いまなんつった?
ヨルのやつ……、良庵せんせを消すっつったかい?
ちょいと待ちなよ。あたしがなんで黒狐の里まで大人しくついて来たと思ってんだい。
そんなの良庵せんせを傷つけられたくないからに決まってる。猿でも分かるじゃないか。
「もしせんせを殺せばあたしも死ぬ。よく考えてもの言いなよ」
あたしじゃありませんよ。
竹簾の衝立の向こう側、あたしの声音を真似て言ったごっちゃんです。堂々とした物言いが立派だよ。それにあたしの考えをよく分かってるね。
なんならあたしの方があたしの考えに鈍かったみたいで恥ずかしいったらありゃしないね。
今更だけどね、ヨルの二択なんて最初っから選びようがなかったのさ。
良庵せんせが死んだらあたしも生きてる必要ない。分かり切った事じゃないか。
「勘違いしてるようだから言っとくけど、良庵せんせが助けにきてくれたってのもあたしにとっちゃ良い話ってわけじゃないよ」
ちょっとごっちゃん! 確かにそれがあたしの本心だけど、あたしじゃなくてごっちゃんだってバレないように気を付けなきゃ駄目なんだから!
消滅してもまた生えてくる尾っぽに容赦する様な奴じゃないんだからね。
「あたしはあの人のところに戻ろうなんてこれっぽっちも考えてないんだからさ」
「……そうか。それは悪かった。てっきりオレに怯えて震えているものだと思っていたが――」
ビビっちまってたのは間違いないけどね、あの臆病ごっちゃんだってこんな凛々しくやってんだ。あたしだってすっかり腹ぁ括ってる。
どんな手使っても良庵せんせにゃ手出しさせないし、ヨルの子なんて孕んでやらない。
もしことに及ぶ様な事になったら舌ぁ噛み切ってでも立派に果ててやるってなもんだよ。 ……けど……
けど……、良庵せんせ、一体どうしてこんなとこまで来てくれたんだい……?
姉さんから聞いた筈だろ? あたしが妖狐だってさ……
なのに……。なのに来てくれたって事は……
あたしが妖狐でも…………
受け入れてくれるって……こと、なの……か……い?
でも、そんなこと……だって……
やだあたしってば。こんな時にほっぺがニヤついちまうなんてどうかしてるよ。
でも、それでもやっぱり……
……そりゃしちまうだろ、ニヤニヤってさ。
あたしを人だと思ってた良庵せんせとあたしと、心の底から好き合ってた自信あるんだもん。自惚れじゃなくってさ。
それがさ、妖狐だとバレちまってもせんせが受け入れてくれるってんならさ、もうマルっと解決なんじゃ……――ううん、一緒に歳を取ってあげられない……マルっととはいかないか。
けどとりあえずは! ごっちゃんがああは言ったけど、とりあえずはせんせと一緒に居たって構わないんじゃな――
「――てっきり怯えていると思っていたが、リョーアンの下へ戻らない覚悟なのだと言うのならば……」
なんだいまだ話すのかいヨルの奴。黙ってせんせの所へ帰しておくれよ。都合良すぎるなんて言われちまうかい?
「脱げヨーコ。番おう。今すぐ、ここで」
――――!
き、聞き間違いだろう……? まさか本気なのかいこの野郎? いや本気なんだろうけどこの流れでかい? こんな辺鄙なとこまで亭主が迎えに来てくれてんだよ?
ごっちゃんの視界を覗き込めば、衝立越しに近付いてくるヨルの姿が竹簾に透けて……
「リョーアンと菜々緒には尾っぽを二つ差し向ける。しかし殺しはせぬと誓おう」
二本指を立てそんな事を言いながら、ばんっ、とヨルが衝立を腕で払い除けたんだ。けど、そこにヨルが見たのはあたしの姿。
ごっちゃんが化けた、見た目は完璧にあたしの姿。
同時に、あたしの頭の中だけに響くごっちゃんの声。
『いまだよお葉ちゃん、良庵せんせのとこ、行って。早く』
◆ ◆ ◆
「止まれ菜々緒。シチによく似た匂い、たぶんヨルの尾っぽだ」
「まだ居ないって言ってたじゃん! 三郎太の嘘つき!」
目的の小さな家、菜々緒ちゃんが昔暮らしてたっていう庵を目指して駆ける道すがら、どうやらヨルの尾っぽの邪魔が入ったみたい。
「居ないなんて言ってねえ。勢揃いしてねえかもな、って言ったんだ」
「えー、そうだった? ま、どっちでも良いけどさ!」
菜々緒ちゃんが鋭くそう言うや否や、ぐるんと前廻りするみたいに頭を縦に倒して一回転すると、もう三郎太ちゃんの姿になってたんだ。
「菜々緒! 出し惜しみなしだ!」
「五ぉ六、七郎! みんな行くよ!」
せめて五郎も六郎も名前呼んであげてよぉ!
菜々緒ちゃんの声に応えるように、三郎太ちゃんの肩が、胸が、太腿が、それぞれ肥大して見るからにめっちゃくちゃ強そう!
「四郎太もやっちゃって!」
菜々緒ちゃんとその尾っぽのうちで唯一変化の術の使える四郎太ちゃんが、元の三郎太ちゃんの姿に化け直したんだ。
あんな歪に肥大しちゃうといつも通りに動けないもんね。
っていうかね、変化も出来ない化けギツネってどうなのよ、って思っちゃうけどそこがまたさすが脳筋菜々緒ちゃんって感じだよね。
そして前方、二つの影。
一つは狐、もう一つは人がた、けれど流れからしてきっとどちらも尾っぽ。行く先を阻む二つの尾っぽに向けて三郎太ちゃんが大きく拳を振り上げて言ったんだ。
「良庵お前は行け! このまま真っ直ぐ行きゃ分かる!」
「今半分くらいだから! お葉ちゃんのことお願い!」
「かたじけない! どうかご無事で!」
◇ ◇ ◇
姉さんと違ってあたしもあたしの尾っぽ達も、みんながみんな変化の術は大の得意さ。あ、なっちゃんはまだ毛玉にしか化けられないけどね。
でもごっちゃん、やっぱこんなの駄目だよ。
そりゃあたしだって良庵せんせを守るためならアンタたち尾っぽを犠牲にすることも厭わないけどさ。
あんたたちはまた生えてくるからね。
けどさ、ごっちゃん身代わりにしてあたしがケツまくって逃げるなんてなぁ、この六尾の妖狐のお葉さんの名が廃るってもんさ!
勢いよく草むらから飛び出して、ひとっ飛びで開けっ放しの障子のとこから叫んでやった。
「きゅきゅぅ! きゅーーー!」
あ、しまったよ。あたしらしくもない。
今のあたしってば、ごっちゃんに化けてあちこちちょろちょろしてたんだった。