幼女姿のわっちと良庵せんせは二人っきりで書斎だよ。
って言っても仲良くスヤスヤ眠るシチの奴となっちゃんも一緒だけどね。
あのあと――わっちが姿を見せたあと――、三郎太ちゃんが言ったんだ。
『出発は今夜日が暮れたあと。それまでに良庵、ヨルに対して有効な手を何か考えることだ。それが出来なきゃ行くだけ無駄だ』
その言葉に真剣な顔でこくりと頷いた良庵せんせ。
『俺はなに準備すりゃ良いよ三郎太』
『オマエは置いていくから何もしなくても良い。だから目一杯、今日は菜々緒を可愛がってやってくれ』
それだけ言って三郎太ちゃんは菜々緒ちゃんに体を返して引っ込んだんだ。
何が凄いってさ、賢哲さんと菜々緒ちゃん、甚兵衛が泊まってた客間で仮眠するって布団敷いてさ、あろう事かがっつりもつれこんでるんだもん。
びっくりだよね。ここ、他人んちだよ。
確かに三郎太ちゃんが言った通りにしてるんだし、無事に帰って来れるかどうかも分かんないから間違っちゃないんだけど、時折り漏れ聞こえる菜々緒ちゃんの嬌声がもうね、堪んないよね。
ちょっとでもせんせの耳に届かないよう何か喋っとこっかな。
「良庵せんせ、どうしてお葉ちゃんが妖魔だって気付いたの?」
紙に向かって一心不乱に筆を動かす良庵せんせへ、そう声を掛けても手を止めることはなかったけど、ちらりと一度こちらに視線を寄越して話してくれたんだ。
「最初はこの、野巫三才図絵を書いた睦美先生は妖魔の力も持つんじゃないか、と考えたんです――」
――人が持つ力『巫』に加え、妖魔が持つ力『戟』をも使えなければ野巫三才図絵を書くことはできない筈。
人を娶った妖魔、人との子を成した妖魔、そんな伝説は数々ある、睦美先生がそれらの子であってもおかしくない、と。
「そこで棟梁に渡した呪符だね」
「そうです」
――棟梁に渡した呪符に触れたのは、僕と棟梁、それにお葉さん……だけ。
――あの呪符に籠められた巫は間違いなく僕のものではなかったし、さらには戟も籠められた、野巫三才図絵にある『巫戟』そのものだった。
「そしてこの、お葉さんが出て行ったのとほとんど同時の妖魔騒動」
――以前の蝮の三太夫の時とは違い、どうやら僕か賢哲……恐らくは僕を狙っていた。
「僕は本来、甚兵衛殿のような妖魔退治じゃなくただのやぶ医者、妖魔に狙われる様な者ではない。居なくなったお葉さん絡みなのでは、と考えました」
「ははーん分かってきたよ。睦美蓉子は巫戟を使う妖魔、そしてどうやらお葉ちゃんも巫戟を使うから……あれ? でも良庵せんせ、妖魔だけじゃなくって妖狐って事まで当てたよね? しかも尾っぽの数まで……」
せんせは休むことなく動かしていた筆を置き、こちらを向いて少しはにかんで言いました。
「やぶ医の薮井甚兵衛とおんなじ、駄洒落じゃないかなって」
「駄洒落……」
「睦美はむつみじゃなくってむつび、蓉子は妖しの狐で妖狐。だから六尾の妖狐なんじゃないかなって」
「でもさでもさ! それは睦美蓉子のことであってお葉ちゃんのことじゃないじゃん!?」
良庵せんせはまださ、睦美蓉子とお葉ちゃんが同一だと知らないはずじゃん!?
「シチの言った、『シチは黒狐の棟梁の尾っぽ』という言葉で閃いたんです」
『?』って顔で首を捻って見せたら良庵せんせが続けてくれました。
「シチは七なんじゃないかって」
「いや確かにヨルは八尾の妖狐だからそうかもしんないけど、でもお葉ちゃんと連想するかなぁ?」
せんせが自分で気付いたんだし別に今さらお葉ちゃんの正体ごまかす必要もないんだけどね、でもわっちが説明してあげるのは違う気がするんだよね。
けど、すやすや眠るシチとなっちゃんを指差したせんせがさらに言ったんだ。
「なっちゃんですよ。なっちゃんもシチと同じく七だとしたら……お葉さんの尾っぽなんじゃないかなって」
……がっつり正解だね。せんせ、思ってたより断然鋭い。
「それに……お葉さんの名前もヨウコ、姓もツネキ、菜々緒さんに至っては睦美先生より一本多い七尾のナナオですし」
……あの姉妹は駄洒落好きって訳じゃぁないんだけどね。ただ名前に無頓着なんだよね。
二人とも尾っぽの名前、数字からだもん。
菜々緒ちゃんなんてさ、三本目が三郎太ちゃん、四本目が四郎太ちゃん、でも五本目以降は五郎、六郎、七郎なんだよ。面倒になって『太』どっかやっちゃったんだよね。
ほっぺをぽりぽり掻いてたわっちの反応見てさ、良庵せんせがにこっと笑って言いました。
「駄洒落なんで根拠なんてあまりなかったんですけど……当たってたみたいですね」
「……ちょぉっとだけ違うんだけどね」
「え、どこか違いました?」
「なっちゃんね、ホントはむっちゃんなんだ」
今度はせんせが『?』の顔。そりゃそうだね、訳分かんないよね。あは。
でもわっちは説明してあげないよー。今度お葉ちゃん本人から教えて貰えば良いよ、うん。
「ところでせんせ。ずっとそれ書いてるけど、いい手思いついたの?」
「ええ」
文机の隣、畳に広げて乾かしてる呪符を覗いて聞いてみたんだ。
「これってさ、昨日も何枚か書いてた甚兵衛おすすめ呪符その三だよね?」
「そうです。今から違う呪符を探して試してなんてやってる時がありませんから」
せんせも覗き込み、乾いた呪符を重ねて取り上げ、力強い声で続けたんだ。
「この――その三の呪符で勝負してみます。上手くいけば……、いや、いかせてみせます、絶対に」