☕️
「お前結婚しねぇの?」
1杯300円もしない安い酒を飲みながら聞いてくる。
「相手がいない」
親友の風間 心治とは高校時代からの付き合いで、3年間クラスが一緒だった。
入学と同時に野球部に入り、2年のときには同時期にレギュラーになった。
ポジションは俺がショートで親友の心治がセカンドの二遊間。
大会前は真面目に練習していたが、たまに朝練サボってマック行ったり、キャッチボール中にわざと暴投して体育館内にいる女子バスケ部に絡んだりしていた。
社会人になってからも一緒にスケボーしたり、ロードバイクに乗って都内をサイクリングしたり、クラブやフェスに行ってタオル振りながら体力の限界まで踊っていた。
心治には言いたいことを言える。
「理想が高ぇんだよ。若くて可愛い子ばっか狙うなって」
「どうせ結婚するなら良い女捕まえたいじゃんか。お前の嫁さんだって可愛いし」
心治の嫁さんは高校の一歳歳下の後輩で、女子バスケ部に所属していた。
彼女が入学と同時に心治が一目惚れし、それから何かと理由をつけては絡んでいた。
秋の大会の後、3年生の送別会が行われた。
たまたま女子バスケ部も同じ店で送別会が行われていて、そこから2人はさらに急接近して付き合いそのまま子供を産んで結婚した。
「そういうの最初だけだぞ?一緒に住んだら家族みたいになって、子供ができたら旦那なんて後回しにされて、小遣い制で好きなものも買えないし」
電子タバコを吸いながら既婚者の現実を夢なく語る。
「でも子供は可愛いだろ?」
「あぁ、めちゃくちゃ可愛い。子供のために生きてるって言っても過言じゃない」
子供の話になり、彼女の顔が浮かんだ。
「いまの嫁さんと一緒になって良かったって思うか?」
「あぁ、きっと違う人だったら結婚してないと思う」
こういうのも巡り合わせだろう。
「でも焦んなよ。結婚はタイミングって言うし、急いでするもんじゃない」
たしかにそうだ。焦っても良いことなんてない。
「長続きする秘訣って何だ?」
「それはな、我慢だ」
親友は一切の逡巡もなくそう言い切った。
「マジ?」
「理想を追い求めて良かったことなんてあるか?生きた人間同士が一緒になるんだ。そんなことはあり得ない」
たしかにそうだ。理想通りに行くことなんてほぼない。
「自分の理想の恋愛をしたいならAIと結婚すべきだ。だからお前も相手のために行動した方が良い。それが結果的に自分の幸せにつながるからな」
チャットGPTや占い師に将来の婚約者を聞いたところで信憑性はないし、自分の将来は自分で決めるのが『道』というものだ。
極論も混ざっていたが言っていることは正しい。
いつもふざけてばかりいるのに、こういう真剣な話になるとちゃんと答えてくれる。
そもそもこんな会話してこなかったから、お互い少し大人になったなと思う。
「それよりこれからどうする?」
そう親友に聞かれたが、時間は大丈夫か?
「どうするってもう夜の10時だぞ?家庭は大丈夫なのか?」
心治は二児の父親。
女慣れしていることもあってか結婚してからもモテる。
「嫁は来週まで子供連れて地元に帰省してるから大丈夫。せっかくだしどっか行くか」
親友のどっか行くか。はそういう店のことを指す。
「責任取らねぇぞ」
東京のネオンの光がギラギラに輝く街中、居酒屋の前で二次会に行くかどうかを話し合う学生たち。すでに酩酊している会社員たち。
スーツを着た若い男性とその隣に数人の女の子が店の入り口の前に立っている。
その中の1人の子。
どこかで見たことがあるような気がするが、マスクをしていたので確信は持てなかった。
「いらっしゃいませ。ご指名は?」
黒服の男性が入り口で俺ら2人を出迎える。
「いや、ないっす」
「ご来店されたことはあります?」
「いや、ないっす」
「フリー2名さまでーす」
店内に入ると、煌びやかな装飾と高そうなシャンデリアが出迎えた。
BGMはR&Bが流れていて、まるでバーのような雰囲気。
ドレスを着た綺麗な女性がスマホをいじりながら待機している。
奥に座っている常連らしき人はシャンパンを入れてキャバ嬢と乾杯していたが、平日ということもあってかそこまで混んでいなかった。
黒服のボーイに席に案内され、しばらくするとドレスを着た女性がやってきた。
さっき外で呼び込みをしていたうちの1人だ。
その子と目が合うと瞳孔が開いた。
「慶永?」
いつもよりちょっと濃いめのメイクをしていたが、リスのようなその顔は間違いない。
「梨紗?」
なんで梨紗がここに?
驚きのあまり大きい声が出た。
(ここではユメって名前でやってるから)
小声でそう言われた。
横に座っている心治は胸元と背中がガッツリ開いたドレスを着ているキャバ嬢と楽しそうに話している。
まさかキャバクラで梨紗と話すことになるなんて。
ちょっと気まずいが、20分くらいすれば違う子がつくので、梨紗、いや、ユメちゃんと話すことにした。
美容師のように今日はお休みだったんですか?とかは通用しないし、他のキャバ嬢のように何て呼んだらいいですか?っていうのもこの場では意味をなさない。
すると、ユメちゃんが切り出した。
「私さ、以前夢があるって言ってたの覚えてる?」
「あぁ、覚えてる」
「私ね、ずっと看護師になりたかったの。あの震災のときに何ができなかったことが悔しくて」
梨紗の両親と祖父母は震災で亡くなっている。
幼いながらも梨紗はそのことを強く覚えていて、北海道から親戚のいる東京に引き取られてなんとか生活はできていたが、心の穴は塞がらなかった。
その親戚も最近亡くなり、1人っ子の梨紗は天涯孤独となった。
理由は違えど、俺と同じように孤独感を内に秘めながら日々闘っている。
「梨紗って案外良い女だな」
「あれ?いまごろ知ったの?」
気づくの遅いと言わんばりの表情は少しだけ艶めかしく見えた。
「残念ながらな」
「ひどいんですけど」
お互いそんな軽口を言いながら話を続ける。
「でもお金が必要なら仕事辞める必要なかったんじゃないか?」
ウチの会社は中小企業にしては結構ボーナスが高い。
在籍が長ければ長いほど多くもらえるようになる。
「あの会社副業禁止じゃん。それに看護師になるには資格がいるから、勉強する時間が必要なの」
そう、ウチの会社は副業を禁止している。
パンデミックの影響で副業を申請する社員もいたがそれは叶わなかった。
むしろ今回を機にアプリゲームの開発にも携わるようになったことで仕事量は増えていった。
残業も多くなり、ハードワークから辞めていく社員も増えた。
梨紗もその1人。
「梨紗って意外と真面目なんだな」
「意外は余計よ」
「悪りぃ悪りぃ」
梨紗は会社を辞めてからというもの、昼は看護の専門学校に通い、夜はこの店で働いて専門学校の費用を自分で支払っているらしい。
別れてから知っていく梨紗の一面が最近増えた。
そんな気がする。
🍦
優梨との待ち合わせ場所へ向かう途中で足が止まった。
駅から少し離れた通り沿いにあるカフェに見覚えのある人がいた。
窓側のテーブル席に座り、1人本を読んでいる。
ベースボールキャップを被っていたとはいえ、ハーフリムの眼鏡にキリッとした目の横顔は間違いない。
慶永くんだ。
休みの日はカフェで小説を読んでいるっていたけれど、集中していてこっちには全く気がついていない様子。
偶然にも同じ街で見つけるなんて、これってもしかして運命?
勇気を出して直接声をかけに行こうかと思ったそのとき、見覚えのある人がカフェに向かってきた。
この前会った七海 梨紗だ。
彼女の印象は正直言って最悪。
私のことを見下したようなあの嫌な目つきが蘇る。
カフェに入ろうとする彼女を見てなぜか反射的に身を隠してしまった。
何で隠れているの?
何も疚しいことなんてないのに。
梨紗は彼の見える位置まで向かい、店の外からガラスをコンコンと叩いた。
それに気がついた彼が軽く手を振ると、店内で合流して真正面の席に座る。
どうやら待ち合わせをしていたようだ。
2人はドリンクを飲みながら楽しそうに話している。
何の話をしているのだろう?
心臓の奥が激しく動揺した。
今日は優梨のバイト終わりに遊ぶことになっていた。
私は休みだったけれど、店に行くのがなんとなく億劫だったので待ち合わせの時間までだらだらしていた。
「そっち向かう途中にさ、彼が前に話しとった女と一緒におるんやけど」
スピーディーに親指を動かして一文字もミスることなくメッセージを送ると即レスがきた。
「とりあえずそっち行くから待ってて」
「わかった。位置情報送るね」
ちょうどバイトが終わった様子の優梨が合流した。
「ごめん、こっちまで来てもらっちゃって」
「いいよ。それより状況は?」
優梨はまるで警察官の現場検証のようにスマホをメモ帳代わりにして聞いてくる。
話の内容はわからないけれど、待ち合わせしていることを伝えた。
「なるほど、じゃ入るよ」
「入るって、あの店に?」
「そう、行くよ」
「そんなことしたらバレちゃうよ」
「大丈夫!あの2人話に夢中みたいだし、あそこに座ればバレないよ」
彼らの座っている場所は店の入り口から少し離れた窓側の席。
席と席の間には柱で隔たれているため、身を乗り出さないと見えない。
店に入る前、「潜入捜査みたいじゃない?」
と言ってきた優梨の表情は楽しそうだったけれど、私は気が気でない。
半信半疑で優梨の後をついて行く。
柱を隔てた先の席に座って耳をすます。
しかし、広い店内はほぼ満席状態で多くの人の声が壁に反射していて個々の会話を聞くことは容易ではなかった。
しかも彼のすぐ近くに座っていた若い子たちがスマホからアイドルのライブ動画を大きな音量で流している。
それに対してイライラしてきた。
盗み聞きをするのはよくないけれど、聞こえそうで聞こえない感じがモヤモヤする。
「五月蝿い」
思わず口に出てしまった。
聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声だったが、横で聞いていた優梨が私の方を見ながらニヤニヤしだした。
「紫苑、彼のこと好きなんだね」
「え!?なんで?」
「バレバレだし。彼のことになると露骨に顔に出るんだから」
「ウソ!?」
「気がついていないとでも思った?連絡くるだけで嬉しそうな顔するし、いまだって会話が聞こえなくてイライラしてるんでしょ?」
「私、そんなわかりやすい?」
「うん。めちゃくちゃわかりやすい」
勘の鋭い優梨だからではない。きっと私はすぐに態度に出るタイプなのだろう。
でも、そうなると彼にも気づかれているのかも。そうなると一気に恥ずかしくなってきた。
「告っちゃえば?」
「こ、告白!?」
驚きのあまり思わず大きい声が出てしまった。
ムリムリムリ。
告白なんて一度もしたことないし、脈があるのかもわからないし。
パソコンで仕事をしている人たちや食事をしている人、作業中の店員さんからも見られてしまった。
私は座ったまま周囲の人にすみませんと小さく首を振って謝った。
「冗談だよ、本当かわいい!」
「もうやめてよ」
優梨のいたずらはたまに度がすぎることがあるから心臓に悪い。
程なくして彼らが立ち上がって店を出て行こうとする。
私たちもバレないように尾行する。
店を出た2人はとあるビルに入って行った。
エレベーターが止まった場所を確認し、私たちも同じ階に向かう。
都心の景色が見えるお洒落なレストラン。
ギリギリ会話の聞こえる席に座ろうとしたが、予約の関係で少し離れた席に案内された。
向かい合わせに座りながら話す2人は楽しそう。
彼の笑顔を遠目から見るたびに胸がチクチクと痛む。
優梨は注文したローストビーフとワインを他人事のように堪能していた。
結局注文したものはほとんど喉が通らず、2人の後を追うように店を出た。
「優梨、もうやめない?」
「まだ何もつかめてないからもう少し追いかけようよ」
私の気持ちとは裏腹に、優梨は探偵ごっこを楽しんでいる。
レストランを出た2人は人気のない少ない道へと歩き出した。
朝の予報は曇りときどき雨。
降水確率も30%と傘を持っていくか困るパターンだけれど、濡れるのは嫌だから一応持っていった。
私は雨が嫌い。
蒸れるし、濡れるし、気分も落ちるし。
でも今日ばかりは降ってほしいと願った。
尾行がバレてしまうし、見たくないものは見なくていいから。
今朝は晴れていて暖かかったけれど、この時間になると雲の群れが太陽にマスクをするように空の色を暗くする。
少し肌寒さを感じてコートを羽織る。
すると、願いが届いたのか急に雨がパラパラと降り出した。
私にはこの雨が恵みの雨に思えた。
2人とも距離が縮まりすぎないよう慎重に歩く。
しかし、恵みだったはずの雨は一瞬にして嫉妬の雨へと姿を変えた。
あの女が鞄から折り畳み傘を取り出し、開いたのだ。
まさか、相合傘?
ただその傘は大人2人が入るには絶妙に小さかったので一瞬ホッとした。
だけれど彼は濡れている。
帽子を被っていたおかげで頭は無事みたいだけれど、肩から下はどんどん雨を受けている。
小雨とはいえ、何も差さずに歩くなんて風邪ひいちゃうし、自分が濡れてでも行かないといけない場所ってどこ?
私だったら彼が濡れないようにしてあげるのに。
一定の距離を保ちながら後をついていく。
少し経つと叢雨が続いた。
この天気に目的もなく歩くなんて考えにくい。
多くの人が屋根のあるところに行き、いつ止むかわからない雨を見上げながら雨宿りをしている。
何人かの人は頭が濡れないよう持っていたバッグを傘代わりにしながら小走りに駅へと向かっていく。
一方彼らは大通りから路地裏へと入っていき、さらに奥へと進んでいく。
ウソでしょ?
よくないことを想像してしまう。
「これからどこに行くのかな?」
「不安そうだね」
こっちから先はホテル街。
周囲の景色がピンク色へと変わっていく。
不安にならない理由がない。
徐々に冷静さがなくなっていくのを感じた。
「ちょっと紫苑」
優梨に呼び止められてハッとした。
私は明らかに動揺し、足取りが重くなっていた。
そのせいで彼と距離ができてしまっていた。
「このままだと見逃しちゃうよ?ホテルに入ったわけじゃないんだしさ、まだわかんないでしょ」
たしかにそうなんだけれど……
「ってかこれ探偵みたいじゃない?」
優梨は相変わらず楽しそうだけれど、どっちかというとストーカーみたいな気もしますが。
でも私としては真相が知りたい。
そのまま直進していく2人についていく。
何組かのカップルらしき人たちがホテルに入っていく。
それを見るたびにドキドキしてしまう。
すると、2人が急に道を曲がった。
慌てて追いかけるとその先は住宅街だった。
足を止めていた2人に気がつき、物陰に隠れて耳をすますと会話が聞こえてくる。
「今日はありがとう。久しぶりに慶永と遊べて楽しかった」
「まぁほぼ恋愛相談だったけどな」
「それでもだよ」
「男同士じゃ答えが出にくいし、経験豊富な梨紗に聞くのが一番早いと思って」
「何それ、なんかひどくない?私そんなに経験値高くないんですけど」
「悪りぃ悪りぃ」
「雨も収まってきたし、この辺でいいよ」
「俺から誘ったのにさすがに1人で帰すわけにはいかないっしょ。駅まで送っていくよ」
「ううん。本当にこの辺で大丈夫」
「そっか。傘、ありがとな」
お礼を言っている彼の半分は濡れていた。
「優しいね。彼女が羨ましいな」
「まだ彼女じゃねぇよ」
「まだ、ねぇ。もしフラれたらそのときはかわいそうだから私が貰ってあげてもいいよ」
「はいはい、考えとく」
そう言って2人は別れていった。
何もなかったと思うと少しだけ心が凪いだ。
私たちは近くのカフェに入ってドリンクを注文する。
私はアイスコーヒー、優梨はホットティーを頼んだ。
「あの女の人、彼に完全に気あるよ」
優梨が足を組み、持っていたカップで紅茶を飲む。
前々から思っていたけれど、優梨は暑い日に熱いものを摂取する。
前に理由を聞いたとき、
内臓を温めることでむくみが取れたり、疲労回復の効果もあるって言っていた。
だから幼いころから年中ホットを飲んでいるらしい。
それもあってかそのモデルのような体型を維持できているのかな。
そんな優梨が続ける。
「紫苑も薄々気づいていたでしょ?」
気づいていた。
あの花火大会のときから違和感みたいなものを感じていて、元カノの割にやけに距離が近くて親しい印象だった。
私と会っているときも連絡がきている様子だったし。
カフェもレストランも割り勘にしているみたいだったし、奢ってもらうために会った感じには見えなかった。
彼女はたしかに可愛い。
背も小さいから上目遣いも効果的だしよりあざとく感じる。
でも私の方が若いしスタイルだって良い。
と思う。
それに2人は一度別れてるし、彼は彼女に興味ない素振りを見せていた。
「あの感じ、他に好きな人いるってことだよね?」
「どうだろ?あの濁し方はどっちともとれるし。恋愛相談からそのまま付き合うパターンはよくあるし、やり直して上手くいくこともあるからね」
優梨の言う通りなら彼の優しさを憎んでしまいそうになる。
それくらいの不安に駆られた。
「他の人に取られてもいいの?」
それは嫌に決まっている。
彼が他の女の子と手をつないだりキスしたり抱き合ったり……そんなことを想像するだけで胸がぎゅっと締めつけられる。
「じゃあ紫苑からもアプローチしなきゃだね」
「アプローチって?」
「デートに誘うの」
「私から?」
「そう、先手必勝よ」
私から誘うなんて、そんなこと一度もしたことないんですが。
もし断られたら傷つくし気まずくなるし、何より軽い女って思われたら嫌だよ。
「ときに恋愛はね、考えるより行動を優先することで見えてくることもあるの」
どこかの詩人から抜粋したかのような言い方をした優梨。
そんなこと言われても考えちゃうよ。
「お前結婚しねぇの?」
1杯300円もしない安い酒を飲みながら聞いてくる。
「相手がいない」
親友の風間 心治とは高校時代からの付き合いで、3年間クラスが一緒だった。
入学と同時に野球部に入り、2年のときには同時期にレギュラーになった。
ポジションは俺がショートで親友の心治がセカンドの二遊間。
大会前は真面目に練習していたが、たまに朝練サボってマック行ったり、キャッチボール中にわざと暴投して体育館内にいる女子バスケ部に絡んだりしていた。
社会人になってからも一緒にスケボーしたり、ロードバイクに乗って都内をサイクリングしたり、クラブやフェスに行ってタオル振りながら体力の限界まで踊っていた。
心治には言いたいことを言える。
「理想が高ぇんだよ。若くて可愛い子ばっか狙うなって」
「どうせ結婚するなら良い女捕まえたいじゃんか。お前の嫁さんだって可愛いし」
心治の嫁さんは高校の一歳歳下の後輩で、女子バスケ部に所属していた。
彼女が入学と同時に心治が一目惚れし、それから何かと理由をつけては絡んでいた。
秋の大会の後、3年生の送別会が行われた。
たまたま女子バスケ部も同じ店で送別会が行われていて、そこから2人はさらに急接近して付き合いそのまま子供を産んで結婚した。
「そういうの最初だけだぞ?一緒に住んだら家族みたいになって、子供ができたら旦那なんて後回しにされて、小遣い制で好きなものも買えないし」
電子タバコを吸いながら既婚者の現実を夢なく語る。
「でも子供は可愛いだろ?」
「あぁ、めちゃくちゃ可愛い。子供のために生きてるって言っても過言じゃない」
子供の話になり、彼女の顔が浮かんだ。
「いまの嫁さんと一緒になって良かったって思うか?」
「あぁ、きっと違う人だったら結婚してないと思う」
こういうのも巡り合わせだろう。
「でも焦んなよ。結婚はタイミングって言うし、急いでするもんじゃない」
たしかにそうだ。焦っても良いことなんてない。
「長続きする秘訣って何だ?」
「それはな、我慢だ」
親友は一切の逡巡もなくそう言い切った。
「マジ?」
「理想を追い求めて良かったことなんてあるか?生きた人間同士が一緒になるんだ。そんなことはあり得ない」
たしかにそうだ。理想通りに行くことなんてほぼない。
「自分の理想の恋愛をしたいならAIと結婚すべきだ。だからお前も相手のために行動した方が良い。それが結果的に自分の幸せにつながるからな」
チャットGPTや占い師に将来の婚約者を聞いたところで信憑性はないし、自分の将来は自分で決めるのが『道』というものだ。
極論も混ざっていたが言っていることは正しい。
いつもふざけてばかりいるのに、こういう真剣な話になるとちゃんと答えてくれる。
そもそもこんな会話してこなかったから、お互い少し大人になったなと思う。
「それよりこれからどうする?」
そう親友に聞かれたが、時間は大丈夫か?
「どうするってもう夜の10時だぞ?家庭は大丈夫なのか?」
心治は二児の父親。
女慣れしていることもあってか結婚してからもモテる。
「嫁は来週まで子供連れて地元に帰省してるから大丈夫。せっかくだしどっか行くか」
親友のどっか行くか。はそういう店のことを指す。
「責任取らねぇぞ」
東京のネオンの光がギラギラに輝く街中、居酒屋の前で二次会に行くかどうかを話し合う学生たち。すでに酩酊している会社員たち。
スーツを着た若い男性とその隣に数人の女の子が店の入り口の前に立っている。
その中の1人の子。
どこかで見たことがあるような気がするが、マスクをしていたので確信は持てなかった。
「いらっしゃいませ。ご指名は?」
黒服の男性が入り口で俺ら2人を出迎える。
「いや、ないっす」
「ご来店されたことはあります?」
「いや、ないっす」
「フリー2名さまでーす」
店内に入ると、煌びやかな装飾と高そうなシャンデリアが出迎えた。
BGMはR&Bが流れていて、まるでバーのような雰囲気。
ドレスを着た綺麗な女性がスマホをいじりながら待機している。
奥に座っている常連らしき人はシャンパンを入れてキャバ嬢と乾杯していたが、平日ということもあってかそこまで混んでいなかった。
黒服のボーイに席に案内され、しばらくするとドレスを着た女性がやってきた。
さっき外で呼び込みをしていたうちの1人だ。
その子と目が合うと瞳孔が開いた。
「慶永?」
いつもよりちょっと濃いめのメイクをしていたが、リスのようなその顔は間違いない。
「梨紗?」
なんで梨紗がここに?
驚きのあまり大きい声が出た。
(ここではユメって名前でやってるから)
小声でそう言われた。
横に座っている心治は胸元と背中がガッツリ開いたドレスを着ているキャバ嬢と楽しそうに話している。
まさかキャバクラで梨紗と話すことになるなんて。
ちょっと気まずいが、20分くらいすれば違う子がつくので、梨紗、いや、ユメちゃんと話すことにした。
美容師のように今日はお休みだったんですか?とかは通用しないし、他のキャバ嬢のように何て呼んだらいいですか?っていうのもこの場では意味をなさない。
すると、ユメちゃんが切り出した。
「私さ、以前夢があるって言ってたの覚えてる?」
「あぁ、覚えてる」
「私ね、ずっと看護師になりたかったの。あの震災のときに何ができなかったことが悔しくて」
梨紗の両親と祖父母は震災で亡くなっている。
幼いながらも梨紗はそのことを強く覚えていて、北海道から親戚のいる東京に引き取られてなんとか生活はできていたが、心の穴は塞がらなかった。
その親戚も最近亡くなり、1人っ子の梨紗は天涯孤独となった。
理由は違えど、俺と同じように孤独感を内に秘めながら日々闘っている。
「梨紗って案外良い女だな」
「あれ?いまごろ知ったの?」
気づくの遅いと言わんばりの表情は少しだけ艶めかしく見えた。
「残念ながらな」
「ひどいんですけど」
お互いそんな軽口を言いながら話を続ける。
「でもお金が必要なら仕事辞める必要なかったんじゃないか?」
ウチの会社は中小企業にしては結構ボーナスが高い。
在籍が長ければ長いほど多くもらえるようになる。
「あの会社副業禁止じゃん。それに看護師になるには資格がいるから、勉強する時間が必要なの」
そう、ウチの会社は副業を禁止している。
パンデミックの影響で副業を申請する社員もいたがそれは叶わなかった。
むしろ今回を機にアプリゲームの開発にも携わるようになったことで仕事量は増えていった。
残業も多くなり、ハードワークから辞めていく社員も増えた。
梨紗もその1人。
「梨紗って意外と真面目なんだな」
「意外は余計よ」
「悪りぃ悪りぃ」
梨紗は会社を辞めてからというもの、昼は看護の専門学校に通い、夜はこの店で働いて専門学校の費用を自分で支払っているらしい。
別れてから知っていく梨紗の一面が最近増えた。
そんな気がする。
🍦
優梨との待ち合わせ場所へ向かう途中で足が止まった。
駅から少し離れた通り沿いにあるカフェに見覚えのある人がいた。
窓側のテーブル席に座り、1人本を読んでいる。
ベースボールキャップを被っていたとはいえ、ハーフリムの眼鏡にキリッとした目の横顔は間違いない。
慶永くんだ。
休みの日はカフェで小説を読んでいるっていたけれど、集中していてこっちには全く気がついていない様子。
偶然にも同じ街で見つけるなんて、これってもしかして運命?
勇気を出して直接声をかけに行こうかと思ったそのとき、見覚えのある人がカフェに向かってきた。
この前会った七海 梨紗だ。
彼女の印象は正直言って最悪。
私のことを見下したようなあの嫌な目つきが蘇る。
カフェに入ろうとする彼女を見てなぜか反射的に身を隠してしまった。
何で隠れているの?
何も疚しいことなんてないのに。
梨紗は彼の見える位置まで向かい、店の外からガラスをコンコンと叩いた。
それに気がついた彼が軽く手を振ると、店内で合流して真正面の席に座る。
どうやら待ち合わせをしていたようだ。
2人はドリンクを飲みながら楽しそうに話している。
何の話をしているのだろう?
心臓の奥が激しく動揺した。
今日は優梨のバイト終わりに遊ぶことになっていた。
私は休みだったけれど、店に行くのがなんとなく億劫だったので待ち合わせの時間までだらだらしていた。
「そっち向かう途中にさ、彼が前に話しとった女と一緒におるんやけど」
スピーディーに親指を動かして一文字もミスることなくメッセージを送ると即レスがきた。
「とりあえずそっち行くから待ってて」
「わかった。位置情報送るね」
ちょうどバイトが終わった様子の優梨が合流した。
「ごめん、こっちまで来てもらっちゃって」
「いいよ。それより状況は?」
優梨はまるで警察官の現場検証のようにスマホをメモ帳代わりにして聞いてくる。
話の内容はわからないけれど、待ち合わせしていることを伝えた。
「なるほど、じゃ入るよ」
「入るって、あの店に?」
「そう、行くよ」
「そんなことしたらバレちゃうよ」
「大丈夫!あの2人話に夢中みたいだし、あそこに座ればバレないよ」
彼らの座っている場所は店の入り口から少し離れた窓側の席。
席と席の間には柱で隔たれているため、身を乗り出さないと見えない。
店に入る前、「潜入捜査みたいじゃない?」
と言ってきた優梨の表情は楽しそうだったけれど、私は気が気でない。
半信半疑で優梨の後をついて行く。
柱を隔てた先の席に座って耳をすます。
しかし、広い店内はほぼ満席状態で多くの人の声が壁に反射していて個々の会話を聞くことは容易ではなかった。
しかも彼のすぐ近くに座っていた若い子たちがスマホからアイドルのライブ動画を大きな音量で流している。
それに対してイライラしてきた。
盗み聞きをするのはよくないけれど、聞こえそうで聞こえない感じがモヤモヤする。
「五月蝿い」
思わず口に出てしまった。
聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声だったが、横で聞いていた優梨が私の方を見ながらニヤニヤしだした。
「紫苑、彼のこと好きなんだね」
「え!?なんで?」
「バレバレだし。彼のことになると露骨に顔に出るんだから」
「ウソ!?」
「気がついていないとでも思った?連絡くるだけで嬉しそうな顔するし、いまだって会話が聞こえなくてイライラしてるんでしょ?」
「私、そんなわかりやすい?」
「うん。めちゃくちゃわかりやすい」
勘の鋭い優梨だからではない。きっと私はすぐに態度に出るタイプなのだろう。
でも、そうなると彼にも気づかれているのかも。そうなると一気に恥ずかしくなってきた。
「告っちゃえば?」
「こ、告白!?」
驚きのあまり思わず大きい声が出てしまった。
ムリムリムリ。
告白なんて一度もしたことないし、脈があるのかもわからないし。
パソコンで仕事をしている人たちや食事をしている人、作業中の店員さんからも見られてしまった。
私は座ったまま周囲の人にすみませんと小さく首を振って謝った。
「冗談だよ、本当かわいい!」
「もうやめてよ」
優梨のいたずらはたまに度がすぎることがあるから心臓に悪い。
程なくして彼らが立ち上がって店を出て行こうとする。
私たちもバレないように尾行する。
店を出た2人はとあるビルに入って行った。
エレベーターが止まった場所を確認し、私たちも同じ階に向かう。
都心の景色が見えるお洒落なレストラン。
ギリギリ会話の聞こえる席に座ろうとしたが、予約の関係で少し離れた席に案内された。
向かい合わせに座りながら話す2人は楽しそう。
彼の笑顔を遠目から見るたびに胸がチクチクと痛む。
優梨は注文したローストビーフとワインを他人事のように堪能していた。
結局注文したものはほとんど喉が通らず、2人の後を追うように店を出た。
「優梨、もうやめない?」
「まだ何もつかめてないからもう少し追いかけようよ」
私の気持ちとは裏腹に、優梨は探偵ごっこを楽しんでいる。
レストランを出た2人は人気のない少ない道へと歩き出した。
朝の予報は曇りときどき雨。
降水確率も30%と傘を持っていくか困るパターンだけれど、濡れるのは嫌だから一応持っていった。
私は雨が嫌い。
蒸れるし、濡れるし、気分も落ちるし。
でも今日ばかりは降ってほしいと願った。
尾行がバレてしまうし、見たくないものは見なくていいから。
今朝は晴れていて暖かかったけれど、この時間になると雲の群れが太陽にマスクをするように空の色を暗くする。
少し肌寒さを感じてコートを羽織る。
すると、願いが届いたのか急に雨がパラパラと降り出した。
私にはこの雨が恵みの雨に思えた。
2人とも距離が縮まりすぎないよう慎重に歩く。
しかし、恵みだったはずの雨は一瞬にして嫉妬の雨へと姿を変えた。
あの女が鞄から折り畳み傘を取り出し、開いたのだ。
まさか、相合傘?
ただその傘は大人2人が入るには絶妙に小さかったので一瞬ホッとした。
だけれど彼は濡れている。
帽子を被っていたおかげで頭は無事みたいだけれど、肩から下はどんどん雨を受けている。
小雨とはいえ、何も差さずに歩くなんて風邪ひいちゃうし、自分が濡れてでも行かないといけない場所ってどこ?
私だったら彼が濡れないようにしてあげるのに。
一定の距離を保ちながら後をついていく。
少し経つと叢雨が続いた。
この天気に目的もなく歩くなんて考えにくい。
多くの人が屋根のあるところに行き、いつ止むかわからない雨を見上げながら雨宿りをしている。
何人かの人は頭が濡れないよう持っていたバッグを傘代わりにしながら小走りに駅へと向かっていく。
一方彼らは大通りから路地裏へと入っていき、さらに奥へと進んでいく。
ウソでしょ?
よくないことを想像してしまう。
「これからどこに行くのかな?」
「不安そうだね」
こっちから先はホテル街。
周囲の景色がピンク色へと変わっていく。
不安にならない理由がない。
徐々に冷静さがなくなっていくのを感じた。
「ちょっと紫苑」
優梨に呼び止められてハッとした。
私は明らかに動揺し、足取りが重くなっていた。
そのせいで彼と距離ができてしまっていた。
「このままだと見逃しちゃうよ?ホテルに入ったわけじゃないんだしさ、まだわかんないでしょ」
たしかにそうなんだけれど……
「ってかこれ探偵みたいじゃない?」
優梨は相変わらず楽しそうだけれど、どっちかというとストーカーみたいな気もしますが。
でも私としては真相が知りたい。
そのまま直進していく2人についていく。
何組かのカップルらしき人たちがホテルに入っていく。
それを見るたびにドキドキしてしまう。
すると、2人が急に道を曲がった。
慌てて追いかけるとその先は住宅街だった。
足を止めていた2人に気がつき、物陰に隠れて耳をすますと会話が聞こえてくる。
「今日はありがとう。久しぶりに慶永と遊べて楽しかった」
「まぁほぼ恋愛相談だったけどな」
「それでもだよ」
「男同士じゃ答えが出にくいし、経験豊富な梨紗に聞くのが一番早いと思って」
「何それ、なんかひどくない?私そんなに経験値高くないんですけど」
「悪りぃ悪りぃ」
「雨も収まってきたし、この辺でいいよ」
「俺から誘ったのにさすがに1人で帰すわけにはいかないっしょ。駅まで送っていくよ」
「ううん。本当にこの辺で大丈夫」
「そっか。傘、ありがとな」
お礼を言っている彼の半分は濡れていた。
「優しいね。彼女が羨ましいな」
「まだ彼女じゃねぇよ」
「まだ、ねぇ。もしフラれたらそのときはかわいそうだから私が貰ってあげてもいいよ」
「はいはい、考えとく」
そう言って2人は別れていった。
何もなかったと思うと少しだけ心が凪いだ。
私たちは近くのカフェに入ってドリンクを注文する。
私はアイスコーヒー、優梨はホットティーを頼んだ。
「あの女の人、彼に完全に気あるよ」
優梨が足を組み、持っていたカップで紅茶を飲む。
前々から思っていたけれど、優梨は暑い日に熱いものを摂取する。
前に理由を聞いたとき、
内臓を温めることでむくみが取れたり、疲労回復の効果もあるって言っていた。
だから幼いころから年中ホットを飲んでいるらしい。
それもあってかそのモデルのような体型を維持できているのかな。
そんな優梨が続ける。
「紫苑も薄々気づいていたでしょ?」
気づいていた。
あの花火大会のときから違和感みたいなものを感じていて、元カノの割にやけに距離が近くて親しい印象だった。
私と会っているときも連絡がきている様子だったし。
カフェもレストランも割り勘にしているみたいだったし、奢ってもらうために会った感じには見えなかった。
彼女はたしかに可愛い。
背も小さいから上目遣いも効果的だしよりあざとく感じる。
でも私の方が若いしスタイルだって良い。
と思う。
それに2人は一度別れてるし、彼は彼女に興味ない素振りを見せていた。
「あの感じ、他に好きな人いるってことだよね?」
「どうだろ?あの濁し方はどっちともとれるし。恋愛相談からそのまま付き合うパターンはよくあるし、やり直して上手くいくこともあるからね」
優梨の言う通りなら彼の優しさを憎んでしまいそうになる。
それくらいの不安に駆られた。
「他の人に取られてもいいの?」
それは嫌に決まっている。
彼が他の女の子と手をつないだりキスしたり抱き合ったり……そんなことを想像するだけで胸がぎゅっと締めつけられる。
「じゃあ紫苑からもアプローチしなきゃだね」
「アプローチって?」
「デートに誘うの」
「私から?」
「そう、先手必勝よ」
私から誘うなんて、そんなこと一度もしたことないんですが。
もし断られたら傷つくし気まずくなるし、何より軽い女って思われたら嫌だよ。
「ときに恋愛はね、考えるより行動を優先することで見えてくることもあるの」
どこかの詩人から抜粋したかのような言い方をした優梨。
そんなこと言われても考えちゃうよ。