「元気そうじゃねえか。これなら慌てて飛んでくることなかったかもな」
「バカ三郎太! 無理して明るく振る舞ってるに決まってるじゃない!」
いやホント賑やかいねぇ。
姉さんがいるだけで姦しくって笑っちまうよ。
でもなんでだろ。
あたしこれでもやっぱり参ってたみたいだね。
なんでかちょいと涙が出てきちまうよ。
「ほら! お葉ちゃん泣いてるじゃない! 三郎太のバカ! だって……だってお葉ちゃんは……」
「悪かったけどよ、何をだってだって言ってんだよ」
それそれ。あたしがなんだって言うのさ。
「だってお葉ちゃん! ヨルの奴にめちゃくちゃにされたんでしょ!? 思い出して泣いちゃうくらいに!」
ぶぅっ、て噴き出しちまいました。
我が姉ながらなんて事言うんだい、無神経にも程があるってば。
「馬鹿なこと言わないでおくれよ。あたしは正真正銘きむす――んンっ、ヨ、ヨルとそんな事になっちゃいませんよ」
いけないいけない。五百近くになろうってのに、んなこと姉さんにバラしちゃ素見されっちまうよ。
「え、嘘ほんと!? 良かったじゃない! じゃ帰ろ!」
「帰りませんよあたしは」
三郎太の腕を勝手に動かしたらしい姉さんがあたしの腕をむんずと掴んでそう言いましたが、ぺいっと振り払って即答します。
「何言ってんのお葉ちゃん!? 良庵せんせのとこに帰りたくないの!?」
ちくちくちくりと胸の奥が痛みますけど、折角姉さんが来てくれたんだ、せんせにお別れ伝えてもらおうか。
「訳の分からない書き置きひとつしか残せなかったからさ、良庵せんせに伝えて下さいな。あたしの事は忘れて誰か良い人探してくれって」
こりゃほんとにいけないねぇ。自分で言った言葉にまた涙が出そうだよ。
ここが女の見せ所、しっかりしろあたし。
「ばっ――ばっかじゃない!? 正直になんなよお葉ちゃん! 良庵せんせのこと好きなんでしょ!?」
あんまり言わないでくださいよ。あたしだってせんせのとこに帰りたいんですから……それに、今は余計な事言わないでおくれよ。
「……良いんですよこれで。どうせあたしは妖狐でせんせは人。一緒に歳も取れない二人に先なんてありゃしませんもの」
「何よそれ! 菜々緒と賢哲さんにも先がないって言うの!?」
……こりゃ拙っちまったよ、姉さんが怒るのももっともだね。自分で言うならいざ知らず、周りに言われりゃ腹も立つってなもんだよねぇ。
どうにもいけないね、あたしやっぱり参っちまってるみたい。そんな事にも気付かないなんてあたしらしくもないよ。
けど――姉さんには悪いけど、ここはこのまま引き下がってもらう……ていうかとっとと帰っておくれよ。
「そういう事になっちまうねぇ。姉さんも賢哲さんなんてやめて誰か他の良い人探した方が良いんじゃないかい?」
「あーーったまキタ! せーーっかくお葉ちゃんのためにこんなとこまで走って来たのに!」
「お前は走ってねえ。俺の戟で飛んできたんじゃねえか」
「うるさい黙れバカ三郎太!」
もう――もう良いからさ、寸劇してないで早く帰っておくれよ姉さん、頼むからさ。
「見てなさいよお葉ちゃん! これから帰って賢哲さんに菜々緒の正体明かすから!」
……え? どうしてそうなるんだい?
「そんでも賢哲さんなら菜々緒を受け入れてくれるもん! 絶対だもん!」
ちょ――ちょいと待っておくれよ。そんな事しちゃあたしの正体だってバレちまうじゃないか……
……けど……そ、の方、が良い、か。
そうすりゃ良庵せんせもあたしの事を忘れて――
「吐いた唾飲まんとけぇ! 目にモノ見せてやるからねお葉ちゃん! 行くよ三郎太! 駆け足!」
「お、おい菜々緒、本気で帰るのかよ」
「本気も嘘気もない! 菜々緒が帰ると言ったら帰るの! これもう決定だから!」
好きなだけ叫んだ姉さんは三郎太の腹に顔を引っ込めて、そして再び結界を潜って出てっちまったよ。
ほんと賑やかいったらないねぇ。
でも、ごめんね姉さん。来てくれてありがとう。嬉しかったよ。
姉さん達が潜って僅かに揺れた結界が静止し、姉さん達の余韻が消え去ると同時、音もなく舞い降りたヨルが姿を見せました。
姉さんのせいで余計な事まで聞かれちまったろうねぇ。
「相変わらずうるさい女だ」
「それが姉さんの良いところだよ」
「ふん、そうかも知れんな」
何言ってんだ、あんたに姉さんの何が分かるってんだよ。ふん。
「ヨーコ。この里は見てくれたか?」
「ざっとね」
昨夜ここに連れてこられ、ヨルに言い含められたのは二つ。
是が非でもあたしに子を成して貰うということ、そしてもう一つがこの里を見て回ってくれってこと。
「どうだった?」
「どうもこうもないけど、前よりしょぼくれちまったね」
「そう、この里はもう長くない。もって百年というところだ」
「何言ってんのさ。あたしら妖狐に寿命なんかあってないようなものじゃないか」
そう言ってやりましたけど、実はなんとなく分かっちゃあいました。
あたしが分かっているのをヨルも分かっているらしく、無表情なりに口の端を少し持ち上げ言います。
「何匹かの小狐を見ただろう。あれらも黒狐だが、あの子らは長生きできん。普通の狐とそう大差ないのだ」
黒狐と違って白狐はそこらへん自由だから、自分たちの里ってのを持ってない。
黒狐の連中は何故だか里を作ってツルむもんだからいけないのさ。
血が濃くなりすぎなんだ。
だからあたしの――白狐の血を一族に入れたいってんだろうけど……
「ねえヨル。分かってんのかい?」
「何を……?」
「あたしが白狐と人の混血って事をさ」
姉さんは白狐と黒狐の混血だけど、あたしは死んだ兄さんとおんなじ、白狐と人の混血。
兄妹三人ともが種違い、思えば姉さんの恋愛脳は母様に似たんだねぇ。
※吐いた唾飲むな――一度口から出た言葉は取り消せない、の意。