「良人、オマエちゃんと寝てんのかよ?」
「心配いらない、少し寝たさ」
夕方、せんせが道場であの黒檀の重い素振り刀を振ってたとこに、ツヤツヤした顔ひょっこり出して賢哲さんが言ったんだ。
「今さらそんな事したって変わんねえだろ」
「…………あぁ、そうなんだけどな、書斎に居づらくってな」
わっちもそう。だからせんせの腰にぶら下がって付いてきたんだ。
だってもうホント凄くなっちゃってさ、菜々緒ちゃんの声が。
どこに行くんだか知らないけどさ、何回も行く行く叫ぶ声が書斎まで余裕で聴こえて参っちまったんで二人で道場に逃げてきたんだよ。
「与太郎が来て風呂を沸かしてくれたらしい。良人、先に入れよ」
「……お前たちが先の方が良いんじゃないのか?」
せんせも汗かいてるけど、二人の方が色々と凄そうだよね。
「菜々緒ちゃん寝ちまったんだ。だから先行ってくれ」
そういう事ならってことでせんせがお風呂に行っちゃったから、わっちは幼女姿で書斎に戻ると三郎太ちゃんがいてびっくりしちゃった。
「三郎太ちゃん、もうちょっと静かにイタしてよ」
「俺じゃ無え。けど、すまんとは思ってる」
胡座で腕組んで座る三郎太ちゃんの向かいにそっと正座して、その大きい体を見上げるといつも以上に難しい顔してたんだよ。
「やっぱビビってる?」
「……ま、少しな。菜々緒が根っこの部分でビビってやがるからな、どうしても影響されちまうみたいだ」
お葉ちゃんもそうだろうね。幸いって言うのも変だけど、わっちはお葉ちゃんとの繋がり切れてるみたいで影響ないけどね。
「それでどうだ。良庵は何か思い付いたか?」
「うん、割りと可能性あるんじゃないかなぁ。あのね、良庵せんせは――」
「いや内容は教えてくれなくて良い。菜々緒がビビってるせいで否定的な意見しか出そうにないからな」
「そう?」
「しーちゃんがイケそうだってんなら信じるさ」
『イケそうだ』とまでは言ってないけどね。せいぜい『もしかしたらイケるかも』ってところかなぁ。
うん、でもまぁ、相手は黒狐の棟梁ヨルだもんね、結構無茶な策だけどちょっとでも可能性あるならマシな方だよね。
それから少しだけ、三郎太ちゃんと里への道のりなんかの打ち合わせを済ませた所にせんせがお風呂から戻ってきたんだ。
せんせもわっちの隣に正座して、スッと頭を下げて言いました。
「三郎太殿、今夜、よろしくお願いします」
「…………俺は菜々緒の尾っぽだ。俺にとっても葉子は妹、こっちがよろしくだ。期待してるぜ良庵」
せんせはほんの少しだけ横になって目に蓋をして、与太郎ちゃんが用意してくれた夕飯をこれも少しだけお腹に入れました。
これはホントにどうでも良いんだけど、シチ見て与太郎ちゃんがほっぺた赤らめてたのがなんとなく腹が立ったもんだから、わっちの姿も見せてやったんだ。
「与太郎、どっちが好みだよ?」
「お、おら選べねぇだ! どっちも可愛いだ!」
……ちっ。どう見たってわっちのが可愛いってのにさ。見る目ないんだから与太郎ちゃん。
「よし、準備は良いか?」
「はい、ばっちりです。お願いします」
ようやくお葉ちゃんに会えるってのが心の底から嬉しいみたい。せんせったらちょっと微笑んでるんだもん。
三郎太ちゃんの中で寝てたらしい菜々緒ちゃんがお腹から顔出して、寝惚けた声で賢哲さんに。
「……えへ、賢哲さん、何回も言うけど浮気しちゃダメだからね」
キッとシチの方を睨んでチクリ。
「それなんだけどよ。やっぱ俺は行っちゃ拙いか?」
「ダメだ。オマエがいちゃ上手くいくもんも上手くいかねえ。はっきり言って足手まといだ」
「ちぇー。念仏も効かねえし分かっちゃいたけどよ、んなはっきり言うなよ三郎太」
「いや、言う。大人しくなっちゃんとシチと、そっちの与太郎と留守番だ」
あ、そうなんだ。なんとなくシチは連れてくんかと思ってたよ。
でもその方が良いかもね。お葉ちゃんの結界の中に居る限りはシチが敵意を持っても安全だもん。
「ねぇしーちゃん」
「なに?」
菜々緒ちゃんがわっちに耳打ち。
「しーちゃん達って視界の共有できるんでしょ?」
「なっちゃんとならできるよ。お葉ちゃん達とは今は無理みたいだけどね」
「賢哲さんが浮気したら教えてね」
「おっけー。なっちゃんにも見張っとくよう言っとくよ」
大丈夫だろうと思うけどね。おたくら昼間あんなにしたんだしさすがに賢哲さんでも無理なんじゃない?
道場の扉を開いてぞろぞろお庭へ降り立って、三郎太ちゃんがその身に戟の力を纏わせていきます。
わっちも久しぶりに本来の姿――小狐なっちゃんと違ってちゃんと大人の真っ白狐――になって、良庵せんせがその背に乗れるくらいに大きく化けました。
「恐らくヨルの尾っぽの多くは葉子を探しにあちこち出払ってた筈だ。葉子が連れ去られて丸三日、楽観的かも知れねえが、まだ勢揃いはしてねえだろう」
「シチより年長の三、四、五、六だね。一人でも少ない方が良いもん、少しでも早く着いた方が良いね」
こくりと頷く良庵せんせと三郎太ちゃん。菜々緒ちゃんはまだ寝足りないみたいで三郎太ちゃんのお腹に引っ込んじゃった。
「良庵、どうにかしてヨルを黙らせろ。さらにヨル以外には構わず葉子を掻っ攫う。作戦はそれだけだ」
ま、なる様にしかならないしね。そんなもんで良いんじゃない。そのあとの事はそのあとで考えるしかないよ。
「日の出には間に合わねえだろうが、昼にはならねえくらいで飛ぶ。ちゃんとついて来い」
ばんっ、と地を蹴り跳び上がった三郎太ちゃんがほんの少し空に留まって、黒狐の里の方へ向かって飛びました。
「せんせ、乗って。追い掛けるよ」
「しーちゃんさん、よろしくお願いします!」
しーちゃんさん、だって。せんせったらもう、ほんと可愛い人だなぁ。
わっちもやっぱりお葉ちゃんだからね、良庵せんせのこと、やっぱり大好きだなぁ。
凄い勢いで飛んでく三郎太ちゃんと違って、わっちは空を駆けなきゃいけない。
さ、頑張って走るよ!
「せんせ! 振り落とされないようしがみついててね!」