「勉強会行ってきます。お先に失礼します」
梅雨の時期を迎えた六月のある日、運用アドバイザー向けエリア勉強会のため、私は業後の仕事を早めに切り上げて清水さんと一緒に海南支店へ向かった。
海南エリアというエリア名にもなっているほど規模の大きなお店で、毎回勉強会の会場になっていて、私も去年から何度か行っている。
海南支店に着くとすぐに3階の会議室へ向かい、“美浜台支店”と書かれた席に着いた。
まず目に入ったのは、机の上に置かれている勉強会の資料。
各支店ごとの収益達成率や、運用アドバイザー個人の目標達成率が表になっている。
「うわ、最悪。また支店ごとに成果比べられるのか~。っていうかうちの店最下位だし」
隣に座っている清水さんが資料を見ながらため息まじりにつぶやいた。
確かに、今のエリア長は数字で比較して語るのが大好きな人だから、きっと何か言われるだろうな。
というその予想は見事に的中した。
「美浜台支店は、残念ながら現在最下位ですね。特に保険の数字が悪い。担当者に苦手意識があるんじゃないですか?」
「そんなことありません」
「積極的にセールスする気があるなら、この数字はありえない。このまま低迷するようなら、根本的なやり方変えるしかないでしょう。お客様に言われた手続きだけをするなら誰にでも出来ます。今時ネットでも手続きが出来るのにわざわざお店に足を運んでくれているお客様にプラスアルファのサービスや情報を提供し、お客様に喜んで頂くのが我々の仕事です。ハッキリ言って、この数字なら店として営業してる意味がない」
次々と飛び出すエリア長の厳しい言葉に、会議室内の空気がどんどん重苦しくなっていく。
「今の美浜台支店は必死さが感じられない。これからどうするべきか支店全体で話し合って改善策を考えて下さい」
* * *
「あのエリア長マジムカつく!あれじゃ勉強会じゃなくて説教会じゃん!しかもうちの支店だけ吊るし上げて集中攻撃とかそっちの方がありえないんですけど!!」
勉強会終了後、駅までの道を歩きながら堰を切ったように反論の言葉を捲し立てる清水さん。
「確かにあれは言いすぎですよね」
隣で一緒に歩きながら同調する私。
業績が悪いのは認めるけど、いくらなんでも酷過ぎる発言だったと思う。
「あ~もう悔しすぎる!こうなったら絶対エリア長をギャフンと言わせてやる!」
いまどきギャフンとか言う人がいるのかは疑問だけど、エリア長を見返したい気持ちは私も同じだ。
「また明日から頑張ろうね」
「はい!」
お互いの自宅が逆方向な私と清水さんは、駅のホームでそれぞれ別の電車に乗って別れた。
負けず嫌いな清水さんは、ああやってエリア長から支店のことを悪く言われる度に熱くなる。
その一生懸命さやまっすぐさは私も見習いたいところだ。
私も頑張らなくちゃ。
電車の窓から見える景色をぼんやり眺めながら、決意を新たにした。
* * *
「おはようございます。昨日は勉強会ありがとうございました」
翌朝、営業フロアに入って挨拶しながらそう言うと、
「お疲れ様。勉強会どうだった?」
井波課長に訊かれた。
「最悪です。支店全体で改善策を話し合えって言われました」
昨日のエリア長の言葉を思い出して思わずそう口にしてしまった。
「そうか。今のエリア長はとにかく数字にこだわる人だからなぁ」
課長はエリア長と会議や面談で何度か話しているから、昨日の話の内容もなんとなく察したみたいで、「支店長とも話し合ってこっちでもなにか改善策考えるよ」と言ってくれた。
「昨日、エリア長の説教タイム受けたんだって?」
自分の席に着くなり、課長との話を聞いていたらしい営業担当の船堂さんに冷やかし口調で言われた。
「受けましたよ。あの人ホントに数字でしか物事見ないですよね」
「まぁ、数字さえ良ければ褒められるし気に入られるから、わかりやすい人ではあるけどな」
「でも私はああいう人嫌いです。お客様と接しなくちゃわからないことだっていっぱいあるのに、そういうの全く知りもしないで数字、数字って言うのは納得できません」
毎日たくさんのお客様と会って、話して、そのお客様に喜んでもらえる商品を提案していく。
だけど、それが必ずしも成約につながるとは限らないし、件数が欲しいからって無理やり提案するわけにもいかない。
お客様の大切な資産と人生に関わることだから、押し引きがとても難しい。
どの商品ならよりお客様のニーズに合うか、私たち運用アドバイザーは真剣に考えて提案している。
たとえ一件しか成約にならなかったとしても、お客様が心から喜んでくれたものなら私だって本当に嬉しいし。
目には見えないけど、そういうお客様の満につながる提案を大切にするべきなんじゃないのかな。
だから、上辺だけの数字にこだわるのはなんだか違う気がするんだ。
* * *
「――では、早速来週火曜日から店内勉強会を開催します」
そしてその日の夕礼で、エリア長に言われたことを踏まえて今後の改善策が話し合われた。
まずは商品知識向上のため、月に1回勉強会を開催することになった。
「で、なんで私達まで勉強会に参加するんですか?」
窓口担当者の浜中さんが、居心地悪そうに会議室の席に座って周りを見回している。
「最下位を脱出するためには、窓口からの声かけもとても大事だから」
清水さんがそう言った時、
「それじゃ、そろそろ勉強会始めようか」
という課長の言葉で、勉強会が始まった。
「今日の勉強会で講師をしてくれるのは、ひかり生命保険の営業担当である川瀬さんだ」
「川瀬です。よろしくお願いします」
課長の紹介で挨拶してくれた川瀬さんは、私と同じ二十代後半くらいの爽やかな雰囲気が漂う男性だった。
「よろしくお願いします」
みんなでそう返すと、早速配られた資料をもとに勉強会が始まった。
「美浜台支店はこれから保険商品に注力していく、ということですが。アドバイザーの皆さん、保険商品をセールスすることに抵抗感ってありますか?」
「抵抗感があるというよりは、勧誘されるってかまえちゃうお客さんが多いんだよね。もう加入してる人がほとんどだし、話してもなかなか盛り上がらない。だからなんとなく引き気味で話しちゃう」
川瀬さんの問いかけに清水さんが答えて、私もその言葉に同意の気持ちを込めて頷く。
「じゃあ、ここでちょっと問題です。人生は英語で言うと?」
「 “LIFE” ですよね?」
なんでそんなことを今さら、というような表情で再び清水さんが答えた。
「そう、LIFEです。それじゃあ、この “LIFE” の最初と最後の間の文字を読んでみて下さい」
間の文字ってことは、IとFだよね。
「えっと……山崎さん。答えわかりました?」
名札を見ながら名指しで尋ねられて「IとFです」と一瞬戸惑いながらも答えた。
「そうですよね。それじゃ、これを “IF” という単語にしたらどんな意味になりますか?」
「……“もし”?」
「正解です。つまり、保険は人生(LIFE)の間に起こる“もしも”(IF)に備えるものですよね。皆さんの人生において必ず必要なものですから、自信を持ってお客様にお話して下さい」
目から鱗が落ちる、ってこういうことなんだ。
ただひたすら数字数字って言うエリア長の勉強会とはまるで違う。
「ちょっと、今の話二十へぇ~超えるくらいの勢いで感動したんだけど!」
清水さんも、興奮気味にそう言って目を輝かせている。
たとえがちょっと古い気がしないでもないけど、確かにそれくらいの感動だった。
その後も川瀬さんは楽しくわかりやすくセールスのポイントなどを説明してくれて、いつもなら業後で疲れて眠くて長く感じる約四十五分の勉強会はあっというまに終了した。
* * *
「部長、来月連続有休取っていいですか?」
勉強会終了後、私は部長に尋ねた。
「いいけど。なに? 何か予定あるの?」
「ええ、まぁ……」
曖昧に言葉を濁して頷くと、
「もしかしてまたNeo Moonのライブか?」
部長が見事に当ててしまった。
「やっぱりバレてました?」
「山崎さんが休み取る時はほとんどライブのためじゃないか」
あら、完全に読まれてるよ。
「今度はどこに行くの?」
「福岡です」
「本当どこでも行くんだなぁ」
感心したような、呆れたような言い方。
でも、誰になんと言われようと、これだけは譲れない。
Neo Moonのライブに行くことは、私の生きがいと言っても過言ではない。
Neo Moonは、私が中学生の時から大好きな四人組のバンドだ。
楽曲の独特の世界観とヴォーカル涼夜のセクシーヴォイスが最大の魅力で、楽曲の世界観をファンタジックに表現しているライブは、音楽ファンや関係者からの評価も高い。
ファンの間では、「Neo Moonのライブは一度行ったら中毒になる」と言われるくらい、ライブのリピーターも多い。
もちろん、私もそのひとりなわけで。
学生時代は時間があってもお金がなくて、自宅から近い会場だけしか行けなかったけど、社会人になった今は違う。
地方公演を観に行くいわゆる遠征が出来る。
その土地ならではのご当地MCが聴けるし、演奏曲が会場によって替わることもある。
ファンにとってはレアな曲が聴けるチャンスでもあるのだ。
一度遠征の楽しさを知ったら、何度でも行きたくなるのがファンというもの。
だけど悲しいことに、社会人になると、学生とは反対にお金はあっても時間がない。
だから、ツアーが決まったら行きたい公演に合わせて有休を取る。
推し活中心のライフスタイルになってるけど、それが今の私の楽しみだ。
ライブ資金を稼ぐために働く。ライブが決まれば仕事も頑張れる。
周りから見ればもしかしたらイタイ女子かもしれないけど。
でも、夢中になれる趣味があるということは、悪いことではないと思う。
「でも、涼夜さんって結婚してますよね?」
突然後ろからそんな言葉が聞こえて来た。
振り返ると、後輩の岬ちゃんが立っていた。
帰り際に私と部長の話を聞いていたらしい。
「あ~そういえばなんかニュースで見たかもなぁ」
部長が思い出したように言う。
「確か子供も産まれたんですよね?」
「うん」
事実だから頷いたけど、あのね、岬ちゃん、それはファンには禁句の話題だよ?
デビュー時からプライベートはほとんど非公表のバンドだったから、あのニュースはファンにとってはかなり衝撃的で、公式サイトもかなり荒れていた。
メンバーの中で涼夜推しの私は、すごくショックだったんだから。
「相手の人って一般人なんですよね~」
「へぇ。じゃあもしかしたら山崎さんにもチャンスがあったかもなぁ」
って、私のファン心理を無視してその話題続けないで!
私にもチャンスとかマジでありえないから!
そんなの宝くじで一等当てるくらいの夢物語だから!
「福岡のお土産期待してますよ、山崎さん」
ひとり心の中で部長と岬ちゃんの会話に突っ込んでいたら、岬ちゃんが私に向かってニッコリ笑顔でそう言った。
「はいはい。それじゃ、お先に失礼します」
可愛い後輩のお願いを聞き流し、私は営業場をあとにした。
* * *
「服装よし、髪型よし、メイクよし!」
鏡の前で何度もチェックして、気合いを入れる。
この前買ったばかりのお気に入りのワンピースを着たら、それだけでテンションが上がる。
七月の下旬。
今日は待ちに待った大好きな彼氏とのデート……ではなく。
「チケットよし! これがなくちゃ始まらない!」
大好きなNeo Moonの福岡公演だ。
「うわ、やばい遅刻する!」
余裕を持って早めに支度を始めたはずなのに、結局出発時間ギリギリになっていた。
「行ってきます!」
玄関で靴を履きながら、リビングにいるはずの母に聞こえるように大きな声で言って家を出た。
なんとか予定通りの電車に飛び乗ってホッと一息。
向かう先は羽田空港だ。
今回は飛行機で福岡へ向かうことになっていて、羽田空港で帆波と待ち合わせすることにしている。
電車の窓から綺麗な青空が見える。
スマホでNeo Moonの最新アルバムを聴きながら、今日は何の曲を演奏するんだろうと夜のライブに想いを馳せる。
ライブへの期待感と高揚感で高鳴る胸。
きっと、彼氏とのデートの待ち合わせ場所へ向かう時もこんな感覚になるのだろう。
私にとっては、ライブがある意味デートだ。
「おはよ~!」
「あ、里花! おはよ~」
無事に帆波と合流して時間を確認すると、飛行機の出発時間までまだあと一時間近くあった。
「まだ時間あるから、お昼食べようか?」
「うん、そうしよう! 私、朝ご飯食べそびれてお腹空いてるんだよね」
私の提案に帆波がそう言ってくれて、ふたりで近くのレストランに入った。
メニューを見て悩みながら、結局ふたりともカレーライスを頼んだ。
「今日、一曲目何やると思う?」
「なんだろうね~」
なんて話しながら食事していたら、あっという間に時間が過ぎていく。
気がつけば飛行機の搭乗時間になっていた。
久しぶりに乗る飛行機にちょっと緊張しながらも、無事に一時間半の旅は終了。
まずはホテルへ向かい、チェックインして荷物を置いてからライブ会場へ向かう。
会場となるのは海のすぐそばにあるアリーナだ。
「ついに来ちゃったね、福岡」
なんて言いながら、開演を待つ。
そしてついに場内が暗くなり、待ちに待ったライブが幕を開けた。
客席総立ちで大歓声に包まれる中、オープニングから会場の盛り上がりは最高潮だった。
楽しい時間ほど過ぎるのは一瞬で、興奮と熱気に包まれたまま、約三時間に及ぶライブは終了した。
ホテルに戻って、帆波とライブの感想を深夜まで語り合う。
これも、遠征ライブの楽しみのひとつだ。
「また明日も楽しもうね!」
そう言って、眠りに就く。
ライブは、今日と明日、二日間行われる。
遠征に来て二日間とも参加するのは、私達ファンにとっては当たり前のことだ。
「同じ内容なのに何度も行くなんて信じられない!」なんてよく言われるけど、同じツアー、同じ会場だって微妙に曲や演出が替わるし、MCだって違う。
もちろんメンバーのテンションだって違うし、客席も初日より二日目の方が盛り上がることが多い。
だから、全く同じということは絶対にないんだ。
そして迎えた二日目は、期待通り昨日とは少し曲順も演出も替わっていて、昨日はなかったメンバー全員のMCも聴くことができた。
会場も昨日を上回る盛り上がりで、「これだから複数参加は辞められないんだよね」って、帆波と熱く語り合った。
でも、夢のような時間は瞬く間に過ぎて、明日からはもう仕事だ。
翌朝、後輩の岬ちゃんに期待されていたお土産を持ち、満員電車に揺られて職場へ向かう。
「おはようございます。お休みありがとうございました」
営業場へ行き、職場のみんなに休み明けのご挨拶。
「おはよう。ライブは楽しめた?」
「はい、お陰さまで」
部長の言葉に、笑顔で頷く。
こうして、私の推し活ライフは今日も続いていく。