ヘメリアで最も寒い国ランカウドの首都アルタイトレーヘンは常に雨が降り(しき)り、白を基調とした街並みはとても美しく、これが国全体に広がっている。

恋人を探しながら首謀者の処刑とイクシールの奪還というミッションを課せられたリリィと、父の病を治す薬を探しに飛び回っているグリューン。
僕たち(ロベール、シルフィ、レティシア)四人は首都から少し離れたアイメリクのいる研究施設に向かっていた。

しかし、美しい街並みに反してこの国はどこか不気味だった。

音を立てることを禁じられているかのような静けさに博識なロベールも首を傾げている。

しばらく歩くと、道の向こうにフードを目深に被る一人の男がいた。

どこかで会ったような気がするが思い出せない。

近づいて話を訊こうとすると、僕の顔を見た途端、驚いた様子で去っていった。

すれ違う人々が次々と僕のことを避けていく。

わけがわからないままレティシアのガイドに従い奥に進んでいくと、小さな真っ白いドーム状の建物が見えた。
川を挟んだ向かい側に見えるその看板には大きく『キャビック・メディカルセンター』と書いてあった。

メディカルといっても医療施設ではなく、研究所のような場所で、最新の薬の開発を行っているようだ。

それにしてもこの看板の主張がすごい。
真ん中には白い羽に丸縁眼鏡をかけた人物が笑顔が描かれているが、どこか胡散臭い。

建物の名称よりも大きく描かれているところを見るに、自分のことが大好きなのだろう。

おそらくこの人物こそがコルベイン・キャビック。

「ここにアイメリクがいるはず」

そう、アイメリクが留学にきた場所こそがここである。

ようやく会える喜びからか、レティシアの足取りが軽く見えた。

川を飛び越えようと羽を広げると、

「お待ちください」

何かを察したロベールが手を出してレティシアを制止する。

「嫌な予感がします」

第六感なのか、経験測によるものなのか、いつもとは違う神妙な面持ちのロベールに足を止める。

「ひとまずわたくしが様子を見てきます。御三方はここで待機を」

そう言って一人中に入っていった。

早くアイメリクに会いたいとそわそわしているレティシアを見ながら、僕とシルフィはこの川をどう渡れば良いかを考えていた。

橋のようなものは見えないし、人が渡れるくらいの大きな丸太でもないと難しい。

少し待つとロベールが戻ってきた。

「どうだった?」

「おそらくここにクリスティン様はおられないかと」

シルフィの投げかけにロベールは冷静に応える。

「ねぇ、アイメリクは?」

レティシアは彼のことが心配で仕方ないのか、身を乗り出しながら問いかける。

いまの彼女にとって他の人のことは後回しのようだ。

自分の愛する人が突如音信不通になったのだから無理もない。

「アイメリク殿は中に……」

何かを言おうとした瞬間、突如中から大きな爆発音がした。

施設内から漏れてくる黒煙と激しく散る火花。

瞬く間に大きな炎な燃え上がり、周辺(あたり)を赤く染める。

「アイメリク‼︎」

叫び声と同時に羽を広げ、燃え盛る炎の中に飛び込もうもする彼女をシルフィが必死に止める。

「ちょっと、レティ!」

「離して!」

「あぶないよ!」

「だってアイメリクが!」

「気持ちはわかるけど落ち着いて。レティが無事じゃないと意味ないよ」

シルフィの言葉に羽を閉じてその場に立ち止まるレティシア。

炎に向かってシルフィが詠唱を始めると、手の甲に浮かぶ血管は前回よりもさらに紫色になったと同時に一瞬苦悶の表情を浮かべた。

「お嬢様、そんなに身を削られてはお身体が……」

「でも、このままじゃみんな死んじゃう」

真剣な眼差しで詠唱を続けるが、その表情は少し辛そうに見えた。

「ミューズ神よ、力をお貸しください。ハイ・アンバス」

背中に女神の姿が現れると、その女神の動きにシンクロするようにシルフィの手から大量の水が放たれた。
消防車のポンプから放水される程の勢いでみるみるうちに炎が消えていく。

完全に日が消えたと同時にシルフィがその場に倒れ込む。

「シルフィ‼︎」

僕と同じタイミングで二人も駆け寄り肩を(さす)るが意識がない。

何度声をかけてもぴくりともしない。

どうしよう。

「お嬢様の力は使う量が多いほど、時間が長ければ長いほど心身を(むしば)みます。ましてや召喚系のアーユスはかなりの負荷がかかるのです」

「どうしたらいいですか?」

「しばらくすれば意識が戻るはずです」

倒れたままの彼女の表情は険しそうに見える。

「わたくしは中に入って様子を見てきます。お嬢様のお身体に効く薬があるかもしれませんので」

「私も行きます。アイメリクが心配だから」

お嬢様を頼みますよ。そう言ってロベールとレティシアは中に入っていった。

人のために身を削ることは誰にでもできることじゃないけれど、それは自分の命あってこそ。

ましてや他の人がわからない痛みを背負って彼女は生きている。

僕は彼女のために何ができるのだろう。

ー火の消えた施設の扉を開け、ロベールとレティシアは中を飛び回る。
煙の残り香が鼻腔を刺激し、灰混じりの空気が視界を刺激する。
辺り一面には研究員らしき死体が転がっているがアイメリクの姿はどこにも見当たらない。

突き当たりを右に曲がった先に大きな部屋があった。

先に入ったロベールが扉の近くで立ち止まる。

「ロベールさん?」

異変に気づいたレティシアがおそるおそる中に入ると、そこには衝撃の光景が映っていた。

多くの薬草や本が並べられていたであろうその部屋の壁は黒く焼け焦げ、多くの研究員が横たわっている。

その中の一人を見たレティシアが瞳孔を開きながら駆け寄る。

サラサラの金髪に高い洟、首元と手首にある黒子。

顔にはいくつかの切り傷があり、羽もボロボロになっている。

おそらく先ほどの爆破で傷ついたものだろう。

「アイメリク‼︎」

レティシアの声に反応し、うっすらと瞳を開けて(かす)かな声で応える。

「レティ⁉︎どうしてここに?」

「その話は後。それより起き上がれる?傷は?痛くない?」

軽く頷いたあと、安堵の表情を見せるレティシア。

「これは一体どういうこと?」

「実は……」

アイメリクによると、コルベイン・キャビックは治療用の新薬の研究という名目で、研究員たちに危ない薬を作らせていた。

それを知らされないまま重い病気の人たちを集めてはその薬の実験台にしていたそうだ。

見かねた数人の研究員が抗議したが、その後、薬の実験台にされ命を落としたという。
怖くなり逃げ出そうとしたものもいたが、そのものたちもコルベインによって処刑された。

アイメリクたちはボイコットを起こし、抗議しようとしていた矢先に起きた今回の爆破。

さっきまでいたコルベインはどこかに消えてしまったようだ。

「手紙送れなくてごめん」

「ううん、アイメリクが生きていてくれたからそれでいい」

手を握りながら見つめ合う二人。

「お取り込み中失礼いたしますが、とりあえずここを出ましょう」

アイメリクを連れて施設を出ようと出口まで来たちょうどそのとき、再び大きな爆発が起きた。

その衝撃でレティシアもロベールも吹き飛ばされ、傷ついた身体に致命傷を与えるようにアイメリクも吹き飛ばされた。

ー外で帰りを待つ僕は彼女の肩を何度も摩るが意識が戻る様子はない。

本当に意識が戻るのだろうか。

もしかしたらこのまま……なんてことも考えてしまうくらい不安が募っていく。

何かできることがあるはず。

貧弱な頭をフル回転させているとある映像が浮かんだ。

童話 白雪姫のキスシーン。

王子様なんて大それた存在ではないし、これで意識が戻る確証なんてない。

しかし、何もしないで待つだけなんてできない。

きっと後悔する。

ふぅーっと深呼吸したあと、ゆっくりと彼女の口元に近づく。

緊張で唇が震えている自分がいた。

人生はじめてのキスの相手がシルフィであることを嬉しく思いつつもこれはあくまで人工呼吸と言い聞かせ、不可抗力であると自分を納得させる。

十センチ、五センチ、三センチ。

少しずつ彼女の顔が近くなる。

そう、これはあくまで人工呼吸。

彼女の意識が戻ることを願っての行動。

ここには僕たちしかいない。

ゆっくりと顔を近づける。

……ピクッとした。

慌てて離れると、シルフィがゆっくりと目を開けた。

「カナタくん、どうしたの?」

「え、いや、その、べ、べつに」

絵に描いたような狼狽ぶりに恥ずかしさを露わにしながらも彼女が無事でいてくれたことに安堵する。

誤魔化すように声をかける。

「ぐ、具合はどう?」

「また力使いすぎちゃったみたい。でも大丈夫。少し休めば動けるようになるから」

「無事で良かった」

シルフィはすっくと起き上がり周囲を見渡す。

「ロベールとレティは?」

二人が中に入って行ったことを説明すると、アーユスの力で丸太を顕現させ川を渡る。

「心配しないで。これくらいの力なら支障ないから」

そう言われても直後のことだから心配でならない。

優しく微笑む彼女だったが、きっと気遣ってくれているのだと勘繰(かんぐ)ってしまい、素直に安心できなかった。

研究所の前に着くと、中から大きな悲鳴が聴こえてきた。

「いやー‼︎」

急いで中に入ると、そのには泣き崩れるレティシアとその腕の中で眠る男性の姿があった。

「これは一体……」

ロベールから経緯を訊いた僕はひどい怒りを覚えた。

二度目の大きな爆発によってアイメリクは意識を失った。

いますぐコルベインを追いかけて殴ってやりたい気分だったが、それよりもいまはレティシアやシルフィが心配。

力のない僕が一人で暴走したところで役不足なのは目に見えている。

「ねぇ、アイメリク。起きてよ。返事してよ」

彼の顔についた灰を落としながら声をかけるレティシア。

その目元にはいまにもこぼれ落ちそうなくらいの大粒の泪が揺れていた。

何度も何度も声をかけ続けるが、彼が起きることはなかった。

「アイメリクを助けて」

僕たちのことを見上げながら助けを求める彼女だったが、

「ごめん、アーユスに蘇生の力はないの」

万能に思えた力も時間や生命に抗うことはできない。

「助けてよ。せっかく会えたのに、どうして……」

一瞬の冷たい風が彼女の泪を連れて行く。

悲しみだけを残して。

人の命はこんなにも儚いのか。

夢を叶えるために彼女との時間を割いていた真面目な青年が一体何したと言うのだろうか。

「アイメリクを助けてよ!」

慟哭(どうこく)する彼女に、それ以上かける言葉が見つからなかった。


アイメリクを埋葬した後、泣き止んだ彼女をそっとしておこうと思ったが、本人がどうしても行きたい場所があると言い出し、研究所を離れ近くの民家に向かう。

アイメリクの家だ。

ここならコルベインの情報があるかもしれない。

部屋に生活感は感じられなかった。

水回りは綺麗でしばらくランタンも使われていない様子だった。

おそらくあまり家に帰れていなかったのだろう。

テーブルの上に一冊のノートを見つけた。

レティシアがそれを開くと、そこには綺麗な字でこう書かれていた。

初日
『研究員になって初日、この国は噂以上に寒い。寒すぎて研究所に行く前に凍え死んでしまいそう。しかし、今日から夢への第一歩を踏み出せる。多くの人の命を救える万能薬を開発するんだ』

二日目
『思っていたより歳が近い人が多くて安心した。みんな同じ志ですぐに意気投合できたし、これから楽しくやっていけそう』

三日目
『日々新しいことを学べてすごく楽しい。でも命を救うということは簡単なことじゃない。より専門的な知識が必要だからもっと頑張らないと』

五日目
『レティは元気だろうか。身体が弱いのにいつも無理をするから心配でならない。それにしてもどうして手紙を送ったらダメなのだろう?どうして研究内容を口外してはいけないのだろう?』

七日目
『ようやく慣れてきた。新しい研究チームに入れてもらえてすごく楽しみにしてる。これからもっと勉強して人の役に立ちたい』

二週間
『久しぶりに帰宅した。新しいチームに入ってから全然家に帰れなくなった。新しいものを作るということはそれだけ大変だということ』

一ヶ月
『レティに会いたくて、家族に会いたくて休暇をお願いしたらチームを外れろと言われた。それに、最近どんどん研究所の人が減っている気がする。僕らは本当にここにいて大丈夫なのだろうか?』

三ヶ月
『レティは元気にしているだろうか?僕のことを忘れてしまっていないだろうか?こっそり会ってしまいたいけれど、そんなことをしたらきっと「何のために留学したの」って怒るだろうな。だからいまは辛抱しなきゃ』

一年
『レティ。僕は君の彼氏に相応しいだろうか?こんなにも放置してしまって気持ちが冷めていないだろうか?いっそのこと、ここを抜け出して二人でどこか遠くへ行ってしまいたい』

二年半
『もうすぐ薬が完成する。あとはこの世に一つしかない石の成分が必要とコルベイン様は仰っていたけれど、それが何かは教えてくれなかった。それでもようやく夢が叶う。レティ、もうすぐ会えそうだよ』

三年
『レティ。父さん、母さん、ごめん。もう会えないと思う。僕らはずっと(だま)されていた。最初から人を救う薬なんて作ってなかった。万能薬という名の洗脳薬が完全してしまえば多くの人がコルベインの思うツボになってしまう。隙をみて研究資料や素材を抹消(まっしょう)しに行く。これが最後の日記になるかもしれない。レティ、出会ってくれてありがとう。最後にもう一度だけ会いたかったな』

日記はここで終わっていた。

レティシアは日記を抱えながら大粒の泪を流していた。

後日明らかになったことだが、研究員たちによる万能薬阻止作戦はコルベインの耳にすでに入っていて、研究所もろとも爆破するよう仕掛けられていたそうだ。

ーアルタイトレーヘン内の宿屋で作戦会議が行われた。

当初の情報ではジゼルの弟であるシャルルのいる部屋にいけばジゼルは現れると読んでいたが、その場所にシャルルはいなかった。

リリィたちは街中を探したが手がかりすらつかめなかった。

今回の作戦にランカウドの兵士たちも同行していたが、身近にいた彼らでさえ居場所を突き止めることはできなかった。

アイメリクを失ったレティシアの傷は深く、数日経ったいまも彼の家から離れようとしないので、心配したシルフィはロベールを連れて彼女のもとへと向かっている。

この国には薬剤師を目指し留学に来ているものが多くいるため、手紙の依頼が多い。

世界中を飛び回る伝令人たちが多く訪れるため情報収集に時間はかからないと踏んでいたが、肝心の当事者の情報だけがつかめないでいた。

「やはり、ジゼルを誘き出すのが早いのでは?」

「それよりもコルベインを見つける方が手っ取り早いだろう。やつさえ見つかればすべて終わる」

「いや、待て。まずはクリスティン様だろう。あのお方がいらっしゃらなければこの国は烏合(うごう)(しゅう)と化してしまう」

「そもそも生きておられるのか心配です」

各国の兵士たちがさまざまな意見を言い合う中、

「クリスティンは簡単に死ぬような(やわ)な男ではない」

リリィは本当に彼のことを信頼しているのだろう。暗殺の噂が流れていても生きていると信じ、それを口に出せる強さを持っている。

「冷酷なリリィが選んだ男だからな」

「冷酷は余計だぞ、グリューン」

親友同士の軽口にどんよりしていた空気が少し和らいだ。

リリィが話を進めていく。

「今回の首魁(しゅかい)はコルベインで間違いない。やつが見つかれば(おの)ずとイクシールの場所もわかる。そのためにはジゼルを見つける必要があるが、この中に弟の居場所を知っているものはいるか?」

しばらくの沈黙が流れる中、宿屋に一人の男がやってきてリリィに耳打ちする。

よくやったと(ねぎら)いの言葉をかけた後、リリィが、

「シャルルの居場所が判明した。目立たないよう明日の夜出発する。各自準備しておいてくれ」

モイルークやアルタイトレーヘンにいたフードを被った怪しい男は何度かシェラプトにも来ていた。

以前から目をつけていたリリィは遣いのものにその男が何者なのか探らせていたのだ。

読み通りその男はコルベインの指示によって僕のことを調べていたようだ。

トロープンベラハでの大演技やハロルドとの戦いの噂もここにまで広まっていて、僕がディアボロスの子だと思い込んでいるのだろう。

だからリリィは今回の作戦に僕も参加させていたのか。