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冬雪(ふゆ)、アウターを着ていても肌寒さを感じる。

今年はスケジュールの関係で初詣を一緒にすごすことができないので、年末詣(別名 師走詣(しわすもうで)、お礼参り)をすることになった。

年末詣は初詣と違い、1年の感謝を伝えるために参拝する。

この時期は人も多くないしストレスなく参拝できるので、人混みが苦手に俺にとってはありがたい。

12月22日の冬至に近い年末に参拝することでご利益(りやく)が上がるらしい。

だからクリスマスに参拝デートという謎の提案した。

半分冗談混じりで言ったが、彼女は斬新で面白うとノリノリだった。

ー当日は電車で鎌倉に向かった。

寒いねと言いながら手をつないで由比ヶ浜の方にある人気のカフェでランチをし、少し歩いたところにあるアイスバーの店への向かう。

フルーツや野菜をフローズンにしたこの店はSNSで一時的に流行ったが、人員不足やオーナーの体調不良によりもうすぐ閉店してしまう。

店内には何本ものアイスバーが刺さっていて、それを見た彼女が少女のように目をキラキラさせなかまら感動している。

「全部美味しそう」

迷いに迷った挙句、彼女はフルーツミックス味を買い、俺は巨峰味を買って食べ歩く。

アイスを少し食べると、彼女がこちらをまじまじと見つめている。

「俺の顔に何かついてる?」

「それ、美味しそう」

餌を欲しがる犬のようなかわいい表情の彼女を見て急にイタズラしたくなった。

彼女の口元へアイスを差し出すと、ニコッと笑い、アイスを食べようと口を開ける。

食べる直前でアイスを引いた。

「もう!いじわる!」

むすっとした表情に胸が高鳴った。

ごめんごめんと言いながら食べかけのアイスを再び口元に差し出した。

美味しそうにアイスを食べている彼女は本当に幸せそうだった。

「私のも食べる?」

「ちょうだい!」

「あーん」

彼女の差し出したアイスを食べた。

「どう?」

「美味しい!」

「そか、良かった!」

お互い破顔しながら神社に向かう。

話は逸れるが、『あーん』に代わる言葉はないのだろうか?

言われるのはまだしも、言うのは恥ずかしくてたまらない。

アイスを食べ終わると同時に鶴岡八幡宮に着いた。

クリスマスに参拝する酔狂(すいきょう)なカップルはそういなかった。

神社には地元の人や外国人観光客がちらほらいる程度だ。

そのためすぐに参拝できた。

二礼二拍手一礼をして願いごとをする。

「何お願いしたと?」

「内緒」

俺の返しに少し残念そうな表情の彼女。

「紫苑は?」

「けいくんが言ってくれたら言う」

その言い方はちょっとだけ不機嫌そうにも思えた。

彼女が泊まりに来てくれたときを契機に、お互いの呼び名が変わっていた。

紫苑は俺のことを『けいくん』と呼ぶようになった。

慶永の『慶』の字をふざけて音読みしたことがきっかけ。

「来年も紫苑といられますように」

「えっ?」

「紫苑の笑顔を1番近くで見たいからそうお願いした」

「けいくんが健康でいてくれますように」

母親ですか?

「あとね、ずっと一緒にいられますようにってお願いした」

「願いごとって2つしていいの?」

「いいの」

鶴岡八幡宮を出ると同時に粉雪が降ってきた。

予約していた海の見えるガラス張りのレストランに入る。

雪の舞う海は彼女とのクリスマスデートを祝うかのように輝いていた。

コース料理を堪能した後、用意してきたクリスマスプレゼントを交換し合い店を出た。

江ノ電に乗って終点の藤沢駅に着くと、

「けいくんお腹空かん?うどん食べようや」

と言ってきた。

さっきご飯食べたばかりでは?と思ったが、幸せそうに食べる彼女を見るとこっちも幸せな気持ちになるので付き合うことにした。

「関東のうどんも美味しいね」

「今度福岡のうどんも食べてみたいな」

あっという間に平らげ改札を通る。

暖房の効いた電車に座ると、満腹感も相まって一気に眠たくなってきた。

すると、俺の左肩に良い香りが乗っかってきた。

長く艶のある髪が(はな)に触れて少しこそばゆい。

鼻腔(びこう)をくすぐる甘くとろけるようなフレグランス。

気持ちよさそうにすやすやと眠っている彼女を見ているうちにこっちも瞳を閉じていた。

ーここはどこだ?

薄く暗いこの空間は一体……

洞窟?それとも鍾乳洞?

足元から差し込む赤く燃える光におそるおそる近づいていくと、その正体に(おのの)いた。

灼熱のマグマの中に何の躊躇(ちゅうちょ)もなく次々と飛び込む人たち。

止めようとしても聞く耳を持たない。

話しかけても抜け殻のように何の反応もない。

誰かに洗脳されているのだろうか?

もしや俺のことが見えていないのだろうか?

人であることを否定するかの如く当たり前のように飛び込んでいくその光景はあまりに奇怪で吐き気を(もよお)した。

「けいくんどうしたと?汗かいとるよ」

やけにリアルで不気味な夢に大量の(ふざかし)をかいた。

あの夢は一体何だったんだろう?

🍦

年末年始、私は地元に帰ってきていた。

お世話になっていた高校の先輩の結婚式があるからだ。

同じ糸島市内の高校に通っていた1つ上の瞳美(ひとみ)先輩には入学当初からずっと可愛がってもらっていた。

目が大きくて宝塚にいそうな男前の先輩。

ある日テニス部に入らない?と誘われた。

小さいころにお姉ちゃんの影響ではじめた水泳をそのまま続けるつもりだったけれど、先輩の説得に負けてテニス部に入ることにした。

そのおかげかプライベートでも仲良くさせてもらっていて、一緒に天神のスイーツ屋さんや薬院のカフェを巡っていた。

大阪や神戸にも旅行に行ったっけ。

卒業試合のときには一緒にダブルスを組ませてとらったけれど、試合前から泪が止まらなくなってミスばかりしていたことをいまでもよく覚えている。

先輩はそんなに泣いてくれてありがとうって言ってくれていたけれど、最後の試合に有終の美を飾ってあげることができなくて申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

上京することを伝え忘れていたから、招待状の返信がだいぶ遅くなってしまってちょっと怒られた。

式がこの時期に行われるのには理由があり、2人の付き合った日が1月上旬だったからみたい。

玄界灘(げんかいなだ)が一望できるチャペルで新郎新婦の入場を待っていると、程なくして扉が開き主役が入場してきた。

新郎は大学時代のサークルの同級生。

優しさが全身から(にじ)み出ていて、浮気とか絶対にしなさそうな印象の人。

シニヨンヘアーにティアラをした先輩のウェディングドレス姿は本当に晴れがましくアトラクティブで思わず泣けてきちゃいそう。

指輪交換をしたとき、薬指に光るそれを見て羨望した。
誓いのキスを交わしたときにはベールを脱いだ先輩の赤らんだ顔に少しうるっときたと同時に幸せそうな笑顔に見惚れた。

式での席は高校時代のテニス部のメンバーだったので、旧友との久しぶりの再会に会話が弾んだ。

当時の恥ずかしい話や楽しかった話、元彼や先生の話など。

ファーストバイトのとき、みんなで前に行って動画を撮り、余興のときには新郎の友人たちが笑わせてくれた。

ブーケトスのときには彼氏と同棲中の友達がキャッチしたのでそのまま結婚しれたら嬉しいな。

「瞳美先輩のウェディングドレスばり綺麗やったね」

「本当、ただでさえ綺麗なのにずるすぎやない?」

「旦那さん優しそうな人やったし、幸せになってほしい」

式が終わり、私はそのまま同じ席にいた友達2人と近くの居酒屋で飲んでいた。

「ねぇ聞いた?もうお腹の中に赤ちゃんおるらしいよ」

「ホント⁉︎羨ましい!」

「瞳美先輩の子やけん、絶対可愛いよ!」

きっと先輩に似て目がくりっとしているに違いない。

当の本人より私たちの方が浮かれている気がしたけれど、お世話になった先輩だから誰よりも幸せになってほしいと心から願った。

「ってか紫苑、東京はどう?」

「うん、楽しいよ」

友達は東京に行ったことがないので色々と聞いてくるけれど、正直私もそこまで詳しくはない。

「彼氏、東京の人なんやろ?」

「私にはもったいないくらい良い人」

彼との写真を見せながらそう言った。

「大丈夫?騙されとらん?」

既視感。

KAWAHARAのみんなに見せたときも同じ反応だった。

たしかにちょっと強面だけれど、いままで出会った人の中でも類を見ないくらいに優しい。

自慢したいという気持ちではなく、彼の魅力を理解してもらいたいという思いが強かった。

「びっくりするくらい優しいっちゃん。全然怒らんし、私のこと大切にしてくれとるし」

「ギャップやね」

「そやね、だいぶギャップあるかも」

「紫苑の元彼酷かったもんね」

高校1年生のときに付き合っていた元彼は1つ上の先輩で、サッカー部のレギュラーだった。

イケメンっていうより面白い人だった。

グラウンドが一緒だったこともあって部活前に話しかけられることが多く、数ヶ月後に告白されて付き合った。

しかし、元彼はすでに隣の高校に彼女がいて、しかも熊本の高校にも彼女がいたのだ。

付き合った時点で私は3番目。

それに気づいていながらいつか1番になれると思ってしがみつくように半年間付き合い続けた。

いま思うとよくそんなクズを好きになったなって思う。

「そういえば瞳美先輩、結婚して苗字変えとったね」

「それ普通やないと?」

「結婚する前に会ったとき、本当は苗字変えたくないって言っとったよ」

「旦那さんの苗字を名乗りたくなかったってこと?」

「というより、いままでの人生が否定された感覚になるのが嫌やったみたい。それに手続きが色々と面倒なのもあるやろし」

「私は別に気にせんけどな。紫苑はどう思う?」

どう返事していいか迷った。

いまの日本の法律だと結婚後は相手の苗字を名乗ることになる。

それが当たり前だと思っていたし、同じ苗字を名乗ることで一緒になれた気がするので、そこに対する抵抗はなかった。

でも別姓が認められるようになったらいまの苗字のままでいいと言うことになる。

苗字が変わることで別人という感覚になるのか、それとも第二の人生という感覚になるのか、捉え方の問題かもしれないけれど、もしそうなったら私はどうするのだろう?

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冷たい風が鳴りを潜め、温かい風が姿を現す。

前日にはソメイヨシノに早く咲けと急かしているかの如く催花雨(さいかう)が降っていた。

あと数日もすれば標本木に桜が咲くだろう。

日中にはコートやジャケットを脱いでも過ごしやすい時期になった。

待ち合わせの時間よりも早く着いたので、駅前のベンチに腰かけ、この前買った小説を読んで待つことにした。

数分後、後ろからパンプスの音が聞こえてくる。

不思議なもので、何度か会っていくうちにその音が彼女だということが感覚でわかってくる。

「早いね」

「目が覚めたから」

そっか。
と言いながら俺の持っている本に目をやった。

「何読んどると?」

「紫苑はさ、死後の世界ってあると思う?」

「死後の世界?」

ジャケットには『ラストカタルシス』と書かれている。

この本によると、一部の死者は天国や地獄へ行く前にまず『煉獄』と呼ばれる世界で肉体を燃やし、条件を満たしたものはその後『縁国』と呼ばれる世界で魂を浄化させることで天国へ行けるという話らしい。

「この本には死んでからの世界が描かれているんだけど、天国と地獄以外にも死後の世界が存在するらしいよ」

タイトルとルビ、何とも形容しがたい意匠(いしょう)に惹かれてジャケット買いした。

「なんか難しそうな本やね」

「紫苑、あんま小説読まないもんな」

「うん。文字ばっかやと眠くなるもん」

たしかにそれはわかる。

俺もたまに読みながら寝落ちして何度かページを戻すことがある。

小説な文字だけでその世界に入り込める。

人の心を動かし、様々な観点からの捉え方でできる魅力がある。

ルーフレットを挟んだ小説をジーンズのバックポケットに入れ、少し街をぶらぶらした後カフェに入る。

コーヒーを1杯飲むと彼女が質問してきた。

「前から気になってたことがあるっちゃけど」

珍しく探り探りの様子で聞いてくる。

「何?」

「前にビールフェス行ったやん?あのときのこと覚えとる?」

もちろん覚えている。

付き合う前だろうと彼女とのデートを忘れるはずがない。

「もちろん覚えてるよ」

「あのときにけいくんのお父さんのこと聞いたやん?」

黄砂が来る前に聞かれたが、あのときはまだ付き合っていなかったし、初めて彼女から誘われたデートだから空気を汚したくなかった。

でももう話しても良いと思った。

「俺さ、家族いないんだ」

目を(しばたたか)せながら驚いた様子でこっちを見ている。

「聞いても、いいと?」

予想外の答えだったのか、少し遠慮気味だった。

俺は静かに首肯し、家族のことを話した。

お見合い結婚の両親。

裕福な家庭だったわけではなく、長男と長女ということで親戚の熱量が異常だったらしい。

共働きの両親と2つ歳上の兄さん。

我が家は少し『普通』からは遠い家庭だった。

大きな身体に反して身体の弱かった父さん。
熱が出ても具合が悪くても家族のために無理に働こうとしていたのを心配していた母さん。

(くだん)で喧嘩が絶えない両親。

8畳ほどの小さな家では毎日怒号が飛び交い、たまにフライパンや椅子が飛ぶこともあった。

また幼かった俺と兄さんは怯えながら外に逃げていた。

家族団欒(だんらん)という瞬間は記憶にある限り数えるくらいしかなかったと思うが、たまに行く家族旅行はすごく楽しかったし、誕生日やクリスマス、年越しは家族揃って毎年祝っていたので幸せだった。

しかし、そんな家族4人での時間は長くなかった。

ある日父さんが亡くなった。

梗塞(こうそく)だった。

お通夜とか葬式とかの意味もよくわからないまま喪服を着た大人たちに囲まれ、葬儀場で火葬された父さんの骨を箸でつまんだとき、

「父さん、もういないんだ」

亡くなったことを実感して泪が止まらなかった。

その日を境に兄さんがおかしくなった。

テレビに映るタレントを見て、
「俺の方をずっと見てくる」

と言ったり、

ヘリコプターが通ると、
「迎えにきた」

と言った虚言をするようになった。

病院で診てもらった結果、パラノイアという統合失調病の一種らしい。

尊敬していた当時の兄さんの姿はどこにもなく、そこからというもの、家庭は1999年にテレビ放送された金八先生の兼末 雄一郎のようになっていった。

リビングはゴミ屋敷となり家族で食卓を囲むことはなかった。

俺は居場所がなくなり、(ふすま)を挟んだ四畳半の部屋で怯えるように過ごしていた。

兄さんが部屋から出ることはなく、1日中家でゲーム。

イヤなことがあるとすぐ母さんのせいにして暴力を振るい、母さんは三畳の小さな部屋で毎晩泣いていた。

ある日バイトから家に帰ると、いつも点いているはずの電気が点いていなかった。

最初は数年ぶりに外に出たのかなくらいにしか思わなかったが、数日経っても兄さんが帰ってくることはなかった。

捜索願を出すとなったとき、正直俺は乗り気じゃなかった。

もし兄さんが帰ってきたらまた母さんの泪を見なければならなかった。

だったらこのまま母さんと2人で生きていく方が幸せなんじゃないかとさえ思えた。

しかし、家族にそんなことするわけにもいかず捜索願を提出したが、それから何の手がかりも見つからないまま母さんは他界した。

「……辛い経験してきたんやね」

彼女の目元は少し涙ぐんでいた。

「親は選べないからね」

それでも両親を恨んだことはない。

親ガチャという言葉が広まったときでも気持ちが変わることはなかった。

仮に違う家に生まれてきていたらって思うことはあった。

でも、あの家で生まれ育ったことでいまの俺のがある。

「なんか、けいくんが優しい理由がわかったかも」

「俺は紫苑にしか優しくないよ」

「そんなことないよ」

店の扉が開く度に訪れる生温かい風は、しめやかになった俺と彼女の心を温めてくれた。

「なんか、しんみりしちゃったな。アイスでも食べる?」

「うん」