※ヨルは低音イケボでイメージお願いします。
「ねぇってば! 良いじゃんちょっとぐらい!」
「ねぇ! 先っちょだけとか!」
「減るもんじゃなし!」
……どうしてこの――この御方さまはこうもオレに纏わりつくのだろう。それに先っちょだけとは一体どういうつもりで言っているのか。
神狐とはもっと……こう、なんと言うか厳かなものではなかったのか。
「御方さま。オレは言った筈でございます」
「だからそれは分かってるけどさぁ。いいじゃん、もう誤差みたいなもんだってば」
――たかが八尾のオレが御方さまと番うなど畏れ多い――
オレは確かにそう言ったのだ。それに御方さまも納得してくれた筈だったのだが……
「もうほんの十年かそこらで九尾じゃん! だからもう良いじゃん! もうほとんど神狐だってば!」
……確かに九尾となるまでそう時は掛からない。けれども、だ。
九尾の妖狐は神狐ではない。
九尾から十尾となるのにもう百年。これでようやく神狐を名乗れるのだ。百年と言えば長寿な我らにとっても長い。
それを誤差だと笑い飛ばすには、あまりにも飛躍し過ぎで、正直言って少しついて行けぬ。
そんな事よりもだ。
御方さまに連れられこちらに来てはや数年。
こちらの世界は本当に不思議だ。
元いた世界を表とすれば、こちらは全てが鏡写しの裏の世界。
表の世界で建物が朽ちれば、こちらの世界でも朽ちる。
ただし、生き物は人っ子一人いない。唯一人、御方さまを除いては。
御方さまが守護するこの辺り一帯、十数個の山々全てを、御方さまの十尾のうちの八尾は方々隈なく具に見ては、歪んだ地脈を整えて回る。
当然、黒狐の里も含まれる。この務めを果たす事でオレは、結果として里を護ることに繋がるのだと理解している。
だからこそオレは、元棟梁として手を抜く訳にはいかない。
けれど――
「ねぇってば! そんな――神狐の仕事なんかはアタシの尾っぽがちゃちゃっとするからさ! ヨルはアタシとのんびりしよってば!」
当の御方さまはこの有り様だ。
ヨーコやナナオに似た美しい姿の御方さま。
オレとて食指が動かぬ訳ではないが、『今しばし、もう少し貴女に見合う妖狐となってから』そう伝えると御方さまはいつも通りにぷぅ、と頬を膨らませる。
そんな御方さまを、オレは最初っから好ましいと考えてはいる。
「御方さま」
「なによ! ヨルなんてもう知らないんだから!」
眠る事も食事を摂る事も、特には必要としないこちらの世界でただ一つ、どうしても持て余す欲求があるのを否定はしない。
それは御方さまも、オレにとっても、同じ様に抗い難い欲求だ。己れたち以外には誰もいないこの世界、他者との繋がりを求める欲求がそれだ。
けれど、御方さまのそれとオレのそれとは少し違う様だ。
「せめてもう十年、九尾となるまで待てませぬか?」
「待てない! こればっかりはアタシは待てないんだよ! アタシが一体いつからここに一人でいると思ってんのよ!」
御方さまはご自分のその存在全てを以ってオレの男を求める。
応えたくない訳でも、応えてやれぬ訳でもない。
たった一人でこの地を守護し続けたこの方に、オレの全てを捧げる事に些かも不満はないのだが――
「ヨル! アタシは充分に待った! とりあえず今アンタに出来る最大のご褒美を所望する!」
「またですか。では――」
――御方さまの欲求が爆発する大体三日に一度ほど、定期的に発生するこのやり取りが堪らなく面白いのだ。
そしてどうやら、御方さまも愉しんでおられる様子なのだ。
本当に少しずつ、小さな小さな一段一段をコツコツと、今のオレに出来る最大のご褒美を少しずつ豪華にしてきた。
一番最初は『手を繋ぐ』だった。
その次は『手を繋いだまま親指で摩る』だった。
それだけの事で恍惚とした顔となり、崩れ落ちる御方様はいつも決まって吐く息も荒く言う。
『先っちょだけでも良いからぁ!』と。
それをいつも真摯に断り謝罪する。
そのオレの言葉に心底残念そうにする御方さまの顔……いつからかオレは、その顔を見るたび背中がゾクゾクとする様になった。
もう何度目になるのか分からない御方さまご所望のご褒美。本日は――
「では――」
両腕を開いて御方さまを胸へと誘い、軽く抱き締める。
前回はここから、そっと耳元で、低音で、『愛しています』と囁いた。オレの本音だと伝わるように心から。
御方さまは奇声を発してオレにしがみつき、がくがくと脚を震わせ立てなくなった。
オレの膝を掴み、御方さまはいつもの台詞。しかしオレは猛る己れを悟られぬよう注意を払ってそれを拒んだ。
そして今度は耳元で……
「御方さま……このヨルめは貴女のモノだ。慌てずともどこへも参りませぬ――」
そう囁いて、そっと耳朶を食んでぺろりと舐め上げた。
「ぁあっ――あっ、ふぁっ――だ、ダメ――っ!」
がくがくと膝を震わせびくんと背を反らす御方さまを見下ろしながら、にぃっと八重歯を晒して笑んでしまう己れが分かる。
それでも、御方さまのいつもの台詞に首を振る。
切なそうに、恨めしそうに、睨む御方さまが伸ばした手を、危うく触れられる寸前に掴んで阻止し、体を離して頭を下げる。
「やだやだやだ! ヨルのいけず!」
御方さまはそう駄々をこねるが――堪らなく愛おしいが――それでも頷く訳にはいかない。
オレはオレで、守るべく立てた誓いがある。
黒狐の里でケンテツと交わした約束。
『今度また生えたシチに優しくしてやれ!』
シチが生えるまで、シチに謝るまで、オレだけが幸せになる事は許されん。
しかしこの間から尻がむずむずしている。
今日明日にでも生えそうな予感がある。
「御方さま――」
「なによヨルのばかー!」
「もう数日、お待ち下さい」
「数日? ほんとに? なんで? なんかあんの?」
それには応えず微笑むだけ。
――シチ、精一杯謝るから早く生えてくれないか。
オレももう我慢の限界なんだ。