ジェレミーの陰謀が落ち着いてから数日。
秋の空はすっかり冬へと移り変わり、白い息が空中を飛び交うようになったころ、いつものようにシルフィの部屋に向かう。
「大変です!」
イスカが絵に描いたようにあたふたしている。
どうした?と聞くと、
「シルフィ様が家出なさいました」
その慌てっぷりに逆に冷静になっていた自分がいた。
「どこに行ったかわかる?」
「いえ、見当もつきません」
昨晩イスカが食事を持っていったとき、シルフィの様子が少しおかしかったらしく、本を読みながらそわそわしていたそうだ。
今朝起こしに来たときにはもういなかった。
「これがテーブルに」
渡されたのは一枚のメモ。
そのメモにはこう書かれていた。
やっと見つけた、マルアハの水。
これでようやく空を飛べるようになる。
空を飛べるようになったらどこに行こうかな?
でも、どうやって行こう。
一人で行けるような場所じゃないし。
カナタくん誘おうかな。ううん、そんなことできない。
これは私の問題。
あんな危険な場所に連れていくなんてできないもの。
ちょっぴりこわいけど、勇気を出してみる。
これは間違いなくシルフィの字だ。
読書を嗜むシルフィは様々なジャンルの本を読む。
好奇心旺盛な性格もあって色々なことに興味を持ちすぐに行動する。
向こう見ずに思える一面も、彼女にとっては本で見た景色を自身の瞳で確かめたいだけなのだ。
自由という名の世界から遮断されてきた彼女にとって、本の中の世界は新たな発見と希望に満ちた世界なのだ。
「このマルアハの水というのは?」
「マルアハの水は一時的に重力を無効化すると噂されているお水です。実際に目にしたことはありませんが」
本当にそんなものが存在するのだろうか。
半ば信じがたいが、もしその噂が本当なら空を飛ぶことも簡単にできる。
彼女の夢である以上、手伝わない理由はないが、如何せん行き先がわからない。
「その水はどこにあるんだ?」
「そこまではわかりません。あくまで噂ですし、本当に実在するのかさえ」
シルフィのメモには確信めいたものを感じた。
きっとどこかにあるのだろうけれど、この広いヘメリアの世界で見つけるには手がかりがなさすぎる。
こんなときに碩学なロベールがいてくれたらなんて縁起でもないことを考えてしまう。
「そうか、知らないなら仕方ない」
「あわわ、も、申し訳ありません。何でもしますのでお許しを」
「本当に何でもするんだな?」
「何をさせるおつもりで?」
まるで王子と侍女のようなやりとりに一瞬だけ、ほんの一瞬だけ邪心に飲み込まれそうになった。
強い言い方をしたわけじゃなく本当に仕方がないと思って言ったのだが、彼女の性格上、否定されると不安が顔を出し狼狽する癖があるようだ。
そんな謝らなくてもって思ったが、どうやら睨まれていると感じたらしい。
もともと目つきが悪いだけなので許してほしい。
イスカとシルフィを探しに王宮内を歩き回ったが、結局何の情報も得られなかった。
街に出てようやく酒場のマスターから手がかりを得たので、イスカを城に残し一人でそこに向かった。
ジェレミーとの戦い以降、足を運んでいなかったウェルトレク村。
デパイ村長に例の件について尋ねるとゆっくりと口を開いた。
「マルアハの水はエインデにのみ存在する伝説の水。それを飲めば一時的に重力を無効化できるが、そもそもそこまで行けんじゃろうな」
「どういうことです?」
「エインデに向かうには飛竜島を越えないといけないんじゃが、飛竜は人を喰らう。人だけでなくあらゆるものを喰らい破壊する。だから誰もあそこに近づこうとはせんのじゃよ」
ヘメリア最南端の国エインデ。
かつて多くの人が住んでいた翠と碧に輝く国だったが、いまは誰も住んでいない廃墟の国。
人を喰らう飛竜たちの棲む島の奥にあるため、誰も近づこうとしない。
彼女はそんな危ないところに一人で向かったというのか?
「かつてエインデにはアネモイという女性がおった。アネモイはシルフィ様と同様に羽が片方しかなく、空を飛ぶことを夢見てマルアハの水を作っていたんじゃが、志半ばで亡くなってしまった」
アネモイ。
自分と同じ片翼の子がいたことを彼女は知っていたのだろうか。
「あの水はシルフィ様やアネモイにとっては魔法の水じゃが、空を飛べるものからすればただの水でしかない」
デパイ村長の話を訊いていてふとあることを思った。
「アーユスの力を使えば空を飛ぶこともできるんじゃ?」
「あの力は自分自身には使えんのじゃよ」
アーユスの力が何のために存在し、いつからあるのかはさすがのデパイ村長にもわからないそうだ。
しかし、シルフィはどうやってエインデに向かったのだろう?
可能性として考えられるのはキュクノスたちだが、僕の心中を察するかのように村長が続ける。
「飛竜は人だけでなくキュクノスも喰らう。だから彼らに頼っても意味は成さぬよ」
詰んだ。
唯一の手がかりを失い途方に暮れる。
この世界に来るまで自らの力で空を飛ぶなんて概念がなかった。
でもここでは空を飛べないのさまざまなものが制限される。
鰓呼吸のできない魚が海の中で生きていけないように、空の上では羽がないこと=同族扱いされない。
そんな中でも懸命に生きる彼女は強く逞しい。
飾らない姿は多くのものを魅了する。
それに比べて僕はいつも誰に甘え、頼り、逃げ続けてきた。
自分の力で解決できるようなことも楽な道を選んできた。
変わらなきゃいけない。
でも、あそこに行くには彼らを頼る以外に道がない。
他に選択肢はないだろうか。
「シェラプト内の最東端に『ファルケン草原』という広い草原がある。そこなら可能性があるかもしれん」
「そこには一体何が?」
「確証はないが、運が良ければエインデまで行けるかもしれん」
背に腹はかえられない。
いまは経験と知識のある人の意見を聞くのがベスト。
深く訊くことはせず村長の家を出ると、ウェスレイが立っていた。
この狭い村では噂が広がるのは一瞬だ。
僕がやってきたことを聞きつけ駆けつけてきたのだろう。
少しだけ息が上がっていた。
「元気そうじゃん」
「カナタのおかげでな」
にっこり笑いながらそう言うウェスレイは、はじめて出会った素気ない態度の面影はなかった。
「パパとママは元気?」
うんと言いながら後ろで待っている両親に手を振る姿に思わず頬が上がる。
両親はこちらを向いて深くお辞儀をしてきたので、お辞儀し返した。
塔の中で操られていたウェルトレク村の人々は、事態を知ったクリスティンの弟であるアーロン・ランカウド現王子によってランカウドから医療班を送り治療した。
頭痛や倦怠感などの後遺症はあるものの、普通の生活ができるくらいまで回復した。
「カナタ、ありがとう」
よしよしと頭をなでると、少し照れながらも嬉しそうに笑うウェスレイは純粋な少年そのものだった。
「たまには遊びにきてよ」
「あぁ、約束する」
踵を返し、「またね」という言葉の後に父親と母親に手を掴まれながら自分の家に帰っていった。
デパイ村長の言葉を信じファルケン草原に向かう。
城下町から東に向かい、ロベールの故郷であるスラム街を超えたころ、空は 絳霄 色に染まっていた。
たどり着いた場所には何もなく、だだっ広い草原。
そこにポツンとあったのは羽の生えた猪の石像が一体。
誰かが作ったにしてはリアルすぎる。
まるで命が宿っているように見える。
気になってその石像をトントンと軽く叩いてみると、表面にヒビが入ってしまった。
「やべっ!」
どうしよう。
こんな簡単に傷がついてしまうなんて思わなかった。
幼いころ、悪戯心でじいちゃん家を襖を指で突っついて破いてしまったとき、誤魔化すこともできずにこっぴどく叱られたことを思い出した。
これが国の重要文化財のようなものであれば処刑される可能性だってある。
そう思ったら額から冷や汗が滴り落ちてきた。
周囲には誰いないし、いまのうちに逃げてしまえば……
「儂を起こすのは誰じゃ?」
いまの声はどこから?
まさかこの石像?
「猪がしゃべるわけないよな」
心の声が漏れる。
「猪ではない」
「猪がしゃべった⁉︎」
「だから猪ではない。ポルチェリーノ族のペテロだ」
「ポルシェの行動にメロメロ?」
「おまえ、何を言ってる?」
「いまそう言ったよな?」
「ポルチェリーノ族のペテロと言ったのだ」
身体をコーティングしていた石は剥がれ落ち、茶色い皮膚と白い羽が露わになる。
このペテロによると、ポルチェリーノ族はエインデの中で神の使いとして崇められ、先住民と平和に暮らしていた。
飛竜たちはお腹が空いたり繁殖期に入ると獰猛になり暴れ回る。
飛竜島から近いエインデは度々襲われそうになるも、ポルチェリーノ族によって幾度となく守られてきた。
しかしある日、飛竜族のリーダーであるレブレによって襲撃されてしまい、ポルチェリーノ族はみな喰われ残ったのはこのペテロとパートナーのみ。
身を守るように、逃げるように二頭でここにやってきたそうだ。
「なぜ地上人がここにいる?」
ここに来てから必ず訊かれる定型文のような質問に飽き飽きしていた。
相手からしたら何の他意もない素朴な疑問なのだろうが、なぜここに来たのかはいまだにわからないのでテキトーに誤魔化した。
何よりいまは彼女が心配でならない。
一刻も早く彼女のもとに行きたい。
「エインデに行きたいんだ」
「あそこには何もないぞ」
「大切な人が一人で向かったんだ。マルアハの水を求めて」
空を飛ぶことが当たり前の世界でそれができない彼女にとってその魔法の水を手に入れたいと思うのは自然のこと。
とはいえ、たった一人で向かうなんて危険すぎる。
しかも誰にも相談することなく突然に。
心配にならないわけがない。
「マルアハの水だと⁉︎」
「知ってるのか?」
「かつてエインデにはアネモイという子がいてな、恋人のラメクと一緒に空を飛ぶため研究に没頭した」
デパイ村長からアネモイのことを訊いていたが恋人の存在は初耳だ。
「アネモイはエインデ王の娘でな。生まれながらの片翼に負い目を感じ、外に出ることをひどく恐れて本を読む毎日を探していた。そんな時、たまたま訪れた商人のラメクがアネモイに一目惚れし、毎日城に忍び込んでは猛アプローチをしていた。押しに負けた彼女は城を出て二人でマルアハの水を作り続けた。結局夢は叶わなかったが、ラメクもアネモイもとても仲が良く、毎日幸せだったそうだ」
一人では持てない石も二人でなら持てるようになる。
結果的に夢は叶わなかったが、お互いに同じ方向を向いていたから幸せだったのかもしれない。
「アネモイが亡くなったその後、飛竜たちによって国は崩壊した。あそこにはもう何もない」
「飛竜たちはそのエインデに何か恨みでも?)
「昔もいまも飛竜島から一番近い国がエインデ。やつらにとって人類は食糧でしかない。飛竜か飛竜以外かだけなのだ」
お腹が空いたから近くにあるものを食べる。
生きるためにはごく普通のこと。
やっていることは人類も同じだと思うと少し悲しくなった。
それでもいまはやらなきゃいけないことがある。
もしこの瞬間に彼女が飛竜に襲われていたらと思うと居ても立ってもいられなくなる。
「エインデに連れていってくれ」
「言っておくが儂は連れてつかんぞ」
自分の仲間を喰らった敵のもとにたった一頭で復讐しに行くなんて無謀なことはしないはず。でも、いまの僕にはペテロを頼る以外に選択肢がないのだ。
「飛竜族をぶっ倒せばいい話なんだろ?」
「おまえは阿呆なのか?羽を持たない地上人がどうやって飛竜と戦うつもりだ?」
「それは、これから考える」
「呆れたやつだ」
「とにかく僕はシルフィのもとに行きたいんだ」
「シルフィだと⁉︎」
「彼女を知ってるのか?」
「当たり前だ。儂はあの子にお願いして石化してもらったんだからな」
ポルチェリーノ族は石化という能力を持ち、身体を石化させることで長い冬眠のような状態になり、寒い冬を生きながらえるそうだ。
何万年も生きる彼らにとって寒い冬を過ごすにはペトリファイが必要不可欠。
しかし、この能力は自身には使えず、互いにかけ合うことで徐々に身体を石化させる。
石化といっても身体の表面を硬直させるのみで、個体によって差はあるものの、時が経てば石化は解除される。
去年ペテロの横で寄り添い続けていたパートナーが亡くなり、冬を越すための方法を探していたところ、たまたま出会ったシルフィに石化してもらったそうだ。
「おまえはシルフィのなんだ?」
なんだと言われると答えに困る。
彼氏でもなければ友達と言えるほど仲が良いのかもわからない。
ただ、これが試されてきるように思えてならなかった。
答え次第ではペテロの態度が変わりそうな気もしたのでしばらく考えた後、
「僕は、シルフィの一番の理解者だ」
そう答えると、少しの間があった。
「乗れ」
「えっ?」
「聞こえなかったのか?乗れと言っているんだ。エインデに行きたいんだろう」
「あ、あぁ。頼む」
「ただし、音を立てるなよ」
飛竜族は耳がよく警戒心が強い。それでいて目も良い。
島を越えるには慎重にいかないといけない。
秋の空はすっかり冬へと移り変わり、白い息が空中を飛び交うようになったころ、いつものようにシルフィの部屋に向かう。
「大変です!」
イスカが絵に描いたようにあたふたしている。
どうした?と聞くと、
「シルフィ様が家出なさいました」
その慌てっぷりに逆に冷静になっていた自分がいた。
「どこに行ったかわかる?」
「いえ、見当もつきません」
昨晩イスカが食事を持っていったとき、シルフィの様子が少しおかしかったらしく、本を読みながらそわそわしていたそうだ。
今朝起こしに来たときにはもういなかった。
「これがテーブルに」
渡されたのは一枚のメモ。
そのメモにはこう書かれていた。
やっと見つけた、マルアハの水。
これでようやく空を飛べるようになる。
空を飛べるようになったらどこに行こうかな?
でも、どうやって行こう。
一人で行けるような場所じゃないし。
カナタくん誘おうかな。ううん、そんなことできない。
これは私の問題。
あんな危険な場所に連れていくなんてできないもの。
ちょっぴりこわいけど、勇気を出してみる。
これは間違いなくシルフィの字だ。
読書を嗜むシルフィは様々なジャンルの本を読む。
好奇心旺盛な性格もあって色々なことに興味を持ちすぐに行動する。
向こう見ずに思える一面も、彼女にとっては本で見た景色を自身の瞳で確かめたいだけなのだ。
自由という名の世界から遮断されてきた彼女にとって、本の中の世界は新たな発見と希望に満ちた世界なのだ。
「このマルアハの水というのは?」
「マルアハの水は一時的に重力を無効化すると噂されているお水です。実際に目にしたことはありませんが」
本当にそんなものが存在するのだろうか。
半ば信じがたいが、もしその噂が本当なら空を飛ぶことも簡単にできる。
彼女の夢である以上、手伝わない理由はないが、如何せん行き先がわからない。
「その水はどこにあるんだ?」
「そこまではわかりません。あくまで噂ですし、本当に実在するのかさえ」
シルフィのメモには確信めいたものを感じた。
きっとどこかにあるのだろうけれど、この広いヘメリアの世界で見つけるには手がかりがなさすぎる。
こんなときに碩学なロベールがいてくれたらなんて縁起でもないことを考えてしまう。
「そうか、知らないなら仕方ない」
「あわわ、も、申し訳ありません。何でもしますのでお許しを」
「本当に何でもするんだな?」
「何をさせるおつもりで?」
まるで王子と侍女のようなやりとりに一瞬だけ、ほんの一瞬だけ邪心に飲み込まれそうになった。
強い言い方をしたわけじゃなく本当に仕方がないと思って言ったのだが、彼女の性格上、否定されると不安が顔を出し狼狽する癖があるようだ。
そんな謝らなくてもって思ったが、どうやら睨まれていると感じたらしい。
もともと目つきが悪いだけなので許してほしい。
イスカとシルフィを探しに王宮内を歩き回ったが、結局何の情報も得られなかった。
街に出てようやく酒場のマスターから手がかりを得たので、イスカを城に残し一人でそこに向かった。
ジェレミーとの戦い以降、足を運んでいなかったウェルトレク村。
デパイ村長に例の件について尋ねるとゆっくりと口を開いた。
「マルアハの水はエインデにのみ存在する伝説の水。それを飲めば一時的に重力を無効化できるが、そもそもそこまで行けんじゃろうな」
「どういうことです?」
「エインデに向かうには飛竜島を越えないといけないんじゃが、飛竜は人を喰らう。人だけでなくあらゆるものを喰らい破壊する。だから誰もあそこに近づこうとはせんのじゃよ」
ヘメリア最南端の国エインデ。
かつて多くの人が住んでいた翠と碧に輝く国だったが、いまは誰も住んでいない廃墟の国。
人を喰らう飛竜たちの棲む島の奥にあるため、誰も近づこうとしない。
彼女はそんな危ないところに一人で向かったというのか?
「かつてエインデにはアネモイという女性がおった。アネモイはシルフィ様と同様に羽が片方しかなく、空を飛ぶことを夢見てマルアハの水を作っていたんじゃが、志半ばで亡くなってしまった」
アネモイ。
自分と同じ片翼の子がいたことを彼女は知っていたのだろうか。
「あの水はシルフィ様やアネモイにとっては魔法の水じゃが、空を飛べるものからすればただの水でしかない」
デパイ村長の話を訊いていてふとあることを思った。
「アーユスの力を使えば空を飛ぶこともできるんじゃ?」
「あの力は自分自身には使えんのじゃよ」
アーユスの力が何のために存在し、いつからあるのかはさすがのデパイ村長にもわからないそうだ。
しかし、シルフィはどうやってエインデに向かったのだろう?
可能性として考えられるのはキュクノスたちだが、僕の心中を察するかのように村長が続ける。
「飛竜は人だけでなくキュクノスも喰らう。だから彼らに頼っても意味は成さぬよ」
詰んだ。
唯一の手がかりを失い途方に暮れる。
この世界に来るまで自らの力で空を飛ぶなんて概念がなかった。
でもここでは空を飛べないのさまざまなものが制限される。
鰓呼吸のできない魚が海の中で生きていけないように、空の上では羽がないこと=同族扱いされない。
そんな中でも懸命に生きる彼女は強く逞しい。
飾らない姿は多くのものを魅了する。
それに比べて僕はいつも誰に甘え、頼り、逃げ続けてきた。
自分の力で解決できるようなことも楽な道を選んできた。
変わらなきゃいけない。
でも、あそこに行くには彼らを頼る以外に道がない。
他に選択肢はないだろうか。
「シェラプト内の最東端に『ファルケン草原』という広い草原がある。そこなら可能性があるかもしれん」
「そこには一体何が?」
「確証はないが、運が良ければエインデまで行けるかもしれん」
背に腹はかえられない。
いまは経験と知識のある人の意見を聞くのがベスト。
深く訊くことはせず村長の家を出ると、ウェスレイが立っていた。
この狭い村では噂が広がるのは一瞬だ。
僕がやってきたことを聞きつけ駆けつけてきたのだろう。
少しだけ息が上がっていた。
「元気そうじゃん」
「カナタのおかげでな」
にっこり笑いながらそう言うウェスレイは、はじめて出会った素気ない態度の面影はなかった。
「パパとママは元気?」
うんと言いながら後ろで待っている両親に手を振る姿に思わず頬が上がる。
両親はこちらを向いて深くお辞儀をしてきたので、お辞儀し返した。
塔の中で操られていたウェルトレク村の人々は、事態を知ったクリスティンの弟であるアーロン・ランカウド現王子によってランカウドから医療班を送り治療した。
頭痛や倦怠感などの後遺症はあるものの、普通の生活ができるくらいまで回復した。
「カナタ、ありがとう」
よしよしと頭をなでると、少し照れながらも嬉しそうに笑うウェスレイは純粋な少年そのものだった。
「たまには遊びにきてよ」
「あぁ、約束する」
踵を返し、「またね」という言葉の後に父親と母親に手を掴まれながら自分の家に帰っていった。
デパイ村長の言葉を信じファルケン草原に向かう。
城下町から東に向かい、ロベールの故郷であるスラム街を超えたころ、空は 絳霄 色に染まっていた。
たどり着いた場所には何もなく、だだっ広い草原。
そこにポツンとあったのは羽の生えた猪の石像が一体。
誰かが作ったにしてはリアルすぎる。
まるで命が宿っているように見える。
気になってその石像をトントンと軽く叩いてみると、表面にヒビが入ってしまった。
「やべっ!」
どうしよう。
こんな簡単に傷がついてしまうなんて思わなかった。
幼いころ、悪戯心でじいちゃん家を襖を指で突っついて破いてしまったとき、誤魔化すこともできずにこっぴどく叱られたことを思い出した。
これが国の重要文化財のようなものであれば処刑される可能性だってある。
そう思ったら額から冷や汗が滴り落ちてきた。
周囲には誰いないし、いまのうちに逃げてしまえば……
「儂を起こすのは誰じゃ?」
いまの声はどこから?
まさかこの石像?
「猪がしゃべるわけないよな」
心の声が漏れる。
「猪ではない」
「猪がしゃべった⁉︎」
「だから猪ではない。ポルチェリーノ族のペテロだ」
「ポルシェの行動にメロメロ?」
「おまえ、何を言ってる?」
「いまそう言ったよな?」
「ポルチェリーノ族のペテロと言ったのだ」
身体をコーティングしていた石は剥がれ落ち、茶色い皮膚と白い羽が露わになる。
このペテロによると、ポルチェリーノ族はエインデの中で神の使いとして崇められ、先住民と平和に暮らしていた。
飛竜たちはお腹が空いたり繁殖期に入ると獰猛になり暴れ回る。
飛竜島から近いエインデは度々襲われそうになるも、ポルチェリーノ族によって幾度となく守られてきた。
しかしある日、飛竜族のリーダーであるレブレによって襲撃されてしまい、ポルチェリーノ族はみな喰われ残ったのはこのペテロとパートナーのみ。
身を守るように、逃げるように二頭でここにやってきたそうだ。
「なぜ地上人がここにいる?」
ここに来てから必ず訊かれる定型文のような質問に飽き飽きしていた。
相手からしたら何の他意もない素朴な疑問なのだろうが、なぜここに来たのかはいまだにわからないのでテキトーに誤魔化した。
何よりいまは彼女が心配でならない。
一刻も早く彼女のもとに行きたい。
「エインデに行きたいんだ」
「あそこには何もないぞ」
「大切な人が一人で向かったんだ。マルアハの水を求めて」
空を飛ぶことが当たり前の世界でそれができない彼女にとってその魔法の水を手に入れたいと思うのは自然のこと。
とはいえ、たった一人で向かうなんて危険すぎる。
しかも誰にも相談することなく突然に。
心配にならないわけがない。
「マルアハの水だと⁉︎」
「知ってるのか?」
「かつてエインデにはアネモイという子がいてな、恋人のラメクと一緒に空を飛ぶため研究に没頭した」
デパイ村長からアネモイのことを訊いていたが恋人の存在は初耳だ。
「アネモイはエインデ王の娘でな。生まれながらの片翼に負い目を感じ、外に出ることをひどく恐れて本を読む毎日を探していた。そんな時、たまたま訪れた商人のラメクがアネモイに一目惚れし、毎日城に忍び込んでは猛アプローチをしていた。押しに負けた彼女は城を出て二人でマルアハの水を作り続けた。結局夢は叶わなかったが、ラメクもアネモイもとても仲が良く、毎日幸せだったそうだ」
一人では持てない石も二人でなら持てるようになる。
結果的に夢は叶わなかったが、お互いに同じ方向を向いていたから幸せだったのかもしれない。
「アネモイが亡くなったその後、飛竜たちによって国は崩壊した。あそこにはもう何もない」
「飛竜たちはそのエインデに何か恨みでも?)
「昔もいまも飛竜島から一番近い国がエインデ。やつらにとって人類は食糧でしかない。飛竜か飛竜以外かだけなのだ」
お腹が空いたから近くにあるものを食べる。
生きるためにはごく普通のこと。
やっていることは人類も同じだと思うと少し悲しくなった。
それでもいまはやらなきゃいけないことがある。
もしこの瞬間に彼女が飛竜に襲われていたらと思うと居ても立ってもいられなくなる。
「エインデに連れていってくれ」
「言っておくが儂は連れてつかんぞ」
自分の仲間を喰らった敵のもとにたった一頭で復讐しに行くなんて無謀なことはしないはず。でも、いまの僕にはペテロを頼る以外に選択肢がないのだ。
「飛竜族をぶっ倒せばいい話なんだろ?」
「おまえは阿呆なのか?羽を持たない地上人がどうやって飛竜と戦うつもりだ?」
「それは、これから考える」
「呆れたやつだ」
「とにかく僕はシルフィのもとに行きたいんだ」
「シルフィだと⁉︎」
「彼女を知ってるのか?」
「当たり前だ。儂はあの子にお願いして石化してもらったんだからな」
ポルチェリーノ族は石化という能力を持ち、身体を石化させることで長い冬眠のような状態になり、寒い冬を生きながらえるそうだ。
何万年も生きる彼らにとって寒い冬を過ごすにはペトリファイが必要不可欠。
しかし、この能力は自身には使えず、互いにかけ合うことで徐々に身体を石化させる。
石化といっても身体の表面を硬直させるのみで、個体によって差はあるものの、時が経てば石化は解除される。
去年ペテロの横で寄り添い続けていたパートナーが亡くなり、冬を越すための方法を探していたところ、たまたま出会ったシルフィに石化してもらったそうだ。
「おまえはシルフィのなんだ?」
なんだと言われると答えに困る。
彼氏でもなければ友達と言えるほど仲が良いのかもわからない。
ただ、これが試されてきるように思えてならなかった。
答え次第ではペテロの態度が変わりそうな気もしたのでしばらく考えた後、
「僕は、シルフィの一番の理解者だ」
そう答えると、少しの間があった。
「乗れ」
「えっ?」
「聞こえなかったのか?乗れと言っているんだ。エインデに行きたいんだろう」
「あ、あぁ。頼む」
「ただし、音を立てるなよ」
飛竜族は耳がよく警戒心が強い。それでいて目も良い。
島を越えるには慎重にいかないといけない。