翌朝、シルフィに呼び出されて向かった場所は中庭にあるパビリオン。
太陽の光が屋根に反射して少し眩しい。
ベンチに座りながら紅茶を飲む彼女はとても玲瓏で、遠目から見ても王族の娘なのだと実感する。
そんなシルフィの横に赤い髪をしたショートカットの子が立っていた。
両手をお腹の前に重ね、少し控えめな様子のその子の白い羽は少し小さく見える。
「あっ、カナタくん。おはよ」
シルフィの声に反応するように僕の方を見た彼女と目が合い、思わず声が出た。
「惺葉⁉︎」
黒宮 惺葉。
幼少期、隣に住んでいた彼女はよく僕の家に遊びに来ていた近所の子。
年齢は一つ下で、寒い日でもずっと走り回っているくらい元気で活発な僕の唯一の友達とも言える子。
お互い一人っ子ということもあっていつも二人で遊んでいた。
夏は一緒にプールに入って、一緒にかき氷を食べ、ハロウィンにはカボチャの着ぐるみを着て公園で走り回って遊んでいた。
いつも笑顔で少しおっちょこちょいな彼女は僕の初恋の相手でもある。
『惺葉、大人になったら奏達のお嫁さんになるから、隣空けておいてね』
なんていう子供のころの告白を間に受けることもないまま突然越していった惺葉に答えは出せていない。
いまごろどこで何をしているのだろう?
そういえば彼女が引っ越していったのもこのくらいの肌寒い時期だった気がする。
「シズハ?」
知らない名前を訊いて怪訝そうな表情を浮かべるシルフィだが、冷静になって思うと僕以外このに地上人がいることは考えにくい。もしいたのならとっくに噂になっているだろうから。
「いや、知り合いにそっくりだったから」
それにしてもそっくりだ。髪の色を黒くしたら本当に惺葉そのものじゃないか?
「はじめまして。わたしはイスカ・クロックと申します。まだ近習としては見習いの身ですが精一杯がんばります!」
イスカは自分の胸の前で両手の拳を握り笑顔で挨拶する。
直後、彼女はハッとしてお腹の前に手を添えたまま慇懃にお辞儀をした。
初対面の相手に無礼な挨拶をしてしまったことに気づいたのだろう。
彼女は王宮内にいる他の近習たちより少し幼い印象があった。
「イスカは私の一コ下なんだけどね、そろそろ専属の近習をつけても良いのでは?ってロベールがお母様に打診してくれたの。カナタくんにも紹介しておこうと思って」
シェラプトの王族は一般的に三歳の誕生日を迎えると専属の近習が数人ついて身の回りの世話をする。
しかし、天魔の子として疎まれてきた彼女は例外だった。
守り役のロベールが料理や買い出しなどをする傍ら、シルフィ自身で洗濯や掃除など室内でできることは自分でしていた。
いまになって近習をつけたのは体裁もあると言われているが、近くに歳の近い同性がいてくれるのは何かとありがたいだろう。
代々レーゲンス家の近習として仕えてきたクロック家は仕事の正確さ、上品さ、知性を求められている。
四人姉妹の全員が近習としてここに勤めているなか、三女のイスカだけがミスが多くいまだ見習いのまま。
王女のイーリスには長女と四女が、姉のリリィには次女がついている。
試験などはとくになく、主君が認めることで見習いから正式な近習へと昇格する。
クロック家のプライドのためにも一人だけ見習いというのは都合が悪いのもあり、シルフィのもとで経験を積むことになった。
「あの、カナタ様ですよね?」
ずっとタイミングを窺っていたかのように歩み寄るイスカは、小さな羽を揺らしながら憧れていた芸能人に出会ったかのように目をきらきらさせながらこちらに近づいてくる。
人に『様』づけされたことなんてないから、喜びと驚きで早鐘を打つ。
「噂には聞いていましたが、ホントに地上人がいたなんてすごーい!」
僕の身体をじろじろと見た後、背中を何度もさすってきた。
羽の生え際をたしかめるようにして自分の背中と比較するイスカ。
ゾクゾクっとして思わず肩が上がる。
「背中、本当に何もないんですね」
新種の動物を発見したかのようにじろじろと覗きながら首から徐々に下に向かって触られる。
警察に職務質問されている気分だったが、不思議と悪い気はしなかった。
「地上人も私たちと一緒なんですね」
そのまま腰から下へと彼女の手が動き、内腿あたりまできたタイミングで、
「イスカ‼︎」
横にいたシルフィがイスカの両手を掴み振り払う。
「シルフィ様、私、何かしたでしょうか?」
「カナタくんにベタベタ触りすぎ。失礼でしょ」
「も、申し訳ありません」
顔を紅潮させながら髪を整え、取り乱したことを詫びたイスカ。
「しょ、処刑だけは勘弁してください」
怯えるように萎縮している。
冗談で言っているのか本気なのかわからなかった。
「そんなことはしないわ。いい?今後カナタくんに勝手に触ってはダメよ」
なぜかシルフィは顔を真っ赤にしながら命じていた。
なんとも不思議な挨拶となったが、イスカという子が来たことによってシルフィはどことなく楽しそうにも見えた。
この二人はどこか似ている。なんていうか、天真爛漫な感じ。
君主と近習というより仲の良い友達のようだ。
そのまま食堂に移ると、イスカはそそくさとどこかに行ってしまった。
しばらくシルフィと二人きりの時間を堪能していると、食堂の奥からロベールとイスカがやってきた。
イスカが持つ食器の中から仄かな香りが鼻腔を誘う。
「ご飯ができました。今日の朝食はビーフシチューです。焼きたてのシェラプトパンをつけてお召し上がりください」
焼きたてのパンの香りというのはどうしてこうも全身を巡るように幸せな気分にさせてくれるのだろう。
丸くふっくらとした大きなパンは日本で見るパンの何倍も大きかった。
これがこの国の標準サイズなのだろうか。
いただきますをする前にシルフィがあることに気づく。
「ねぇ、イスカ。スプーンは?」
ビーフシチューを食べるためのカトラリーが一つもない。
ハッとしたイスカが慌てふためく。
「も、申し訳ありません。すぐにお待ちするので監禁だけはご勘弁を」
ヘッドバンキングするように何度も頭を上下させながら謝罪するイスカに対し、
「もう、そんなことしないわよ」と、ツッコミを入れるように笑うシルフィはどこか楽しそう。
もはやこの流れはコントのようにも思える。
「す、すぐにお持ちします」
勢いよく席を立ったせいでテーブルの角に足をぶつけた。一瞬痛がる様子を見せたが、ぐっと堪え、急いで食器置き場に取りに行く。
再度申し訳ありませんと言いながら席に戻ったイスカ。
なんとも慌ただしいが、イスカが来てから空気が明るくなったのは事実。
改めてみんなでテーブルを囲む。
一口食べると、柔らかなパンと甘みのあるシチューが神経細胞を刺激する。
めちゃくちゃ美味しい!
「これ、イスカが作ったの?」
「はい。と言っても仕上げだけですけど。私、長所とか何もなくて。お姉様たちのように上品さも知性もないし、妹のように可愛さもないので、せめて料理だけでも上手になろうと思いまして」
王宮内の食事は基本的に専属の料理人たちが作るのだが、シルフィの分だけはロベールが作っている。誰も作ろうとしないからだ。
いまでこそ平等に作るようにリリィから命令されているが、それでも抗うものは少なからず残っている。
イスカが近習見習いとして仕えて以降、自ら志願してロベールから料理を教わっている。
「本当に美味しい」
味をたしかめるようにうんうんと頷きながら味わう僕とシルフィの姿を見て、イスカは少し照れた様子でニッコリと笑った。
イスカがやってきてから数日が経ったある日の朝、王宮の入り口に着くと多くの兵士たちが慌ただしそうにしている。
シルフィの部屋の方を見上げると、周囲が燃やされた形跡があり、数人の兵士たちが意識を失って倒れていた。
状況がわからないまま近くにいたレネに話を訊いた。
「これは一体?」
「昨日の夜中、王宮が襲われてシルフィが連れ去られた」
襲われたってこんな広い場所を一晩でどうやって?
答えを探すより前に彼女の部屋に一直線に走った。
部屋の鍵は開いていて中は荒らされていた。
なんとも形容しがたい異臭に噎せつつ中を探すと、横たわる一人の女性を見つけた。
「イスカ、大丈夫?」
何度声をかけても返事がない。
折り畳まれた羽も動く気配がなく、周囲を見渡してもどこにも人がいない。
僕にもアーユスの力があれば彼女の居場所がすぐにわかるのに。
なんて非現実的なことを一瞬考えたが、残念ながら僕はただの日本人。
横たわるイスカに声をかけ続けると、意識が戻ったのかゆっくりと目を開けた。
「カナタ様。あの、シルフィ様が……」
僕の目を見た途端、涙目になりながら何を言おうとしているが、うまく説明できないでいる。
「落ち着いて。怪我はない?」
「はい。私は大丈夫です。それよりもシルフィ様が……」
「シルフィがどうしたの?」
「……攫われてしまいました」
「攫われたって誰に?いつ?どこに連れていかれた?」
矢継ぎ早に質問攻めする。
こういう状況下での質問攻めが良くないことくらい百も承知。
それでもシルフィのことが心配で仕方なかった。
「わかりません。ですが、おそらく西側かと」
西側ってことはウィグロ人たちが住むエリアだよな。
実際に行ったことはないけれど、話ではかなり荒れていると訊く。
「どうしてそう思うんだ?」
「黒い羽が見えたので」
昨日の夜中、イスカがシルフィの着替えを持って部屋に向かう途中、シルフィと複数人の黒い羽の後ろ姿が見えたそうだ。
連れて行かれるという感じには見えなかったのであまり気に留めなかったが、部屋に入ると洟が捥げるくらいの異臭に意識を失っていまに至るそうだ。
「他に犯人の特徴はない?」
「申し訳ありませんが、黒い羽をしていること以外何も……」
あの異臭で気を失っていたためか記憶が曖昧らしい。
「ロベールさんは?」
「先に向かわれました」
守り役としての使命感なのか父親代わりとしての情なのか、はたまたその両方か。
何れにしても何も考えずに行動するような人ではない。
イスカにありがとうと言って王宮入り口に戻ると、そこにレネがいた。
「僕も西側に行く」
「正気か?」
「あぁ」
「言っておくが、西側は危険だ。ウィブラン人に対しての恨みを持っているものがたくさんいる」
そんなことは関係ない。シルフィを助ける。それだけだ。
大会で負けて以降、レネに対してやけにつっかかるようになっている自分がいる。
ハロルドのときもコルベインのときもちびるくらい怖かったが、彼女がいないこの世界なんて考えられない。
彼女を失うくらいから身体がボロボロになったっていい。
昨夜の事件は一部の間では天魔の自作自演だという変な噂も流れていたが、その噂は拡散される前にすぐにかき消された。
王族の娘を誘拐するという前代未聞の事件に町中が騒ぎになっている。
「待て。僕たちも騒ぎを落ち着かせてから向かう」
そう言われたが、待っている時間がもったいなかったので一人西側に向かった。
太陽の光が屋根に反射して少し眩しい。
ベンチに座りながら紅茶を飲む彼女はとても玲瓏で、遠目から見ても王族の娘なのだと実感する。
そんなシルフィの横に赤い髪をしたショートカットの子が立っていた。
両手をお腹の前に重ね、少し控えめな様子のその子の白い羽は少し小さく見える。
「あっ、カナタくん。おはよ」
シルフィの声に反応するように僕の方を見た彼女と目が合い、思わず声が出た。
「惺葉⁉︎」
黒宮 惺葉。
幼少期、隣に住んでいた彼女はよく僕の家に遊びに来ていた近所の子。
年齢は一つ下で、寒い日でもずっと走り回っているくらい元気で活発な僕の唯一の友達とも言える子。
お互い一人っ子ということもあっていつも二人で遊んでいた。
夏は一緒にプールに入って、一緒にかき氷を食べ、ハロウィンにはカボチャの着ぐるみを着て公園で走り回って遊んでいた。
いつも笑顔で少しおっちょこちょいな彼女は僕の初恋の相手でもある。
『惺葉、大人になったら奏達のお嫁さんになるから、隣空けておいてね』
なんていう子供のころの告白を間に受けることもないまま突然越していった惺葉に答えは出せていない。
いまごろどこで何をしているのだろう?
そういえば彼女が引っ越していったのもこのくらいの肌寒い時期だった気がする。
「シズハ?」
知らない名前を訊いて怪訝そうな表情を浮かべるシルフィだが、冷静になって思うと僕以外このに地上人がいることは考えにくい。もしいたのならとっくに噂になっているだろうから。
「いや、知り合いにそっくりだったから」
それにしてもそっくりだ。髪の色を黒くしたら本当に惺葉そのものじゃないか?
「はじめまして。わたしはイスカ・クロックと申します。まだ近習としては見習いの身ですが精一杯がんばります!」
イスカは自分の胸の前で両手の拳を握り笑顔で挨拶する。
直後、彼女はハッとしてお腹の前に手を添えたまま慇懃にお辞儀をした。
初対面の相手に無礼な挨拶をしてしまったことに気づいたのだろう。
彼女は王宮内にいる他の近習たちより少し幼い印象があった。
「イスカは私の一コ下なんだけどね、そろそろ専属の近習をつけても良いのでは?ってロベールがお母様に打診してくれたの。カナタくんにも紹介しておこうと思って」
シェラプトの王族は一般的に三歳の誕生日を迎えると専属の近習が数人ついて身の回りの世話をする。
しかし、天魔の子として疎まれてきた彼女は例外だった。
守り役のロベールが料理や買い出しなどをする傍ら、シルフィ自身で洗濯や掃除など室内でできることは自分でしていた。
いまになって近習をつけたのは体裁もあると言われているが、近くに歳の近い同性がいてくれるのは何かとありがたいだろう。
代々レーゲンス家の近習として仕えてきたクロック家は仕事の正確さ、上品さ、知性を求められている。
四人姉妹の全員が近習としてここに勤めているなか、三女のイスカだけがミスが多くいまだ見習いのまま。
王女のイーリスには長女と四女が、姉のリリィには次女がついている。
試験などはとくになく、主君が認めることで見習いから正式な近習へと昇格する。
クロック家のプライドのためにも一人だけ見習いというのは都合が悪いのもあり、シルフィのもとで経験を積むことになった。
「あの、カナタ様ですよね?」
ずっとタイミングを窺っていたかのように歩み寄るイスカは、小さな羽を揺らしながら憧れていた芸能人に出会ったかのように目をきらきらさせながらこちらに近づいてくる。
人に『様』づけされたことなんてないから、喜びと驚きで早鐘を打つ。
「噂には聞いていましたが、ホントに地上人がいたなんてすごーい!」
僕の身体をじろじろと見た後、背中を何度もさすってきた。
羽の生え際をたしかめるようにして自分の背中と比較するイスカ。
ゾクゾクっとして思わず肩が上がる。
「背中、本当に何もないんですね」
新種の動物を発見したかのようにじろじろと覗きながら首から徐々に下に向かって触られる。
警察に職務質問されている気分だったが、不思議と悪い気はしなかった。
「地上人も私たちと一緒なんですね」
そのまま腰から下へと彼女の手が動き、内腿あたりまできたタイミングで、
「イスカ‼︎」
横にいたシルフィがイスカの両手を掴み振り払う。
「シルフィ様、私、何かしたでしょうか?」
「カナタくんにベタベタ触りすぎ。失礼でしょ」
「も、申し訳ありません」
顔を紅潮させながら髪を整え、取り乱したことを詫びたイスカ。
「しょ、処刑だけは勘弁してください」
怯えるように萎縮している。
冗談で言っているのか本気なのかわからなかった。
「そんなことはしないわ。いい?今後カナタくんに勝手に触ってはダメよ」
なぜかシルフィは顔を真っ赤にしながら命じていた。
なんとも不思議な挨拶となったが、イスカという子が来たことによってシルフィはどことなく楽しそうにも見えた。
この二人はどこか似ている。なんていうか、天真爛漫な感じ。
君主と近習というより仲の良い友達のようだ。
そのまま食堂に移ると、イスカはそそくさとどこかに行ってしまった。
しばらくシルフィと二人きりの時間を堪能していると、食堂の奥からロベールとイスカがやってきた。
イスカが持つ食器の中から仄かな香りが鼻腔を誘う。
「ご飯ができました。今日の朝食はビーフシチューです。焼きたてのシェラプトパンをつけてお召し上がりください」
焼きたてのパンの香りというのはどうしてこうも全身を巡るように幸せな気分にさせてくれるのだろう。
丸くふっくらとした大きなパンは日本で見るパンの何倍も大きかった。
これがこの国の標準サイズなのだろうか。
いただきますをする前にシルフィがあることに気づく。
「ねぇ、イスカ。スプーンは?」
ビーフシチューを食べるためのカトラリーが一つもない。
ハッとしたイスカが慌てふためく。
「も、申し訳ありません。すぐにお待ちするので監禁だけはご勘弁を」
ヘッドバンキングするように何度も頭を上下させながら謝罪するイスカに対し、
「もう、そんなことしないわよ」と、ツッコミを入れるように笑うシルフィはどこか楽しそう。
もはやこの流れはコントのようにも思える。
「す、すぐにお持ちします」
勢いよく席を立ったせいでテーブルの角に足をぶつけた。一瞬痛がる様子を見せたが、ぐっと堪え、急いで食器置き場に取りに行く。
再度申し訳ありませんと言いながら席に戻ったイスカ。
なんとも慌ただしいが、イスカが来てから空気が明るくなったのは事実。
改めてみんなでテーブルを囲む。
一口食べると、柔らかなパンと甘みのあるシチューが神経細胞を刺激する。
めちゃくちゃ美味しい!
「これ、イスカが作ったの?」
「はい。と言っても仕上げだけですけど。私、長所とか何もなくて。お姉様たちのように上品さも知性もないし、妹のように可愛さもないので、せめて料理だけでも上手になろうと思いまして」
王宮内の食事は基本的に専属の料理人たちが作るのだが、シルフィの分だけはロベールが作っている。誰も作ろうとしないからだ。
いまでこそ平等に作るようにリリィから命令されているが、それでも抗うものは少なからず残っている。
イスカが近習見習いとして仕えて以降、自ら志願してロベールから料理を教わっている。
「本当に美味しい」
味をたしかめるようにうんうんと頷きながら味わう僕とシルフィの姿を見て、イスカは少し照れた様子でニッコリと笑った。
イスカがやってきてから数日が経ったある日の朝、王宮の入り口に着くと多くの兵士たちが慌ただしそうにしている。
シルフィの部屋の方を見上げると、周囲が燃やされた形跡があり、数人の兵士たちが意識を失って倒れていた。
状況がわからないまま近くにいたレネに話を訊いた。
「これは一体?」
「昨日の夜中、王宮が襲われてシルフィが連れ去られた」
襲われたってこんな広い場所を一晩でどうやって?
答えを探すより前に彼女の部屋に一直線に走った。
部屋の鍵は開いていて中は荒らされていた。
なんとも形容しがたい異臭に噎せつつ中を探すと、横たわる一人の女性を見つけた。
「イスカ、大丈夫?」
何度声をかけても返事がない。
折り畳まれた羽も動く気配がなく、周囲を見渡してもどこにも人がいない。
僕にもアーユスの力があれば彼女の居場所がすぐにわかるのに。
なんて非現実的なことを一瞬考えたが、残念ながら僕はただの日本人。
横たわるイスカに声をかけ続けると、意識が戻ったのかゆっくりと目を開けた。
「カナタ様。あの、シルフィ様が……」
僕の目を見た途端、涙目になりながら何を言おうとしているが、うまく説明できないでいる。
「落ち着いて。怪我はない?」
「はい。私は大丈夫です。それよりもシルフィ様が……」
「シルフィがどうしたの?」
「……攫われてしまいました」
「攫われたって誰に?いつ?どこに連れていかれた?」
矢継ぎ早に質問攻めする。
こういう状況下での質問攻めが良くないことくらい百も承知。
それでもシルフィのことが心配で仕方なかった。
「わかりません。ですが、おそらく西側かと」
西側ってことはウィグロ人たちが住むエリアだよな。
実際に行ったことはないけれど、話ではかなり荒れていると訊く。
「どうしてそう思うんだ?」
「黒い羽が見えたので」
昨日の夜中、イスカがシルフィの着替えを持って部屋に向かう途中、シルフィと複数人の黒い羽の後ろ姿が見えたそうだ。
連れて行かれるという感じには見えなかったのであまり気に留めなかったが、部屋に入ると洟が捥げるくらいの異臭に意識を失っていまに至るそうだ。
「他に犯人の特徴はない?」
「申し訳ありませんが、黒い羽をしていること以外何も……」
あの異臭で気を失っていたためか記憶が曖昧らしい。
「ロベールさんは?」
「先に向かわれました」
守り役としての使命感なのか父親代わりとしての情なのか、はたまたその両方か。
何れにしても何も考えずに行動するような人ではない。
イスカにありがとうと言って王宮入り口に戻ると、そこにレネがいた。
「僕も西側に行く」
「正気か?」
「あぁ」
「言っておくが、西側は危険だ。ウィブラン人に対しての恨みを持っているものがたくさんいる」
そんなことは関係ない。シルフィを助ける。それだけだ。
大会で負けて以降、レネに対してやけにつっかかるようになっている自分がいる。
ハロルドのときもコルベインのときもちびるくらい怖かったが、彼女がいないこの世界なんて考えられない。
彼女を失うくらいから身体がボロボロになったっていい。
昨夜の事件は一部の間では天魔の自作自演だという変な噂も流れていたが、その噂は拡散される前にすぐにかき消された。
王族の娘を誘拐するという前代未聞の事件に町中が騒ぎになっている。
「待て。僕たちも騒ぎを落ち着かせてから向かう」
そう言われたが、待っている時間がもったいなかったので一人西側に向かった。