「しっかしよ。一体なんだっつうのよコレ。なんだかんだで十匹ちょっとだぜ?」

 白み始めた空を見上げ、そして地で蠢く妖魔へ視線をやった賢哲さんが言いました。

「さぁな。分からないけど、とにかくやる事やってしまおう。意識を刈り取った今なら効くはずだ」

 良庵せんせがそう言って、袂にしまってあった呪符の束を取り出しました。

「おいおいおい! そんなあるならさっき使えよそれ! わざわざ地べたで描く必要ねぇじゃねえの!」

 確かに賢哲さんの言う通り。
 けれど、事前に描いておいた呪符は使い切っちゃったんだもんね。

「これはさっきの甚兵衛殿おすすめの呪符その(いち)とは違う。おすすめの呪符その()だ」

 良庵せんせが説明し、賢哲さんにも半分渡して手分けするみたい。
 二人はそれぞれ横たわる獣の姿の妖魔へと、ぺたりぺたりと貼っつけて回ります。

「おっ? なんか妖魔の連中が(しぼ)んでくぜ!?」

 賢哲さんの目の前、仔馬ほどもある犬の妖魔が見る見る萎んで普通の犬の大きさへと姿を変えました。

「妖魔の多くは戟の力を持つ獣だそうだ。これは『戟の力を祓う呪符』、どうやらただの獣に戻ったようだな」
「呪符の力ってななんでも有りだな。しかしお前、ずいぶんと落ち着いてるじゃねえの。言っても相手は妖魔だってのによ」

 そう言われればそうだね。あの蝮の三太夫ぶりに妖魔と対峙した訳だけど、良庵せんせったら()()()()()妖魔退治みたいだもん。

「そうかな……? ん、でもそうかも知れない。確かにそれほどの脅威は感じていないな」

 まぁ蝮の三太夫に較べれば小物だし、お葉ちゃんや菜々緒ちゃんと較べれば屁みたいな妖魔だもん。

「おいっ! 最後のでけえ猪見ろよ! あれだけ()()()()()()!?」

 賢哲さんの声に従い視線をやれば、確かにそこに横たわる全裸の知らないおじさん。『あ、足の付け根にお稲荷さんが』なんて言わないよ、わっち。

 そぉっと二人が覗き込むと――

「おい! こいつ見たことあんぜ! ナントカって名前の破落戸(ごろつき)だぜ!」
「破落戸……? 蝮の三太夫みたいなか?」



 夜明け前の半刻ほどの間ぎゃーぎゃー騒いでたんで当然だけど、邏卒(らそつ)(警察官)がこぞってやって来ました。
 
 邏卒長や町長じきじきの依頼で受けた夜回りですから、二人がしょっ引かれるなんて事はありません。
 夜回りの顛末と今夜も夜回りする旨を伝え、気を失ったままのナントカだけを引き渡して家路に着きました。


 うーん、気になるね。
 もううろちょろしないと思った妖魔が大勢現れたことも、倒した妖魔が破落戸だったことも。

 三太夫が妖魔になった原因、自分で胸に刺したあの針。さっきの妖魔もきっとあれのせいだよね。

 ってことは……やっぱりシチって尾っぽが噛んでるのかな。
 もし姿を見せるようなら……あの尾っぽだけでもわっちがぎったんぎったんに()してやる。



「ウサちゃーん! さっきは助かったぜ! ありがとよー!」

 家に帰ると突然、賢哲さんがわっちに向かって頭を下げました。そう言えばわっち、ちょっぴり活躍したんでした。

「良人! これ俺にくれ! 念仏効かねえんだもんよ!」
「駄目だ。これは僕がお葉さんに貰ったんだ!」

 二枚目の殿方二人に取合いされて悪い気はしないね。お葉ちゃん菜々緒ちゃん、ごめんね。


 一晩中駆けずり回った二人は、賢哲さんとこで寺男見習い中の与太郎ちゃんが届けてくれた朝食を食べ、そして死んだように眠りました。

 起きる気配のない賢哲さんと異なり、ほんの一刻ほどで良庵せんせは起き出して、少しやつれた顔で文机に向って(かんなぎ)を籠めた筆を取ります。

 今夜の夜回りの準備らしいけど、きっとお葉ちゃんが心配で眠れないんだろうね。うん。せめてわっちが一緒に起きててあげるね。


 そのまま良庵せんせは二種類の呪符を何枚も書き続けました。

 甚兵衛おすすめの呪符その一とその二。

 その一は、道具そのものに宿る神から力を借りる呪符。甚兵衛(いわ)く、長年使い込んだものの方が良いらしいです。

 良庵せんせは年若い頃から使い込んだ素振り刀を選びましたが、例えば使い込んだ茶碗に施せばご飯がさらに美味しくなるんだとか。野巫ってほんと不思議だね。

 そしてその二は明け方に使ったもう一つのあれ。
 あれも使い方次第で様々な使い道があるんだとか。

 朝やったみたいに妖魔そのものから戟の力を祓うことも、妖魔の戟による怪我の治療にも、戟関連なら工夫次第で役に立つそう。


 そしてさらに、良庵せんせがもう一種類の、甚兵衛おすすめの呪符その三を描き始めました。
 先ほどの二種の呪符よりずいぶんと複雑そうなその図柄を、時間を掛けて数枚を(したた)めたところでお客様が訪れました。

 そう言えば昨日の別れ際に何か言おうとしてたっけ。

「居るんじゃねえか良庵先生よぉ。何回も声掛けたんだぜ?」
「すまない、集中してたんだ。上がってくれ棟梁」

 縁側に膝で登って書斎の障子から顔を見せたのは熊五郎棟梁。せんせの雪駄と違って草鞋(わらじ)履きだとそうなるんだよね。

「良いよ良いよここで。脱ぐのが面倒だもんよ」

 ほらね。棟梁がそう言ってくるりと体を回して縁側に腰掛けました。

「それで今日はどうした? ちなみにお葉さんは実家に戻られているみたいで居ないぞ」
「……お、おぅ、そうかよ、実家にな。たまにゃ戻らねえとな、実家だもんな」

 お互いに含みのあるぼやかした感じ。触れにくい問題だよね。

「いやな、お葉ちゃんの事じゃなくってよ」
「どうかしたのか?」

「こないだの()()、もう何枚か描いてくれねえか? もちろん金なら払うからよ」

 ぽんっ、と首からぶら下げた御守りを手で叩いてみせた棟梁。

 ……あっ。その御守りの中の呪符って――