『ではどうあっても与太郎を堅気(かたぎ)に戻すつもりはないと?』

『誰もそんなこた言ってねえ』
『ならば――』

『辞めるのは勝手だ。だがな、そんな二朱銀っぱかし持ってきたくれえで辞められると思ってるのは甘すぎるんじゃねえかってえ話よ』

 姉とのやり取りに集中してたせいで少し耳がお留守しちまいました。
 いつの間にかお話し始まっていたようですねぇ。 
 聴覚だけでなくしーちゃんの視覚を共有させます。

 場所はどうやら蝮の三太夫たちが根城にしているらしい商家に入ったすぐの土間。
 一段上がった帳場の板敷きにどっかと座る男が三太夫の様ですね。


「ねえお葉ちゃん、()()()の事だけど――」
「しっ。ちょいとの間だまってお待ち下さいな」

 ()()()の話ももちろん気になりますが、少し良庵せんせを見守らせて下さい。


『こんな年端もいかぬ子供を破落戸(ごろつき)などにしておいて、そのうえ金を求めるとは』

 良庵せんせはお人好しの、ああ見えて熱血感ですからね、曲がったことが許せない性質(たち)なん――

『それは百歩譲って許しても良い。けれど僕のお葉さんにぶち当たって捻挫をさせた事は絶対に許せない』

 ――あら? あららら? そっちは許しても良いんですか。
 良庵せんせったらやっぱり怒っていらしたんですねぇ。


『ならどうするよ? 貴様一人で俺らを叩き潰すとでも言うんかよ。えぇおい!?』
『それで納得するならそれでも構わないぞ』

 しーちゃん視点でもよく分かるのは、小柄な体に細く吊り上がった目をした蝮の三太夫とかいう人が、なかなかイラッとさせる男の様だと言う事ですね。
 けれどよく分からないのは、破落戸どもがどの程度の数いるのかです。

 くいっ、と三太夫が視線を上げると共に、良庵せんせの背後や側面で誰かが動く気配がします。

『与太郎、少し下がっていろ』

 自分よりも二回りは大きい与太郎ちゃんの襟を突然掴んだ良庵せんせ、『え? あ?』なんて言う与太郎ちゃんをブンっと部屋の隅へと放り投げ、そしてその、ご自分の頭上あたりでガギンと鈍い音。

『ちょいとしーちゃん。視線だけ上へ向けておくれよ』

 良庵せんせの腰にぶら下がる兎の足(しーちゃん)が、ぶらりと自然に揺れて見上げてくれます。出来る子だねぇほんと。


『オメエ気付いてやがったのか!?』
『そんな殺気だらけじゃそりゃ気付くよ』

 良庵せんせに振り下ろされた木刀を、せんせが掲げ挙げたあのお手製の()()()で受け止めていました。

 ……か――、

 かっこ良すぎませんかうちの亭主。あたしうっとりしちまいますよ。


「ちょっとお葉ちゃん、何をぽんやりしてるのよ。なんか覗いてるんなら菜々緒にも見せてよ。ねぇってば」

 うるさい人ですねぇ。今せっかく良庵せんせの良いとこなんですから黙ってて下さいよ。
 相手するのが面倒なんで、洗濯カゴに入ったままのなっちゃんを呼んで姉さんに抱っこされて貰いました。

「こんなの見れるんだ! お葉ちゃんの尾っぽ便利だね!」

 あたしの分身であるなっちゃんを通して姉さんもしーちゃんの視界を覗き見ることができるんです。もちろんあたしが許した場合だけですけどね。

 脳筋だからって訳じゃありませんけど、姉さんは巫戟の力も使えませんし、尾っぽの分離もできません。できない代わりに姉さんには姉さんらしい尾っぽの使い方があるんですけどね。


 しーちゃん越しの良庵せんせは筆入れで受け止めた木刀を手首を返して絡め取り、そしてその手首を掴んでふわりと投げ飛ばしました。

『ぐはぁ!』
『何が、ぐはぁ、ですか! 捻挫したお葉さんに比べれば痛くも痒くもない!』

 ……いやぁ、そんな事なさそうですよ。
 土間に叩きつけられた破落戸の悶絶っぷりたるや相当ですもの。

『良庵先生! その木刀使うだ!』

 与太郎ちゃんが言う様に、良庵せんせの足下に先ほどの破落戸が使っていた木刀が転がっています。
 けれど良庵せんせはその木刀を蹴り飛ばして隅へやり、右手に持った筆入れだけを構え直して言いました。

()らない()らない。僕お手製のこれだけで充分さ』

『者ども! 生意気言うバカやっちまえ!』

 まっ! 人の亭主を馬鹿呼ばわりなんて許せません! 良庵せんせ、懲らしめてやりなさい!

 死ねや、喰らえや、そんな破落戸どもの怒号が飛び交いますが、特に気を吐くでもない良庵せんせが筆入れ一つを武器に破落戸どもを黙らせていきます。

 せんせの腰にぶら下がるしーちゃん視点ですから細部はよく判りませんが、振り下ろされる木刀を入り身で捌いては握った筆入れを脇腹辺りへ突き入れ悶絶させているようですね。

 ちなみに墨壺側を握っていますから、あの時のあたしみたいに蓋が開いて染みったれになることはなさそうですよ。

 あれよあれよで土間に十数人の破落戸を重ねた小山が仕上がりました。
 筆入れを帯に手挟んだ良庵せんせがぱんぱんぱんと手を(はた)き、そして三太夫へと視線を遣りました。


「……ちょ、ちょっと……、お葉ちゃん……」
「なんです? いま良庵せんせの良いとこなんですけど!?」

「菜々緒……きも゛ちわる゛いの……」
「きゅ?」

 胸に抱えたなっちゃんに見上げられながら、青い顔した姉さんがそんな事を言いました。
 ……ゆらゆら揺れるしーちゃん視点を覗いてますからね。慣れないせいで酔っちゃいましたか。

 ほんと面倒な(ひと)ですねぇ。