🍦
目の前の人は誰?
どうしてそんな哀しい顔をしているの?
どうしてそんなに必死に話をしているの?
「何か困っていることでもあるんですか?」
そう訊いたけれど、
「いや、べつに……」とだけ返ってきた。
煮え切らない返事に少しだけ違和感を感じた。
「そうですか。何かあったら相談に乗りますよ」
居心地が悪いわけではなかったけれど、いまはアキレアを捜しに行ったほうがいいと思った。
なぜここにいるのかがわからなかったから。
踵を返そうとした途端、曼荼羅の刻印が激しく光り輝いた。
急にどうして?
これは自身で念を込めないと反応しない。
ましてや他者の刻印に干渉するなんてできないはず。
そのあまりの眩しさに目を瞑った。
その眩い光の中で記憶が走馬灯のように蘇ってきた。
出会ってから離れ離れになるまでの記憶すべてが。
不思議な感覚だった。
刻印の光が元に戻ると、頭痛はなくなり記憶が戻っていた。
私の目の前にいたのは間違いなく彼だった。
「けいくん、なの?」
ずっと会いたかった人がここにいる。
どれだけの時間が経ったのだろう。
嬉しさと切なさの感情が入り混じる。
「紫苑、久しぶり」
彼の言葉に泪が溢れてきた。
「久しぶり」
せっかく会えたのに泪で顔がよく見えない。
「短い髪も似合ってるよ」
にっこり笑う彼の表情はいつもと変わらない優しい笑顔だった。
煩悩なんてとっくに復活している。
あんな儀式で消えるほど彼への想いは小さくない。
だから記憶が戻ったのだと思う。
「どうしてここに?」
「これが導いてくれたんだ」
彼が手にしていたのは、あのときのサネカズラのハンカチだった。
私たちを見守るようにどっしりと立つハイペリオンの前で彼が生前を思い出すかのように話しはじめる。
「ずっと孤独と戦ってきた。家族がバラバラになったあの日からずっと独りだった。桜の咲く季節も、茹だるような暑い日も、紅葉煌めく季節も、イルミネーションが照らす雪降る夜も年越しの明かりも。四季を巡る度、奥底に仕舞われていく本心。寂しさとう感情を押し殺しては時折顔を出す寂寞の想いを漏らしてまた押し込む。甘えれば済む話なのにそれができない。そんな不器用な生き方に自己嫌悪もした。でも、あの日紫苑に出会ってぐちゃぐちな感情が整理されていった。そばにいてくれるだけで救われた。そばにいてくれるだけで心から癒された。だから好きになるには時間がかからなかったよ。何でもない時間がかけがえなく、それが何よりの幸せだと思わせてくれたのが紫苑だった」
彼はまるで詩を謳うように優しく語った。
その言葉に用意されたものは1つもなく、鮮明で透明な言葉だった。
好きという感情を放っておいたら幸せを掴むことはできない。
はじめて出会った駄菓子屋のベンチで付き合った。手をつないで歩いたみなとみらい。喧嘩した花火大会。一瞬だけど一緒に年を越せて嬉しかった。なのに、ごめんね。私が距離置こうなんて言わなければ……
「1つ聞いていい?」
「ん?何?」
「あの日、距離を置こうって言ったの本心じゃないよな?」
「うん」
「そっか」
「理由、聞かんと?」
「こうして会えたからそれでいい」
「嘘。私があんなことせんかったらけいくんは死ななかった」
「それでも恨んでないよ」
どんだけ優しいのよ。
こんなに優しくされたら触れたくなっちゃうじゃん。
少し間があった。
何を話せばいいとかそういうことじゃなくて、この2人きりの空間を噛み締めたかった。
きっと彼と同じだったのかもしれない。
「けいくん、サネカズラの花言葉知っとう?」
サネカズラの花言葉は『再会』。
ゆっくりと頷く彼。
ハーデンベルギアの花にも同じ意味がある。
偶然なのか必然なのか、私たちを導いてくれたのは思い出のものだった。
「俺たちはきっとこういう運命だったのかもな」
「一方的に距離を置こうって言うような身勝手な女だよ?」
「それでも気持ちは変わらないよ」
さっき拭いたはずなのに、どんどん泪が溢れてくる。
「そろそろ行かなきゃ」
「やだ」
「もう時間みたい」
彼の身体はほぼ消えかかっている。洟を啜りながらも最期の最期まで彼のそばにいたいと願う。
「最期に会えて嬉しいよ」
「……やだ」
「これで本当にお別れだね」
「……行かんで」
「ちゃんと浄化させてよ、アステルさん」
「……」
軽口に乗っかることができなかった。
彼が少しずつ近づいてくる。
ダメ。
私は少し後退りした。
それを見た彼が一瞬立ち止まる。
最期の最後まで彼を苦しめることはできない。
それでも彼は近づいてくる。
本当にダメ。
これ以上近づいたら、私、どうにかなっちゃうよ。
手を伸ばせば触れられるところにいるのに触れることは赦されない。
少しでも触れれば彼が地獄に堕ちちゃうから。
ちゃんと天国に行ってほしいから。
そう言い聞かせてみたけれど、やっぱりダメだった。
だって、やっと会えたんだもん。
会いたくて会いたくてどうしようもなくて。
辛くてもしんどくてもそれでももう一度顔を見たくて。
声を聴きたくてここまできた。
復活した煩悩が神経細胞を刺激する。
一瞬だこ、ほんの一瞬だけ彼に触れることを赦してほしい。
神様にそう願って消えかかる彼の手を握ろうとしたとき、
「なぁ、紫苑」
彼のその声は少しだけ震えているように思えた。
びくっとした身体は驚きを隠せなかった。
私をぎゅっと抱き寄せたその腕は優しさと温もりと愛で溢れていた。
どうしよう。
あんなに一緒にいたのに、こんなにも好きなのに、もどかしくて切なくて目を合わすことができない。
彼の身体はほとんど見えない。
これ以上はダメ。
本当に消えちゃうよ。
「好きになってくれてありがとう」
「うん」
「出会ってくれてありがとう」
「うん」
「元気でね」
「……うん」
「紫苑?」
「ん?」
その言葉で目が合う。
彼は静かに、そして優しくキスをした。
私の双眸から滝のように流れる泪が唇を伝う。
最期のキスはちょっぴりしょっぱかった。
目の前の人は誰?
どうしてそんな哀しい顔をしているの?
どうしてそんなに必死に話をしているの?
「何か困っていることでもあるんですか?」
そう訊いたけれど、
「いや、べつに……」とだけ返ってきた。
煮え切らない返事に少しだけ違和感を感じた。
「そうですか。何かあったら相談に乗りますよ」
居心地が悪いわけではなかったけれど、いまはアキレアを捜しに行ったほうがいいと思った。
なぜここにいるのかがわからなかったから。
踵を返そうとした途端、曼荼羅の刻印が激しく光り輝いた。
急にどうして?
これは自身で念を込めないと反応しない。
ましてや他者の刻印に干渉するなんてできないはず。
そのあまりの眩しさに目を瞑った。
その眩い光の中で記憶が走馬灯のように蘇ってきた。
出会ってから離れ離れになるまでの記憶すべてが。
不思議な感覚だった。
刻印の光が元に戻ると、頭痛はなくなり記憶が戻っていた。
私の目の前にいたのは間違いなく彼だった。
「けいくん、なの?」
ずっと会いたかった人がここにいる。
どれだけの時間が経ったのだろう。
嬉しさと切なさの感情が入り混じる。
「紫苑、久しぶり」
彼の言葉に泪が溢れてきた。
「久しぶり」
せっかく会えたのに泪で顔がよく見えない。
「短い髪も似合ってるよ」
にっこり笑う彼の表情はいつもと変わらない優しい笑顔だった。
煩悩なんてとっくに復活している。
あんな儀式で消えるほど彼への想いは小さくない。
だから記憶が戻ったのだと思う。
「どうしてここに?」
「これが導いてくれたんだ」
彼が手にしていたのは、あのときのサネカズラのハンカチだった。
私たちを見守るようにどっしりと立つハイペリオンの前で彼が生前を思い出すかのように話しはじめる。
「ずっと孤独と戦ってきた。家族がバラバラになったあの日からずっと独りだった。桜の咲く季節も、茹だるような暑い日も、紅葉煌めく季節も、イルミネーションが照らす雪降る夜も年越しの明かりも。四季を巡る度、奥底に仕舞われていく本心。寂しさとう感情を押し殺しては時折顔を出す寂寞の想いを漏らしてまた押し込む。甘えれば済む話なのにそれができない。そんな不器用な生き方に自己嫌悪もした。でも、あの日紫苑に出会ってぐちゃぐちな感情が整理されていった。そばにいてくれるだけで救われた。そばにいてくれるだけで心から癒された。だから好きになるには時間がかからなかったよ。何でもない時間がかけがえなく、それが何よりの幸せだと思わせてくれたのが紫苑だった」
彼はまるで詩を謳うように優しく語った。
その言葉に用意されたものは1つもなく、鮮明で透明な言葉だった。
好きという感情を放っておいたら幸せを掴むことはできない。
はじめて出会った駄菓子屋のベンチで付き合った。手をつないで歩いたみなとみらい。喧嘩した花火大会。一瞬だけど一緒に年を越せて嬉しかった。なのに、ごめんね。私が距離置こうなんて言わなければ……
「1つ聞いていい?」
「ん?何?」
「あの日、距離を置こうって言ったの本心じゃないよな?」
「うん」
「そっか」
「理由、聞かんと?」
「こうして会えたからそれでいい」
「嘘。私があんなことせんかったらけいくんは死ななかった」
「それでも恨んでないよ」
どんだけ優しいのよ。
こんなに優しくされたら触れたくなっちゃうじゃん。
少し間があった。
何を話せばいいとかそういうことじゃなくて、この2人きりの空間を噛み締めたかった。
きっと彼と同じだったのかもしれない。
「けいくん、サネカズラの花言葉知っとう?」
サネカズラの花言葉は『再会』。
ゆっくりと頷く彼。
ハーデンベルギアの花にも同じ意味がある。
偶然なのか必然なのか、私たちを導いてくれたのは思い出のものだった。
「俺たちはきっとこういう運命だったのかもな」
「一方的に距離を置こうって言うような身勝手な女だよ?」
「それでも気持ちは変わらないよ」
さっき拭いたはずなのに、どんどん泪が溢れてくる。
「そろそろ行かなきゃ」
「やだ」
「もう時間みたい」
彼の身体はほぼ消えかかっている。洟を啜りながらも最期の最期まで彼のそばにいたいと願う。
「最期に会えて嬉しいよ」
「……やだ」
「これで本当にお別れだね」
「……行かんで」
「ちゃんと浄化させてよ、アステルさん」
「……」
軽口に乗っかることができなかった。
彼が少しずつ近づいてくる。
ダメ。
私は少し後退りした。
それを見た彼が一瞬立ち止まる。
最期の最後まで彼を苦しめることはできない。
それでも彼は近づいてくる。
本当にダメ。
これ以上近づいたら、私、どうにかなっちゃうよ。
手を伸ばせば触れられるところにいるのに触れることは赦されない。
少しでも触れれば彼が地獄に堕ちちゃうから。
ちゃんと天国に行ってほしいから。
そう言い聞かせてみたけれど、やっぱりダメだった。
だって、やっと会えたんだもん。
会いたくて会いたくてどうしようもなくて。
辛くてもしんどくてもそれでももう一度顔を見たくて。
声を聴きたくてここまできた。
復活した煩悩が神経細胞を刺激する。
一瞬だこ、ほんの一瞬だけ彼に触れることを赦してほしい。
神様にそう願って消えかかる彼の手を握ろうとしたとき、
「なぁ、紫苑」
彼のその声は少しだけ震えているように思えた。
びくっとした身体は驚きを隠せなかった。
私をぎゅっと抱き寄せたその腕は優しさと温もりと愛で溢れていた。
どうしよう。
あんなに一緒にいたのに、こんなにも好きなのに、もどかしくて切なくて目を合わすことができない。
彼の身体はほとんど見えない。
これ以上はダメ。
本当に消えちゃうよ。
「好きになってくれてありがとう」
「うん」
「出会ってくれてありがとう」
「うん」
「元気でね」
「……うん」
「紫苑?」
「ん?」
その言葉で目が合う。
彼は静かに、そして優しくキスをした。
私の双眸から滝のように流れる泪が唇を伝う。
最期のキスはちょっぴりしょっぱかった。