「おまたせ」

 翔太は鍋敷きの上に小さな鉄鍋を置いた。黄金色の油がふつふつと湧いている。

「アヒージョ?」
「そう」

 翔太は向かいではなく、俺の隣へと座り、フォークを手渡す。
 思えばアヒージョを食べるのは生まれて初めてかもしれない。そう思いながら俺はマッシュルームを口に運ぶ。

「あっつ! うまっ!」

 ニンニクの匂いとスパイスが良く染みており、噛むほどにじわっと味が広がる。
 ほかにも緑のブロッコリーや赤黒いたこ足など彩も豊かで、料理の腕前は確かだった。
 再びフォークを突き立てると、白い筒状のなにかが刺さった。エリンギの芯かと思ったが刺し心地が柔らかく、持ち上げるとろりと形が崩れた。

「なにこれ? チーズ?」

 正解、と翔太は嬉しそうに笑う。

「チーズ入ってるの珍しくない? バイト先のメニュー?」
「いや。動画で見てさ、おいしそうだったから。チーズ好きでしょ」
「他人の好き嫌いまでよく覚えてるな。細かいっつーか、マメというか」
「真面目なんだよ」
「真面目か? それをいうなら俺の方が」
「オレンジ三本買ってくるやつがなに言ってんだ」

 翔太の鋭い指摘に口に含んだたこ足を噴き出しそうになって必死にこらえる。だが、こらえるほどに笑えてきてしょうがない。酒のせいか、と思ったが思い返せば高校の時からそうだった。翔太も笑いをこらえていたが、そろそろ限界が近かった。互いに我慢の限界に達したタイミングで、俺はタコをのみこみ思いきり声をあげて笑った。翔太も笑った。
 ひとしきり笑い、息をととのえながら目を拭う翔太を見て、やっぱり友だちだなと思った。笑いのツボが近くて、一緒にいて心から落ち着く。
 そんな最高の相手を、自分勝手な感情で失いたくない。
 だからこのまま。現状維持。キープ。
 それが最適で、最善の答えだ。
 そう自分を納得させたいのに。翔太は酒をぐいっと飲むと、俺の顔を覗き込む。

「今日泊っていくでしょ?」

 チーズのようにとろけた目に、戸惑う俺の姿が映る。

「あー……、どうしよ」
「明日用あるの?」
「……ないけど」

 けど。俺はととのえられた翔太のベッドを横目に見る。シングルサイズの、男二人が寝るには狭いベッドを。
 これから二人で過ごす夜は、きっとあの夏の夜につながる。そんな気配を感じていた。

「雄介遅いな」

 翔太はスマホを取り出し、画面を軽く触る。

「雄介これないって。さっきメッセージ来てた」
「まじか」

 二人きりの部屋。暖かく心地のよい夜。
 ついさっき出した最適で最善の答えが、早くも崩れそうになる。

「あのさ……」
「うん」

 翔太はまっすぐに俺を見つめる。
 息は吐けるのに、言葉だけが出てこない。まるで、大きな石が詰まっているようだった。俺はへしゃげた酒の缶が目に止まった。

「まだ酒ある?」

 俺はその場から逃げるように立ち上がり、キッチンへと向かう。ツヤのある黒い冷蔵庫に情けない自分の影が反射していた。
 扉を開けると、冷気とは裏腹な暖色のライトが灯る。
 料理の腕前を誇るだけあって調味料や食材はあるものの、すっきりとした中身だ。しかし、酒は俺と翔太が買った缶チューハイしかなかった。晩酌をしないというのは本当らしい……。


 あれ?

 そこで、俺はある違和感に気づいた。
 その小さな違和感から翔太の思惑に気づくまでそう時間はかからなかった。
 けれど、こんなことをする理由はいくら考えても分からなかった。
 あの夏の夜と同じように。
 俺は冷蔵庫の扉を閉め、リビングに戻ってハンガーにかかったコートをまとう。

「外行かね?」
「え? まだお酒あるでしょ」

 戸惑う翔太に、俺は問いかけた。


「雄介、ここに呼んでないだろ」