「あたしを人にして下さい」
あの時、そう母様に願ったあたしは、あたしの戟の全てを母様にお返ししたんです。
けっこうなんて事なくあっという間にあたしのお尻から全ての尾っぽは無くなって、なんだか拍子抜けしちまったもんだよ。
その場にいたみっちゃんも、お尻に居たしーちゃんもごっちゃんも、せんせの家で留守番してる筈のなっちゃんも。
産まれた時から一緒だった最初の二本の尾っぽも。
みんな居なくなっちまったんだ。
『妹ちゃん、アンタは人になった。アタシらより断然早く死ぬだろう。けど、死んだとしてもアンタはずっとアタシの子だから。短い余生、良庵ちゃんと仲良く暮らしなね』
「……はい、母様」
母様は最後に、なんかあったらまたおいで、それだけ付け加えてヨルと腕組んで一緒に消えてったんです。
「お葉さん……本当に良かったんですか……?」
「しーちゃんたちも分かってくれますよ。みんなあたしなんですから」
そうは言ったものの――、実際しーちゃんたちは分かってくれるの間違いないんですけど、二人してなんだか気落ちしちゃってねぇ。
賢哲さんもさすがに一度は家に帰らなきゃだ、ってんで姉さんも一緒に四人でとぼとぼ歩いて帰ったんです。
けどその道中、旅籠に泊まっても、お風呂に入っても、なんだか二人してそんな気ちっとも湧かなくってね。
隣の部屋から姉さんたちがいつも通りにもつれこんでる声が聞こえても。
二つ並べた布団からお互い手だけ出して繋いでさ、朝までまんじり、布団が乱れることもなくってね。
なんだかんだで数日、つやつやお肌の姉さんたちと違って重たい足と気持ちをただただ前に運んだんだ。
「あ、うっかりしてた」
「何をです? せんせ」
にこっとあたしに微笑んで、自慢の矢立てから筆を出し、まっさらな紙にさらさらすらりん筆を走らせる良庵せんせ。
「これ、履き物に貼りましょう。賢哲も、ほら」
甚兵衛オススメの呪符その一……
「はぁ……二人揃ってそんな事にも気付かないなんてね。駄目ですねぇこんなんじゃ。みっちゃん達に笑われちまいますねぇ」
「ははは、ほんとそうです。一緒に前向いて、明るく進まなくっちゃですね」
「うぉっ! なんこれめっちゃ楽! 走ったってちっとも疲れねえ! もっと早く出せよ良人ぉ〜〜〜!」
「待ってよ賢哲さん! 菜々緒置いてかないでー!」
勢いよく走り去ってく二人の背を目で追って、せんせと並んで苦笑いしたもんさ。
けど、その後もまぁ、旅籠に泊まったってやっぱりそんな事にはならなくってねぇ。
ちょいとあたし……拙っちまったかねぇ……
このままずぅっとせんせとこんな……
なんの為にあたしは……
一念発起! そんなこっちゃ元六尾の妖狐の名が廃る!
ってなもんでさ、隣の布団に潜り込んでうとうとしてるせんせの腕に抱かれてみて、そっと口付けしようと顔近付けてみりゃ……
ぱちっとせんせの目蓋が開いて目と目が合って……
「ふふ」「あはは」
どちらからともなく笑っちまったんだ。
「お葉さん、無理しないで平気ですよ」
「ですね、良庵せんせ」
そのまませんせの腕に抱かれて眠ったもんさ。
「じゃあな! 近いうち里に戻るがその前にまた顔出すからな! お疲れさん!」
「またねー! お葉ちゃんと良庵せんせー!」
二人とは賢安寺門前で別れ――
「賢哲さん、お寺どうすんだろうねぇ」
「お父上もまだまだ元気、なんとかなる……かな?」
――二人で手ぇ繋いで帰ったのさ。
特になんでもない話をさ、二人が出逢った日の事とか、せんせが野巫医者の方を本業だと思ってたって知って驚いた事とか、ほんとにとりとめない話をしながらね。
でもさ、やっぱり家に近づくにつれ、言葉少なくなってってさ……
時間も夕暮れ時、町も割りと静かになってくもんだから……
我が家の門屋の前に立ってもさ、誰もいない我が家の静けさが辛くて暫く二人で立ちすくんじゃったのさ。
「……こうしててもしょうがありません。入りましょ――」
………………きゅー。
ばっ! とお互い顔を寄せ――
「今っ――いまの声――っ!」
「せんせも聞こえたかい!?」
――ちょっ、なっちゃんダメだってば――
門屋の向こう、そんな筈ありゃしないのに……
せんせと並んでごくりと唾を飲み、そぉっと門を押してみりゃ……
「あ、閂掛かっていませ――」
「きゅー!」「きゅきゅー!」
「わっ!」「なっちゃん!? ごっちゃん!?」
あたしになっちゃん、せんせにごっちゃん、二人それぞれ飛び掛かられて、二人並んで尻餅ついちまったんだ。
「もう! 二人とも駄目だって言ったのに〜」
「しーちゃんも!」「しーちゃんさんも!」
「おかえり! お葉ちゃんに良庵せんせ! 待ってたよ!」
「なんでみんないるのさ!? しーちゃん達とはバイバイだって――母様が……」
なっちゃん胸に抱えたまま、両掌で顔を覆って泣くあたしの頭をしーちゃんがポンポン優しく叩いて言ったんだよね。
「バイバイしたってさ、また集まって遊べば良いんじゃない?」
あたしその言葉でばっと顔上げてさ、いつもの小さな女の子なしーちゃんが笑顔で続けたんだ。
「お葉ちゃんとせんせが一緒に歳とるの、わっちらも一緒に見ててもいい?」
「もちろんだよ!」
――あん時ゃもう目ん玉しわしわになるかってぇくらいに泣いちまったよねぇ。
しーちゃんが作ってくれてたお稲荷さんを摘みながらさ、色々と話を聞いたんだ。
「あ、ほんとだ。なっちゃんの尾っぽ……二本に増えてる」
「ごっちゃんさんは三本」
「わっちは四本、みっちゃんなんて五本だもんね」
しーちゃん達はみんなそれぞれ、独立した一人の妖狐になったんだって。
なっちゃんは生えて百年に少し届かない尾っぽだったから百歳手前の二尾の妖狐。
みっちゃんなんてもうすぐ四百年だったから、もうすでに五尾の妖狐になったんだって。
「って、みっちゃんが言ってた」
「……しーちゃんさぁ。あたしね、こう思うんだけど……」
「いやぁ、わっちもそう思うよ」
だよねぇ。
「やけにあたしの背中押すなと思ったらみっちゃんってば、前に転生失敗したもんだからさ、今度こそ尾っぽじゃなくて妖狐になろうってつもりだったんじゃないかい?」
「だろうと思うよ。きっとこうなるの分かってたと思うなぁ」
で、当のみっちゃんは早くも諸国漫遊に出たんだってさ。
「みっちゃんらしいねぇ」
そんでさ、しーちゃんが作ってくれてた沢山のお稲荷さんで晩御飯にしながらさ、留守番してくれてたなっちゃんと戦いの途中で寝ちまったしーちゃんに、どれほど良庵せんせがカッコ良かったか、ごっちゃんとあたしで事細かく説明してやったんだ。
颯爽と現れてあたしを救ってくれたせんせ。
ごっちゃんに化けてたあたしをすぐに見破ったせんせ。
強過ぎるヨルと一進一退の戦い繰り広げたせんせ。
そんな中あたしにずぅっと笑顔で微笑みかけてくれたせんせ。
どの場面を区切って思い出しても、せんせがカッコ良すぎてさ――あたし、ほっぺと目頭と……臍の下がアツくなっちまう。
なんだかさ、腰巻が湿っちまって……
照れてぽりぽり頬を掻いてたせんせの耳にそっと耳打ちしたんだよね。
「せんせ――今日こそ洗いっこ……しましょっか」
ってねぇ。
◇◆◇◆◇◆
「なんだってこんな――今日は急患ばっかなんだい!」
「夫婦二人で医者なんだ、商売繁盛で良いことじゃねぇかお葉ちゃん」
ちっとも良かありませんよ。
医者は暇くらいが丁度良いんですから。
「せんせ! 熊五郎棟梁もお待ちですよ! 子供たちのことはしーちゃんに任せてこっち頼むよ!」
うちのやぶ医者さまはさ、もうすっかり藪じゃない、一人前の野巫医者さま。
けどここんとこどうも子供たちにでれでれでねぇ。
「ごめんお葉さん、あんまり子供たちが可愛いもんだから――棟梁、今日はどうしたんだ――?」
――今日も門のところであの札が揺れてます。
『痛みや病いに効く呪い、有り〼』
◻︎◇◻︎◇◻︎◇◻︎◇◻︎
以上で本編完結となります。
引き続き番外編3つを上げますので、そちらへもお越し頂ければ幸いでございます!
※ヨルは低音イケボでイメージお願いします。
「ねぇってば! 良いじゃんちょっとぐらい!」
「ねぇ! 先っちょだけとか!」
「減るもんじゃなし!」
……どうしてこの――この御方さまはこうもオレに纏わりつくのだろう。それに先っちょだけとは一体どういうつもりで言っているのか。
神狐とはもっと……こう、なんと言うか厳かなものではなかったのか。
「御方さま。オレは言った筈でございます」
「だからそれは分かってるけどさぁ。いいじゃん、もう誤差みたいなもんだってば」
――たかが八尾のオレが御方さまと番うなど畏れ多い――
オレは確かにそう言ったのだ。それに御方さまも納得してくれた筈だったのだが……
「もうほんの十年かそこらで九尾じゃん! だからもう良いじゃん! もうほとんど神狐だってば!」
……確かに九尾となるまでそう時は掛からない。けれども、だ。
九尾の妖狐は神狐ではない。
九尾から十尾となるのにもう百年。これでようやく神狐を名乗れるのだ。百年と言えば長寿な我らにとっても長い。
それを誤差だと笑い飛ばすには、あまりにも飛躍し過ぎで、正直言って少しついて行けぬ。
そんな事よりもだ。
御方さまに連れられこちらに来てはや数年。
こちらの世界は本当に不思議だ。
元いた世界を表とすれば、こちらは全てが鏡写しの裏の世界。
表の世界で建物が朽ちれば、こちらの世界でも朽ちる。
ただし、生き物は人っ子一人いない。唯一人、御方さまを除いては。
御方さまが守護するこの辺り一帯、十数個の山々全てを、御方さまの十尾のうちの八尾は方々隈なく具に見ては、歪んだ地脈を整えて回る。
当然、黒狐の里も含まれる。この務めを果たす事でオレは、結果として里を護ることに繋がるのだと理解している。
だからこそオレは、元棟梁として手を抜く訳にはいかない。
けれど――
「ねぇってば! そんな――神狐の仕事なんかはアタシの尾っぽがちゃちゃっとするからさ! ヨルはアタシとのんびりしよってば!」
当の御方さまはこの有り様だ。
ヨーコやナナオに似た美しい姿の御方さま。
オレとて食指が動かぬ訳ではないが、『今しばし、もう少し貴女に見合う妖狐となってから』そう伝えると御方さまはいつも通りにぷぅ、と頬を膨らませる。
そんな御方さまを、オレは最初っから好ましいと考えてはいる。
「御方さま」
「なによ! ヨルなんてもう知らないんだから!」
眠る事も食事を摂る事も、特には必要としないこちらの世界でただ一つ、どうしても持て余す欲求があるのを否定はしない。
それは御方さまも、オレにとっても、同じ様に抗い難い欲求だ。己れたち以外には誰もいないこの世界、他者との繋がりを求める欲求がそれだ。
けれど、御方さまのそれとオレのそれとは少し違う様だ。
「せめてもう十年、九尾となるまで待てませぬか?」
「待てない! こればっかりはアタシは待てないんだよ! アタシが一体いつからここに一人でいると思ってんのよ!」
御方さまはご自分のその存在全てを以ってオレの男を求める。
応えたくない訳でも、応えてやれぬ訳でもない。
たった一人でこの地を守護し続けたこの方に、オレの全てを捧げる事に些かも不満はないのだが――
「ヨル! アタシは充分に待った! とりあえず今アンタに出来る最大のご褒美を所望する!」
「またですか。では――」
――御方さまの欲求が爆発する大体三日に一度ほど、定期的に発生するこのやり取りが堪らなく面白いのだ。
そしてどうやら、御方さまも愉しんでおられる様子なのだ。
本当に少しずつ、小さな小さな一段一段をコツコツと、今のオレに出来る最大のご褒美を少しずつ豪華にしてきた。
一番最初は『手を繋ぐ』だった。
その次は『手を繋いだまま親指で摩る』だった。
それだけの事で恍惚とした顔となり、崩れ落ちる御方様はいつも決まって吐く息も荒く言う。
『先っちょだけでも良いからぁ!』と。
それをいつも真摯に断り謝罪する。
そのオレの言葉に心底残念そうにする御方さまの顔……いつからかオレは、その顔を見るたび背中がゾクゾクとする様になった。
もう何度目になるのか分からない御方さまご所望のご褒美。本日は――
「では――」
両腕を開いて御方さまを胸へと誘い、軽く抱き締める。
前回はここから、そっと耳元で、低音で、『愛しています』と囁いた。オレの本音だと伝わるように心から。
御方さまは奇声を発してオレにしがみつき、がくがくと脚を震わせ立てなくなった。
オレの膝を掴み、御方さまはいつもの台詞。しかしオレは猛る己れを悟られぬよう注意を払ってそれを拒んだ。
そして今度は耳元で……
「御方さま……このヨルめは貴女のモノだ。慌てずともどこへも参りませぬ――」
そう囁いて、そっと耳朶を食んでぺろりと舐め上げた。
「ぁあっ――あっ、ふぁっ――だ、ダメ――っ!」
がくがくと膝を震わせびくんと背を反らす御方さまを見下ろしながら、にぃっと八重歯を晒して笑んでしまう己れが分かる。
それでも、御方さまのいつもの台詞に首を振る。
切なそうに、恨めしそうに、睨む御方さまが伸ばした手を、危うく触れられる寸前に掴んで阻止し、体を離して頭を下げる。
「やだやだやだ! ヨルのいけず!」
御方さまはそう駄々をこねるが――堪らなく愛おしいが――それでも頷く訳にはいかない。
オレはオレで、守るべく立てた誓いがある。
黒狐の里でケンテツと交わした約束。
『今度また生えたシチに優しくしてやれ!』
シチが生えるまで、シチに謝るまで、オレだけが幸せになる事は許されん。
しかしこの間から尻がむずむずしている。
今日明日にでも生えそうな予感がある。
「御方さま――」
「なによヨルのばかー!」
「もう数日、お待ち下さい」
「数日? ほんとに? なんで? なんかあんの?」
それには応えず微笑むだけ。
――シチ、精一杯謝るから早く生えてくれないか。
オレももう我慢の限界なんだ。
「……ここんとこホント平和だね、ごっちゃんなっちゃん」
「きゅきゅー!」「きゅー!」
黒狐の里でヨルが暴れたあの日から大体三年、わっちらお葉ちゃんの尾っぽ四人はあの日、妖狐になったんだ。
みっちゃんは知らないけど、わっちとごっちゃんとなっちゃん、三人はあのまま消えても特に文句も不満も無かったんだよ。
だけどね。
こうして妖狐になって、お葉ちゃんや良庵せんせと一緒に暮らせるのはとっても楽しいんだよねぇ。
「び――びぇーー!」
数えでもうすぐ二歳になる良子嬢がわっちの背中で泣き出しちゃった。
「ごっちゃん! ちょいと化けて手伝っておくれ!」
「わ――わわわ分かった!」
ごっちゃんは最初に狐の姿で熊五郎棟梁に見つかっちゃって、なっちゃん同様、デロデロに甘い顔で可愛がられちゃったもんだからさ、普段あんまり人の姿にならない様にしてるんだ。
なんでかごっちゃんの人の姿は丁稚の小僧さん。だけどわっちら三人、もう尾っぽじゃなくて妖狐だからさ、あれからはちゃんと見た目も少しずつ育ってるんだよ。
「よいしょ!」
「ありがとごっちゃん! さぁ良子嬢! 雪隠行くよ!」
凄いよねえ。ちゃんとオムツが汚れる前に自分で泣いて教えてくれるんだもん。人の赤ちゃんって賢いんだねぇ。
せんせとお葉ちゃんが診察の日は、大体こんなして三人で子ども二人を世話してるんだ。
もうすぐ三歳の葉太ちゃんも良子嬢も、ほっぺぷにぷに可愛くってしょうがないんだよ。
せんせが道場の日はね、わっちのぼーいふれんどもやって来るんだよ。
ほら、あれあれ。
屁っ放り腰で木刀振るう、ちょいと可愛い顔したあの男の子。
それにしたってちっとも剣術の腕は上がんないなぁ。
「しーちゃん! 居るだか!? オラ団子買って来ただ!」
それにもう一人、大きな体で額に汗して駆け込んできた男の子。
ちょうど道場終わりの定吉ちゃんと、団子の包みをぶら下げた与太郎ちゃん。
二人ともさ――うひひ――わっちにぞっこんなんだって。
妖狐は大体ハタチそこそこの最盛期で成長止まるんだ。自分で言うのもなんだけど、このまま育てばわっちも美人になるの間違いなし。
けど今のわっちはちょっと育って見た目十五歳くらい。だから定吉ちゃんと同い年ってことにしてるんだよ。
与太郎ちゃんは三つ上の十八歳。賢安寺の先代寺男さんが引退して、今じゃ立派な一人前の寺男。
定吉ちゃんは小さいけれど地に足ついた商いが評判の小間物問屋の跡取り息子。
将来性と顔の造作だと定吉ちゃんなんだけど、あの屁っ放り腰が頼りなくってさ。
方や与太郎ちゃんはと言うと、見た目とお頭はどうしようもないんだけど、真面目だしわっちに尽くしてくれるし――
――それに何より、わっちが妖狐だって知ってるのに好いてくれてる。
そんな変態、良庵せんせと賢哲さんくらいだと思ってたから驚きだよね。
でもなぁ、与太郎ちゃんって……わっちとシチと比べてさ、どっちが可愛いか決めらんないって言ったんだよなぁ。
縁側に三人でわっちを挟んで座ってさ、与太郎ちゃんが買ってきてくれた団子を食べる。美味しい。もっちもっちと食べ終えて、ずっと気になってたこと聞いてみたんだ。
「ところで二人はさ――」
「なんだいしーちゃん?」
「どうしただしーちゃん?」
「どうしていっつも二人一緒でわっちに会うの?」
前から不思議だったんだよね。いっつも定吉ちゃんの道場終わりに三人でこんなして会ってるんだもん。
わっちの言葉に二人が顔を見合わせて、先に口を開いたのは定吉ちゃん。
「抜け駆け厳禁なんだ」
「そだ。抜け駆け厳禁。せめてもしーちゃんが十六んなるまでは」
「年が明けたらオイラもしーちゃんも十六。そこからが本当の勝負!」
「んだんだ。定吉ちゃんとそう決めてあんだ」
あらら。男の子って変なとこで団結するんだね。
でもなんか、ちょいと可愛いな、って思っちゃった。
だから二人に順番にニコッと微笑んで、さっと手伸ばしてそれぞれの手を握ってあげたらさ、二人揃って顔真っ赤っか。可愛い〜。
でもさ、二人には悪いんだけど――
わっちの男を見る目、相当厳しいよ。
なんてったってめちゃくちゃカッコ良かった男の人知ってるからね。
良庵せんせと……聞いた話だけど賢哲さんも。
出来る事ならあの二人くらいにカッコ良くなってくんなきゃ。
ってそれじゃなかなか良い男見つけらんないだろうなぁ。
でもま、まだまだ長い残りの余生。
色んな男誑かしながら、ぷらぷら気長に探すとしよっかな。
◇◆◇◆◇
「お――おぃっ! 番外三つやるっつうから一つは俺らの出番だと思って準備してたんだぜ!?」
「さすがに次はお葉ちゃんたちよねぇ?」
「俺らの出番なし!? 俺あんな頑張ったのに酷えじゃねえの!」
だって菜々緒ちゃんたちの話だと子作りばっかになっちゃうから外れたんだってさ。
「そ――ん――な事ね――ぇこともないな。ホントだな菜々緒ちゃん」
「否定できないねー。だってそれが菜々緒たちの仕事だもん!」
「俺なんてたまにあっこの芯が痛えもんよ」
年中励んでなんかもう結構いっぱいポコポコ産んだらしいよ菜々緒ちゃんとこ。
黒狐の里に若い男いないかな?
一度覗きに行ってみるのも良いかもしんないなぁ。
なんだかんだあるけどさ、あたしいま、幸せだねぇ。
良庵せんせと並んで野巫医者してさ、時には二人で洗いっこしてさ、可愛い二人の子宝にも恵まれてさ、しーちゃんたちも一緒でさ。
と言ってもしーちゃんはなんでか急に黒狐の里の姉さん達に会いに行くとかで出掛けてるんだけどねぇ。
もう二、三日はしーちゃん居ないからね、年が明けたら二歳んなる――どこもかしこもぷにぷにしてて堪らなく可愛い――良子背負ってお洗濯。
急患がなきゃせんせ一人で大丈夫だろ。
ぱんぱんぱんってなもんでお洗濯に励んでると、くいっと裾が引かれて振り向きゃなっちゃんが咥えてた。
ついさっきまで庭でちょうちょ追い掛けてた筈だけど。
「どうしたんだいなっちゃん」
「きゅきゅー!」
なっちゃんが言う通りに縁側へ視線をやると――
「葉太っ!」
――ごっちゃんと居間で昼寝してた筈の葉太がいつの間にか起き出して、目の前飛んだ虫を追いかけたか何かして縁側から落っこちるとこでした。
「ぶきゅーっ!」
「ごっちゃん!」
頭っから落っこちた葉太と地面の間、既のところでごっちゃんが割って入ってくれました。
「だっ――! 大丈夫かい二人ともっ!?」
何が起こったかちっとも分かってないらしいぼんやりきょろきょろする葉太の下で、くるくる目ぇ回してるごっちゃん。
ぱっと見は二人ともなんともなくてホッとしたけど、とにかく癒してやんなきゃって髪の毛摘んで引き抜――
あっ、またやっちまった。
けどそんなこと言ってる場合じゃないよ!
巫流した髪を蠢かせて治癒の図柄を作って駆け寄ったけど、葉太は元気に這いだして、ごっちゃんもぷるぷる頭振って立ち上がったんだ。
「葉太! どっか痛いとこないかい!?」
慌てて抱え上げたら喜んじまってダァダァ言ってケラケラ笑い出しちまったよ。
全く――びっくりさせるんじゃないよもう。
背に良子、胸に葉太を抱えて跪き、ごっちゃんの頭と背中を撫でさすって言ったんだ。
「ごめんよごっちゃん大丈夫かい? ほんと助かった、ありがとう」
「きゅきゅー!」
「そうだねぇ。しーちゃんも居ないしほんと頼りにしてるよ」
「お葉さん! どうかしましたか!?」
両手に紙と筆持ったせんせが裸足で庭に現れて叫んだんだけど、どんな慌て方したのかほっぺに墨がついちまってますよぅ。
胸から懐紙を取り出そうとして手を上げちまったもんだから、指に摘んだままの治癒の図柄にせんせの視線が止まって――
「お葉さん! 髪で野巫を使うのは駄目ですってば!」
「ご――ごめんよせんせ。葉太が縁から落っこちたもんで慌てちまったんだ……」
「えっ! それで葉太は!?」
胸に抱えられた葉太を覗き込んで、さらにケラケラ笑った葉太見て、ようやくホッとせんせも安心したみたい。
「ごっちゃんが守ってくれたんですよ」
「そうでしたか。ごっちゃんさん、本当にありがとうございます」
せんせはごっちゃんに礼を言ってから、今度はまたあたしに向かい合って続けたんだ。
「でも髪の毛で野巫を使うのは禁止ですよ。せっかく綺麗な髪なんですから大事にして下さい」
あたしも分かっちゃいるんだよ。
もう妖狐だった頃じゃない、髪だって幾らでも生える訳じゃないんだからって。
その為にいつでも胸に治癒の呪符も用意してるんだけど、ついね、うっかりやっちまうんですよ。
居間の座布団の上でお昼寝中の二人を縁側から見守って、はぁ、って一つ溜め息溢したのを聞かれちまいました。
「なぁにお葉ちゃん? 幸せ過ぎて溜め息かい?」
「あらやだ女将さん。嫌なとこ見られちまったねぇ」
せんせの診察終わりらしい、熊五郎棟梁の女将さん。
「なに悩んでんだい? アタシで良けりゃ話聞くよ」
二人で縁側に腰掛けて、葉太が縁側から落っこちた話を聞いて貰ってさ、自分で言っててまた落ち込んじまったよ。
「あたしの母親、割りと放ったらかしの人だったもんだからさ。あたしはちゃんと母親できてるのか心配んなっちまって」
「え……? そんだけ?」
え……? あたし変なこと言ったかい? だって目の前で子どもが怪我するとこだったんだよ? 人の子どもなんてそりゃもうとびきりか弱い生き物じゃ……
「子どもなんてすぐ怪我するもんだよ! そりゃ大怪我したら大変だけどさ、縁側ってこれだろ? こんなとっから落っこちたって、たとえ怪我してもたかが知れてるよぉ!」
ばちんとあたしの肩叩いて女将さんがそんな事を。
「アタシなんてウチの子を階段から落っことした事だってあるけど、そん時だって骨の二本だか三本だか折っただけ。それでもアタシは母親失格だなんて思ったこたぁないよ!」
さすがにそれは盛り過ぎだろうって女将さんの顔見上げて言ってやろうと思ったら――
「もう女将さんたら! さすがにそれは……」
――これでもかって胸張っててさ、こりゃ一つも盛ってないのが分かっちまった。
「――ってほんとなんですか?」
「ほんともほんと、アタシは嘘なんてつかないね! そりゃもちろん真っ青んなって慌てはしたけどね」
そっか――そうなんだ。
なんだか少し肩が楽になったかも。
「けどお葉ちゃん。まだなんか悩みあんだろ? 聞いてあげるから言ってみなよ」
――うっ、女将さん鋭い。
これは誤魔化せそうにないねぇ。
「実は……」
「実は――?」
「実はあたし……ちっとも老けなくって……」
………………
「……――はぁ!?」
……え? なんだいその反応……
「老けなくって良いじゃござんせんか! 何言ってんのさ! もう!」
女将さん……怒らせちまった……
「りょ――良庵せんせはちゃんと歳取ってるんですよ……」
目元にうるうる涙溜めてそう言ったらさ、はぁ、と一つため息挟んで強張らせた肩を下ろして言ってくれたんです。
「あぁ、なんだそう言う意味かい。先生と十近く離れてんだもんね。歳の差が気になるってぇ意味か」
ちょっと違うんですけど……まぁ概ねそうかねぇ……
「てっきり膝が痛え痛えって喚く老いたアタシに対する当て付けかと……ってお葉ちゃんがそんなのする訳ないか」
あ、そりゃ怒るのももっともだねぇ。うっかりしちまったよ。
「それこそ気にしなさんな。良庵せんせだって女房がいつも若けりゃ嬉しいってなもんだよ」
それから二つ三つの世間話して、「つまんない事で悩むんじゃないよ、いつでも聞いてあげるから」って言い残して女将さんは帰られました。
――粋だねぇ女将さん。あんな風に歳取りたいねぇ。
つってもさ、もちろんしょうがないんだけど女将さんはちょいと勘違いしてんですよね。
あたしはさ、三年前のあの日から歳を取る様になってる筈なんだよ。
なのにちっとも歳取ってる実感がないんだ。
もしかしてさ――戟と尾っぽを失っただけでさ、今でも妖狐だったとしたら――
ここんとこそればっかり考えちまってんですよ。
あ、いけない。
二人が起きちまう前にお夕飯作んなきゃ。
「ごっちゃん、なっちゃん。二人を見てておくれね。なんかあったら飛んで来るからさ」
「きゅ」「きゅきゅ」
二人を起こさないよう小さな声で返してくれました。頼もしいねぇ。
ご飯に青菜の味噌汁、大根の漬け物と、最近稼ぎが良い良庵せんせのお陰で鯵の開きもつけた夕飯時。
葉太はせんせの膝の上、お乳飲んでげっぷ済ませた良子は座布団の上。
「…………あ」
せんせが不意にそれだけ言って黙っちまったんだ。
何か続きがあるかと小首を傾げ、せんせをじっと見詰めてみたものの、特になんにも言わずに目を逸らしちまったんです。
なんだろ。落ち着かないね。
せんせが意を決したようにあたしを見て、恐る恐る口にしたのは――
「お――お葉さん。こんな事、言われたくないかも知れませんが……」
「嫌ですよ良庵せんせ。そんな話し方したら怖いじゃないですか」
な、なんだい一体。えらく真剣な顔だけど……
まさか今更……離縁されちまう――なんて事は……
「その……お葉さん……髪が……」
「――え? 髪? あたしの?」
びくっとしちまったけど……髪?
「たぶん一本だけ……白髪が……」
「しら――が? ――――なんだって!? せんせそれほんとかい!?」
あたしが大きな声出したもんだから、せんせがあうあう吃っちまった。
「はっ――鏡! あたしの白髪! 鏡!」
はしたないったらありゃしない。ばたばた部屋出て鏡台覗いて見てみりゃさ――
「あっ! あった……あったよ白髪……」
白髪見つけて嬉しい嬉しいって泣く女がどこにいるってんだい。
けどさ、あたし……嬉しすぎて泣いちまうよぉ……
「お――お葉――さん? 泣くほど嫌でしたか……。すみません、余計なこと言って……」
居間の外から恐る恐る、葉太を抱えたままであたしを覗く良庵せんせ。
「あはは、違いますよ。悲しんでる様に見えますか?」
「あれ? 泣いてるけど……喜んでるんですか?」
「あたしね、つまんない事で悩んでたんですよ」
取り越し苦労のほんとつまんないこと。女将さんの言う通りだったねぇ。
「良庵せんせ、聞いてくれるかい?」
きちんと正座のあたしの向かい、せんせも葉太抱っこしたまま綺麗に正座。
「はい、聞きます」
ちょいと深く息吸って。
「変な言い方だけどあたし、歳……取れてたんだ」
せんせは何かに納得して、一度あたしの髪へ視線をやって頷きました。
「死ぬまで……うぅん、死んでもさ――良庵せんせの女房でいてもいいかい?」
――せんせがなんて答えたか。
それはあたしとせんせだけの秘密だよ。
ま、みーんな、分かっちまうだろうけどねぇ。
あたし、幸せ過ぎて参っちまうよ。
◻︎◇◻︎◇◻︎◇◻︎◇◻︎
これにて番外編三つも完結!
お葉さんも良庵せんせも、賢哲んとこもヨルんとこも、さらには尾っぽたちも、みんな末長く幸せに過ごすことだろうと信じております。
最後までのお付き合い、誠にありがとうございました。
よろしければどうぞ感想など残してやって頂ければ嬉しうございます。
また何か書きましたら覗いてやって下さいませ。
ハマハマ