#新人行員ですけど、なにか?


 ――今日も読者ゼロか。

 朝の通勤電車の中、スマホを見ながら心の中でため息をつく。

 今私が見ているのは、小説投稿サイト

 『novelove』(ノベラブ)のマイページだ。

 家族にも友人にも内緒で作品投稿を始めて約一ヵ月、PV数はわずか二桁、読者ゼロ。

 SNSでも投稿サイトで活動していることは宣伝してないからか、全く読まれている気配がない。

 私の夢は、作家になることだ。

 小学生の頃からずっとなりたいと思ってきた。

 簡単になれるものじゃないということはわかっている。

 誰もがなれるものじゃないということもわかっている。

 それでも “いつかなれる” と思い続けている。

 だから、定時で上がりやすく土日が休める事務職に就いて自分の時間は作品執筆をしようと思って今の仕事を選んだ。

 だけど、現実は……

「今日は業後に新商品の勉強会があるので、高梨(たかなし)さん参加してください」

 朝礼で部長から今日の連絡事項として告げられた言葉に、内心「定時で帰りたいのに」と思う。

 まだ入行して数ヶ月の私は、新人向け研修や支店での勉強会などスケジュールがぎっしり。


 学生時代、勉強は苦手な方ではなかったけど(むしろ文系の成績はかなり良かったけど)、慣れない環境の中、慣れない専門用語で交わされる研修や勉強会は覚えることが多すぎて頭の中がパニック状態だ。

 それでも来月からは窓口に出て接客をしなければいけない。

 まだまだ商品知識事務知識もないし、電話対応も緊張してばかりの状態で大丈夫なのかと今から不安で仕方がない。


 * * *


「ただいま~」

 勉強会を終えて自宅に着いた時には19時を過ぎていた。

「おかえり」

「もうすぐごはん出来るから早く着替えてきなさい」

 家に帰ると、迎えてくれたのは母と母方の祖母。

 今は親子3世代の3人暮らしだ。

 自分の部屋で部屋着に着替え、テレビを見ながら3人で夕飯を食べていると、

『あなたはちゃんと答えられますか?円高・円安ってなに?』

 何気なく聞こえてきた言葉に思わず反応してしまう。
 
「これ、新人研修でやったな~」

 思わずそう口にすると、

 「(もえ)が銀行に就職したなんて、お祖父ちゃんが生きてたら大喜びしてただろうね」

 祖母がしみじみと口にした。

「え、そうなの?」

「そうよ。お祖父ちゃんは経理の仕事してたし色々な銀行に取引があったからね」

「そっか、そうだったんだ」

 小さな頃から一緒に暮らしていたのに、祖父から仕事の話を詳しく聞いたことはなかった。

 いわゆる思春期と呼ばれる年齢になってからは、祖父とは口喧嘩ばかりしていて、仕事の話なんて聞こうとも思わなかった。

 「あと1年生きててくれたら、萌の銀行の制服姿見られたのにね……」

 寂しそうにつぶやく祖母の言葉に、少し切なくなった。

 祖父は1年前、私が大学4年の春に病気で亡くなってしまったから。

 途中からウザいとばかり思うようになっていたけど、せめて銀行の制服姿見せてあげたかったな……。


 * * *


 夕飯を食べ終えてお風呂に入り、自室のベッドで横になりながらnoveloveにアクセスする。

 相変わらず、わたしの作品は読者ゼロでPVもほとんど動いていない。

 「どうしたら読まれるんだろう……」

 思わずつぶやきながら、トップページにあるランキングを見る。

 総合10位内の作品は、総長・暴走族・溺愛という言葉がタイトルやキーワードに散りばめられている。

 noveloveの作品では大人気のワードだ。

 ためしに1位の作品を数ページ読んでみたけれど、「小説」というよりは「ブログ日記」のような文章に自分とは全く無縁の世界の話で自分の好みではなかった。

「サイトの小説って、なんかイメージ違うんだよなぁ……」

 再びひとりごとをこぼしながらため息をつく。

 中学生の頃から小説家になりたいという想いで小説を書いていた私は、具体的に行動に移す勇気がないまま時が過ぎていき、愛読していた少女小説文庫が廃刊になってしまった大学生の頃にネット小説の存在を知った。

 だけど、書籍やサイト内でヒットしている作品は10代向けの小説と言いながら普通の中高生が経験するような恋愛ではなく、自分の好みとは全然違うのだ。

 それでもネットの広告で偶然見つけた「novelove」にたどり着き、客観的に見て自分の作品はどんな印象なのか知りたい気持ちもあって作品公開したものの、ただ公開するだけでは全く読まれないことを痛感している。

(やっぱり他の人の作品に感想とか残して交流しないとダメなのかな…)

 正直、ネット上で見ず知らずの人とやり取りすることに抵抗感がある私としては、他人の作品に感想やレビューを残すことはかなり勇気がいることだ。

(サイトでたくさんの人に読んでもらうって難しいんだな)

 そんなことを考えながら、明日の仕事に備えて眠りに就いた。


 * * *


 夏の訪れを感じる7月、私はついに窓口デビューを果たした。

 初めは指導員の先輩が隣についてくれて制服には実習中バッチもつけているとは言え、まだまだわからないことだらけで、とてもひとりで全てをこなすことはできない。

 落ち着けば覚えていてわかるはずの事務手続きや商品知識も、いざお客様を前にすると緊張してパニックになってわからなくなってしまうことが何度もあった。

 接客は大学時代のアルバイトで経験があるとはいえ、まるでジャンルが違うし、求められるレベルも違う。

 そんな重いプレッシャーと高い緊張感と戦いながら日々目の前のお客様を捌くことで必死だ。

 そして窓口に出始めて2週間が経つ頃には隣に先輩がつく期間が終わり、ひとりで窓口に立つようになった。

「わからなければ後ろに下がって訊いていいから」と言われているものの、やはり隣に先輩がいる安心感があるのとないのではまるで違う。

 それでも「やるしかない」と覚悟を決めて頑張っていたある日のこと。

「いらっしゃいませ」

 必死に笑顔を作り、お客様をお迎えした瞬間。
 
「またあなたなの?」と不機嫌そうな顔で言われてしまった。

 年齢は60代くらいの女性だけど、私は全然そのお客様のことを覚えていない。

 明らかに怒っている様子のお客様にどう対応していいかわからず、一瞬他の先輩や上司に替わってもらうことを考えたけれど、ちょうどお店が混雑していて、みんな忙しそうに動き回っている。

 ここはひとりで乗り越えるしかない。

 そう言い聞かせて、なんとか受付を終え、お客様がお帰りになったあと。

「高梨さん、この書類もらい方違うよ」

 後方事務担当の先輩に指摘され、お客様に連絡をすることになってしまった。

 さっき散々イヤな態度を取られていたから正直もう関わりたくなかったけれど、不備を出してしまった以上はまずは私から連絡をしなければいけない。

 意を決して電話をするとお客様はすでに自宅に戻っていたようで、ご本人が電話口に出た。

 まだ慣れない不備対応にしどろもどろになりながらも、なんとかもう一度ご来店をお願いしたいことを伝えると、案の定お客様は再び怒りだし、「なんであなたみたいな人が窓口に出てるの? あなたなんか大嫌い! 近寄らないで!」とヒステリックに怒鳴られてしまった。

 これはもう新人の私では対応できないと判断し、半泣き状態で部長に電話を替わってもらった。

 電話を終えたあと、部長からお客様があれだけお怒りになっていた理由を聞いた。

 実は前にも私が受付をしたことがあり、その時は不備はなかったものの、とても時間がかかって内心かなりご不満だったそうだ。

 私としては1回目の受付も2回目の受付も、自分なりに一生懸命受付をしていたつもりだ。

 決してわざと時間をかけて受付をしたわけでもなければ、わざと不備を出してしまったわけでもない。

 だからこそ「なぜそこまで言われなくちゃいけないの?」という気持ちがこみ上げて、悔しくて仕方なかった。

 その後、なんとか1日仕事を終えたけれど、帰る前に更衣室で号泣してしまった。

 たった2回しか対応していないお客様に「大嫌い」とまで言われたことがあまりにもショックで、さすがにこの日は「もうこの仕事やめたい」とまで思った。

 正直、運悪く変なお客様に当たってしまったのだとは思う。

 いくら不備があったとはいえ、あそこまでヒステリックに怒鳴るお客様はそんなにいないだろうとは思う。

 だけど、この出来事で身に染みて学んだことがある。

 それは、“私にとってはたくさん受けているお客様のひとりでも、お客さまにとっては私の対応が全て”であるということ。

 私はそのお客様だけを受付しているわけではなく毎日毎日何十人というお客様の受け付けをしているけれど、お客さまにとってはその時受け付けた窓口担当者の印象が全てなんだ。

 だからこそ、ひとりひとりしっかり丁寧に応対をしなければいけないと実感した1日だった。


#認知症介護ですけど、なにか?


 はじまりは本当に突然だった。

 いや、思えば何か変だなと思うことは時々あった。

 だけど、小さな頃から毎日一緒にいたから、あまり深く考えていなかった。

 大好きな祖母がまさか認知症になるなんて、想像もしていなかった。

 それは、社会人になって初めて有休を取った8月下旬のある日のこと。

 明日からまた仕事だという憂鬱さを抱えながら、私は早めに眠りに就いた。

 ちょうど眠りに落ち始めた頃、突然部屋のドアをノックする音が聞こえた。

 「大変、大変!」

 切羽詰まったようにそう言って顔を覗かせたのは、既に眠っていたはずの祖母だった。

 「なに、どうしたの?」

 眠りかけていたところを起こされて不機嫌さ丸出しで言うと、

 「お腹がピーピーでトイレが大変なの、110番して!」

 泣きそうな表情で言う祖母を見て、明らかに様子がおかしいと感じた。

 内容からして、お腹を壊してお手洗いを汚してしまい、腹痛で辛いから救急車を呼んでほしいということなのかと思った。

 でも、救急車なら119番だし、ただお腹を壊しただけなら救急車をよぶほどのことでもないはずだ。

 何かがおかしい、と思った私はとりあえず1階にあるお手洗いの様子を確認することにした。

 もしも本当に汚してしまって大変な状態なら、すぐ掃除をしないといけない。

 そう思って恐る恐る1階のお手洗いを見たけれど、特に何も変わった様子はなかった。

「ねぇ、お手洗いはなんともないけど、どうしたの?」

 祖母に訊いても、相変わらず「お願いだから110番して!」と繰り返している。

 一体何が起きてどうしたらいいのか戸惑っていると、騒ぎに気づいた母が2階の自室から降りてきて「どうしたの?」と声をかけてくれた。

「お祖母ちゃんの様子が変なの」

 思わずそう言うと、母は「お母さん、ほら、なんでもないよ。大丈夫だから寝よう」と祖母に声をかけて寝室へ連れて行った。

 その後、祖母は何事もなかったかのように眠りに就いたようで、朝まで起きてこなかった。

 それから祖母の様子は明らかにおかしくなっていった。

 夕飯を食べるとすぐに寝室に行って眠り、数時間後に起きてきて意味不明なことを言い出す。

 初めのうちは寝ぼけているのかな?と思っていたけれど、突然人格が変わったような話し方をしたり、何もない空間を見て「あそこに女の子がいる」言い出したり、病的な異変を感じるようになった。

 それでも朝起きると夜のことは記憶にないようで、普通に会話ができていたから、一時的な睡眠障害なのかもしれないと思っていた。
 しかし、数週間経った頃、今度は日中も様子がおかしくなり始めた。

 目が虚ろになり、意味もなく部屋をうろつくようになり、言動もおかしい。

 さらに、ただ歩いているだけで何もないところでつまずいて転びそうになる。

 日に日におかしくなる祖母を見るのはとにかくショックだった。

 そして叔母と相談し、ついに祖母を病院に連れていくことになった。

 私は仕事で付き添うことができなかったけれど、母と叔母が連れて行ったところ「せん妄」と診断されたとのことで。薬も処方してもらったとのこと。

 これで少しは落ち着くだろうと思っていたのだけれど、現実は甘くなかった。

 祖母の様子は改善するどころか悪化してしまい、ついにはトイレも一人で行けない状態になってしまった。

 朝方になると、寝室のベッド脇にある窓のブラインドカーテンの紐を使って音を鳴らし、「お母さん、お母さん」と呼ぶ。

 夕方になると「うちに帰ります」と言って家を出ようとする。

 支離滅裂なこと言ってわけがわからない状態なのに、不思議と玄関の鍵を開けて外を出ようとすることはできてしまうから、夜は知らない間に出て行ってしまわないように玄関のドアを紐でつないで開けられないようにした。

 完全におかしな状態になってしまった祖母を見て、「やっぱりもう一度病院に連れて行こう」と決めて、母と叔母が再び最初とは違う病院に連れて行った。

 そして診断されたのは「レビー小体型認知症」と「パーキンソン病」だった。

 薬が処方され、今後は祖母を日中デイサービスに預けるという方向で話が進み始めた。

 母と叔母が中心になってケアマネージャーと相談し、平日は日帰りのデイサービス、週末は土曜の朝から日曜の夕方まで預かってもらえるショートステイをお願いすることになった。

 これでやっと落ち着けると思ったけれど、現実は甘くなかった。

 デイサービスはあくまで高齢者を預かる場所であって、認知症患者専門のスタッフがいるわけではないということを思い知らされる出来事があった。

 ショートステイの夜になると「薬を飲まない」と電話がかかってきたり、「これ以上うちの施設では対応できない」と言われたりして、母は度々ケアマネージャーと相談し、何度かデイサービスセンターの場所を変えていた。

 そして薬が効き始めたこともあるのか、12月に入り年末近くなってようやく祖母の状態が安定し始め、デイサービスも落ち着いて過ごせるようになった。

 また、支離滅裂なことを言う症状も減り、普通の会話も出来るようになった。

 だから私は、このまま症状が治って元の祖母に戻ってくれると錯覚してしまっていた。

 この時の祖母は小康状態だっただけで、認知症もパーキンソン病も既に祖母を大きく蝕んでいたのだ。


#夢諦めませんけど、なにか?


 祖母の状態が不安定なままデイサービスやショートステイを利用して自宅介護が始まり、私は仕事の合間に息抜きとして『novelove』での活動を続けていた。

 最初は躊躇っていた感想コメントやレビューの書き込みも、少しずつ出来るようになった。

(あ、コメントが来てる!)

 仕事帰りの電車の中、マイページを確認すると、珍しく作品にコメントが来ていた。

 ドキドキしながら確認すると、『続き楽しみです。私の作品も読みに来て下さい!』というコメントだった。

 滅多に来ないコメントが来て嬉しい反面、正直誰にでもしている宣伝目的のようにも思えてモヤモヤした気持ちになる。

 一言でもリアクションがあれば嬉しくはあるけれど、具体的にどんな所が気に入ったのかまで知りたい、きちんと作品を読んでくれているのがわかるコメントが欲しいというのも書き手としての本音だ。