「さすが……やっぱり違うなぁ」
雪駄を失い追い詰められた筈の裸足の良庵せんせが場違いにのんびりした声で言いました。
「良庵せんせ? なに笑ってるんです? どう考たってそんな場合じゃ……」
「あ、いや、さすがに僕も分かってはいるんです。けど、あんまりにも違ったものだから」
ん? 何が違うってんですか? 少し距離を置いて立つヨルも不思議そうな顔してますよ?
「あの睦美蓉子たる、お葉さんの野巫がですよ。僕の治癒とは格が違う」
「いやそんな褒めたって何にも出しゃしませんよ」
「熊五郎棟梁に渡した呪符……あれに籠められた巫戟は一切の揺れのない美しいものでした。それを体験できたのがなんだか嬉しくなってしまって」
へへ、なんて言いながら頭を掻いた良庵せんせ。
前向いてっから顔見えないけど、きっと良い顔で笑ってんだろね。
せんせは反対の手で胸の辺りをごそごそやって、後ろ手でさりげなくぽいっと焼け焦げた紙……
あ、なるほど。図柄は分かんなかったけど多分あれ、甚兵衛が最後に言ってた呪符の一つ、身代わりの呪符だね。
だからさっきも最初に喰らった左足はほとんど無傷だったって事ですか。
「リョーアン、何をにやにやしてる。状況が分かっていないのか?」
「分かっているさ。けれど依然として僕が優勢だな」
確かにさっきまでは……でもまだせんせが……優勢……?
「強がるな。背にヨーコを庇い、さらには雪駄も失った。貴様にまだ手があるとは思えん」
そ、そうだよ。せんせのあの人間離れした速さはもうない上に、さらに足手纏いのあたしがいちゃ……――
「確かに雪駄を焼かれた事は痛い。予定外だ。けど、僕の後ろにはお葉さんだ。まだやりようはあるさ」
そう自信満々に言ってのけたせんせがあたしの方へ僅かに顔を傾けこそっと続けたんだ。
「少し離れていても癒せますか?」
「――え、えぇ、ちょいと効き目は落ちちまうけど……」
「充分です。ほんとは一人でやりたかったんですが……すみません、力を貸して下さい」
「せんせ――そんなっ、と、当然じゃないですか! あたしはせんせの女房なんですから!」
……せんせがそんなこと言うもんだからさ、あの晩に道場で言われたのを思い出しちまった。せんせと初めて口付けした……あの晩のこと……
「あた、あたしこそ――あたしの問題にせんせ巻き込んじまってごめんなさ――」
謝ろうとするあたしにせんせがにっこり笑って言うんだ。
「それこそ当然ですよ。僕は……僕らは、夫婦なんですから」
それだけ言ったせんせはヨルへと視線をやって、無造作に素振り刀を右手にぶら下げゆっくり歩を進め始めました。
ど…………どうすりゃ良いってんだいあたしは!? そんなちょこっと喋っただけじゃ分かんないじゃないですか!
け、けどゆっくり喋る間なんてある訳ないんだ……そうも言ってられないね。
離れても癒せるかってのは……せんせが怪我すりゃ癒せば良いんだろうけど近付くなってことだよね……。
ほんとにそれだけしか手伝えることないのかい!?
って、あぁっ、もう始まっちまう!
「リョーアン、腕の一本や二本どころか四肢全てくらいは覚悟しろ」
「やれるもんならやって――」
ひゅひゅんと再び手を振るヨル。せんせの話を最後まで聞きなよ!
せんせを襲ういくつものドーマン。それをせんせは避ける事をせず、素振り刀ひとつで打ち据え砕いてく。
けど……一息で砕くのは四つが限度。
どうしたって連続で放たれちまっちゃ被弾しちまう。
「ぐっ――……ぅぅ……痛くない!」
握り込んだ呪符を交換する際の隙、そこを狙われ左肩を打たれても、それでもそう強がって言い放つ良庵せんせ。
痛くないわきゃありません。
上手いこと身代わりの呪符が効いたとしても戟を散らすことしかできないんだ。ぶち当たられたその衝撃はそのまま残っちまう。
それこそ重い鉄の弾ぶつけられてる様なもんだ。
あたしはそれを真後ろから目の当たりにする訳だけど、色失って慌てる訳にもいかない。
即座に治癒の念を籠めてセーマンを指で切り、せんせの左肩を打ち抜き癒す…………こ、こりゃ酷だよせんせ。
さらに二度三度と同じ展開を繰り返し、あたしも負けじと癒しはするけど……
即座に癒すったってせんせが痛いのは変わんないんだから! せんせの体が傷付くのを黙って指くわえて見てろってのかい!
「せんせ! こんな策じゃせんせの体が――!」
「問題ありません! このままお願いします!」
せんせはあたしの言葉を遮りさらにぺたりぺたりと裸足の足でヨルへ近付いてっちまう。
こ、こんなじゃやっぱり駄目だよ……
「ヨル! 一つだけ誓え!」
「誓えだと……? 内容による。言ってみろ」
「僕が参ったと言うまではお葉さんに手を出さないと!」
……せんせ……そんな痛い思いしてるのにあたしの事ばっか……馬鹿だよせんせ……
「ふ、救い難いバカだな。分かった、誓おう。ただし、貴様が参ったと言うか、口も利けん様になるか――までだ!」
せんせに応えたヨルの体の周囲を、囲む様に浮かぶいくつもの格子……
ヨルのやつ……せんせと喋ってる間に格子描いてやがったね――!?
「その時はすぐに訪れる! 喰らえリョーアン!」
「せんせ――!」
右手に素振り刀、左手にはハナから呪符を持ち、素早く素振り刀を持ち替える事でこれまでの倍の数の格子を砕いて見せた――――んだけど……
「ぐ……うぅぅぁああ!」
べきぃっ――と音立てて素振り刀を叩き折られ、三発四発と立て続けに喰らっちまった……
吹き飛ばされて横たわるせんせに セーマン飛ばして癒した方が良いんだろうけど、とにかくもう、頭ん中しっちゃかめっちゃかになっちまって駆け寄っちまった。
「せんせっ! あたし置いて逝っちまっちゃいけませんよ!」
がばりと覆い被さり、とにかく治癒を――
「ヨーコ。どけ。それでは誓いを守れん。それともリョーアンは既に口も利けんか?」
うるさい! 黙ってろ! とにかくせんせだ!
幸い死んじゃいない……道着に呪符の効果がなきゃ危なかった……
「……う、うぅ、お、お葉――さん……」
「せんせ! すぐ癒しますから! ちょいと辛抱して下さい!」
って、んなこと言ってもこれはもう駄目だ。
癒したってせんせにこのまま戦わせるなんて、どう考えたって出来ないよ――
どうにかせんせの折れた骨や内臓の損傷を癒したとこで、頭上高くから声が聞こえたんだ。
「よーし! 俺が来たからには安心しろー!」
だ――誰だい!? 助っ人かい!?
がばりと顔を上げて見ると、狐に乗った声の主が、ずしゃっ、と地に降り立つとこでした――けど……
「賢哲さんかぃ……期待薄だねぇ……」
「そりゃひでぇなお葉ちゃんよぉ!」