十二月に入ると急激に忙しさが増して、余計なことなんて考える余裕がなくなった。

店頭も毎日混み合っているし、私も年内に手続きを済ませたいというお客様のアポが連日立て込んでいて、毎日クタクタだ。

「中山様、お待たせいたしました」

急いで準備した資料を持ってお客様を相談ブースに案内する。

今日のお客様…中山さんは、五十代の男性。

先週窓口で定期預金の預け入れに来店したところを、資産運用にも興味があるということで、窓口担当者から紹介してもらってアポイントに漕ぎつけた新規のお客様だ。

「前回地区担当のご挨拶をさせて頂いた山崎と申します。よろしくお願いします」

「ああ、よろしく」

「早速ですが、中山様は運用にもご興味がおありとのことですよね。すでにご経験されている運用商品はございますか?」

「ああ、前に投資信託を少しね。不景気でしばらく定期預金のみにしていたんだけど、最近NISAも話題になっているし、また始めてみようかなと思って」

「かしこまりました。それでは、ファンドのご紹介をさせて頂きますね」

それから、用意していたパンフレットを見せながら商品の説明をして、投信購入が決まった。

「それじゃ、またよろしく」

「はい。ありがとうございました」

一通りの手続きを終え、ほっと一安心。

話してみるとちょっと細かい感じのお客様だったけど、投信成約ができて良かった。

時計を見ると、十二時をちょっと過ぎたところ。

今日はもうアポはないし、切りがいいからお昼休憩に行っちゃおうかな。

「投信購入お願いします」

事務担当の石田さんに書類を渡して私は食堂へ向かった。

今日のメニューであるカレーライスを食べていると、食堂に置いてある電話が鳴った。

近くにいた浜中さんが出てくれたけど、私の方に視線を向けている。

もしかして、私?

「山崎さん、滝下課長から」

課長から? どうしたんだろう。

なんとなくイヤな予感がする。

「はい、山崎です」

『食事中に悪いけど、すぐ来てくれる?
投信不備だから』

「え!?」

一番聞きたくない言葉を聞いて、思わず大きな声を出してしまった。

慌てて営業場へ戻ると、穏やかな滝下課長が珍しく厳しい表情をしている。

「山崎さん、書類ちゃんと確認してるよね?」

「え? はい」

石田さんにお願いする前に自分でも確認したけど、記入漏れも印鑑の押し忘れもなかったはずだ。

「これ、決済口座の番号が違うって」

「え!?」

「中山さん、ふたつ口座があって投信の決済で使ってるのはもう一つの方だった」

照会一覧を見せてもらいながら言われた言葉に、ハッとした。

確かに私は決済口座の確認を忘れてしまっていた。

いつもは必ず確認しているのに、今日に限って。

「幸い石田さんが注文書のデータをセンターに送信する前に気づいてくれたからミスにはならずに済んだけど、受け付けした時点でよく確認するべきだよね」

「はい。申し訳ありませんでした」

滝下課長の言う通りだ。

口座番号の確認は基本中の基本なのに……。

「とりあえず、すぐにお客様に連絡して訂正印もらわないと」

「はい」

でも今は落ち込んでる場合じゃない。

営業時間内に手続きできなければ、もっと大変なことになる。

急いで電話をして、連絡がついたものの―

「銀行員が口座番号を間違えるなんてありえないだろう。もっとしっかりしてくれないと困るよ!」

「大変申し訳ございませんでした」

課長と一緒にひたすらお詫びの言葉を繰り返し、頭を下げる。

結局、まだお店の近くにいた中山さんが引き返して下さってなんとか訂正印は頂けたものの、かなりお怒りになってしまい、今の状況に至る。

完全に私の確認不足で私が悪いのだから、言い訳のしようがない。

「今度こんなことがあったら、おたくとはもう取引しないからな」

厳しい一言を残し、中山さんはお店をあとにした。

「課長、ありがとうございました。申し訳ありませんでした」

今度はお客様ではなく、課長に頭を下げる。

ミスをするということは、お客様だけじゃなく、上司にも迷惑をかけてしまうということだ。

そのことを改めて感じて、悔しさと情けなさと申し訳なさで涙が溢れそうになる。

「確かにお客様の言う通り、口座番号の確認は基本中の基本だからね。しっかり頼むよ」

「はい」

「食事途中だったんだろ? 今からでいいから行ってきな」

「ありがとうございます」

課長の優しさにまた泣きそうになりながら、私は再び食堂へ向かった。

「あれ、さとちゃんどうしたの?」

食堂に戻ると、清水さんが驚いたような表情を浮かべて私に言った。

「ちょっと、不備出して呼び出されちゃいました」

泣きそうなのを必死にこらえて、わざと明るく言ったものの。

「え、大丈夫?」

清水さんの心配そうな優しい口調に、ふっと張りつめていた気持ちが緩んで、涙が溢れてしまった。

ミスして泣くなんて、ここ何年もなかったのに。

こんな基本的なミスをするなんて、本当に悔しい。

「気にしなくていいから、泣いちゃえ泣いちゃえ」

優しく慰めるように言ってくれる清水さんの言葉に甘えて、私は久しぶりに職場で涙を流した。


 * * * 


毎日が飛ぶように過ぎていく中、クリスマスを目前に控えた金曜日。

「それでは、今年もあと十日、みんなで乗り切って行きましょう! 乾杯!」

「乾杯!」

課長の言葉に続いて、みんながグラスを合わせた。

今日は、美浜台支店恒例のクリスマス会兼忘年会。

毎年十二月に行っている飲み会で、今年も忙しい中みんなでなんとか仕事を早く切り上げて集まった。

「山崎さん、お疲れ」

「お疲れ様です」

適当に座った席順で、偶然隣同士になった船堂さんに声をかけられた。

「なんか一年早いよなぁ」

「そうですね」

ついこの前、年が明けたばかりだと思っていたのに、もう今年も終わろうとしている。

「山崎さんはクリスマス予定あるの?」

「え?」

いきなりそんなこと訊かれても困るんですけど。

「ないですよ、予定なんて」

イブもクリスマスも平日だし、どうせ今年も仕事に追われて終わるんだろうな。

「へぇ。じゃあ、俺とデートする?」

「………はい?」

なに? なんでそんな話になるの?

「冗談やめて下さい!」

「あ、バレた?」

「ホントに冗談だったんですか!」

「いや~山崎さん素直すぎて面白い」

そう言って笑いだす船堂さん。失礼だと思うんですけど!

「はい、皆さんここで清水さんから重大発表がありま~す!」

会が始まって三十分が過ぎた頃、隣のテーブルで清水さんの向かい側の席にいた支店長が言った。

「え、なになに!?」

「重大発表!?」

もったいぶった言い方に、みんなが騒ぎ始める。

みんなの注目を集めて、清水さんは恥ずかしそうにしながらもどこか嬉しそうな笑顔を浮かべている。

「ホントにここで発表するんですか?」

照れたように支店長にそう言いながら、照れ隠しで口元に当てた左手の薬指にはさりげなく指輪が光っている。

ああ、重大発表ってあのことか。

事前に直接話を聞いていた私は、なんのことかすぐにわかった。

「私、この度、結婚することになりました!」

清水さんがそう言うと、みんなから「おお~!」という歓声と拍手が起きた。

「おめでとう~!」

みんなに祝福されて、幸せいっぱいの笑顔で「ありがとうございます」と返す清水さん。

「そっか、清水もついに結婚かぁ~めでたいな~」

隣でしみじみつぶやいている船堂さんは完全にオヤジ化している。

「お相手はもちろん大阪にいる彼氏でしょ?」

「もう入籍したの?」

「結婚式はいつ?」

「えっと…相手は皆さんご存知の遠恋中の人で、入籍は…クリスマスイブにします。結婚式は来年の夏に身内だけでする予定です」

みんなから次々飛び出す質問にも、清水さんはひとつひとつきちんと答えている。

なんだか芸能人の結婚記者会見みたいだ。

そのあとは清水さんの結婚話で盛り上がって、お開きになった。


 * * *


クリスマスまであと数日に迫った週末。

私は自宅でのんびり過ごしているんだけど、最近、海輝の様子が変だ。

わりとまめに更新していたSNSが全く更新されていない。

私が更新すると必ずコメントをくれていたのに、それもない。

どうしたんだろう?と思っていた矢先、仕事帰りに海輝からLINEのメッセージが届いた。

【話したいことがあるんだけど、今週の日曜日空いてる?】

【空いてるよ】

【じゃあ、午後一時にいつものお店で】

そして、約束の日曜日。

待ち合わせ時間より少し早めに着いた私は、海輝との女子会で必ず入る喫茶店に入って、海輝が来るのを待っていた。

「お待たせ」

少しして、海輝が笑顔でそう言って私の向かいの席に座った。

でも、心なしか前に会った時より痩せている。

目も、まるで泣きはらしたように腫れている。

「どうしたの?」

そう訊かずにはいられなかった。

話したいことがあると言っていたからには、何かあったことは間違いない。

「……とりあえず、何か頼もうよ」

海輝は私の質問には答えずにそう言って、メニューを開き始めた。

すぐに話すこともためらうくらい、大きな出来事なのだろうか。

注文を終えると、海輝はお冷を一口飲んで、ぽつりとつぶやくように言った。

「彼氏と別れちゃった」

「え?」

思わず聞き返すと、海輝はうつむいたまま続けた。

「なんか、私の方が勘違いしてたみたい」

「勘違い?」

「うん。私は彼氏彼女としてつきあってるつもりでいたけど、彼にとってはただの気の合う友達って感じだったみたいで……」

「やっぱり今は仕事の方優先にしたいって、フラれちゃった」

海輝はそう言って自嘲気味に笑ったけれど、その笑顔は歪んでいて痛々しかった。

「……そっか……」

なんて言葉を返したらいいのかわからなくて、そう相槌を打つのが精いっぱいだった。

「それで最近ご飯もあまり食べられなくてさ」

ああ、やっぱり痩せたように見えたのは気のせいじゃなかったんだ。

「失恋のショックでご飯食べられないなんて、自分が情けないけど……」

言いながら、海輝の瞳が潤んでいる。

親友の苦しんでいる姿に、私まで胸が苦しくなって泣きそうになる。

今の私にできることは、少しでもこの悲しみを癒すことだ。

「よしっ! じゃあ、今日は久々にカラオケでもしてパ~っと遊ぼう!!」

私がわざと明るく言うと、海輝はまだぎこちなさの残る笑顔で「うん」と頷いた。

食事を終えて外に出ると、十二月の冷たい風が身に沁みた。

「よ~し! 歌いまくるぞ~!」

カラオケ店の部屋に入るなり、そう言ってどんどん曲を入れて、歌いまくる海輝。

「あ~クリスマスも年末年始もおひとりさまかよ~!!」

 お酒も入ってハイテンションになった海輝が、マイクで叫んだ。

「あたしもおひとりさまだよこのやろ~!!」

負けじと私もマイクで叫ぶ。

「え、里花は例の課長といい感じなんじゃないの?」

「ないない、全然ない!」

ドラマや小説なら、岬ちゃんが言っていたようにイケメン上司が異動してきて、いい感じになって甘々な出来事が起こるのかもしれないけど。

生憎、私にはそんな展開全くなかった。

「だから、これからもおひとりさま同士女子会しよう!」

私がそう言うと、海輝が「うん、そうしよう!!」と、力強く賛成してくれた。

「あ、メッセージ来てる」

ふとテーブルに置いてあるスマホに視線を向けると、帆波からLINEのメッセージが届いていた。

【Neo Moonのアリーナツアーのチケ当たったよ~!!】

「うそ、マジで!?」

「なになに、どうしたの!?」

「Neo Moonのライブのチケ、取れたって!」

「ホントに!? じゃあお祝いに乾杯しようよ!」

そう言って海輝がビールを頼んだ。

「ねぇ、里花」

「ん?」

「夢中になれるものがあったり、なんでも話せる親友がいればさ、おひとりさまも悪くないよね」

「……でしょ?」

だから私は胸を張って言いたい。

「おひとりさまですけど、なにか?」って。



【END】