィの求めていた答えを返すことを憚った。
絶対美味しいだろうという組み合わせなのに、どうしてこんなにしょっぱいのだ。
ほぼ塩の味しかしない。
口を紡ぐ僕とロベールの空気を察したシルフィが、
「私、料理のセンスないのかな……」と不安な表情を浮かべた。
こういうときはどういった言葉をかけるべきかわからなかった。
ロベールをチラ見すると、
「見た目も香りもとても美味しそうです。今回はほんの少しだけ塩の分量が多かった気がしますので、次回は半分に減らしてみてはいかがでしょうか?必要であればお手伝いいたします」
シルフィの気持ちを傷つけないように柔らかくアドバイスするロベールはさすがだなと感じる一方、
「そ、そうだよ。そしたら何杯でも食べられる」
全然フォローになっていない気がしたが、それでも彼女はどこか嬉しそうに見えた。
ここに来てからずっとバタバタしていた。
あの大きな鳥居をくぐったと思ったら天空の世界の牢屋にいて、脱走したと思ったらデモが起きて戦うことになって。
こういうのを光陰流水って言うんだっけ?
昔やっていたゲームで覚えた言葉だった気がするけれど、意味があっているかは自信がない。
ベッドに倒れるように横たわると、蓄積されていた睡眠欲が暴発するように眠りについた。
どのくらい寝ていたのだろう。
窓から差し込む光はオレンジになっていた。
家の扉を開けると、そこには食事と手紙が置いてあった。
宛名はシルフィからだった。
『カナタくん、おはよ。気持ちよさそうにすやすや眠ってたからご飯と一緒にメモ残しておくね。ご飯はロベールが作ったから安心してね笑 ひとつカナタくんにお願いがあるの。今日の夕方一緒に出かけない?連れて行きたいところがあるの。ここから真っ直ぐ行った離宮で待ってるね。あっ、これ、ロベールには内緒だよ』
何度も読み返しながら確かめる。
これはデートのお誘いというものでは?
いや、確実にデートだよな。それ以外あり得ないよな。
心を躍らせながら食事を済ませ家を出る。
離宮に向かう途中の道で身体を揺らしながらペタペタと歩き、こちらに向かってくる一羽の鳥。
こんなところになぜペンギンが?
動物園から抜け出してきたとか?
そもそもこの世界に動物園など存在するのだろうか?
僕と目が合ったペンギンはその場に立ち止まり、真っ直ぐこちらをじーっと見つめている。
「こんなところで何してるの?」とペンギンに訊くと、そのペンギンは身体を左右に揺らしながら僕のもとにゆっくりと歩み寄った後、飛びつくように抱きついてきた。
人生ではじめてペンギンを抱いた嬉しさと驚きの両方の感情に戸惑いながらもあまりに可愛いそのつぶらな瞳に心を奪われた。
ペンギンを抱き抱えたまますっくと起き上がったとき、
「おい、貴様!」
少し離れたところにいた一人の兵士に見つかりすぐに物陰に隠れた。
ずっと学蘭でいるわけにもいかず、ロベールのお子さんたちが当時着ていた服を家に届けてもらっていたので、それを着てきていた。
帽子も被っていたから黒髪も目立たないはずなのに呆気なく見つかった。
そうだ。僕は地上から来た冤罪の脱獄犯。
当たり前だが兵士たちが探していないわけがない。
せっかくのデートなのにまた牢屋にぶち込まれて処刑されるなんて勘弁してほしい。
徐々に足音が近づいてくる。
きっとさっきの兵士が捕まえにやってきたのだろう。
ペンギンだけでも逃がそうと両手を離そうとするも、なぜか石化したかのように微動だにしない。
足音がすぐそこまで聴こえる。
終わった。
さようなら、清阪 奏達。
最期に甘いものだけでも食べさせてくれと決まっていない対象者に向けて叶わない願いごとをする。
目を閉じて短い人生に別れを告げようとしたとき、もう一つの足音が聴こえた。
「レネ様」
さきほどの兵士が敬礼しながらレネの名を呼ぶと、
「ここにカラドリウスがいたな?」
カラドリウス。
化学物質のような名前にぽかんとなった。
でも、いたってことは生き物。
となると、
「はい。ですが、どこかに隠れてしまいまして」
「イーリス様には僕から報告しておく。お前は各自に持ち場につくように伝えておけ」
兵士が散って行くと、
「おい、カナタ。出てこい」
声の向かう先は明らかにこちらの方だった。
「バレてた?」
「当たり前だ」
顔を出して様子を伺うと、
「カラドリウスが懐くなんて珍しいな」
このペンギンの名前だろう。
懐くも懐かないもこの子がずっと石化している状態なんだが。
「カラドリウスは警戒心が強くてな。現に、レーゲンス家以外に懐いてる姿を見たことがない。カナタ、一体何をした?」
何もしていない。
なぜ懐いているのかこっちが訊きたいくらいだ。
昔から動物にはあまり懐かれない方だが、なぜこのペンギンが懐いてきたのかはいまだにわからない。
「イーリス様のもとに帰るぞ」とレネが言って両手を広げるも、カラドリウスはレネを睨んだまま。
これはただ単にレネが嫌われているだけじゃないのだろうかと言いかけたが、喧嘩になりそうだったのでやめておいた。
「フン、相変わらず愛想のないやつだ」
誰が言っているんだと心の中でツッコミを入れながら、
「そいつはイーリス様のペットだ。朝になったらいなくなっていて心配しておられる。王宮に行くぞ」
カラドリウスを下ろそうとするが、どこか哀しそうな目で何かを訴えている。
行くぞと言われて半強制的に王座に連れていかれた。
いや、これから大事なデートなんですが。
ーレーゲンス城玉座にハイエンドな純白ドレスを着た美しい人が座っていた。
その横にはリリィもレネもいて妙な緊張感があった。
「あなたが清阪 奏達くんですね?」
間近で見ると本当にシルフィそっくりだ。
いままで見てきたウィブラン人の中でも一際美しさと凛々しさを感じる。
イーリスを見たカラドリウスが足をパタパタさせながら彼女のもとに戻ると、イーリスは嬉しそうに抱き抱える。
「まずはあなたを牢屋に入れてしまったことをお詫び申し上げます。突然王宮の入り口に現れたと訊いてあなたの姿を見たとき、あまりにディアボロスにそっくりだったので」
僕はどんだけ悪魔顔なんだ。
イーリスは軽く立ち上がり、首をこちらに曲げた。
イメージしていた女王の姿を良い意味で覆され、僕は「あ、あぁ」と失礼な返事をしてしまった。
「あなたのような地上人もいたのですね」
「と、いいますと?」
絵本の中の話とはいえ、黒い片翼の天魔リリスとディアボロスが起こした齋悪の影響は大きい。
その悪魔にそっくりという理由で牢屋にぶち込まれたことに対して納得いっていないが、理解はできた。
「ご自身と関係ない国にも関わらず、先のソルニアからの襲撃に参戦し、ここを守ってくれました。それにカラドリウスが懐くなんてあなたは不思議な力を持っているかもしれません」
不思議な力?
ない頭を振り絞って考えた結果、
出た答えは、
「もし不思議な力があるとすれば、世界中の人を平等に愛せる。ということでしょう」
恐ろしいほど静まり返った空気に穴があったら入りたい気分だった。
もう少しくすくすと笑い声が聞こえてくる予定だったが、日頃からコミュ力を磨いていない弊害だ。
少しの間があった後、イーリスがアハハと高笑いする。
その姿に周囲の兵士たちも驚いている。
「失礼。やはり、あなたは面白いですね」
「気に入ってもらえて光栄です」
こんなことを言ったらどんなことになるかわからないが、この人は不思議と気が合う。というより緊張しない。
カラドリウスは幼いころ、群れと逸れ、孤独になってしまったところをイーリスが見つけて母親代わりになった。
「この子は私の息子のような存在です。今朝急にいなくなったので大変焦りましたが、見つけていただき感謝いたします」
この人は羽の色とか関係なく人を人として見ている。
日本の政治家よりも国民と真摯に向き合っている気がする。
それなのに、なぜシルフィのことを無碍に扱うのだろう。
実の子なら王宮に住まわせて王族の人間らしく育てても良いのに。
「ひとつお願いがあるのですが、私たちに協力してほしいのです」
協力って言ったってただの不登校高校生ですよ?
武器も使えないし、空も飛べない。
「自慢できることは一人遊びの天才ということくらいですよ?」
またも変な空気になった。
唯一の頼みだったイーリスも笑う素振りを見せない。
こういうときにコミュ力のなさが露呈されてしまう。
「これは、あなたにしかできません」
羽を持たない地上人にしかできないこと?
そんなものがこの世界であるのだろうか?
「ソルニアによるスティネイザーの襲撃を止めてほしいのです」
この人はクレイジーなのか?
戦闘力ゼロの人見知り高校生に何ができるというのだ?
「我が国とスティネイザーはもともと友好関係にあり、それはいまでも変わりません。しかし、戦力差は歴然ですし、スティネイザーがソルニアの手に堕ちれば一瞬にしてこの世界はソルニアによって占領されてしまいます」
言いたいことはわかったけれど、どうして僕がそれをしなければならないのだろうか?
「ソルニアのハロルドという男は危険です。このまま彼を放置しておけばいずれこの土地も攻められてしまいます。羽のないあなたに協力していただければ戦況は一気に逆転します」
訊けば訊くほど理解ができなかった。
点と点が線にならない。
双方の戦に他国が介入すれば角が立つ。
仮にスティネイザーと協力してソルニアに挑んだとしても、ボスを倒さなければ意味がない。
敵はあの大国ソルニアだ。
ここは冷静かつ狡猾的に挑むのがベストだろう。
「爽籟の寧日は近いうちに終わりを迎えます。明日になれば多くのものが駆り出され、ここも戦火となる可能性があるでしょう。少しでも死傷者を減らすためにはあなたの力が必要なのです」
しかしながら素朴な疑問。
「あの、僕一般人ですが」
「あなたは素質があります」
素質?
命を賭けた戦いに素質もクソもないと思うが。
「あなたにディアボロスの子になっていただきたいのです」
女王様、いくら見た目が似ているからって冗談がすぎますよ。
それに悪魔に似ているって言われて嬉しいわけがない。
もしかして、素人を主役にした新しい映画でも作ろうって魂胆か?
シェラプト映画最新作
『悪魔高校生、戦争を止める』
こんな映画があったら面白いとでも思っているのだろうか。
「冗談はよしてください」
「いえ、あなたならできます」
これは新手の詐欺?
異国の人間だからって雑に扱われているのでは?
「これを使ってください」
渡されたのは漆黒の十字架のネックレスだった。
「母上、そんなものをどうして?」
リリィだけでなくそこにいた兵士たちもみな喫驚している。
「安心なさい。これはそっくりに作らせた偽物です」
なんとも不気味な色をしている。
光沢のない黒はブラックホールのように世界中を黒く染めるほどに禍々しかった。
「羽を持つ生き物の中で最も恐れられているのがカラスです。頭の良い彼らでさえもディアボロスはこの漆黒の十字架を使って牛耳っていました。そのため、カラスと目が合うと不幸が訪れると信じ込んでいるものさえいます」
それだけこの十字架の効果は絶大ということ。
しかしそんな簡単に行くのか?
「当日はレネを同行させます。タイミングはレネが指示しますのでこの台詞を叫んでください」
そういってメモを渡された。
それは映画のワンシーンを撮るようなスタンスではなく、これをちゃんと言えないと多くの人が死んでしまうくらいの重圧感があった。
しかし、僕もタダでやるわけにはいかなかった。
見知らぬ地で戦闘力ゼロの男が戦場に立つなんて自殺行為に等しい。
「いいっすけど、条件があります」
「おい貴様、誰にものを言っている?」
「リリィ、良いのです。カラドリウスを見つけていただいたお礼です」
条件は思っていたよりあっさり通った。
冤罪だった僕はこの国を自由に行き来できるようになった。
とはいえ、世界中で恐れられている存在に瓜二つという悲しいルックスは何かと不備があるので、特別に王族風の衣類を与えてもらった。
これで遠慮なくこの国を行き来できる。
また、シルフィも同様の条件で許可を得た。
さすがに空を飛ぶことはできないけれど。
少しだけ調子に乗ってみた。
「それと、もう一つ条件が……」
ー王宮を出ると、そこにシルフィがいた。
玉座に招かれた噂を訊いて駆けつけてきたようだ。
「手紙、読んだよ」
シルフィにそう告げると、こっちと言って僕の手を握りしめながら離宮の方へと向かった。
「明日、トロープンベラハに行くんでしょ?」
途中の道で唐突に訊いてくる。
「訊いてたの?」
「兵士たちが噂してて」
「って言っても戦うわけじゃないけど」
「お母様の命令?」
「交換条件つきでね」
「交換条件」
僕と彼女がこの国を自由に動き回れるようにしてもらったことを話した。
「そんなことのために危険な場所に行くの?」
「大切なことだよ。僕にとっても。君にとっても」
「でも、死んじゃうかもしれないんだよ?」
そうかもしれない。でも、なんだかイーリスの言う通り動けば大丈夫だと直感で思った。
何より本人と話していて人を欺いたりするような人ではないと思った。
「大丈夫。いざってときは秘技、身隠の術を使うから」
「身隠の術」
そんな忍者のような術は持っていないが、本当にやばいときはシルフィを連れて真っ先に逃げる。
逃げることは恥ではない。意固地になって死ぬより生きながらえる方が大切だ。
離宮のさらに奥へ進むと、見るからにボロボロの橋があった。
アクセルのような大男が歩いていたら一瞬にして崩れ落ちそうなくらいかなり劣化している。
こんなところに橋があったなんて。
反対側から人が来たら半身にならないと通れないくらに狭いその橋をゆっくりと渡る。
重心を真ん中にしていないとグラグラと揺れるほど脆いその橋は、『吊り橋効果』などという悠長なことを言っている余裕のないくらい軋んでいた。
慣れている様子のシルフィは少し楽しんでいる様子だったが、僕はビビりすぎて足が震えていた。
踏み外さないように慎重に歩いていく。
なんとか橋を渡りきるとそこには美しい景色が広がっていた。
深緑の木々に囲まれた透き通る湖畔。
ここが街ならオーストリアのハルシュタット湖畔にも引けを取らないだろう。
「ここはシェラプト湖畔って言うんだけど、この景色がすごく好きでね。一度カナタくんに見せたかったんだ」
その湖畔には蓮の上を軽やかに歩く親鳥のそばを慎重に歩く雛鳥たちがいた。
生まれたばかりの雛鳥が湖に落ちないよう心配そうに見守る父親のレンカク。
「かわいい〜」
目を細めながらとろけるような笑顔を見せるシルフィはレンカクの親子と同じくらいに可愛く癒された。
しばらくレンカクの親子を見つめていると、
「ずっと気になっていたことがあるんだけど訊いてもいい?」
まさか、これは?
過去の恋愛話?
いま好きな人いる?とかそういった恋バナを期待していたが全く違った。
「地上の世界のこと教えてほしいな」
ベンチに腰掛けると、両手を顎に乗せながら上目遣いでそういった。
透き通るようなミントグリーンの瞳でまっすぐ見つめられ心臓が飛び出そうになる。
彼女の横に座り、地上の世界のことを話すことにした。
夜に絵本の読み聞かせを期待する子供のように。
三十七万八千平方キロメートルの小さな島国で、アジアと呼ばれるエリアにあること。
アニメやエンタメが豊富にあって、野球、サッカー、バスケなどの球技が盛ん。
こっちにはテレビがないからアニメの説明をしても理解されないだろうな。
空を飛べる天空人が球技をやったらルールとか関係なくなりそうだけれど。
電車や飛行機の話をしたときはひどく驚いていた。
とくに飛行機に乗ったら空を飛んでいる気分になれるから、僕たち同様自力で空を飛べない彼女にとっては夢のような話。
ただ、少し低いトーンで「空、飛んでみたいな」と呟いた。
その儚く切ない表情を見たとき、少しデリカシーがなかったかもと後悔した。
もちろんこの世界には公共交通機関なんて言葉すら存在しない。
食の話もした。
日本には和食がある。
寿司、うどん、焼肉。
語彙力が欠如していることもあるが、説明するのはすごく難しかった。
いまのところこっちで食べているものはほとんど芋料理。
こっちの人たちは鶏肉を絶対に食べない。
焼き鳥の話をしたら鳥さんを食べるなんて野蛮と怒られそうな気がしたのでそれには触れないでおいた。
春夏秋冬の四季があること。
春、桜が咲くころには花を見て季節を感じる。
家族以外花見をしたことがない僕にとってカップルがイチャついている姿は拷問でしかない。
どうしてお花を見ながらお酒を飲むの?と真剣な顔で訊いてきた彼女の問いに高校生の僕には正しい答えが出せなかった。
ってかこっちの世界にもお酒が存在するということに驚いた。
夏には浴衣を着て花火をする。
浴衣を説明するのは思っていたより難しかった。
着物とごっちゃんになり、説明の途中で自分でもわけがわからなくなり、結局有耶無耶になった。
本当はスマホで画像を見せるのが手っ取り早かったが、残念ながらこの世界に来たときにはすでに手元にはなかった。
話しながら彼女の浴衣姿を想像してしまった。
きっとミントグリーンの髪には白ベースの浴衣が似合うのだろう。
こっちに花火があったら横並びになって河川敷で線香花火をしたらきっと楽しいだろうななどと妄想を膨らませる。
秋にはハロウィンがあって紅葉が咲く。
ハロウィンの説明は途中で諦めた。
コスプレの説明からしなくちゃいけないし、天空人自体がコスプレしていると言ったら怒られてそうな気がしたから。
家族で過ごすわけでもないし、近所付き合いもないからただの十月末でしかない。
そもそも毎年秋が短くなっていく感じがしてあっという間に過ぎていくから秋の説明は簡潔にした。
そして冬には雪が降る。
街はライトアップされ色々なお店が赤と緑に彩られる。
恋人のいたことがない僕にとって、友達のいない僕にとってクリスマスとイブはとんでもない地獄であり、一年間でもっとも長く感じる二日間でもある。
シルフィは双眸を見開きながらキラキラさせて訊いている。
イルミネーションを一度見せたらきっと大喜びするだろうな。
年末年始にはそばを食べて初詣をして御神籤を引く。
最近は減ってきているけれど、餅つきや豆まきのことも話した。
義理チョコすらもらったことがないからバレンタインデーの話はしなかった。
僕は雪が好きだ。
寒さや寂しさをかき消してくれるくらいの白い結晶は全身を温めてくれる。
雪解けの水で何度か足を滑らせて転んだこともあったけれど、それでも街を包み込む真っ白な雪はシルフィのように白く美しい。
残念ながらこの国に雪が降ることは滅多にない。
だから彼女は地上の冬というものをすごく楽しみにしているように感じた。
はじめてこの島からの景色を見たとき、実に風光明媚で思わず声が出た。
きっとまだまだ見ていない景色が待っているのだと思うとワクワクする。
「同じ星にいるのに、全然違う世界だね」
シェラプトと日本はたとえるなら空と海中。
決して届かないそんな場所。
そう考えると僕はすごい世界にいるのだと感じる。
上空から大きな白鳥のような群れがやってきた。
彼らはキュクノスというらしい。白鳥の一族で、日本でよく見る白鳥に比べて肉食で獰猛。
大きなものだと全長四メートルほどあり、長く大きな嘴は人一人を丸呑みするほどの力を持つ。
この湖畔と陸地をつなぐ道はなく、空からしか行くことはできなかった。
空を飛べないシルフィはロベールにお願いしてあの簡易的な橋を作らせた。
昔は観光地として訪れる人が多く、とくに夏の暖かい時期は湖畔に差し込む光と雲のコントラストが美しく多くの人を魅力したが、その反面、ゴミの放置などで湖を汚す人が多くいたことに怒ったキュクノスたちが人々を襲った。
以降、双方を守るためにこの地は特別保護区域となり、王族の許可がない限り立ち入ることはできなくなった。
「綺麗でしょ。ここに来ると落ち着くんだ」
そう言ってシルフィは遠くを見つめている。
たしかに綺麗だが、それよりも目の前にいる群れが気になった。
水面の上も泳ぐ数羽のキュクノスたち。
そこに一際大きな個体がいた。
「クリュティエ」
シルフィが手を振りながらそう呼ぶキュクノスはオレンジ色の嘴と真っ赤な瞳が特徴的。
「姫、その穢らわしい生きものは誰だ?まさか地上人じゃないだろうな?」
白鳥がしゃべった⁉︎
「ちょっとクリュティエ。そんな言い方しないで。この人はカナタくん。優しい地上人よ」
「地上人はみな鳥を食べる野蛮な生き物だ」
そうなの⁉︎という驚いた彼女にレスポンスするよりも前に僕を睥睨する彼の鋭い眼光に足が竦んで何も答えられなかった。
「おい、地上人。姫を誑かしているのなら容赦なく喰らってやるからな」
大きな嘴を僕の方に近づけながらそう言った。
その目つきと声のトーンからして冗談は微塵も感じず、本気で喰われるような威圧感を感じた。
噂というのは恐ろしいもので、人だけでなく鳥たちにも伝わっていた。
「カナタくんはそんなことするような人じゃないよ」
少し膨れる彼女は少し上気しているように見えて嬉しかった。
「姫がロベール以外に誰かを連れてくるなんて珍しいな」
「ちょっと力を貸してほしいの」
「姫の頼みなら聞かなくはないが、その地上人に協力する気はないぞ」
「そんないじわるしないで。カナタくんは私の大切なお友達なの」
嬉しいはずの『友達』という言葉がこんなにも切なく胸に突き刺さるなんて。
少しの間の後、
「トロープンベラハに連れて行くだけなら協力してやる」
「どうして知ってるの?」
「イーリスからの頼みなら断れんだろう。明日の朝、こいつをトロープンベラハまで乗せてやってほしいと言われたよ」
「お母様から直々に?」
さっき言われたばかりなのにもう連携されているなんて。
さすがすぎて脱帽する。
「しかし、送るだけだ。あそこは暑くて長居できんからな」
キュクノスたちは暑いのが苦手なため、この湖畔に姿を表すのは春、秋、冬だけで、夏になると北に移動して過ごす。
もともと数多く生息していたキュクノスだったが、数年前に天敵である飛竜に襲われたことで多くの仲間を失い、この湖畔に逃げ込んだ。
クリュティエも大きな怪我を負ったが、そのときに治療してくれたのがイーリスだった。
「お願い、カナタくんを守って。武器も持ったことないのにお母様に頼まれて仕方なくなの」
懇願するように両手を合わせる彼女の姿を見て、
「地上人。今回だけだぞ。姫に感謝するんだな」
「ありがとう」
「あの辺は山岳地帯で飛びづらい。役目を果たしたらすぐに背中に乗れ」
彼女のおかげで最悪の事態だけは免れそうだ。
ツンツンしているけれど、クリュティエはきっといいやつなのだと思う。
帰り道、ぐらぐらの橋を渡りながら考える。
これは本当にデートだったのだろうか。
ただのネゴシエートに思えてならなかったけれど。
少しの疑問を抱きつつも、はじめて彼女と過ごすデート?は嬉しかった。
今度は城下町を二人で歩きたいと願い、決戦の日に備えることにした。