そろそろ姉さんが着いちまう頃だろうねぇ。
まぁ良いんだけどさ、もうどうでも。
あたしもあーだこーだと四の五の言ってても始まんないからね、もう腹くくったよ。
人と所帯を持った母様だってさ、兄さんを産んだあとに妖狐と知られて出てったんだもん。
あたしだってそれと同じで良いじゃんか。いやあたしは何にも産んじゃいないんだけどさ。
あたしはどうなったって良い。
とにかく良庵せんせに類が及ばなきゃさ。
だからあたしが選ぶのは決まってるんだ、最初っからね。
ん、でも。
姉さんのお陰で不貞を働かなくて済むね。
あたしの正体を聞きゃあさ、良庵せんせだってさすがに離縁してくれるだろ。
不貞を働いた! なんつって離縁されるよりゃよっぽど良い。あたし、せんせにそんなの言われちゃ軽く死ねちまうもの。
さすがにさ、妖狐だと知られりゃ……離縁……されちまう……かな。
やだねぇ。まだ涙なんて出ちまうのかい。あたしもほんとどうかしちまってるねぇ。
腹、くくった筈なんだけどねぇ。
◆ ◆ ◆
「え……? お葉ちゃんが妖狐じゃないかって……?」
いきなりせんせに正解ぶち抜かれてたまげちゃったけど、いくらなんでも菜々緒ちゃんだって誤魔化してくれるよね――
「なんで知ってるの? これから菜々緒がばらす筈なんだけど?」
って、おぉい! 菜々緒ちゃんがばらす筈って一体なに言ってるの!? わっちもうほんと訳が分かんないよ!
「やっぱり……か。まさかとは思ったけど、やはりお葉さんは妖狐だった……」
あわわわわ。お葉ちゃんがひた隠しにしてきたことなのに……
黒狐の里で何があったか知らないけど、なんでいきなりこんな事になるのさ。
「さらに六尾か七尾の妖狐だったりしませんか?」
「え、なんで凄い! 当たってる! せんせー凄い! 占いの人!?」
きゃぁきゃぁ喜んで手を叩く菜々緒ちゃん。賢哲さんの浮気の件は忘れたのかすっかり涙は止まったみたい。
「あ、それと賢哲は浮気なんてしていませんよ。刺されたり口付けされたり、今回一番大変だったのは賢哲ですよ」
「おせーよ良人。もっと早く言ってくれよ」
「そうなの? ご、ごめんね賢哲さん、痛かったよね?」
「良いさ、信じてくれたんならよ。ところでこれも治してくれ。痛すぎて倒れそうだぜ」
口から血を垂らした噛み合わせの悪いらしい顎をさする賢哲さんに応え、袂から治癒の呪符を取り出した良庵せんせ。
お葉ちゃんが妖狐だって事を知ったはずの男二人、特に変わらず普通だね。
勘付いてたっぽい良庵せんせはともかく、賢哲さんも普通なのが不思議だよ。分かってるとは思うけど、お葉ちゃんと菜々緒ちゃん、姉妹なんだよ?
「夜が明けそうだ。こんな往来でする話じゃない。続きは家で」
空が白んできました。賢哲さんが提灯へ息を吹き入れ火を消して、菜々緒ちゃんと連れ立って歩いて行きます。
ぼそぼそ何か喋ってるね。盗み聞きしよ。
「いつから見てたんだ?」
「賢哲さんがちゅうされてるとこ」
「たはーっ。なら引っ叩かれてもしょうがねえか。ごめんな、菜々緒ちゃん」
「ううん、菜々緒こそごめんね」
ほんといつも通りの二人だね。凄いな賢哲さん。
そしてせんせはいつの間にか少女の姿に戻ったシチの背を軽く押して言いました。
「さ、君も。君の話も聞かせて欲しいんだ」
良庵せんせの顔を見上げ、きらきら光る目でじっと見つめたかと思うとコクンと小さく頷いたシチ。
ヨル様ヨル様言ってたクセにさ、尾っぽのクセにこいつそこら中で恋しちまうんじゃない?
「……あ! シチやっぱり帰る!」
良庵せんせの家の前、門屋を潜ろうとしたシチが急に振り向いて駆け出そうとしたんだけど、どすんとせんせの胸に顔をぶつけちまったんだ。
その反動で二、三歩後ろに下がったシチ。そこはもう門屋の内側です。
ぺたんとお尻を地面につけたまま、シチは門屋を見上げてキョロキョロ見回し、安心したのかホッと一息つきました。
そういやこないだお葉ちゃんの結界にばりばりって焼かれてたんだったね。今はなんともなく通れたってことは、どうやらシチのやつに敵意はすっかりないらしいね。
「ただいま。なっちゃんも留守番ご苦労様」
きゅー! と一声鳴いたなっちゃんを胸に抱え上げ、道場へ上がる良庵せんせの後をぞろぞろ続きます。
「さて――」
「――ん? あ、あーーーっ!?」
仕切り直そうとした良庵せんせを遮って、賢哲さんが大きな声を上げました。急になに、びっくりするじゃないか。
「お葉ちゃんが妖狐だってぇ事はだぞ、その姉ちゃんの菜々緒ちゃんも妖狐だってえのか!?」
「え、うん、もちろんそうだよ、姉妹だからね。いまごろ気付いたの?」
あ、なるほどね。そこまで頭が回ってなかっただけだったんだね。
わっち、賢哲さんの器がめちゃめちゃ大きいのかと思っちゃったよ。
「そっか……。菜々緒ちゃんが妖狐な……」
腕を組んだ賢哲さんが天井に視線をやって、んー、とか言って何事か考え始めちゃいました。
冷静に考えない方が良いと思うなぁ。
「妖狐ってことは、妖魔だよなぁ……」
「……賢哲さん……妖狐の菜々緒じゃ嫌?」
「え? あぁ、嫌とかそんなんじゃなくってよ。色々聞いときたいなと思ったんだ」
うっわ……なにその自然体……賢哲さんカッコいい! そんなん惚れ直しちゃうんじゃない!?
「菜々緒が妖狐でも良いの!?」
「え? 良いけど? なんか拙い?」
きょとん、と少し目を丸くした賢哲さんが良庵せんせへ視線をやって、もの凄くなんでもない事のように問い掛けます。
「良人だってそうだろ? お葉ちゃんが妖狐でも別に……なぁ?」
賢哲さんのその言葉に、しっかりと頷いた良庵せんせ。
「一向に構わない。お葉さんが妖魔だろうとなんだろうとだ」
良庵せんせもカッコ良いよー! お葉ちゃんに聞かせてやりたいよー!
「でもよ良人」
「なんだ?」
「もしお葉ちゃんが男だったらどうする?」
「男? ……おとこ……いや、それは……ま、まぁ何とかなる……なるか? いや、うん、そうだな、たとえ男でも愛せるぞきっと」
「だよなぁ! 俺も菜々緒ちゃんが男でもイケそうだわ!」
…………
その無意味な仮定になんの意味があるの……
カッコ良い、って言ったのやっぱり無しにしても良いかなぁ。
と思ったけど、当の本人の一人、菜々緒ちゃんはポーッと赤い顔して嬉しそう。
そっか、そうかも知んないね。
それだけ深く愛されてりゃ嬉しいものかも知んないね。
お葉ちゃんはあんなに心配してたけど、妖狐だってバレても大丈夫みたい。わっちも嬉しくってニコニコしちゃうよ。