「山崎さん、今日何か予定ある?」

午後六時。そろそろ上がろうと帰り支度を始めた時、別地区担当の先輩である岩田さんに訊かれた。

「いえ、特にないですけど」

「あ、ホント? じゃあ支店長が飲み会やろうって言ってるんだけど、大丈夫?」

「……大丈夫、です」

本当は、明日も仕事だから早く帰りたい。

だけど、飲みにケーション大好きな支店長が誘っている飲み会を断るわけにもいかない。

ということで、私は急遽飲み会に参加することになった。


 * * *


「お疲れ様でした~」

ビールで乾杯をして、飲み会がスタートした。

いつも歓送迎会をする時に使う行きつけの居酒屋。

それぞれ好きなものを頼んで、雑談が始まった。

「さとちゃん、この前の『マジですかテレビ』観た?」

サラダをお皿に取り分けていると、向かい側の席に座っている清水さんが言った。

私は清水さんから仕事の時以外は「さとちゃん」と呼ばれている。

ちなみに『マジですかテレビ』は、毎週火曜日の夜に放送されているバラエティ番組。

大物タレントが司会を務め、様々な専門分野の研究者や評論家が思わず「マジですか」と言いたくなるような情報を教えてくれるという内容。

私も時々観ているけれど、前回の放送は観ていない。

だから、「観てないです」と答えると、清水さんは「じゃあ知らないか」とつぶやいた。

「あのね、恋愛心理の研究で、“男は最初、女は最後になりたがる”っていうのがあるんだって。さとちゃん的に当たってると思う?」

「え……」

いきなりそんな話を振られても「私おひとりさまだからわからないです」とはさすがに恥ずかしくて言えないし。

どう答えようかと悩んでいると、

「あ、それ私も観た!」

タイミング良く岩田さんが話に加わってくれた。

「やっぱりそうなんだ~と思った」

「あ、岩田さんもそう思います?」

「思う思う! だってさ、あたしの元カレも……」

一気に盛り上がる清水さんと岩田さん。

話についていけない私、かなり疎外感。

はっきり言って、人の恋バナには興味がない。

「で、さとちゃんはどうよ?」

「はい!?」

ぼんやりしながらふたりの話を聞いていたから、突然名前を呼ばれてビックリした。

まさか再び振られると思わなかった。

「私はそういうのってよくわからないです」

知ったかぶってもしょうがないし、もう正直に答えよう。

「あれ? さとちゃん彼氏いなかったっけ」

「いないです」

「そっか。じゃあ、好きな人は?」

「……え……」

“好きな人”と言われてすぐ頭に浮かんだのはNeo Moonの涼夜。

だけど、「好きな人は芸能人です」なんて、この年で言えるわけがない。

そんなこと言ったら、ドン引きされるに決まっている。

「……いない、です」

ウソではないのでとりあえずそう答えると、

「あ、今答えるのに間があった! あやしい!」

隙を逃さず清水さんが言った。

「ホントにいないです!」

「そういう人ほどいるんだって。誰?誰? うちの支店の人?」

清水さん、早くもお酒が入っているせいかちょっとテンション上がってきてる。

ホントにこれ以上突っ込むのは勘弁してほしいよ。

と思ったその時、テーブルに置いてある清水さんのスマホが震えた。

「あ、清水さんのスマホに着信きてるみたいですよ!」

すかさずそう言うと、
 
(れん)からかな!?」

清水さんは途端に目を輝かせてスマホを手に取った。

「あ、やっぱり漣からLINEだ! お盆休み取れたって!」

「そうなんだ。良かったですね」

本当に嬉しそうな笑顔で言う清水さんに、私までもが嬉しい気持ちになる。

漣さんは、清水さんの彼氏だ。

彼氏さんは大阪で働いていて、ふたりは遠距離恋愛中。

お互い営業職で忙しく、特に彼氏さんは土日でも仕事が多くて、ふたりの休みが合うことはなかなかないらしい。

会えるのは数ヶ月に一度くらいで、ほとんど清水さんが大阪でひとり暮らしをしている彼氏のもとへ足を運んでいるという。

「早速旅行の準備しなくちゃ」

ルンルン気分で鼻歌でも歌い出しそうな勢いの清水さんは、完全に恋する女性の顔だ。

確か前に会ったのはゴールデンウィークの時だと言っていたから、実に約三カ月ぶりの再会になるわけで、浮かれるのも無理はない。

遠距離恋愛をしたことがない私にはよくわからないけど、きっと好きな人と時々しか会えないのは寂しいことだと思う。

だけど、私は清水さんが落ち込んでいたり弱音を吐いているところを見たことがない。

いつも明るく笑顔を絶やさない清水さんを、私は先輩としてとても尊敬している。

「それでは、宴もたけなわではございますが…」

飲み会が始まって二時間を過ぎた頃。

美浜台支店のゆるキャラ担当、海老沢支店長からお決まりの締めの言葉が始まった。

お堅くプライドの高い嫌われ支店長ではなく、時には冗談を言って気さくにみんなとコミュニケーションを取ってくれるということで、前任店でも評判が良かったらしい。

「前期も残すところあと少し、みんなで目標達成に向けて頑張りましょう!」

そんな力強い言葉と、美浜台支店伝統の美浜台一本締め (ただの一本締め) で今日の飲み会はお開きになった。


 * * *


八月も半ばを過ぎたある日のこと。

世間ではお盆休みと言われているけど、お盆休みなんてなかった私は、週末に自室でのんびりと大好きなNeo Moonのライブ映像を観ていた。

(やっぱ涼夜の歌、最高だよ)

なんて浸っていたら、手元に置いてあったスマホが震えた。

画面を確認すると、知花からのLINEメッセージだった。

【お姉ちゃんに相談したいことがあるんだけど、今から来てもらっていい?】

相談したいこと?

わざわざ改まってそんなメッセージを送るなんて、どうしたんだろう?

【わかった。今から支度して行くよ】

戸惑いつつもそう返信をして、私は知花が一人暮らしをしているマンションへ向かった。

三十分ほどで着いてインターフォンを鳴らすと、

「お姉ちゃん、早かったね」

ドアを開けて出迎えてくれた知花が、驚いたようにそう言いながら部屋へ入れてくれた。
 
「相談したいことってなんなの?」

出してもらった冷たいお茶を飲んで尋ねると、

「……あのね……」

知花は言いづらそうにうつむいた。

「先月から、来なくて……」

「来ない? 誰が?」

「……えっと、だから、人じゃなくて、あれの方……」

“あれ”? 人じゃないあれって、もしかして……。

そう言われて、頭に浮かんだひとつのこと。

「……生理が来てないってこと?」

「………」

私の質問に、知花は無言のまま頷いた。

よくドラマや本で見るお決まりの言葉。

ということは、知花はもしかして……。

またしても浮かんできた言葉に衝撃が走る。

「さっき検査薬買ってきて確認したの。そしたら……陽性だった」

「……陽性……」

それはつまり、妊娠しているかもしれない、ということ。

速水(はやみ)くんは? もう知ってるの?」

動揺しながらもまず気になったことを訊いてみた。

速水くんというのは、知花が高校を卒業してからつきあっている彼氏。

万が一妊娠しているとしたら、父親はもちろん速水くんのはずだ。

「まだ言ってないの。先にお姉ちゃんに相談しようと思って……」

「病院にもまだ行ってないの?」

「うん」

「じゃあ、今から一緒に行こう」

「いいの?」

「うん、いいよ」

きっと、知花はそれを頼みたくて私に連絡してきたんだと思うから。

それから私達は一番近くにある産婦人科の病院へ向かった。

病院は思っていたほど混んでいなくて、受付をしてから十分もしないで知花は診察室に呼ばれた。

結果は――


 * * *


「まさか、知花ちゃんがお母さんになるとはね」

地元の駅前にあるカフェで、親友の海輝がしみじみ呟いた。

海輝とふたりで近況報告を兼ねたひさしぶりの女子会。

時々私の家に遊びに来ていて、知花と面識のある海輝も、今回のことはかなり衝撃的だったようだ。

知花は妊娠二ヶ月と診断され、年内に結婚することになった。

つまり、私は妹に先を越されることになったのだ。

「でも、知花ちゃんって小学生の頃から赤ちゃんとか小さい子見ると可愛い可愛いって言ってたし、元々子供好きだったんでしょ? いいお母さんになるんじゃない?」

「そうだね」

そう。知花は小さい頃から自分も子供なのに “子供好き” だった。

だから、「将来は保育士さんになる」なんて言っていたこともあったし、「大きくなったら結婚して、子供もたくさんほしい」と言っていた。

結婚願望ゼロで子供も苦手な私とは見事に正反対。

現在は音大を卒業して子供向けピアノ教室の講師をしている。

とりあえず生活のために今の仕事を選んだ私とは違って、確かな目標を持って音大に進学し、子供が好きという好きなことを活かして今の仕事を選んだ。

だから、本当に仕事が楽しそうだ。

出産ギリギリまで仕事を続けて、落ち着いたらまた復帰したいと言っていた。

結婚や妊娠というきっかけがなくたって、辞められるなら今の仕事を辞めたいと思っている私とは大違い。

「あのさ。このタイミングで言うのもあれなんだけど……」

ひとり心の中で妹に対するコンプレックスを感じていた時。

海輝が言いづらそうに切り出した。

恥ずかしそうに視線をテーブルに落としたまま “何か” を言おうとしている。

その何かが、海輝の様子を見てなんとなくわかってしまった。

聞きたいけど、聞きたくない。

だってもしも私の予想が当たっていたら……。

そう思いながら、わざと明るい口調で言ってみた。

「もしかして彼氏出来た?」

「……! なんでわかったの?」

海輝が勢いよく顔を上げて尋ねた。

「なんでって、なんとなく?」

おどけてそう言いつつ、心の奥では何とも言えない感情が燻っていた。

ずっと、自分と同じおひとりさまだと思っていた海輝に、ついに彼氏が……。

おめでたいことなのに、心底祝福できない自分がいる。

「どこで知り合ったの?」

「えっと……会社の飲み会、なんだけど。二つ上の先輩なの」

「そっか。良かったね」

平静を装ってそう言いながらも、妹だけじゃなく親友にも先を越されたという事実に、私は内心かなりショックを受けていた。